2008年5月20日(火)  コーネルの失望、イメージの消滅

「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。」

「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。」

トルーマン・カポーティの小説「ティファニーで朝食を」の主人公ホリーのセリフだ。これが小説のタイトルになったのは言うまでもない。原文を二人の訳者が日本語にしたら、こんなに違うふたつの文章が生まれた。4月のワークショップで、ぼくはこれらを塾生に読んで聞かせ、どちらがいいだろうかと尋ねた。
ひとつは今をときめく村上春樹の訳で、出版されたばかりの湯気が立っている。もうひとつは48年も前、原作が出版された2年後(1960年)に龍口直太郎(たつのくちなおたろう)が訳した。それぞれの文章がどちらの訳者かわかるだろうか?

小説の原題は『Breakfast at Tiffany's』。
最初の翻訳を出すとき、訳者の龍口さんはNYのティファニーまで行って「食堂はありますか?」と訊いたそうである。この一件は、わざわざ確かめなければならないほどそれが意味を持ち、そして当時の日本人のほとんどがティファニーを知らなかったことを示している。
当時の日本人はタイトルの意味もわからず、この小説を読んだことになる。このタイトルはとても含蓄がある。本を読めば分かるはずだけれど、ティファニーを知る人が普通になった現代でも、タイトルを理解していない人がいるのではないかと思う。
とにかくこの小説と映画で、その店はNYのティファニーから、世界のティファニーになった。

偉そうに書いているけれど、小説をまったく読まないぼくには当たり前のことながら、ふたつの本を共に読んでいない。映画を何度か見ただけだ。(原作と映画はラストがまったく違うらしい)。映画でホリー役を演じたオードリー・ヘプバーンは、『ローマの休日』で大当たりし、ティファニーよりも早く「世界の」オードリーになっていた。
清楚。キュート。そして知性。当時そんな言葉が似合う女優は、この人以外にいなかったのではないかと思う。そんな女が絶滅種のようになった現代では、彼女のイメージはますます増殖するばかりだ。こんなに愛される女優は珍しい。ぼくもオードリー・ヘプバーンに恋心を抱く男だった。
ある本を読むまでは。

----------

NYに男がいた。
1903年生まれの、風采の上がらない織物会社の営業員だった。ウールの商品見本を持って、マンハッタン南部を歩いた。仕事の合間やオフの日には、<古本屋や古道具屋を漁った。書物、レコード、写真、版画、芝居関係のアイテムを収集しはじめ、古い映画フィルムも集めた。昼はギャラリーに通って、夜はオペラやバレエを見にいった。>
当時のNYは、医者が使う蛭(ひる)を売る者や、アルマジロの肉や駝鳥の卵を輸入する商人もいるほど、雑多で魅力的な街だったらしい。
どこにでもいる「平凡な人生を送っている男」のように見えながら、その男は変わっていた。あるときから自分が収集したアイテムでオブジェを作りはじめる。さまざまなアイテムをコラージュし、それを箱の中におさめた。
箱はシュールレアレストたちやギャラリー主たちの眼にとまり、次第に評価を受け、多くの重要な展覧会に出品されるようになる。男は箱を作り続け、その名声は国内外で高まっていった。
それでも男は芸術家を気取るタイプではなかった。
ひたすらNYを徘徊した。古いものを買い漁った。夢想の世界に遊んだ。そして箱を作った。
ジョゼフ・コーネル。

コーネルの作った箱について書くことは難しい。しかし、仕方なく書くならば、それは怪しい魅力と謎に充ち、見る者の想像力をかき立てる。コーネルはさまざまな箱を作ったが、鳥と、人と、博物学的な要素がしばしば登場する。コーネルが好きな人物は美少女とバレリーナだった。
<たとえばコーネルはタマラ・トゥマノーヴァ(1919-96)に初めて出会ったあと、トゥマノーヴァが踊る姿をかたどった人形を贈り、その後もプレゼントを贈りつづけた。トゥマノーヴァもさまざまな品を贈り返し、なかでも彼女のコスチュームの切れ端をコーネルは喜んで、それを作品に組み込んだりした。>
コーネルのそういう交流は、人間嫌いに思えるコーネルが見せる人間らしい一面だった。コーネルは清楚な美しさに溢れる女に特別な思い入れを抱いていた。そしてまたしても行動に出る。

