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THE・掲示板
めぞん・S・さじゅ〜
アニばらワイド劇場


第26話 「黒い騎士に会いたい!」 〜遺産〜



を賑わす黒い騎士と呼ばれる盗賊の噂がベルサイユに届いて間もなく、それは忽然と姿を消した。


ルイ14世のさまざまな偉業を描き出した天井画と壁一面にはめ込まれた無数の鏡、昼夜を問わず煌々と光を放つシャンデリアに照らされた空間は異世界と言っていいくらいの絢爛豪華さでブルボン王朝の栄耀栄華を謳っている。

ベルサイユ宮殿の性格を象徴する鏡の間。その内装は誰しもが目を見張るものであったが、中でもとりわけ気の利いた細工として国王ルイ16世に気に入られていたのは回廊を支える柱であった。
それはル・ブランが考案し後にフランス式オーダーと呼ばれることになる。
古代コリント式円柱に大胆なアレンジメントを加えたもので、葉と蔓の代わりにフランス王家の象徴である百合、王制と共和制とを問わず国土の象徴である鶏、そしてルイ14世の紋章である太陽神マスクを組み合わせたデザインがその柱の上部には立体的に浮かび上がっていた。

ルイ16世は幼少の頃から礼拝堂へ続くこの回廊を幾度となく歩いていたが、目に見えて煌びやかな装飾品の数々は好きになれないでいた。特に大量に用いられた鏡には従兄弟たちと比べて容姿や体格で劣った自分の姿を残酷に映し出されているようで苦痛に感じることもしばしばであった。
ベルサイユで最も華やかな空間は幼い彼の心に小さな劣等感を植え付け、芽生え始めた自尊心をちくちくと苛んでは彼を憂鬱にさせた。
気が付けば成長期の間は目を伏せて、足早に通り過ぎるのが習慣となっていたのである。

そんなある日、ふと見上げた柱に施された彫像が彼の心を大きく揺さぶることとなる。
素晴らしい天井画に目を奪われ、ともすると視線を留めることなくやり過ごしてしまいそうな彫像は、若かりし日の彼を熱く、そして厳かな目で見下ろしていた。

獣身に人の顔を組み合わせたその者は、両手を大きく広げ、光り輝く回廊を支配し、そして憂えている・・・・・・・。

その光景には奇怪な姿とは相反する至極人間的な葛藤が感じられ、少年であったルイ16世はたちまちその彫像の虜となった。そして、どうか手に届くところにと切望した結果、奇妙な太陽神は青銅の置物となり、ある日ルイの手元に舞い降りて来たのである。


     


「それで国王陛下はすっかり気を落とされて・・・わたくし、うかがいましたのよ。もう一度同じものを作られたらいかが?って」

王妃マリー・アントワネットは同情しきりといった様子で小さく溜め息をついた。

「でも・・・駄目なんですって。同じものは二度と手に入らないとおっしゃるのですよ。わたくしが嫁いで来る前の出来事なので詳しいことは分かりませんけど、あの置物を陛下に献上された彫刻家は既に亡くなっているそうで・・・とにかく、特別な思い入れのある品だから取替えはきかないのだと陛下は落胆されるばかり。お気の毒でならないわ・・・」

王妃の言葉を遮るように木枯らしがひゅーと吹き抜けると傍らにいた侍従長は首をすくめ、咳払いをし、目をしばたたかせながら空を見上げた。
「アントワネット様、そろそろ宮殿にお戻りになりませんと。あまり長いこと風に当たられて、お風邪をお召しになられたら大変です」

「まぁ、貴方ったらそんな分厚い外套を着ているというのに。オスカルをご覧なさいな。運動不足は体に毒よ、体を温めに少し庭園を走っていらしたら?ほら・・・色付いた木々の美しいこと・・・!」

隅々まで手入れされたベルサイユ庭園は独特のグラデーションを描いて光輝く宮殿と見事なコントラストをみせていた。完璧に整えられた刺繍花壇は豪華な幾何学模様を浮き上がらせ、秋空に向かって吹き上げられた泉の水は時折きらきらと虹を描いては幻想的な空間を演出してみせる。


