〜 飛鳥編 〜

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《うまやどのみこ》
諡号は聖徳太子。父は用明天皇。推古天皇が即位の際に摂政となる。

厩戸皇子の名前は、母である間人皇女が、宮中を見まわっていた時に急に産気づき、厩の前で分娩したからと言われています。さらに間人皇女は、皇子を生む前に菩薩が口内に入る夢を見て、それ以後妊娠に気づいたと言う伝承さえあります。
菩薩の化身と見なされた皇子。空を飛んだり、過去や未来をも見通す力があった、など神秘の力を持つと信じられていたようです。
私としては、『日出る処の天子』と言う漫画のイメージが強烈でしたが・・・(^^;
《なかのおおえのおうじ》
後の天智天皇。蘇我入鹿暗殺事件以来、皇太子として長年に渡り政権を握る。

鎌足と共に対抗勢力を次々と策略にはめ、暗殺していると言うダーティなイメージがつきまとうせいか、大抵の小説には悪役として描かれてしまうのだけど、怒涛の時代を切り抜けるために非情に徹した姿は、どこか孤独の影を感じてしまうのです。入鹿暗殺後のさまざまな人の死、皇位継承のライバル有間皇子の処刑などに係わっている可能性も・・・ そして弟である大海人皇子との確執。
常に足元を掬われる恐怖を誰よりも感じていたのは、自らがそうして地位を築いてきた皇子自身だったのかも。
《おおあまのおうじ》
中大兄皇子の弟。後の天武天皇。額田王をめぐる兄との三角関係も・・・?

イメージとしてはおおらかで武術に優れ、人望も厚い。中大兄皇子との異母兄弟説から、実は大海人皇子の方が兄だったと言う説、さらには渡来人説まである謎の人物。額田王との相聞歌も有名ですね。
天智天皇から譲位の話があった時には即断り、僧侶になって吉野にこもる。が、しかる後に乱を起こす(壬申の乱)とは、なかなかしたたかだなあ、と思ってしまいます。やはり大物!
《はしひとのひめみこ》
中大兄の妹、大海人の姉。大化の改新後、即位した孝徳天皇の皇后となる。

この人も悲劇の女性と言えるのでしょう。孝徳天皇の皇后となった時、天皇はすでに50過ぎ、彼女は十代。しかも天皇には小足媛という女性がいて、有間皇子という息子までいる。
政略結婚は不思議ではない時代ではありますけどね。そんな中で実の兄である中大兄皇子との禁じられた恋の噂まである。波乱の人生ですね。
《ありまのみこ》
孝徳天皇と小足媛の間に生まれた皇子。謀反の疑いで死刑となる。

孝徳天皇亡き後、皇位継承の有力者だったのを恐れた中大兄皇子に策略にはめられた、と言うのがもっぱらの見方らしいですね。
狂人を装ってまで災いを逃れようとしたけれど、中大兄皇子には通用しなかった?
実のところはどうなのでしょう? 聡明な皇子だったとのこと。ただ歌を愛し争いから遠い生活をのみ望んでいたのでしょうか? 興味は尽きません。
《さららのひめみこ》
天智天皇の二番目の皇女。大海人皇子の后となる。後の持統天皇。

これまた興味深い女性です。母親である遠智娘の父(つまり祖父)である石川麻呂を死に追いやったのが、中大兄皇子の謀だとしたら・・・
父親を夫に殺された母親の思いを、讃良皇女はどう感じていたのでしょう。
そして、父天智天皇の後継ぎである大友皇子を討ったのが、夫である大海人皇子。こうして讃良皇女は皇后となり、さらに女帝としての道を歩む。
《ぬかだのおおきみ》
万葉随一の女流歌人。大海人皇子との間に十市皇女をもうける。

とっても好きな人物ですが、実像は謎ですね。『書紀』にもほとんど登場しないらしいです。宮廷歌人とか巫女とか呼び名はいろいろ。
なんと言っても、中大兄皇子大海人皇子の間で揺れ動く才長けた佳人というあでやかなイメージでしょうか(時に悪女のように描かれている小説もあるのですが)
神の声を聞く巫女と言う凛としたイメージが私的には好きです。
《なかとみのかまたり》
後の藤原鎌足。共に蘇我入鹿を暗殺して以来の、中大兄皇子の側近(黒幕?)

