『菊一文字』に関する雑感

                          

平成17年2月1日


剣豪ひしめく新選組。
当然の如く、彼らの愛刀も名のあるものと思いたい(^^;
近藤勇の虎徹、土方歳三の兼定、そして沖田総司の菊一文字と言うのは、新選組ファンの方なら、そうそうと頷けるのではないでしょうか。
実際、資料等にも近藤の虎徹、土方の兼定についてはそれぞれ書かれています。
ところが、どうやら沖田の菊一文字はあやしいらしい(笑)

菊一文字則宗・・・鎌倉時代に後鳥羽上皇が、一文字派の祖で備前国の刀工、一文字宗則に打たせた日本刀の総称、とあります。
則宗は御番鍛冶を務めたため、 後鳥羽上皇から皇位の紋である菊紋を銘に入れることを許されたのだそうです。

この刀、幕末の頃にはすでに国宝的な扱いとなっており、いかに新選組と言えども、一隊士に手の出せるような代物ではなかった、と(^^;
ですから、沖田総司が菊一文字を持っていたと言うのは、「新選組血風録」を書かれた司馬遼太郎さんの架空の設定であろう、と言うのが通説です。

でも、それでも「もしかしたら」と期待してしまうのは、沖田総司と言う天才剣士と、この優美な響きを持つ刀が、いかにも似合っているように思えるから。
小説「新選組血風録」の中でも、いかにも美しく気品ある刀の様子が描写されています。
ちなみに、大内美予子さんの書かれた小説「沖田総司」の中にも、やはりこの菊一文字が登場します。

それぞれの小説の中で、沖田総司が菊一文字を自分のものとすることができた経路は違いますが、どちらも共通していたのは、せっかく手に入れた菊一文字を、沖田はほとんど身に帯びることがなかったと言うこと。
まるで、この刀で人を斬るなど畏れ多いとでも言うように、沖田は菊一文字を大切に扱います。

そして、どちらの小説でも、ただ一度だけ人を斬ることに使う。
「血風録」では、沖田が自分の配下の仇を討ちに行く時。
そして「沖田総司」では、なんと山南敬助の切腹の介錯の時に、この菊一文字を使うのです。

沖田は病が悪化して、ついに千駄ヶ谷の植木屋の離れで療養することになりますが、死ぬまで枕元に刀を置いてあったと言います。
その刀が、美しい菊一文字であってくれたら、と願うのは、たぶん私だけではないでしょう。
今回、私もいろいろと調べた結果、沖田の刀が菊一文字であった可能性は低いことを承知で、あえて沖田総司の愛刀として、詩を書きました。
菊一文字への沖田総司の深い思い入れを書いてみたかった。それは、最期の時と言う、一番哀しいシーンになってしまったけれど。

もしかしたら、沖田総司と言う人は、自分が持つ刀の銘などには無頓着であったかもしれないけれど(^^;
そんな彼でさえ、いえ、そんな彼だったからこそ、この優美なる菊一文字にだけは心底惚れた、とも思いたいのです。
ん〜、きっと勝手なファン心理なのでしょうね(笑)

なお、この詩を書くきっかけともなった、大内美予子さんの「沖田総司」。
たぶん沖田ファンの方なら、え、今更?と言う感じかもしれませんが、最近管理人がはまって読んだ本でした(^^;
書かれたのはだいぶ前らしく、私が手にしたのは新装版でした。
そのせいか、装丁もとても美しく、いかにも沖田総司の人となりにぴったりではないか、などと一人感激しておりました(笑)


この本、当然ラストは沖田の死になるわけですが、そこに至るまでの沖田の言動が読んでいて、なんとも切なかったです。
自分の病気に対しても、命に対しても、あくまでも素直にあるがまま受け止めている沖田。
むしろ、今までと変わらず冗談を言ったりして、周りをなごませる。
近藤勇の消息は知らされず、看病してくれていた姉ミツが、夫について遠くの地へと移ることになった時も、悩む姉の気持ちを引き立てるため、笑って送り出す。

そんな沖田が、土方歳三が江戸を立つ際の最後の別れに来た時、ついにつらい思いをぶちまけるのです。
「行ってはいやだ!」と・・・ 一人だけ取り残されるのは、もういやだと言って泣く沖田、苦悩する土方。ふたりとも、もう二度と会えないのだとわかっていたのでしょう。
胸に迫るもののあるシーンでした。
みな去ってしまって、一人になった時、沖田が何を思ったのか。
そんな想像が、詩の骨組みとなったのは確かです。

架空設定ですありますが、読んで頂けたなら、とても嬉しいですm(__)m

※沖田総司に関しては、以前アップした「いにしえ人」をもご参照下さい。


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