なんとなく書いてみました日記

Volume 24・「恐怖症」
恐怖症とは言わないまでも、ちょっと怖い、というものって、誰でもあるんじゃ
ないでしょうか。
高い所が怖いとか、狭い場所が怖いとか。
怖いものって、人によって、それぞれ、まちまちだよね。
根拠はないけど、人間形成に深くかかわっている部分だし、違っていて当然。
だから「怖いものって何?」って人に訊いたら、ちょとはその人が分かるんじゃ
ないかなって思う。
たとえば、饅頭怖いなんていうのは人をくってる、したたかな性格。
先端恐怖症の外科医とか、魚類恐怖症の魚屋なら、当人は困るだろうけど、笑っ
ちゃう性格、そんな風に人の人間性に深くかかわってくる。要するに、恐怖心は
人にとって非常に根が深いのだ。
スターウォーズでも、恐怖心が暗黒面をつくるって言ってるし、ね。
でも、恐怖心のない人間はひとりもいない。 だって怖いものがなかったらその
人はすぐに死んでしまう、超スピードで走る車の前を平気で渡ってしまうから、
ほんとうに、命がいくらあっても足りないぐらいだ。
逆に、自分の怖いものがいかなるものかを知ることは、けっこう有益だと思う。
ま、それで何か得する訳じゃないけど。。。
で、告白すると、ぼくにも怖いものがあるんです。
それはプランターに巣くっている蟻。
部屋に蟻が歩いていたんで、「ヤダなあ」と摘んで外にすてたんです。
見るとベランダに蟻の行列が。
「ふーん、蟻だ、いっぱいいるなあ」ぐらいに考えて、じーっと見てたら、あち
こちに蟻がいる。
なんだ、なんだ、ベランダじゅう蟻だらけじゃん。
その時は、ほうきで掃いてすんだけど、今日みれば、蟻がそこらいっぱいにうろ
うろしている。
どこかに巣があるはず、とプランターを調べたら、パセリの茎に砂状の土がせり
上がるようについている。パセリ全部が同じようになっている。
なんだろう? と割り箸だつついてみた。すると、崩れた土から真っ黒い粒粒の
固まった蟻の群がもぞもぞ動いて、地中からわいてくる。
ひぇー蟻の巣だ。これって蟻塚じゃん。
気持ち悪くなって他のパセリの蟻塚も崩す。
プランター中が左右、螺旋にうごく蟻で真っ黒になる。
ベランダのそこいらじゅうに蟻が広がる。冷や汗がでる。
もぞもぞ湧いてくる蟻をみてると、気持ちが悪くて憎悪がわいてくる。殺してし
まおうと思う。えー。えー。自分がダースべーダーになっている。
ぼくが一番怖いと思うとき、それはこんな瞬間です。











Volume 23・「青いケシの花メコノプシス・シンプリキフォリア」
今日、新聞で青いケシの花の記事を読みました。かの有名な幻の青い花のことで
す。学名はメコノプシス・シンプリキフォリア。ヒマラヤの高山帯の草地に生え
るのだそう。
その記事を見てピーンときたのが、『失われた地平線』という小説。チベットの
奥地シャングリラに咲く青い花のこと。で、ちょっと調べてみました。
そうしたら、記憶ちがいで、その小説の主人公が見たのは『青い花』ではなくて
『青い月』と呼んでいる山のことでした。
てっきり花だと思っていたんですけれど。。
『青い花』のほうはノヴァーリスの小説の題名で、実はこれも原題は主人公の名
前になっていて、青い花は邦訳なんだそうです。
という訳で、まさに僕には、青い花は幻の花でした。










