2008年3月24日(月) ゼミの卒業式
写真専門学校に入学してから、あっという間に二年間が経ってしまいました。
雜賀ゼミの授業は二年間の中で一番緊張感があり、内容の濃いものだったと思います。
長崎の合宿は写真漬けとチャンポン漬けでした。汗だくになって歩き、坂の上から見た街並みは格別なものでした。
長崎の人との出会いやあの独特な空気も今とてもいい思い出です。
しかし私は最後まで先生の求めているような生徒にはなれませんでした。
申し訳なく、悔しいです。私は全くもって勉強不足ですし、頭も堅く、技術も未だにありません。私は行動も遅ければ気づくことにも遅い人間です。これから自分の写真を通して様々な気づきをしていくと思います。
先生の言葉は私の頭の中にいつも存在します。そしてふとした時出てくるのです。
写真を撮る(shot)という話を私は今かみしめています。ハンターと一緒で、殺して自分のものにするということ。
中途半端な気持ちで撮ってはいけないと感じています。
しかしまだまだ私の写真は中途半端なものばかりです。ひとつもさだまっておらず、本当に嫌になります。
こんな私に言葉をかけてくれて、わかりやすく教えてくださりありがとうございました。自分の写真を撮れるようになるには、大分時間がかかりそうです。
先生と藤田さん、三人で流れたあの貴重な時間をこれからも大事にしていきます。
一年間ありがとうございました。
中野聖子
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私にとってこの一年間は発見の連続だった。写真を通してや、また直接自分に対する発見が沢山あった。良いことより、悪いことの方が圧倒的に多かったが、私はそれをこれからどう受け止めて生活してゆくかが問題なのだろう。
長崎合宿はとても楽しかった。初めて訪れた長崎はとても独特な雰囲気をもつ街で、機会があったらまた行ってみたいと思う。軍鑑島に行けなかったのは残念だったが。今度は夜の長崎を撮ってみたい。
先生にはたくさんの事を教えて貰った。私の独りよがりな価値観をぶん殴ってくれた。
そして、一年生の時では得られなかった考え方や物事の捉え方を教えて貰えた事が大きい。私がこれから写真をやっていく上で大きな分岐点かもしれない。
言葉に出来ない気持と伝えなきゃいけない歯がゆさを今感じています。何というか、、、やはり文章になりません。
短い間でしたが、本当にお世話になりました。怒らせてばかりですみませんでした。
本当に、本当にありがとうございました。
藤田千穂
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卒業していく二人のゼミ生から、2月の終わりにこんなメールが届いた。ここにゼミの一年が集約されている。学生たちはいつもこうして去っていく。でも、今年の学生たちの言葉は妙に響く。
4月。たった二人のゼミ生を前に、一年がどんなものになるのか、全く予想がつかなかった。6つあるゼミの中でぼくのクラスは最少だった。20名という、学校で最多の学生を擁していた6年前を何度も思い出した。在学生が急激に減っている現状を踏まえても違和感は拭えず、途中で瓦解してしまうかもしれない胸騒ぎを覚えた。
数の問題だけでないことは、授業を始めてすぐにわかった。
ひとりはあまりしゃべらず消極的だった。ひとりは強い気持ちを持っていたが、それをしばしばぼくへの敵意に変えた。写真を批評すると仇を見るような目つきでぼくを睨みつけ、ふてくされた態度を見せつけた。助言を聞き入れる心を持たないなら、何のために学校に来たのだろう。未熟な写真のままで良いというのか。
これほどため息が出るゼミは初めての経験だった。多くの学生がいれば、学生たちは互いに切磋琢磨を重ねていく。しかしこの二人ではそれを期待できない。ぼくはこれまで以上の辛抱強さで、学生たちに正面から深く向き合わねばならなかった。その意味では二人は好運だったかもしれない。あるいは鬱陶しい気持ちだっただろうか。
学校へ向かう気持ちは重かった。むしろ憂鬱という日もあった。それでも逃げず、義務を果たさねばならない。覚めた思いと裏腹に、学生を前にすると熱い気持ちが突きあげた。
