−その参−



夜の寒さが増してきた。
ぶるっと肩を震わせた総司に気づき、斎藤の声が厳しくなった。
「沖田さん、とにかく横になってくれ」
総司は、こくんと頷くと、素直に布団に入った。
斎藤は、すっかり落ちてしまっていた火鉢の炭をおこす準備を始める。
湯をわかし、温かいお茶を総司に飲ませようと思ったのだ。


意外なほど器用に作業をする斎藤の様子を、ぼんやり見ていた総司が、ふいに声をかけた。
「斎藤さん、せめて今夜の手筈だけでも、教えてくれませんか」
斎藤は、手をとめて振り返る。
総司は、まったく普段通りの平静さを取り戻しているように見えた。
束の間、逡巡してから、斎藤は低い声で話し始めた。



「伊東さんは・・・たぶん、もう死んでいる」
総司は、布団の中で目を見開いただけだった。予想はしていた。
「局長が、ご自分の休憩所に呼び出した。二人で話し合おうと言って」
総司の目が、痛ましげに瞬かれる。
「そうでしたか、近藤さんが」


今まで、いわゆる手を汚す仕事は、土方が請け負ってきた。
近藤だけは、正々堂々とした場所に据えることを、土方は譲らなかった。
新選組にとって、近藤こそが「誠」の旗を具現化した姿であったのだ。
どこまでも、正義でなくてはならない。
表沙汰にできないような殺生に関しては、近藤は関与していないと言える状況を、いつも土方は作り上げてきた。
けれど、今回だけはそうはいかなかったのだろう。


「局長なら、伊東さんも警戒をゆるめる」
ぼそり、と斎藤はつぶやいた。
確かにそうだ、と総司は思った。
たとえ意見が食い違って決別していたとしても、近藤は卑怯な真似はすまいと、伊東も考えていたのだろう。
ましてや、屯所ではなく、近藤個人の別宅でと言われれば、呼び出しに応じないわけにはいかない。
その油断を突くと言うのが、土方の策だった。
たった一人での行き帰り、どこかに暗殺者を潜めておけばいい。


斎藤は、淡々と言葉を継ぐ。
「伊東さんの死体は、油小路に打ち捨てられることになっている」
そう言ったきり、黙った。
総司も、何も聞き返さない。
ただ、天井を見上げたまま、苦しげに眉をひそめた。
そのことを知らされた御陵衛士たちは、間違いなく、死体を取り戻しにくる。
たとえ、罠だと勘付いていても。
そこを待ち構えていた新選組に取り囲まれれば、自ずと結果は見えている。
ただし、御陵衛士たちも、剣の腕は精鋭揃いだ。激しい戦いになるだろう。
そう思うと、空気が澱むような胸苦しさを覚える。



「藤堂さんだろう?」
唐突な斎藤の言葉に、総司は、えっと顔を向けた。
気遣わしげな斎藤の瞳が、まっすぐ総司を捕らえている。
「あんたが、これほどまでして戦いに加わろうとしたのは、藤堂さんのためなんだろう」
藤堂平助が、御陵衛士として屯所を出ることが決まった時、総司といろいろ話をしていたのを、斎藤は知っていた。
同い年で、気の置けない友達だった二人だ。

あの時も、斎藤は自分と藤堂とのことを、気にかけてくれていたのだと、総司は、あらためて思い出した。
「まいったな」
小さく頷くと、斎藤の方に向けていた顔を、元に戻す。
記憶を辿るように、ぼんやり天井をみつめながら、総司はぽつりぽつりと、事の顛末を語り始めた。


       *****


屯所を出ると言うその日、藤堂は、ふらっと総司の部屋へ来た。
もうその前に、何度も話をして、互いに納得しあったはずだった。
何を今更、といぶかる総司に、少し照れたような顔で、けれど目だけは真剣な光を宿し藤堂は「もし・・・」と、切り出したのだ。
起こってほしくはないけれど、御陵衛士と新選組が争う羽目になったなら、と藤堂は言葉を続けた。
「総司が、私の前に立ってくれ」
「え?」
「もしもの時は、おまえと剣を合わせたいんだ」


きっぱりと告げる藤堂に、総司は一瞬戸惑った。
戦うと言うのか? 自分と藤堂が?
確かに、御陵衛士としての分派が、あくまでも表向きに取り繕っているだけだと言うことは、総司にも見当がついていた。
今後、互いに刀を向け合うような険悪な事態にまで発展してしまうことも、ないとは言えない。
わかっていながらも、そうならないことを願う自分は、甘いのだろうか。
藤堂はすでに、どのような事態も想定して、覚悟しているのか。



「ごめんだよ。なんで、私なんだ」
総司は、滅入りそうな気持ちをごまかそうと、わざと子供っぽい口調で言った。
藤堂はふっと微笑むと、静かに言葉を継いだ。
「おまえがいいんだよ」
どこか、優しささえも漂わせたような声だった。
総司は、ハッとして言葉を呑み込んだ。二人の間に、沈黙が落ちる。

重苦しさを振り払うように、藤堂はわざと冗談めかした調子で続けた。
「万が一、他の奴に斬られりしたら、藤堂平助の名が泣くだろ」
嫌な予感が、総司の胸をよぎる。考えたくもないことだった。
それでも無理やり、藤堂の冗談に乗ったふりをした。
「今の、忘れずに永倉さんや左之さんに伝えておく」
「よせよ」
あはは、と笑い出す藤堂に調子を合わせながらも、総司は藤堂の決意の重さを、あらためて感じた。切なかった。

