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アニばらワイド劇場


第33話 「たそがれに弔鐘は鳴る」 〜白馬〜



敷地内の石畳が乾く暇のない程に雨が降り続く、まったくおかしな夏の始まりだった。

中途半端に熱気を帯びた邪魔っけな湿気のせいで兵舎の至るところがむんむんしている。こいつのせいでただでさえ取っ散らかってやりきれない男所帯が一層むさ苦しい。普通この時期ならもうちょっとマシな空気が吸えるはずなんだが。
本来なら今は一年で一番過ごしやすい季節のはず。一体なんだっていうんだ?でも、これが不快なだけかと言えば・・・案外そうでもない。むさ苦しさの中にも多少の覇気というか・・・普段これといった楽しみもなく漫然と日々を過ごす俺たちに、珍しく共通の関心事が出来たことによる連帯感っていうか何て言うか、そんなもので宿舎に変な熱気が感じられる為かもしれない。
その、なんだ?押し付けられた仕事にも少しは前向きに取り組んでやるとするかって・・・なぁ?壁一枚を隔てたところで今まさに、歴史的な話し合いがなされているわけで、要はそれに興味津々である俺たちにとって三部会の議場の警備というのはある意味願ってもない任務なわけだ。何の知識も教養もねえけどよ。それでも三部会って聞くと・・・ひょっとしてフランスは変わるのか?うまい飯を腹いっぱい食える時代がやって来るのか?とかって事を、一応は期待してみるわけさ。そりゃ〜気分だって多少は上がるわな?

とはいえ・・・一見ラクそうに見えたこの任務、実際やってみると、実はパリ市内で暴徒たちの小競り合いを鎮圧するよりもずっと骨の折れる仕事だったわけだ・・・。
すこぶる行儀の悪い俺たちにとって一定の場所に日がな一日立ち尽くすという作業は過酷を極めた・・・動けないとなると途端に小便がしたくなる。子供じみていやがるが、じりじりして落ち着かないところへ降り続く雨でもって軍服はおろか下着までズブ濡れになりやがってよ・・・布地がやたらへばり付く感覚がしまいにゃ雨なんだか小便なんだか分からなくなる。でもって、どんどん憂鬱になりやがる・・・しんどいもんだぜぇありゃぁよ。

とにかく立ちんぼうなこの任務、王宮の飾り人形なんつって今まで馬鹿にしていたが、奴らもけっこう重労働こなしていたんじゃねえか、おい。等と軽口を叩きつつなかなか経過しない時間に苛立つこと6、7時間を毎日毎日・・・。実際、中で何が起こってるかなんて俺たちみたいなもんに知らされるわけもなく、膀胱の反乱を恐れながら大概は退屈な雨音なんかを聞きながら、ひたすら眠気と闘うことになるわけなんだが・・・まぁこれは俺のケース。他の奴らのこたぁ知らねえよ。
やれしかし、石畳以上に乾く暇のないまま着倒される軍服のむさ苦しさと言ったら・・・おまえ、悲惨なもんよ〜・・・へへへ・・・・・・今だけはよ、三度の飯より着替え用の軍服を支給して貰いてえと心底思うぜ。

でな、暇な警備中によ、やれやれひとつ柔軟体操でもしようかと持ち場を離れようとすると、カツカツと規則正しい足音が響いてきて、目の前を青い軍服を着た金髪の・・・これは別に悪い意味じゃねえぜ?飾り人形みたく整ったお顔の隊長がぐずぐずの雨天にも関わらずやたら颯爽と通り過ぎたりするもんだからよ〜・・・おちおち立ち小便なんかもできやしねえ。そら、あまりに失敬だわな?つ〜かよ〜、議場警備中に立ち小便なんかしたら営倉もんかね?と、待て待て!勿論冗談で言ってるだけだっての!!

まぁ・・・なんだかんだ言って、あの女隊長が来て以来、我らフランス衛兵隊のモラルもだいぶな・・・だいぶ向上したんじゃないかい?と、俺は思うわけだ。つまりはよ・・・俺たちゃ〜紳士なのよね、意外とさ。
へっ・・・実際はあの女に立ち小便がバレて現行犯逮捕されたとして・・・・・
う・・・恐ろしくて顔見られねえや・・・しょっぱなの決闘を思い出しちまう・・・。いい時代が来るかもしれねえ、その矢先に息子ちょん斬られたくねえもん!・・・へへ・・・へへへ・・・小心者なのよね、俺ってさ・・・。
でも本当はよ〜「うるせえっ!立ち小便くらいでガタガタ言うなっ!!これが男ってもんだ覚えとけっ!!」なんつって啖呵きってみてえけどよ〜・・・・
あぁアラン、嘘うそ!仕事中それはねえわな?おぅ・・冗談だよ、な?な?そんな度胸あったら三部会の大舞台で演説のひとつもして来いって話だわな?