もし鎌足が中大兄皇子ではなく、他の皇子についていたとしたら・・・ まったく違う歴史が刻まれていたかもしれませんね。
実際に鎌足は蘇我氏を倒すに当たって、まずは軽皇子(後の孝徳天皇)に接近したようですが、その器量に満足できず、中大兄皇子に着目らしい。
すべての運命は、飛鳥寺での蹴鞠の会で、鎌足が脱げ落ちた中大兄皇子の沓を拾い上げて差し出した時に決まったと言う気がします。
《たけちのみこ》
天武天皇(大海人皇子)の皇子だが、母の身分は低い。

この時代は母親の身分が低いと大王とはなれないため、早くから臣下としての自分を意識していたのでは、と言う見方が多いようです。
確かに壬申の乱の時にも、大海人皇子の片腕として活躍しているし、持統天皇の時代にもなかなか実力を発揮していたらしい、優秀な人物。
大海人皇子と額田王の間に生まれた十市皇女とは、幼馴染から報われない恋に・・・
《とおちのひめみこ》
大海人皇子と額田王の間に生まれた皇女。

高市皇子との恋を引き裂かれ、天智天皇を父に持つ大友皇子の后となる皇女。
大友皇子は壬申の乱で大海人勢に敗れ、自害しますが、十市皇女は救い出され、額田王のもとへと引き取られたらしい、と思っていたところ・・・
なんと大友皇子の東国落ち伝説と言うのがあるらしく、十市皇女も一緒に上総(今の千葉県)まで逃れたとか・・・
もし本当だとすると、なんとも気が遠くなるような逃避行ですね。
《おおとものみこ》
天智天皇の第一皇子。母は宅子娘(やかこのいらつめ)

天智天皇の皇子ではあっても母親の身分が低いため、本来なら皇太子とはなれないのですが、やはり天智天皇も世の父親、我が子かわいさのためか大友皇子を太政大臣に任命してしまいました。このことが、当時皇太子だった大海人皇子との確執を生み、やがて壬申の乱へと・・・
十市皇女との婚姻は、当然ながら政略結婚だったとは思いますが、考え様によってはこの皇子も運命の犠牲になった悲劇の皇子と言えるのでは?
《おおつのみこ》
高市皇子、草壁皇子に次ぐ、天武天皇の第三子。

母は讃良皇女の姉である大田皇女。伊勢神宮の斎王に任命された大伯皇女を姉に持つ。文武に秀で、豪放磊落な人望の厚い人物だったとか。
皇太子であった草壁皇子に謀反を企てたとの疑いで処刑される悲運の皇子です。この謀反については、真偽のほどがさだかではないようです。
そのせいか、讃良皇女が自分の子である草壁皇子の立場が危うくなるのを怖れて・・・などと言う説も。
いずれにしても、惜しまれる人物ですね。
《おおくのひめみこ》
大海人皇子の皇女。大津皇子の姉。

母である大田皇女がなくなって以来、弟大津皇子と寄り添って生きてきた健気な女性と言うイメージがあります。13歳の時伊勢の斎宮に選ばれ、父天武天皇崩御後まもなくして弟大津皇子の謀反の疑いによる処刑、そして斎宮の任を解かれます。
万葉集に残された大伯皇女の歌はすべて大津皇子にかかわる歌。それだけ弟を悼む気持ちが強かったのでしょうね。
《やまべのひめみこ》
大津皇子の妃。天智天皇の皇女。

大津皇子の正式な妃でありながら、なんとなく影が薄いような気がしてしまうのは私だけでしょうか。大津皇子と言うと、姉である大伯皇女との絆、そして草壁皇子と取り合った(?)と言われる美しい采女、大名児(石川郎女)との相聞歌がまず浮かんでしまうせいかもしれません。でも、大津皇子の死に際して、髪ふり乱し、裸足でかけつけ殉死したと言うエピソードだけは鮮やかで強烈な印象を残します。
《おたらしひめ》
孝徳天皇(軽皇子)の妃。有間皇子の母。