乾いた大気にいつになく遠くまで見渡せるベルサイユの大庭園は、移ろう季節の中で息を呑む程にドラマチックな変化をとげていた。
無限に伸びるかのように見える中央軸線を中心に左右対称に並んだ花壇や泉水や運河、更にそれらを取り囲む木々の緑が今は自由に色付き意外なほど個々に存在を主張する。
普段は対極にあるかのような人工物と自然の奇跡的な競演は、冬を目前に一番の高まりをみせていた。



「ねえオスカル、陛下の宝物をなんとか取り返すことはできませんの?」

王妃に懇願されたオスカルは姿勢を正すとすぐさま部下に情報収集を命じ、盗賊の捕縛に全力を尽くすことを約束した。それにホッとした様子の王妃はようやく少し笑顔を見せたかと思うと今度は眉間にシワを寄せながら目の前の泉水をじっと見つめる。

「それにしても陛下の、というより・・・このベルサイユも随分と変わった趣味ですこと」

王妃の視線の先にある群像を見て、オスカルとジェローデルは目を見合わせふっと息をついた。

「庭園を眺めて歩くとき、一番に目に付く重要な場所に・・・よりによってこんな気味の悪い像を置かなくってもいいんじゃないかしら?これを作った人は一体何を考えていたのかしらね・・・」

城館とアポロンの泉の中間に配された<ラトーヌの泉>は女神ラトーヌと幼い双子神の群像を円形に取り囲むようにして奇怪な生き物が配置された確かに不気味なムードが漂う特殊な泉だった。
遠く運河を越えて天をみつめるような仕草をした女神の足元には幼いアポロンとディアーヌがすがりつき、その周りには蛙と、蛙に変えられつつある人間の鉛像が多数配置されている。


「神話のことならわたくしも知っていてよ。横暴で不親切だったリュキアの農民は女神の怒りを買い、たちまち蛙に姿を変えられてしまった。子供の像の一人はアポロンね?・・・でも、ねぇオスカル、それがどうしてこの場所になくちゃいけないのかしら?」

長いこと離宮に引き篭もっている間、オスカルと会話する時間は極々限られていたので今はこのようなひと時が新鮮で、とても貴重なもののように王妃には思われた。

オスカルは虹色の飛沫を上げる泉水を眩しげに眺めながら王妃に語りかける。


    


「それは・・・過去にフロンドの乱と呼ばれる貴族たちによる反乱が起きたのです」

「貴族たちが反乱を?」

「そうです。その反乱によって幼くいらしたルイ14世陛下とその母后はパリを追われ、その時の体験が後のベルサイユ遷都に繋がったと伺っております」

「まぁ・・・そうですの?それで?」
王妃の瞳が好奇心で輝いた。

「反乱軍は蜂起した当初優勢だったものの内部分裂などにより次第に勢いを失くし、やがて国王軍によって完全に鎮圧されました。その際に貴族勢力を徹底的に打倒したことにより、その後政治の舞台でルイ14世陛下はただおひとり、絶対の権力をふるわれる事となったのです」


目を丸くして話を聞く王妃の姿にオスカルは少し口調を柔らかく改めてから、こう続けた。

「この泉はルイ14世陛下のその時の記憶を形として残されたものだと伝え聞いております。つまりは・・・我々貴族に対する戒めという意味で。幼いアポロンはルイ14世陛下ご自身でラトーヌの像は母后、そして周りにおりますのが貴族・・・王権に逆らう者は蛙にしてしまうぞ。というわけです」

「なんということでしょう!この気持ちの悪い彫像たちにそんな意味があったなんて・・・今までちっとも知りませんでしたわ・・・!!」

珍しく知的好奇心を刺激され快くなったのか、王妃は上機嫌で泉水に近寄り、水に手を浸すと「冷たいわ!」と小さく叫んで飛びのいた。

周囲が和んだところでオスカルの後ろに控えていたジェローデルが続ける。

「ちょうど今、王后陛下がお立ちになられている場所が、ルイ14世陛下がベルサイユ案内記に此処だと定められた“眺望点”になります」

「眺望点・・・?」


「ベルサイユ宮を鑑賞する際に、ここへ立って見ると最も感銘を受ける事のできる場所、とでも申しましょうか・・・」

静かに流れる時間の中で、一同がラトーヌと同じ視点に立ち広大なベルサイユ庭園を見渡した。
深呼吸をする者、溜め息をつく者、瞬きすることすら忘れて景色に見入る者・・・・・