写真やアートの話だけでなく、人としてあるべき姿を説くために今年は時間を割いた。写真の学校でなぜこんなことまで言わねばならないのか。自問しつつ、困惑と忍耐の日々は続いた。一言では片付けられないけれど、あえて言えば、彼女らはあまりにも幼なかった。
ただそれは今年の学生だけではなく、今の若者たちに共通する。近年の学生たちが年相応の分別を持たないことを、いやでも認識させられていた。難関大学を出ていても、頭の中は空っぽだ。わがままで自分のことしか考えないくせに、自分自身を見つめない。
二人はぼくを本気にさせ、ときには叱った。そして最後の授業の頃にはいささか疲れていた。
二人の変化を感じたのは、ここに掲載したメールを読んだときだった。
そして卒展の会場では、たまたま居合わせた「ふてくされ学生」としばらく話した。意外なことに、正面を向き、ぼくの言葉に「はい」とうなずく顔からは敵意が消え、笑顔さえこぼれた。「その顔なんだよ」とぼくは言った。彼女に大切なのはそういう顔だった。最後の授業が終わってから長い時間がたっていた。
その夜、欠席するつもりだった卒業式に出席を決めた。
今月初めに卒業式があった。二次会のつもりで学生たちとコーヒーを飲んだとき、なぜか他のゼミの卒業生がついてきた。不思議に思っていたら、彼女はどうやらぼくのゼミで学びたかったらしいのだ。
「二人が話す先生のゼミは、とてもおもしろそうでした」
二人はゼミの様子を折にふれて彼女に話し、それを聞いているうちに気持ちは募っていったのだろうか。学生最後の日を彼女はやっとぼくのゼミですごしたのだ。
それにしてもそんな話は初耳だった。二人がぼくの話に惹かれているとは想像できなかったのだ。気持ちを素直に出してくれていたら、ゼミはもっともっと意義のある、しかも愉しいものになっていただろう。取り返しのつかない時間を考えると、切なさがこみ上げる。
喫茶店には去年の卒業生も加わり、5人で最後の授業をした。このメンバーだったら、きっとゼミは盛り上がっただろう。事実その席では笑いが復活した。いきさつを忘れてしまったが、ぼくはゼミで昔のテレビアニメ「いなかっぺ大将」の大左右衛門とニャンコ先生を話題にして、天童よしみの主題歌まで歌ったことがあった。当然ながらゼミ生はそのアニメを知らず、涙を流して笑ったのだった。そんな馬鹿話や冗談をもっと飛ばしたかったのに、今年の学生を前にすると気持ちはしぼんだ。
残念だけれど、時間は取り戻すことが出来ない。
他の客の前で、ぼくは卒業証書をひとりづつ読み上げて手渡した。せっかくの卒業証書を筒に入れて渡されるだけの彼女らが、ちょっと可哀想だったからだ。二次会はゼミの卒業式でもあった。
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いつも先生に会うと思っていました。
写真をみていただいているとき、藤田さんを怒っているとき、私を怒っているとき、二人同時に怒られているときも、どうして先生は言ってくれるのか。声に出すのか。
くやしいと思っても後に残るのは、ありがたい気持ちでした。なんでこんな自分に言ってくれるのだろう。私は先生になんにも返すことができていないのに…。
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後日、二人に激励のメールを送ったら、おとなしい方の学生からこんな返事がきた。そうだったのか。でも思いはこうして表に出さなければ伝わらない。「やるべきことをやること」。もしぼくに返すことがあるとすれば、それしかないだろう。
学生の減少に伴い、今年の学生は二つのゼミを受講することが許された。ゼミがおもしろくなければ、あるいは意味を見いださなければ、学生は見切りをつけて他のゼミに去っていく。よく残ったものだ。
叱る側も叱られる側も、どちらも嫌な気持ちに変わりはない。でも今年の学生たちにはおそらく通じていたのだろう。
嫌がられても、ぼくには言わねばならないことがある。ときに本気で叱るのは、君たちに将来があるからだ。
学生たちが叱られてくれたことを、臆面もなく嬉しいと思う。
桜が咲きはじめた。
(メールの掲載は許可を得ています)
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