2008年6月23日(月)  疲労の余韻

今年は何だかおもしろい。
学生や塾生たちのことである。

写真学校のゼミは相変わらず少人数だ。昨年より数が増えたといっても3人しかいない。ところが彼らはなかなかなのだ。人間としておもしろいものを持っていることは、話したり、写真を見ればわかる。ゼミのやり方にも慣れ、質問を投げかけると、的確な答え、おもしろい発言が返ってきて、これまでの学生との違いを感じる。(まだまだ発言は少なく、褒めすぎだけれど、ぼくは写真学校の教師としてはちょっと異質な質問をするから、これに答えるのは意外と難しいのです。)
今年のぼくはウキウキしながら学校へ向かう。こんな気持ちは何年ぶりだろう。

今年、初めての体験をした。
これまでの学生の最年長は35歳で、2年前、3年前、4年前にそれぞれひとりづついた。それが今年はなんと43歳の男がいる。
石山はいわゆる帰国子女だ。東京で生まれ、親の仕事の都合で幼い頃に香港に渡り十数年を過ごし、その後はカナダでも暮らし(だから日本語よりも英語が堪能で、英字新聞を読んでいる)、大学は日本を選んだ。難関大学を出ている。現在は国際関係の仕事に就き、夜、写真学校に通ってくる。写真家になりたいという。
「石山にはハンディがある」
4月のゼミでぼくはそう言った。音楽のように始めるのが早ければ早いほどいいというジャンルとは違い、写真を始めることが若ければ若いほどいいとは思わない。しかし41歳での入学は遅すぎないか。それは当然本人もわかっている。ただし、年齢がハンディなのか、そうでないかは本人次第だ。それを心に深く刻印してほしかったから、ぼくは敢えて口にした。
誰しも若いうちは時間についての認識がとても甘く、時間が無限にあると無意識に思い込んでいる。しかし人に与えられた時間には限りがある。それを自覚するかしないかで人には大きな違いが生まれる。ぼんやりとしていれば無為に過ぎ去ってしまう時間というものを、石山は認識していると思う。抗しようがない時間という存在を身近に感じていると思う。
そういう意味では不利を不利でなくすることは可能であり、年齢はハンディではないといえる。

むしろ、ある年齢に達した石山のような人間が、まったく新たな何かを始めようとするとき、下手をすると弱点になるのが固まってしまった頭だ。人は知らず知らずのうちに自分のなかに「ある観念」を定着させ、年齢とともにそれは色濃く強固になっていく。それは当然写真にも反映される。
個人の観念が独創というおもしろい位置で固まっているならアートの世界では歓迎される。他者が持たない比類ない頭から、おもしろいものが生まれるのは必然だ。
ところが現実は、むしろまずい方向で固まっていたりする。下手をすると単なる独り善がりに陥る危険をはらんでいるのだ。つまらない独断や、通俗に固まっている自分自身に気がつかないということだ。固まった頭が思考の柔軟性を奪い、ものの見方を固定化し、弾力的なものの見方や自由な思考の邪魔をすることも往々にしてあることだ。良い方向にせよ、悪い方向にせよ、固まった頭は十分に強固だから、その扱いは難しい。頭のなかを0レベルに戻すことなど出来ないし、むしろ年齢と共に観念の固定は加速度を増すから、方向の補正はどんどん難しくなる。
そういう意味ではぼくのゼミに来たことが正解だったと思いたい。ぼくの話は学生たちを揺さぶるはずだ。自分自身をあらためて見ることを迫るはずだ。願わくば、自分が知らない自分を発見してほしい。先入観に縛られず、ものを見てほしいと思う。

心配が杞憂になりそうなほど、彼は写真に取り組んでいる。まわりの学生にも伝わるものがあるだろう。
3週間ほど前、彼はいい写真を持ってきた。発想のおもしろさ、写真としての完成度、共に優れていた。それを見る限り、彼に大きな心配はない。もう一歩先を見据えて、そのまま走ってほしい。社会の概念(通念)をもっと外れてもいい。おもしろいものを生み出すのは、そんな人間だ。

----------

ワークショップは去年から今年にかけて鋸刃がこぼれるように塾生が辞めていった。
写真に見切りをつけるなら辞めるのも仕方がない。それは正しい道だ。しかし写真をやめないなら、ワークショップをもう少し続けるべきだと思う。根張りが未熟な苗木を荒れ地に植えるような行為は、無謀で惜しいことだ。ただ、幸いにも彼らがワークショップを嫌になって辞めたのではないことは、OBとして3月の合宿に来てくれたことでも明らかだった。

