流 星

  ― 前編 ―



壬生寺の境内に、わさわさと大勢の新選組隊士たちが集まっている。
ぐるっと、何かを取り囲むような大きな輪になり、誰もが緊張と興奮に固唾を呑んで、立ち尽くしていた。
隊士たちの人垣の中心にいたのは、二人の剣士。
一人は、ひょろりと背の高い、浅黒い顔にのどかな笑みを浮かべた青年。
もう一人は、こちらも細身ながら、強靭さを感じさせる身体つき、切れ長の目が涼しげな男。
二人とも、まだ構えに入る前の、ゆとりを持った様子で向かい合っている。
春先の空に、蕾の膨らみかけた桜が、枝を伸ばしていた。


          *****


この日は、手の空いた平隊士たちが、剣の稽古に壬生寺に集まっていた。
各々相手を決めて、討ち合うのだ。
正規の訓練ではないので、特に師範格の者がつくわけではない。
その意味では、気楽な稽古と言えよう。
ところが、何の気紛れか、境内にのそっと姿を見せたのは、日頃から荒っぽい稽古をつけることで有名な沖田総司だった。

普段は、愛嬌のある笑顔で冗談を言い、隊士たちを笑わせる総司だが、稽古となると、人が変わったようになり、怖れられていた。
総司の姿に気づいた隊士たちが、ぎくりとして、一斉に木刀を止め、姿勢を正して礼をとる。
当の総司は、皆の様子を見回すと、呑気そうに笑い声を立てた。


「あははは、いやだなあ、みんな。今日は自分の稽古に来ただけですよ。どうぞ、気にせず続けて下さい」
そう言うと、すたすたと空いている場所へと歩を進め、さっそく手にした木刀を振り始めた。
隊士たちは、稽古を再開したものの、怪訝そうにちらちらっと総司の様子を盗み見る。
いったい、一人で木刀を振るために、わざわざ来たのだろうか。
とは言え、万が一にも、総司が自分たちに稽古をつけるなどと言い出したなら、それはとんでもなく怖ろしいことだったので、誰もが必死に、目の前の相手に打ちかかっていった。


もう一人が、その場に現れたことに、しばらく誰も気づかなかった。
それほど、その人物は気配を感じさせぬまま、境内に入ってきていた。
「ああ、ようやく来た。待ちくたびれましたよ、斉藤さん」
総司のあっけらかんとした声に、皆ギョッとして、動きを止めた。
こざっぱりとした紺地の着物を着て、すっと隙なく佇んでいたのは、総司と剣の腕は互角と言われる、斉藤一だった。

「すまない」
言葉少なに詫びると、淡々とした様子で、総司の向かい側の位置に進む。
その様子に、隊士たちは納得した。
隊内で、総司とまともに討ちあえるのは、斉藤と永倉新八だけだったからだ。
これは、どうやらすばらしい勝負が見られそうだと、誰もが期待し始めた
斉藤は、場所を定め、くるっと振り向くと、切れ長の目をきらめかせた。
「では、始めようか」
口元が、かすかに上がる。
どうやら、総司との手合わせを喜んでいるらしい。


にわかに、皆の稽古が中断し始めた。
新選組きっての使い手と言われる二人が、討ち合うのだ。
これは、見逃してなるものかと、誰もが手をとめて、二人の周りに集まりだした。いつしか、大きな人だかりができている。
「あれぇ、困ったなあ。見世物じゃないんだけど」
総司が、まったく困っていないような口ぶりでおどける。
斉藤は、無表情のままだった。
「構わん」
と、木刀を握りなおした。
その様子に、総司の目にも強い光が宿る。
「わかりました。では!」


          *****


穏やかな春の陽射しの下、そこだけが異質の空間のようだった。
総司も斉藤も、木刀を構えたまま、微動だにしない。
この二人の手合わせでは、無駄に刀を打ちつけ合うことは、まずしないと言うのが常だった。
お互いが、じっと相手の隙をうかがい、ここぞと言う時にいっきに討って出る。まさに一本勝負だ。
まるで、目に見えない空気の壁ができたように、総司も斉藤も、自分の足場を決め、それぞれが壁をはさんで、相手の気の動きを読み取ろうとしていた。
ほんのわずかでも、読み違えれば、絶対に壁は破れない。

ふたりを取り巻く人垣も、吐息ひとつ漏らすことすら憚られ、ただひたすら目ばかりを見張っていた。
このような痛いほどの緊張感など、自分たちでは、わずかの間さえもたぬだろうと誰もが思った。
見ているだけでさえ、息苦しくなるようだった。


ふたりは互いに、誘いをかけるように、何度か踏み込むふりをしては、すぐに引いた。
そうして、相手のかすかな隙を見抜こうとしているのだ。
それは、見ている隊士たちの方が焦れるほど、静かな闘いだった。
皆の緊張が高まりに高まった頃、ふいに総司が、すすっと、それまでにない素早い踏み込を見せた。
ハッと息を飲み込む音が、一斉に鳴る。

「やっ!」と言う短いかけ声と共に、目にも留まらぬ速さで、総司の木刀がまっすぐ突き出された。
「出た! 三段突き!」
思わず、誰かが叫ぶ。
三度の突きが、一度にしか見えないと言う、総司にしかできない決め技だ。

その総司の突きが、今にも斉藤の喉下へと達するかと思われた矢先、斉藤の木刀が鋭く弧を描き、総司の刀を巻き込んだまま、上へと跳ね上がった。
カーン、と木刀同士がぶつかり合う音がし、次の瞬間、総司の刀は大きく右に逸れ、逆に斉藤の刀は、総司の頭上に振り下ろされ、額すれすれのところで、ぴたっと止まった。
総司の目が、まん丸に見開かれる。
ふたりは、そのまま静止画のように動きを止めた。