藤堂は、甘い理想や希望だけで、新選組と袂を分かつのではない。
自分の中に、譲れない何かがあるのだろう。
そのためなら、命を賭けるのもやむなしと考えている。
ならば、自分もきっぱりと覚悟を決めよう、と総司は思った。
自分は、どこまでも新選組として力を尽くす。
だからこそ、もし本当にそんな時が来てしまったら、何があっても、自分が藤堂の前に立つ。
互いを尊重するため、真剣に戦いに挑もう。
たとえ、どちらかが相手の剣に斃れることになっても。



       *****


「あんたも、律儀だな」
斎藤が、生真面目な口調でつぶやいた。
斎藤にそう言われるのはどうか、と総司は少し可笑しく思いながら、いくらか明るい声を出した。
「見直してくれました?」
「いや、あきれた」
斎藤は、そっけなく返す。
「ひどいなあ」
「無謀すぎる」
しかつめらしく言った後、斎藤はわずかに頬をゆるめた。
「あんたらしいがな」
総司は、いつも通りのやわらかい笑みを浮かべると、しばらく黙りこんだ。


しゅんしゅんと、鉄瓶の湯が沸いてきた。
ほわほわと白い湯気が立ち上っている。
斎藤は、茶を淹れる作業を再開した。
総司は、ひとり言のように、ぽつりと言葉を落とした。
「約束なんですよ。平助との、たぶん最後の・・・」
斎藤は手を止めずに、答える。

「残念ながら、今のあんたじゃ、油小路にたどり着くまでに、ぶっ倒れるだろう」
容赦のない言い方である。
総司は返す言葉もなかった。確かに、その通りだ。
けれど、はっきり言われたことが、逆に気持ちを落ち着かせてくれた。
「今夜は、永倉さんが出ているんですよね」
「ああ。原田さんとな」

原田左之助は、槍を得意とする。おそらく、数名を一手に引き受けるつもりだろう。
となれば、藤堂に当たるのは、当然永倉だ。
永倉新八は、総司や斉藤と並ぶほど、新選組の中でも抜きん出た剣の腕前だった。人柄も実直で、きっぱりとしている。
「よかった。永倉さんなら、平助と真剣に戦ってくれますよね」
総司は、ほっと息をついた。が、斎藤の同意の声がないことに気づき、怪訝そうに顔を向けた。
斎藤の手が止まっていた。険しく眉を寄せている。


「斎藤さん?」
総司は、上半身を起こし、問い詰めた。
「何かまだ、あるんですか」
斎藤は、一瞬ためらい、また気まずそうに押し黙った。
「教えて下さい、私だって・・・」
総司の語気が、思わず荒くなる。
「私だって、新選組幹部なんだ! 言って下さい!」 
射抜くような鋭い視線を、斎藤に向けた。


隠しても詮無いなと、斎藤は思った。
どのみち、隠し通せることではない。
「藤堂さんだけは助けろと・・・、なんとか逃がせと、局長は永倉さんたちに言い含めていた」
総司の顔が強張る。
何か言いかけて、ぐっと呑み込み、それでも堪えきれず、
「どうして・・・」
苦しげな声を漏らした。。
「平助が・・・、あの平助が、自分だけ逃げたりなんかすると思いますか」

斎藤は、険しい顔のまま、唇を噛みしめた。
そうだ、わかっている。
自分とて御陵衛士として、しばらく藤堂とも行動を共にした。
藤堂の人となりは、十分にわかっている。
新選組にいた時も、魁(さきがけ)先生と呼ばれるほど、誰よりもまっ先に戦いの場に駆けて行った。
信じるもののため、自分の信念を賭けて、迷わずまっすぐに剣を振るう。
明朗で、卑怯さなど微塵もない男だ。
「・・・逃げんだろうな」
苦々しく、斎藤は言葉を放った。



近藤が必死な面持ちで、永倉に念を押していたのを、やりきれない思いで眺めていた斎藤だった。
近藤が、情に厚いのはわかっている。
試衛館の頃から一緒にいた藤堂を、なんとか助けたいと言う気持ちも、理解できる。斎藤とて、そう願わないわけではない。
それでも、するべきではないだろうと思った。
藤堂の、武士としての誇りをないがしろにすることになる。
その場にいた土方も、おそらく同じことを考えていたに違いない。
腕組みをしながら、怖ろしく険悪な顔をしていた。
けれど、近藤の命を覆すことはしなかった。
やはり、近藤の気持ちを察して、耐えていたのだろう。



総司はそれ以上何も言わず、再び横になると、掛け布団を引き上げ、その中で肩をすぼめた。
斎藤は、淹れかけていた茶もそのままに、総司の枕元の刀に目をやった。
いつでも手にできるように、そこに置かれた刀。
それを持って、藤堂との約束の場に駆けつけたかったであろう総司の悔しさを、斎藤は、我がことのようにひしひしと感じていた。


       *****


音もなく、夜は更けて行く。
屯所内が、まるで深い海の底に沈んだような静けさに包まれる。
だが、時を同じくして、油小路では今まさに、凄絶な死闘が繰り広げられようとしていた。

 <続く>