本文へジャンプ
ブログ
アニばらワイド劇場


第35話 「オスカル、今、巣離れの時」 〜双璧〜



王妃マリーアントワネットは苦々しい思いでその光景を見ていた。

平行線を辿るばかりの三部会。その中でロベスピエールを中心にした平民議員は一部の貴族、僧侶の合意を得、独自に「国民議会」を名乗ることを決議。これに反対する王党派は一時議場を閉鎖するも解決には繋がらず再び議会を招集。しかし王党派による数々の弾圧により一層結束を強めた平民議員は公然と国王の命令を拒否するところとなり、議場を占拠。更には謀反人とみなされた平民議員を議場からの排除するよう命じられた軍の指揮官が次々とその命令を拒否・・・

その指揮官がオスカルとジェローデルであった。

かつての近衛連隊長オスカルと現職の近衛連隊長ジェローデル。
共に王室警護の最高峰であり、ルイ16世が最も信頼を寄せる者たちだった。
彼らの反逆とも取れるこの行動は王室にとって大打撃であり、かつてない衝撃を国王夫妻に与えた。しかし、王妃が極めて不快と感じる理由は命令を拒否された事とは別のところにある。

そもそも一連の事態について慌しく報告はされたものの彼らが何故命令を拒否するに至ったのか、事の真意は分からぬままである。そればかりか最高権力者であるはずの国王さえももはや部外者であると言わんばかりの軍上層部の態度は目に余るものがあり、その混乱ぶりは三部会によって分裂したベルサイユの様子を改めて浮き彫りにする結果となった。そして深刻を極める政情の中で想定外の事態に直面し困惑している事を差し引いたとしても、その暴走とも言える混乱ぶりは少々いき過ぎているように王妃の目には映ったのである。

      


オスカルを前に引き下がった近衛連隊に激怒した陸軍元帥始め将官たちは見せしめだと言わんばかりの形相で大広間に“謀反人”らを集めた。
そしてひっ捕らえたジェローデル大佐に向かって無期限の懲役を宣告すると、国王や王妃などは目に入らないかのような醜悪な態度でそれに続く近衛仕官たちを激しく威圧、叱責していた。
国全体の情勢不安が軍の運営にも影響しているのは明らかだった。
混沌とした時代にあって頼るべき軍隊こそが不安に駆られ正常に機能しなくなっている。
国王夫妻にとって間近で軍隊の醜い内情を垣間見たこれが最初で最後の出来事であった。


何を言われようと頭を垂れどんな懲罰も受け入れる覚悟のジェローデル。彼の一体何がそんなに気に入らないのか、将官たちは去ろうとしない。
王妃は見ているのが辛くなり、さすがに声をかけようかと思った次の瞬間、決定的に不愉快な出来事が起こった。



「貴様、あの女に一体何をされた?」

「・・・・・・!?」

声を殺し一応は周囲に気を使ったように思えたが元帥の下衆な問い掛けはハッキリと王妃の耳に届いてしまった。
そして言葉の意味を察したのかジェローデルは初めて顔色を変え、射るような視線を元帥に向ける。その態度で更に火が付いたのか元帥は憎悪をあらわにし彼の胸ぐらを掴むと、今度は衆目も気にせんとばかり激昂した。

「言ってみろ!衛兵隊の雑魚どもといい、オスカル・フランソワは貴様らをどうやって手懐けている?あの女はどんないかがわしい手を使って大の軍人を骨抜きにしているんだ!?・・・情けない男たちめ・・・女ごときに何をどう調教されこうまで堕落したのか、貴様ここで白状しないかっ!!」


見るに堪えない状況だった。
完璧な支配下にあると信じて疑わなかった者たちに背かれよほどプライドに傷が付いたのか陸軍総司令部は我を忘れ想定を遥かに超える醜態を晒してしまっている。
今回の騒動で最も心が折れた瞬間はと問われれば、王妃にとって間違いなく、それは今この瞬間の常軌を逸した陸軍上層部の姿だと言わざるを得ない。

息を殺して状況を見守っていた国王夫妻は暗澹たる思いで目を閉じた。

その時、それまで黙って元帥の暴言を聞いていたジェローデルが初めて言葉を発した。

「堕落したのはどちらだ・・・」

何を!?と逆上した陸軍最高位である元帥の手を厳しく払い除け、ジェローデルは蔑むよりは哀れみの表情を浮かべ冷たく言い放つ。

「陛下の御前で何を言われましょうか?この期に及んでそのような汚らわしい想像しか出来ぬとは、恥知らずにも程がありましょう。軍人として、心より閣下に御同情申し上げる」