はぁー・・・そりゃそうと、おめえ・・・・・よく帰って来たな・・・。可哀相だったな・・ぁ・・・ディアンヌちゃん・・・・・・・可哀相、だったよなぁ・・・・・・・。


      


愛する妹の死を受け入れるのに費やした時間、そういえば半年以上が経過している。でもそれが短いのか長いのか、俺には分からない。季節が秋から冬へ変わり、いつの間にか春も過ぎていた。
あぁ・・・そうか・・・軍隊で一番つらく長い季節を、気が付きゃ丸々、班長は休んだことになるんだなぁ・・・。ぼんやりとそんな事を考えたところで「不謹慎なことを」と我に返る。寒風吹きっさらしでも常にがちゃがちゃと騒がしい兵舎と妹の気配だけが漂う寂しい部屋。

ある日突然、ディアンヌが消えた生活はここよりもずっと凍える寒さであった事だろう。


班長がB中隊に戻って来た。
正直「三部会」なんて言葉は初めて聞いたもんで・・・それで今の生活がどうにか少しでもラクになってくれれば嬉しいけど、そんなに期待するものでもないような気がする。ただ、班長がそれで戻って来た。
それが俺には嬉しかった。


      


「久しぶりだからちったぁ懐かしいが、あいつらのくだらねえ話には辟易するよぉ」

はははと笑ってアランが豪快な伸びをした。ラサールは不在でいた時間の穴をどうにか埋めようと、よりによって小便がどうのこうので長話をしてしまう仲間の間抜けさ、要領の悪さが好きだと思った。
きっと班長も好きだろう。
少しは元気になってくれるだろうかと考え「へへ・・・へへへへ」としまりのない笑いを返す。
どいつもこいつもしょうがねえ野郎だなぁ全く・・・と呟きアランが振り向くのを見て、ふいに懐かしい気持ちが込み上げた。大袈裟なと思いながらも、ラサールの胸は懐かしさでいっぱいになっていた。少し老けたアランの苦笑いの表情も声もそこにあるのが当然で、一方でどうしようもなく新鮮で、仕方なかった。


・・・たまらねえな・・・。あんな事になるなんてよ・・・班長、この世の中いったいどうなっちまったんだろう・・・たまらねえよ・・・。

      


「ラサール、俺のいない間、何か変わったことはなかったか?」

どっぷりと感傷に浸る仲間の中にいるのは億劫だと感じたのかアランは外の空気を吸いに中庭へ続く通路へと出た。今そばにいるのはB中隊最年少のラサールだけだったが、それでも若干居心地が悪そうに見える。同情なんかもぅたくさんだ、いつもの空気に早く戻ってくれねえもんかな・・・そんな思いが滲み出る背中は以前よりも少しだけ、ほんの少しだけ縮んだように見える。それがむしょうに寂しくて、ラサールはまたも堪らなく涙が出そうになるのをこらえた。

いけねえ、いけねえ!慌てて向きを変え目をこする。


「ま、何もなきゃそれでいいんだけどよ」

返答がないのでどうでもよくなったのかアランは口笛なんかを吹き始めた。かすれた音が湿った石畳に吸い込まれて静けさが際立つような感じがする。
もともと尋ねてはいるもののアランの口調は特に何かを期待している様子ではなく、照れているのか久々のむさい友情にうんざりしているか・・・逆に背中を向けて朝の準備体操を始めてしまい「ほっ」とか「よぉっ」とか言っている。

何かあったか、変わったこと・・・何か・・・・・訊かれたラサールは少し考え「・・・あぁ!・・・」と何か思いついたような声を上げ一言「馬が元気になりました」と答えた。


「なんでい、そりゃあ?」
予想外の返答に拍子抜けしたのか体操途中のへんてこな姿勢でアランが振り向く。すかさずラサールは「馬っすよ。馬の様子、みて来て下さい。みんな、なんか前より元気なんすよ」と子供みたいなくしゃくしゃな顔を一層崩し、その途端大きなくしゃみをした。それを見てアランは「・・・もっと早く戻って来ればよかったかねぇ」とボソリと呟き、おかしな夏の始まりをくくくっと笑った。



「馬が元気ってなんでい?木偶のぼうみてえな仕事で最近はずっと出番がないから、そのぶん馬はゆっくりお休みできてますって事か?」

「それもあるかもしれないけど・・・そうじゃないっす。馬に救世主現るっていうか・・・たぶんアンドレが・・・アンドレが細かい世話をしてやるようになってから、あいつら生き生きしてきたみたいで。今まで馬のことまで気を使ったことなんかなかったけど、大事なんすよね!そーゆーのって」