誰もがあっけにとられ、口をあんぐり開けて、目の前の光景に見入った。
一瞬、何が起こったのか、わかっていないようだった。
ぎこちない静寂に満ちた境内。
最初に、呪縛を解いたのは、当の総司だった。
ふうっと息を漏らすと、刀を手元に収め、にこっと笑った。
「まいったなあ、実戦なら、間違いなく死んでた」

無邪気な声に、ようやく我に返ったように、斉藤も木刀を降ろした。
周りの者も、ほっと肩で息をし、ざわざわと動き始めた。
「さあ、みなさん稽古に戻って下さい。まさか、どちらが勝つか、金品の賭けをしてた人はいないでしょうね」
総司の冗談に、あちこちで笑いが起こり、人だかりの輪が解け始めた。


その様子を見渡し、総司は斉藤を振り返った。
「今日は完敗です。斉藤さん、すごいなあ」
「いや・・・」
斉藤は、なぜかあまり嬉しそうな顔もせず、むしろ何か気がかりそうに、眉をひそめた。
「沖田さん、どこか・・・」
「え?」
聞き返す総司の明るい目に、一瞬斉藤は戸惑ったように、口を引き結んだが、また思い直したように、言葉を続けた。
「どこか、身体の具合でも悪いのではないか」
総司は、きょとんと目を見張る。
「なぜですか?」
「いや、その・・・」

斉藤は、あまり言葉数が多いほうではない。
いつも、手短に必要なことだけをしゃべる男なので、無理にいろいろと話そうとすると、どうしても口下手な話し方になる。
「うまく言えないが、どうも・・・ いつもと違う、ような気がした」
「ような気がしたって。今までだって、斉藤さんは、私の突きを受け止めていたじゃないですか。いったい何が違うんです?」
可笑しそうに口元をほころばす総司を、斉藤はじれったそうに見やり、
「はっきりはわからんが・・・、ほんのわずかだけ、踏み込みの鋭さが足りなかった、たぶん・・・」
ぶっきらぼうにそう言って、眉間にしわを寄せた。


          *****


確かに今までも、斉藤は総司の三段突きを、もろにくらったことはなかった。
いつも、ぎりぎりのところで、かろうじて受け止めていたのだ。
たいていの人は受けきれない。いや、受ける準備すらできないうちに、突きをくらって倒れてしまう。
そして、斉藤は三段突きは受け止めたものの、その後はどうしても体勢が崩れ、次の一手をまともにくらって、結局負けることがほとんどだった。

しかし、今日は違った。
総司が繰り出す突きが、しっかりと見えた。だから、完璧に防ぎ、かつ攻撃に出ることができた。
初めて、斉藤が勝った形となったわけだが、そのことが、逆に斉藤には納得いかなかった。
自分の腕が上がったからとは思えなかった。
むしろ、総司自身さえも気づかないほどの、微妙な狂いが生じたように感じられた。
今までになかったことだった。
それが気にかかり、斉藤は勝った嬉しさよりも、総司の剣のわずかな変調への不安が、先にたったのだ。


けれど、総司はどこまでも気楽な様子だった。
「少し風邪気味かもしれませんね。春だと思って、ついつい油断しているから」
そう言ったそばから、子供みたいに首をふって、
「いや、いけない、いけない。負けたのを身体のせいにするなんて。近藤先生に叱られてしまうな」
そして、いたずらっぽい目を斉藤に向けた。
「今日はね、ちょっと私の気がゆるんでいたんです。次は負けませんよ」
斉藤はため息をついた。
気にしないと決めたら、総司は本当に気にしようとはしないだろう。
頑固と言うのではなく、それでいいのだと、あっさり割り切ってしまうようなところが、総司にはある。
斉藤は、仕方なく苦笑を浮かべた。


          *****


まだ稽古を続けている隊士たちを後に、ふたりは屯所へと戻った。
庭先にある井戸で、顔を洗っていると、からりと障子を開けて、土方歳三が顔を覗かせた。
「総司、ちょっと用がある。入れ」
総司は、濡れた顔を手ぬぐいでふきながら、
「いったい何ですかぁ? 私は今日お休みなんだけどなあ」
間延びした調子で答える。
「いいから、早く来い!」
ぴしりと鋭い声で言うと、土方は障子を閉ざした。


総司の眉根が、かすかに曇る。
が、すぐにのんきそうな顔に戻って、斉藤に笑いかけた。
「どうも、のっぴきならない用事みたいですね。これで、どこぞで餅でも買ってこい、なんて言う用だったら、私怒りますよ」
「早く行ったほうがいいな」
斉藤は、そっけなく言った。
やれやれと言うように、肩をすくめて、総司は背中を向けた。



残された斉藤は、井戸の水をつかいながら、ふと考えこんだ。
総司を呼んだ時の、土方の表情が気にかかっていた。
もしかすると、また何か人に知られたくない仕事なのかもしれない。
斉藤自身も、今までに数度、土方に呼ばれて、そういう仕事を依頼されたことがあった。
特に、隠密裏に事を進めたい時、人数を割きたくない時は、土方に剣の腕を絶対的に信頼されている、総司か自分が呼ばれるらしい。


ふと空を仰ぐ。
いつのまにか、茜色の夕暮れが、少しずつ色を落とし始めている。
やがて、なまめくような春の宵が訪れるだろう。
軽い足音に、視線を戻すと、背の高い総司の姿が、障子の前の廊下を歩いてくるところだった。
「総司です」
一声かけ、部屋の中に入って行く。
何かしら、わけもなく不安な影が胸をよぎるのを感じ、斉藤は切れ長の目をさらに細めながら、じっと障子をみつめ続けた。

            
 <続く>