考えてみたら、この女性はなんと言う悲劇の見舞われたのでしょう。夫である軽皇子(かるのみこ)が即位したとは言え、実際の政権はほとんど中大兄皇子が握っていたのでしょう。おまけに皇后となったのは、中大兄皇子の妹にあたる間人皇女。親子ほども年の違う皇后は、飛鳥遷都に反対した天皇を置いて、兄について行ってしまいます。残された都で失意のうちに他界する天皇。息子である有間皇子も、後に謀反の疑いで処刑される運命・・・ 悲しいですね。
《おおなご》
本名は石川郎女。伝未詳。宮廷に仕えていた采女。

万葉集の中には石川郎女と言う名前の女性が4人いるとか。ここでは俗に呼ばれていたらしい「大名児」と言う名をとりました。大津皇子と草壁皇子(天武、持統天皇間に生まれた皇子)のふたりから恋文をもらいながら、大津皇子ひとりにだけ返歌を送ったと言う、なんとも大胆な女性、と言うイメージがあります。でも、そのことがいずれ大津皇子の悲劇をも生んで行ったと思うと・・・なかなかのトラブルメーカーなのかも(^^;
《かがみのおうきみ》
額田王の姉かと思われるが・・・? 後に藤原鎌足の正妻となる。

あまりに目立つ妹のおかげで、もしかしたらワリを食っている?(笑) でも、中大兄皇子との相聞歌は有名です。あの中大兄皇子恋の歌を贈られ、「思いは私の方がまさっていますよ」と、控えめながらも情熱的な歌を返すあたり、さすがは額田王のお姉さんと言う感じですね。おまけに、後に鎌足の妻となった際にも、鎌足からぞっこん(笑)とあからさまにわかるような歌をもらっている。なかなか魅力的な女性だったと思われます。
《ふじわらのふひと》
藤原鎌足の息子。大宝律令の編纂者。聖武天皇は孫、その皇后である光明は娘に当る。

鎌足・不比等の父子は、政治史上に藤原氏の一氏独裁体制を確立したと思われます。それほどのやり手と言うわけですね。不比等の名が史書に現れるのは持統天皇の時代。天武天皇亡き後、草壁皇子を皇位につけようとする持統天皇にとって、天武天皇の他の皇子たちにつく壬申の乱の功臣たちよりも、不比等の方が頼りになった? とは言え、一筋縄で行くとは思えない不比等。これをチャンスと、権力の中心へと入りこむべく、さまざまな工作を始めます。
《あへのひめみこ》
天智天皇の第四皇女。天武天皇と讃良皇女の息子、草壁皇子の妃となる。後の元明天皇。

ここにもまた、天智天皇天武天皇の血を受け継ぐ者同士の婚姻が・・・ ところが夫であった草壁皇子が皇太子のまま亡くなってしまったことから、その子軽を皇位につけるため、讃良皇女(持統天皇)と阿閉皇女の苦心が始まります。讃良皇女と阿閉皇女は、いわゆる嫁姑(笑)でありながら、同時に年の離れた異母姉妹でもあると言う複雑さ。でも、この二人は気が合ったのかも。どちらも女帝の地位につき、帝の血筋を守ろうとします。
《やまとのひめみこ》
中大兄皇子の妃の一人。後に中大兄皇子が天智天皇として即位した際、皇后となる。

倭姫王が幼少の頃、父である古人大兄皇子は謀反の罪によって討たれます。その際に、幼かった弟君たちも殺され、母は傷心のあまり自害。ところが、古人大兄皇子は無実であり、それを画策したのが中大兄皇子。後に中大兄皇子の妃となり、さらに皇后にまで・・・ 女性としては、この上ない栄華なのでしょうが、父の仇である中大兄皇子を夫に持つことは、彼女にとってどれほどの試練だったのか。倭姫王に関する資料はほとんどなく、万葉集に天智天皇への歌が数首、残っているだけだそうです。

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