2008年5月14日(火)  ニューヨークとプラハ

雨の中を久しぶりに都心へ行った。高田馬場で地下鉄に乗り換え、また地下鉄を乗り継ぎ、歯医者に行ったのだ。4月に前歯が欠け、それほどひどくなかったから放っておいたら、連休のせいでが直すのがこんなに遅くなった。
帰りは中央線で新宿に出て、東急ハンズに立ち寄った。
雨が上がっていたから、ひとつ前の代々木駅で降りて歩いた。以前歩いた時に気がつかなかったビルがあった。NTTと書いてあるのを見て、そうかこれがNYのエンパイアステートビルにそっくりな、あのビルだったのだと見上げた。

エンパイアステートビルに近づいていく時の興奮が思い起こされた。
あのビルに行くときは遠くから歩いていくに限る。高層ビルの谷間にチラチラと見え隠れしながら、エンパイアステートは次第に大きくなっていく。あの角を曲がれば間近に聳えているはずだ。興奮しながら角を曲がると、他のビルに隠れて見えない。あのビルは近づけば近づくほどに全貌が見えなくなる。建物が巨大すぎるのだ。真下に立つとかなりガッカリした。一番見たかった先端が見えない。灯台をイメージしたと言われ、エンパイアステートビルをエンパイアステートビルたらしめているあの先端だ。
しかし、先端が見えないことは幸いである。先端が見えれば人はそればかりに見とれてしまう。エンパイアステートビルの見所は先端だけではないからだ。壁体、面取り、窓枠、・・・、それらの美しさ。先端が見えないことで人はそれに気がつく。ビル全体が重厚さと格調に溢れている。節度あるアールデコだ。もっと古いフラットアイアンビルも魅力的だ。しかし、その装飾だらけのビルとはまったく違う現代に通じる美しさだ。同時にノスタルジーも漂っている。それはNYを感じる瞬間だ。
先端が尖ったビルとして、NYで人気を二分するのがクライスラービルだ。高さは劣るけれど、クライスラービルは美しさという点では際立っている。「これがアールデコだ!」という見本のような姿だ。そのビルは格段に美しいのだけれど、見せることを考えすぎたあまり、あざとさに似た引っかかりを心に残す。全身を有名ブランドで着飾った、これ見よがしな美人と言えばいいだろうか。
NYは建築物好きにはたまらない。近代以降の名建築が宝石のように散らばっている。
ところで、エンパイアステートビルにそっくりな代々木のNTTビルは、哀しいほどに何も感じないビルだった。ただ、似ているだけ。

NYを思い出したのは、3日ほど前に友人Mの中陰(四十九日)明けの通知が届いたことに関係があるかもしれなかった。
3月にガンで逝ったその友人は、かつてNYのハドソン川に近いウェスト・ビレッジで5年間暮らしていた。そのころアメリカの展覧会のために渡米し、NYに滞在した日々の半分を彼らの家でお世話になった。
天井が異常に高く広大な白いリビングルームには、あまりにも不釣り合いな小さな窓がひとつだけ穿たれていた。その窓から、太い鉛筆のようなエンパイアステートビルを見るのが日課になった。セントパトリックデーを迎えると、ビルはアイルランドを象徴する緑の光でライトアップされた。
きっとM夫妻にはあの窓からの眺めが、眼に焼き付いていたことだろう。

「・・・この後 故人が生前より願っておりました プラハのヴァルタヴァ川とニューヨークのハドソン川に 少しではありますが散骨する予定です ・・・」
中陰明けの挨拶状には、こんな言葉が記されていた。

プラハ。このチェコの街を、Mは初めての海外旅行として訪ねた。出版社の編集者だった彼は、ヨゼフ・スデク(スデック)という写真家の作品に惚れ込み、作品集を出すためにスデクを直接訪ねたのだ。日本からはるばる来訪した彼に、スデクは感激したらしい。Mもスデクの人柄に接して、彼の作品をますます好きになったようだった。帰国したMがとても興奮していたのを思い出す。
出版部長になったMは、NYに支社長として赴任していた。玄関に飾られた写真がスデクの作品だと気づいたぼくに、Mは写真を壁から外して見せた。写真の裏側が見えるように作られた特注の額装だった。スデクから贈られたその写真の裏には、彼のサインと共にMに対する特別な言葉が記されていた。
そのスデクも既に他界した。
(リビングの壁にはぼくの写真があった。他の誰も見たことがない、Mだけが買ってくれた「牛」の写真だ。)

海外旅行が好きでなかったMが、散骨してほしいと願ったふたつの街。
プラハはどんな街なのだろうか。
そこは偶然にも、ぼくが今いちばん行きたいと思っている街でもある。



note menu    close   next