振り返れば眺めることが出来るあまりにも壮大な建造物と共に、ベルサイユは過去から未来へ、圧倒的な存在感を誇っていた。

 

「・・・素晴らしいわ・・・」


一言呟いた後、王妃は隣で小刻みに震える侍従長を見てクスッと笑った。

「素敵なお話を聞かせて下さってありがとう、オスカル、ジェローデル。わたくし、この泉をようやく好きになれそうだわ。さっ、これ以上ここへ居たら侍従長が風邪で寝込んでしまうことになりそうね?じゃあオスカル、また」



情けなくくしゃみを連発する侍従長と取巻きの貴婦人たちを連れて王妃が去るとジェローデルが呟いた。

「本当に黒い騎士の仕業なんでしょうか・・・」

「・・・陛下の置物か」


「あれは陛下の寝室に保管されていたのです。近くには純金製の調度品だってあったはず。恐れ多くも陛下の私室に侵入してまで・・・真っ先に奪おうと思うようなものでしょうか?」

「・・・“太陽神”を狙って来るとは・・・とんでもない奴だな」

搾り出すように呟いたオスカルの言葉に身を正したジェローデルはラトーヌの泉の向こうに見えるアポロンの戦車の泉水を暫し見つめた。




                 
     


美しい女性の体に変わり果てた蛙の顔。

醜い水棲動物に姿を変えられた農民たちが断末魔の叫びを上げるよう口を開いて虚空を見つめる。
進行する己の体の変化をもう止めることが出来ないと知った時の、女の気持ちはいかばかりであったろう。
あるいは、すっかり変身を遂げ蛙そのものとなり果てた農民たちは、水飛沫の中で案外満足して暮らしたのではなかろうか・・・?

昨日までの自分を忘れて。人として関わった隣人の姿を忘れて。


強烈に胸に引っかかるものを感じるも、私は思考を閉じた。
自分と、最も信頼する者の中にある闇に、気付きたくはない・・・と弱気な心が叫ん
だ。





「見事なものだ」

直ぐ後ろで声がして我に返る。
振り返るとジェローデルは息を殺すようにして運河の遥か向こうを見つめていた。


「わざわざ案内図まで作って、ルイ14世陛下はベルサイユに多くの民衆を招き入れ、この景色を見せたのです。自らがこの世の中心であることを知らしめる為に」

ジェローデルは遠い目をしながら微かに口元を綻ばせ、私に語りかける。


私は光明の源。
最も誉れある天体も、私の周りに美しい軌道を描いており、
その輝きと尊厳も、彼らを照らす私の光だけによっているのだ。


「かつて流行った宮廷劇の詩句ですよ。ルイ14世が太陽。その他の惑星は宮廷貴族。
自らを太陽だなどと・・・一体どんな心臓をしていたのかと訝しく感じた時もありましたが、今は素直に思います。ルイ14世は偉大な人物であり、何より・・・此処は美しい」





“眺望点”に立った二人は砦を守る先頭指揮官。

理屈ではない心からの感動が胸に込み上げたとみえて珍しく饒舌になるジェローデル。
彼を見て、私は突然、今いる場所の無限の価値に気付かされた。


「ベルサイユは文化と科学と技術振興そのものか・・・。
無駄な戦争を繰り返し各地を要塞化した挙句、幾多の攻防戦・防衛戦に備えた土木工事で国土を穴だらけにするよりも、ベルサイユ造営のために掛けた費用と労力には意味がある。
我々が死んだ後も、この場所に立つ者が途絶えることはないだろう。
ベルサイユなくしてフランスはフランスではないのだと・・・
心からそう思える日が、きっと来るのであろうな・・・・・・・」


宮殿を彩る勇ましき彫像群のような端正な横顔でジェローデルが深く頷いた。



だが・・・あの向こうには何があるのだろう?


運河の果て、更に遠く地平線に溶けてゆく樹木の向こうに、本当の世界はあるのかもしれない。


幼い双子神を必死に守りながらその果てを仰ぎ見る女神の姿がふと憂いに沈んだ母上のか弱き姿と重なり、どうしようもなく私の心はざわめいた・・・。






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