Volume 22・「カンパニュラ」
散歩してて宮沢賢治をみつけました。
花屋さんをなにげにのぞいたらカンパニュラの鉢植えがあったのです。吊り鐘の
形をしたはかなげな青紫の花。
カンパニュラって変な花の名前だけど、和名は風鈴草。
「へえ〜、これが風鈴草かあ」って感心してたら、あのジョバンニとカムパネル
ラを思い出した。
カムパネルラとカンパニュラ。宮沢賢治はきっと風鈴草からカムパネルラの名前
を思いついたんだろうなあ、と自分勝手に納得。なんか知らなかったことが分か
った気がして嬉しくなる。
散歩してるとそんなこと、よくありますよね。
だから散歩は楽しい。。。









 

Volume 21・「樫の若木」
今日ベランダのプランターを見たら樫の木の芽が出ていた。
昨年、野川公園で拾ってきたどんぐり。もしかしたら芽がでるかなあとためしに
埋めておいたのだ。
銀杏の実やどんぐりから芽を出させて盆栽にするというのを雑誌か何かで知った
から、ちょっとやってみたかったんだよね。
芽は、芽というよりも、もうりっぱな木なんだけれど、6枚のかわいい黄緑の葉っ
ぱをつけている。
今日は雨が降っているので、こんど天気の良い日に鉢に移そうと思う。だけど条
件さえよければ、野川公園の樫の木みたいに大きく育つ木だったのに、こんなプ
ランターで芽を出して・・・けなげだね。









Volume 20・「多目的なゆる〜いスペース」
境界って言葉に興味がある。
森と町の境、内と外の境。
境って面白い場所だよね。場所といえば縁側って昔は
どこの家でもあった。最近というか現在は住宅事情の
結果でもあるんだろうけれ
どあまり見かけないですよね。
縁側は日向ぼっこをしたり、紫陽花を愛でたり、
雲を眺めて瞑想したり、隣の子
と遊んだりと多目的なゆる〜いスペース。子供の
頃はわりと、そんなところで人
とのふれあいがあったりした。←けっこう年が分
かるなあ…。
だからかな、縁側でぼーっとしてた頃の良い思い出はたくさんある。
あ、そうい
えば干していたシーツに火をつけてもう少しで火事になるところだっ
た事件を思
い出した。
中学生のころの話なんだけど、テストの点が悪くて、親に知られたくなくて、縁
側でテスト用紙を燃やしたんだよね。そしたら火がシーツに移っちゃって、炎が
軒先まで上がった。あわてて庭にひきずり落として難を逃れたんだけれど、
いやー、焦ったのなんの。

まあ、そんな良い思い出も悪い思い出も縁側にはある。
それで思うのだけど、ホ
ームページやブログって縁側的だと思いません?
内と外の境界線的なところが似ているし、多目的なところ、人とのふれあう感じ
なども。一見クールにみえるネット世界も、案外ゆる〜い和の世界が潜んでいる
のかも。










Volume 19・「スイートバジルの種を蒔く」
夏になると昼食はがぜんパスタが多くなる。野菜が豊富にあるし、簡単だし、自分
で育てたハーブも楽しめるしで何かと都合がいい。

それで、G.W.の最終日にスイートバジルの種を蒔いた。
といっても、30センチぐらいのプランターにスコップで、雑草をちょこちょこ取
って、去年の残りの種をパラっと振りかけただけなんだけれど…。

でも、バジルは強いハーブだから、そんなラフな扱いでも大丈夫。1ヶ月もすれ
ば放っておいても大きく育っているはず。…たぶん。

で、その育った柔らかく若い葉を摘んで、トマトソースのパスタに添える。
これがまた旨いんだ。オリーブオイルに移したにんにくの風味、とバジルの香り。
それにトマトの酸味が混じって、…ううっ。いかん、唾がわいてき
た。
そういう訳でいまから楽しみです。