辞めてちょうど一年になる男が写真を携えて合宿にやって来た。ぼくや塾生たちに写真を披露することを、怖れるのではなく意気揚々とした態度だった。それを見てぼくは期待したが、残念なことに写真は良くなかった。こういうとき、なぜおもしろくないかを話すのはこちらも苦痛なのだが、正直に告げた。ぼくがそれを指摘するまで、本人が写真に自信を持っていたらしいことがぼくにはショックだった。
世の中は無駄で成り立っている。しかし、しなくていい無駄もある。時間は無尽蔵ではない。彼はワークショップに戻るべきだと思えた。しかも今のワークショップは、彼の知っているワークショップとは違う。

現在は2人の塾生とテーブルを囲む日々だ。ところが寂しくなって尻すぼみになったかと言えば、それが逆だから世の中は妙なものだ。
相原と橋本は2年近く前からワークショップに加わった。彼らが参加することで、きっとおもしろくなるだろうと思っていたぼくの読みは次第に現実になっていたが、この2ヶ月ほどは目を見張るものがある。
おもしろいというのは、ぼく自身にとっても実があるからだ。これまではぼくからの一方通行の話がどうしても多かった。けれども今年度になって、ぼくと塾生との互いの疎通が出来るようになってきた。ときにはぼくが教えられることもある。やっとぼくが本気で写真を語れる状態になりつつある。

これにはある転機があった。去年の秋からワークショップが終わると、塾生たちにメールでレポートの提出を求めた。どんな話に興味を持ったか。それは何故か。ワークショップで何を考えたか。・・・。これは増えてきつつあるとは言ってもまだまた発言が少ない彼らが何を考えているかを知るためだった。同時に彼らの頭を整理するための手段であり、書きながら彼らが新たな思考を呼び覚ますひとつの手法でもあった。
最初はほとんどがつまらないレポートだった。小学生の読書感想文のようなレポートを送ってくる塾生は、いつになってもそのままだった。毎回意気込みを連ねているが、行動が伴わない塾生。あるいはぼくの話をいつも鸚鵡(おうむ)返しのように綴る塾生。・・・。レポートを書かされているという彼らの態度が見え見えだった。レポートを自分のために書くという意識がまったく欠如していた。
変化が始まったのは今年になってからだ。相原と橋本のレポートをわくわくしながら読みふけった。二人のレポートは、今後彼らに話すべきことを示唆していた。次のワークショップでは、レポートに触れてもっと踏み込んだ話をした。
先月、写真評論について触れたとき、ぼくはこれまで誰にもしたことがない過去の話をいくつかした。後日送られた二人のレポートはきちんとそれに反応していた。相原のレポートはこれまでになくおもしろいものだった。鋭い考察には知性が感じられた。書き上げるのに長い時間を要したことは明らかで、彼がぼくの話を存分に咀嚼し、ワークショップのあとで思考を継いでいった経緯が容易に想像できた。
相原のなかに、思考し、自分の意見を述べられるだけの大きな裏付け(蓄積)が存在することは明白だった。それは一朝一夕に獲得できるものではない。彼はこれまでに多くを学び、人並み外れた時間をアートや写真の思考に費やしてきたのだろう。

今月のワークショップの前半は相原のレポートを読みながらぼくの話を進めた。
「ワークショップ08」はこれまでとまったく違うものになったと言ってもよい。既に辞めいてった塾生たちが体験すれば、どう反応するだろう。辞めなければ良かったと思うだろうか。それとも辞めて良かったと思うだろうか。
今のワークショップでは、元塾生たちは話についてこられないかもしれない。
かつての東京大学の由良ゼミは、もっと高度な話を延々と続けていたのだろう。そう思いながらもニンマリしている自分がいる。望む形に近づいているからだ。あとは写真を待つのみ。

----------

5月には武蔵野美大にも行き、3年生たちにレクチャーし、彼らの写真を見た。今年の3年生はのびのびしとて自由な気風が伺え、とてもおもしろかった。それでいいのだ。従来の写真という狭い枠に収まらず、やりたいことにどんどん挑戦してほしい。自分が入る枠を自分で作るという愚行だけはしないことだ。写真の枠を外れること。仕切りのない空の鳥のように生きること。

----------

写真学校や武蔵美から車で家路に向かうとき、あるいはワークショップの夜、ひとりでコーヒー淹れるとき、その日がどういう一日だったかがわかる。
幸いにも今年はゆったりとした気持ちになれる。それは情熱を使い果たしたあとの、すべすべとした心地よい疲労の余韻を楽しみながら彼らの写真や言葉を思い出し、今後どんな話をすべきかと思考する時間でもある。
今年はそんな時間をもたらしてくれる学生や塾生がいる。



note menu    close   next