思いがけない答えが返って来たことが良かったのかアランの顔色が急に明るくなったようだった。ははは〜と笑いながら「どれぇ」と体勢を整え厩の方へ向かう足取りがなんだかとっても軽そうだ。つられてラサールも、気が付けば小走りで、不恰好ながらなんとなくステップのようなものを踏んでいる。
はたから見たらそれはまるで、子馬のギャロップに見えた事だろう。


      

「ぅお〜〜〜い」


厩の扉を開けると大きく叫んで「戻って来たぞ」とアランは呟いた。
久しぶりに嗅ぐ飼い葉の臭いは連日の悪天候のわりにはそこまで気になるものではなく、むしろ柔らかく懐かしく、不思議と優しい気分にさせた。殺伐とした部屋の中で独り過ごした時間と比べて、確かに生命力に溢れた雰囲気がある・・・。人間の複雑な事情なんか何も知らないであろう馬たちから一斉に無垢な瞳を向けられ、今度こそ、アランの気分は晴れやかというレベルに達し、やっと心からホッとできたようだった。

「へー・・・艶がよくなったか?おまえ、元気そうじゃねえか、おい」
相棒だった馬に近付き、機嫌よく話しかける姿を見て「よかった」とラサールは思う。馬と妹は・・・そりゃ比べ物になんねえけどよ、でも、こいつらだって待ってたはずだ。なんかよ・・・不思議なんだけど、俺も前みたいに家がやたら恋しいとは思わなくなったんだ。ここにも大事なもんがあるって思うようになったからかな?俺さ、今まで自分の事でいっぱいいっぱいなくせに、それでも残して来たおふくろの事が気がかりで、気が付きゃ辛い辛いとばかり思ってたところがあってよ・・・。何も楽しい事なんかないって、悲観ばっかりしてたけどよ・・・元気の素って気付かないだけで案外すぐ近くにあったりすんのかもって・・・おかしいけどよ〜・・・なんか気付かされたような気がしてよ・・・。

さて、声に出して何から話そうか考えてるうちに扉の外に人影が見えた。アンドレだった。

いつも大人しく、ふとした隙に姿を消してしまうので一体何処へ行ってるのかと思っていたら・・・彼は常に厩であれこれ作業していたというので驚いた。見つけた時は「おい、それ時間外労働だろ?おかしな奴!」って叫んでしまった。なんで馬の世話なんかしてるんだ?誰も考えつかないだろ?どーゆーつもりなのかサッパリ分からなかった。人種が違うにも程がある。と心底思った。でも、その後・・・効率がよくなったというか、仕事の質にハッキリあらわれるようになった。つまりはやさぐれた馬の感情が緩和した事で、今度は俺たちがおおいに癒されるようになったんだ・・・。


      


「アラン、来てたのか。おまえの馬、調子いいよ。聞いてなかったけど、こいつの名前。あるんだろ?教えてくれないか?」

班長以上に機嫌よく厩に入って来たアンドレは開口一番に馬の名前を尋ねている・・・。
数ヶ月前の俺らなら理解不能な台詞だったろう。現にほら・・・班長の目が点になっているぞ。あぁ・・・沈黙を破って吹き出してしまいそうだ。

「あー・・・」と返答に詰まっているアランをニコニコ顔で見守るアンドレ、馬の救世主がやけに大きく見える・・・厩でこんな特殊なオーラを放つ男は初めてだ!!
たまらなく愉快になったので心の声で勝手に煽っていると厩の奥からひときわ凛々しく盛大にヒヒーンと嘶く声がした。
・・・やれやれシャンデリアがお呼びだ・・・。

・・・っと、シャンデリアは俺がこれまた勝手につけた名前。最初はブランシュと呼んでいたんだけど、こいつは雄らしいから語尾に余計なもの付けるなと怒られるかもしれないと思い・・・ある時改名したんだ。
主そっくりの気高く美しい姿でこっちを見つめている。
輝くような白いからだに真っ黒で大きな瞳が長い間薄暗かった厩を照らす・・・それはまるで王宮の豪華なシャンデリアのようだった。

「時間が出来たんでたまにはブラッシングしてやろうと思ってさ。じゃ、またなアラン」

凛々しい嘶きが子馬のような甘えた鳴き声になってアンドレに懐くシャンデリアの姿が微笑ましい。なんて考えてる俺もすっかり変人の仲間入りだ。そして、小声で「・・・おいラサール・・・おめえの馬、なんて名前だっけ・・・?」とか言ってる班長も、多分だ。



「・・・あぁ・・・班長、今日は晴れるみたいですよ!」

ふと見上げた空にはいつの間にか陽が射し、去った雨雲のあとにはなんとなく馬みたいな形をした白い雲がぽっかりと浮かんでいた。
そして、ヒヒ〜ンと甲高く嘶いたような気がした。




        


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