Volume 18・「25万部のベストセラー」
25万部のベストセラーかあ、すごいなあ。
と、いきなりではありますが、山田真哉著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」
の話。先日、「非常識会計学!」の表紙のイラストを描いた。その著者のひと
り山田さんが5月14日(土)の日本テレビ「世界で一番受けたい授業」の講
師として出演するんだそうです。ぼくのイラストも大変気に入ってもらえたみ
たいだし応援がてら見てみようかなあ、なんて思う。
朝日新聞の読書欄のページでも前著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」にふれ
ていて、会計理論の話を日常のありふれた話におきかえ説明してあって楽しい、
というようなことが書いてあった。売れる本にはそれなりの訳がある。でもそ
れが、なかなか分からないんだよなあ。














Volume 17・「トランクボックス」
何年もまえから、部屋に置けなくなった荷物を、トランクボックスにあずけてい
る。昨日、その荷物を取ってきた。読まなくなった本とか、どうにも使えそうに
ない照明器具とか、日の目を見なかったイラスト類などなど、中途半端なものた
ちばかり。
だけど、この中途半端なやつは、あっさり捨ててしまっても良いはずなのに、捨
てるとなると、変にぐっぐっと、愛着がわいて、捨てるに捨てれない。いざ奴等
に対面すると、整理なんて非道なことはできやしないと弱腰になるのである。
大袈裟に言って、それは人生の澱のようなものだ。思い出がいっぱいつまってい
る。
かくして、ぼくは部屋の真ん中に山と積まれた奴等を、ただただ、呆然と眺める
のだった…。












Volume 16・「年甲斐もなくお風呂で」
年甲斐もなく、お風呂に入ったとき、お湯のなかに、頭を沈めたりする。
べつに何か嫌なことがあったとか、そんなんじゃなく、たいがいボーっと気を
きたいときに潜るのである。
潜っている間、こどもの頃あそんだ川底を思い浮かべたり、ブナの若葉だった
り、
いろいろ小さかったときことを思い浮かべる。
目をつむって息を止めていると、客観的に自分を見つめているというか、遊体離
脱をしてるみたいで、そんな感じがして好きなのである。こんな風に書くと、な
んだかアブナイなーって思うけれど、ま、そうなんだから仕方ない。













Volume 15・「クリネックスティシューのこと」
クリネックスティシューのPR誌の表紙の仕事をした。ティシューと言えば、
花粉症の人は、きっと、クリネックスの箱が手放せないんじゃないかと思う。
とくに今年は、花粉の飛来数が、はんぱではないらしい。
ずーっと前のことだけど、ぼくの先輩にも花粉症の人がいて彼女の部屋の中は
クリネックスの箱とまるめたティシューでいっぱいだった。
「鼻水が止まらないのよ、風邪でもないのにへんね」
で、その人はクリネックスがいいのよって、箱から二枚重ねのティシューを引
っぱり出しては鼻をかんでいた。
そんなことを、ちょっこっと、思いだしたので、ネットで調べてみた。
クリネックスは、1924年にアメリカのキンバリー・クラーク社から「クリネ
ックス」のブランド名で発売されていた。
ちなみに商品名のクリネックスは、CLEANのイメージから清潔感を連想させて、
それが受けた。もともとはコールドクリーを落とす為のものだったらしい。
二枚重ねにコールドクリーを落とし。良くも悪くもこれがアメリカの20年代
で受けたキーワード。
ま、、今は、花粉症対策にいろいろなマスクもあるし、薬も開発されてきたよ
うだが、ぼくも人ごとではなくて、外出などすると、やたら鼻がムズムズして
くる。花粉症気味かも。
花粉症はある日突然来るというから、もしかして、彼女みたいにクリネックス
の箱を抱えて、鼻水をグスグスいわせる日も近いってことになっちゃうのかな。











Volume 14・「真冬の蜃気楼」
今朝の朝日新聞3面に、ビル群がうかぶように見える冬の蜃気楼現象が東京湾
に現れた、と写真入りで載っていた。
解説には日本上空に強い寒気が入り、温かい海面の空気中で光りの屈折現象を
起こしたとある。
ところで、先日書いた眩さんが話していた魔人ってのは、あながち冗談でもな
いかもってその記事を見て思うのだ。
強い寒気のなかに眩さんはいたのだから魔人ぐらい見ることだってある、と思
うのだがどうだろう? 
他人には嘘に思えても当人にとっては本当ってこともある。かどうかは知らな
いけれど……。