思わぬ反撃にあい血相を変えた元帥は今にも斬りかかろうかという勢いで身構えた。そしてそれを凝視し一歩も引かぬジェローデル、口を挟んだのはブイエ将軍だった。


「命をかけての行動ですぞ」

大広間中の注目が集まるなか、ブイエ将軍が元帥に歩み寄る。

「この度のことは軍法会議にかけるまでもなく軍人として、許されざる大罪です。現に私はジャルジェ准将に、彼女の部下12名を上官への命令違反の罪で銃殺に処すと申し渡している。その上での行動ですぞ。ジャルジェ准将は自分の命も捨てる覚悟で近衛隊の議場突入を阻んだのです。・・・ここでこのような事を申し上げるのは筋ではないが、ジャルジェ准将が己の命の危険を顧みず行動し、結果王室を救って来た事例は過去にいくつもある。そして、此処に居るのはそれを目の当たりにしてきた部下たちですぞ。もっとも、どのような理由があったにせよ、今回の事で彼らに弁解の余地はありますまい。私はジャルジェ准将に対し、その覚悟通りの厳罰を言い渡すつもりでおります。しかし、だからといってこれまでの王室に対する彼らの忠誠心まで疑うような事はあってはならない。ましてや閣下が憶測のみで彼らを侮辱する等という行為は断じて許されるものではない。そのような発言は陸軍全体のみならずフランス王室そのものへの侮辱であるとお気付きにならないとは、我々最高司令部も落ちぶれたものだ!」

「おのれ・・・誰に向かって口をきいている!?」

怒りと羞恥心で蒼白になった元帥はブイエ将軍の言葉を受けガクガクと震え出した。


     


そうだった・・・確かに此処、この場所だった。


マリー・アントワネットは一瞬、意識が遠くへ飛ぶ感覚を味わい、その後思いがけない過去の光景と遭遇した。

あれはまだ・・・そう・・・嫁いで数年の王太子妃だった頃。
自分のふとした遊び心がとんでもない大惨事を引き起こし、大切な人々が窮地に立たされた出来事があったわ・・・。
暴走する馬から命がけでわたくしを救ってくれたオスカル。
わたくしの我儘をきいてくれただけなのに15世陛下に死刑を宣告されてしまったアンドレ。
アンドレを助けようと強大な権力を前に、なおも勇敢に立ち向かったオスカル・・・フェルゼン・・・・・

嗚呼、そうだわ・・・。きっとあの頃と何も変わりはしない。
わたくしを取り巻く愛しい人々・・・・・
オスカル、アンドレ、ジェローデル、・・・フェルゼン・・・・・!!
何も、何も変わりはしないのだわ・・・!!!



「もうよい。そのくらいで・・・。このような時にお前たちまで、それ以上無様な姿は見せてくれるな。余は平民議員を武力をもって排除せよとの命令を下した覚えはない。おとなしく彼らが会議場を後にしない時はどうするつもりだったのだ?・・・先ずは三部会半ばにして大量虐殺などという最悪の事態にならずに済んで良かったのではないか・・・?陸軍元帥よ、考えてもみよ。命拾いしたのは・・・我々の方かもしれないぞ」

国王ルイ16世は威厳とは無縁の人物であった。
だが、愚かな裁断を回避したこの時、国王の存在感を多少は発揮できたそれは歴史上数少ない一瞬であったのかもしれない。

王妃マリー・アントワネットは不甲斐なさを噛み締め自嘲気味でいる夫の手にそっと自らの手を重ね、静かに囁いた。


「陛下、どうか、どうか誰にもお咎めのないように・・・お願いでございます」


      


マリー・アントワネット様の御温情により一切お咎め無し。

ベルサイユからの急使の到着があと数分遅かったら、私は正気でいられただろうか?
間髪入れず斬られる運命だったとしても、たった数秒間だったとしても、その地獄絵図を直視できただろうか?

灯りを失った部屋で、不思議なことに彼の気配だけが私にとっては自分を確認する唯一の術だった。
だが、窓を叩く雨の音が暗闇の中では一層激しく響いているようで、私は私の胸の鼓動に対し・・・またも聞こえぬふりをした。

死を覚悟した瞬間、脳裏に浮かんだものは何であったか・・・
これまでの長い年月、自分でそれに気付かぬよう頭の隅に追いやって来た感情は何であったか・・・・・

力を尽くして、ただひたすら生きてきた、その間・・・私を支えてきた存在は何であったか・・・?


アンドレ、この期に及んでまだ私という人間は自分の感情に素直になれずにいるらしい。
他のことならば、他のことならばどんなにかなりふり構わず動けるものを・・・!!


アンドレ・・・、たとえ一瞬とはいえ私が後では愛するひとの死を見ることになる。それはあまりに哀しい。
私とて同じだ・・・。とうの昔におまえは気付いているのだろうな・・・いつの間にか、同じ感情を抱えて生きている。
今はもうこの世の何よりも確かなものだ。私の生きてる証・・・・・



でもアンドレ、すまない・・・私にもう少しだけ、時間をくれるか・・・・・?

・・・時間をくれるか・・・?

      

      


アニばらワイド劇場TOPへ戻る