<1940年代後半、コーネルは梟を中心に据えた箱をいくつか製作している。54年には、ブロードウェイ演劇『オンディーヌ』主演で好評を得ていたオードリー・ヘップバーンに「オンディーヌのための梟」を贈ったが、ヘップバーンはこの贈り物のよさを解せず送り返してきた。>

愕然とした。コーネルの箱を解せないオードリー。そんな人間だったのか・・・。
コーネルの失望が眼に見えるようだ。それはぼくの失望でもあった。この一節を読んだとき、オードリーに抱いてきた想いは吹き飛んだ。
作られたイメージ。そのイメージのなかで生きる女。オードリーだけに限らない。女優も、男優も、それでいいのだろう。虚像と実像との余りにも大きな乖離。ぼくたちはそれに気づきながら、それでもある妄想を持ちつづけているということなのだ。そしてやっと現実を知る。
以前、マリリン・モンローのように、オードリーがケネディ大統領の愛人であったという事実を知ったときにも驚いた。しかしそれよりも、コーネルの箱を送り返すという行動の方がショックだった。底が浅すぎる。
以来、ぼくのなかでオードリー・ヘプバーンはただの女優の一人になった。彼女の映画を食い入るように見ることは、もう絶対にない。おそらくコーネルがそうだったように。

イメージはイメージに過ぎない。事実とは違う。人はそれぞれのイメージを勝手に持って生きている。信じ込めばそれでいいのだ。だから嘘をつくなら、騙しつづけてほしい。
ローマでスペイン広場の階段を歩き、「真実の口」に手を入れたぼくは、そう思う。

----------

冒頭の『ティファニーで朝食を』の一節は、前者が龍口直太郎さん、後者が村上春樹さんの訳です。
文中の< >内の文章は、『コーネルの箱』チャールズ・シミック著 柴田元幸訳(文芸春秋社)、よりの抜粋です。
(知っている人もいると思うけれど、訳者が柴田さんというのもこの本の素晴らしいところで、この本は、コーネル、シミック、柴田という曲者たちの産物です。)

『コーネルの箱』は何度読んでもおもしろい。コーネルとNY。そして生まれたコーネルの箱。
この本をシミックは「コーネルへのオマージュ」であると書き、<これはコーネル本人が、日記の日付なしの項にいみじくも書いたように、「妄執に形を与えようとする懸命の企て」である。>と記している。
「妄執を箱にした」コーネルと「コーネルへの妄執」を本にしたシミック。だからぼくたちは二重の妄執に足を踏み入れることが出来るのだ。
しかしこの本はそれ以上のものになったとぼくは思う。シミックの文章はコーネルを書いたものでありながら、既にコーネルを超えている。つまりこの本は「コーネルへのオマージュ」でありながら、「アートについてのオマージュであり、詩集」である。


『コーネルの箱』の小見出しが怖ろしく素晴らしいので、一部を以下に掲載します。これはコーネルが付けた作品のタイトル、あるいは、シミックが付けた本の見出しタイトルです。

偶然が必然に出会うところ
アルカディアに裸で
天使の如き我らが先祖
万人の脳内のコニー・アイランド
夜の四十二丁目の古い絵葉書
メディチ・スロットマシーン
蠅が一匹入ったマッチ箱
ピラミッドのある郵便切手
幸福の魔術的研究
彼らの歯の間にくわえられた葉巻
月は妖術師の助手
マルベリー・ストリートでモーツァルトが見たもの
子供のころ知っていたまなざし
何世紀分もの六月
夢遊病者の旅行案内
Be動詞の非人称主語
行方不明の全体の一部



note menu    close   next