Volume 13・「漁師の眩さん」
ぼくの部屋から駐車場がみえるんだけど、かつてはそこにモルタルの古いア
パートがあった。アパートが壊されたのは2年前の秋頃だと思う。眩さんは
そのアパートの2階に住んでいた日雇い労務者の一人だった。
眩さんは片足がなく、義足を器用に操って歩く。一緒に酒を飲むときなどは
鯨に足を食いちぎられたんだと冗談ぽく笑うが、本当は酔って海に落ちてス
クリューに巻き込まれたのだった。
漁師としてはあってはならない事故。10年前の53歳のときの話だと言う。
それまでは青森の大間で、毎日海に出て網を投げてはブリやさんまを捕って
暮らしていたらしい。だけど、片足をなくしてからは漁はさっぱりで、獲物
はがらくたばかりがかかる始末。
網にかかるのは腕の取れたぬいぐるみのテディベアーや、砂の詰まったゴム
ホース。型の古いワイシャツ。壺のかけらなどらしい。
ある日、眩さんは思わずもう少しましな獲物がかかりますようにとお祈りを
して漁に出た。そして、期待を込めて網を引き揚げる。
またしても小さな暗緑色のガラス瓶がかかっていただけ。
瓶は詮がしてあってそれを覆うようにしっかりと鉛で封印してある。文字も
書かれていたけれどはっきりと読めない。
読めたとしても中国語だったので意味なんて分からなかったよと言っていた。
眩さんは好奇心から瓶の蓋を開けてみたそうだ。なかを覗いたり逆さに振っ
てみたりしたが、からっぽだった。だけどたちまち黒煙がもくもくとたちの
ぼり恐ろしい魔人がポンと現れた。
眩さんは、冗談じゃねえくて、と言った。
冗談じゃなくて本当にディズニーアニメの「魔法のランプ」の魔人みたいなの
がすぐ側にいたんだよ、と眩さんはぎよろり目を見開いてつらい思い出を思
い出すみたいに遠くを眺め、フーと息を吐いてからコップ酒をちびりと飲ん
だ。
冗談もほどほどにねってぼくは聞き流していたのだけれど、本当だあな、魔
人だったんだぁ、信じられないと思うけぇどぉ、と眩さんは言う。
それでその怪物が…、
というところで、愛すべき眩さんと魔人の話はまた今度。










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Volume 12・「12日に生まれた卵」
風水によると1月12日に生まれた卵を食べた人には今年、幸運がまい込むら
しい。
今日はもう15日だからぼくには無縁な話。もう少し早く知っていたら是が非
でも12日の生まれたての卵を買ったのにね。残念! 
でもぼくは二三日前、ニワトリの卵みたいだけれどやや大きく青っぽい感じ
の卵を見つけた。
誰も走っていない夜の北陸自動車道のトンネルをいくつも通り抜けたカーブ
の先にころんころんと転がっていた。あぶないなぁと急ブレーキ。
雪のかたまりかと思ったけれど正真正銘の卵。そばに青柳卵工房・採卵日20
05年1月12日・正味期限2005年2月9日と書いてある紙切れが落ちていた。
拾った卵を数えたら21個あった。
今年はついてるかも・ なんてウキウキしながらカステラを作った。
自分だけで食べてしまうにはもったいないぐらいおいしかったので、近所の
人や友だちにふるまった。
皆もうまいうまいと食べてくれて嬉しさもひとしお、というところで目覚め
た。
もちろん夢であっても12日に生まれた卵だったら幸運がまい込んでくるは
ず。そうだ、そうだ、きっとそうにちがいないなんて妙に力んでしまうぼく
でした。










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