流 星

  ― 後編 ―



総司が部屋に入ると、土方は、たった今まで何か考え込んでいたのであろう、幾分険しい顔を上げた。
もっとも、土方は、普段から気難しい顔をしていることが多かったが。
「また厄介ごとですか。新選組も偉くなってきたと言うことかな」
総司は、いつも通りの口調で茶化す。
「何を言ってる」
土方は、苦々しい顔のままだ。
「だって、試衛館にいた頃は、呑気なものでしたからね」
「おまえは今だって呑気だろうが」
つられて、思わず土方の口調も軽くなる。

総司は何食わぬふりで、
「なつかしいなあ。あの頃は土方さん、涼しい顔して、女の人にちょっかいぱかり出してたし」
「何だと!」
そこで、すかさず
「あっ、すみません。話を戻しましょう。で、今度はどんな厄介ごとです?」
すっかり総司の調子に乗せられ、土方はむっとしながらも、先ほどまでの重苦しさが、幾分薄れているのを感じていた。

いつでもそうだ、こいつは・・・
土方は、心の中で苦笑した。
周りの空気が、じっとり重くなるような状況でも、普段と変わらぬ冗談や軽口を、平然と言ってのける。
みんなあっけにとられ、次の瞬間、「しょうがないな」と言うように笑い、でも、気がつくと、どんよりした気持ちの中に、ひとすじ風の通り道ができたようになっている。
総司のたくましいほどの平常心は、はたして意図したものなのか、それとも、まったくの天然か、土方ですら計り知れなかった。


土方は、一人の平隊士の名前を、ぼそっと口にした。
総司は記憶を辿るように宙をみつめ、すぐに頷いた。
「ああ、この間入ったばかりの人ですよね。あまり目立たないなあ。でも、剣の腕前はなかなかですよ」
そして、かすかに眉をひそめる。
「あの人、何かしたんですか」
「長州と繋がっているらしい。斬れ」
あっさりと、土方は言った。

総司は、小さくため息をついた。
「それ、確かなんですか」
「非番の時、決まって夕刻に姿を消す。山崎が勘付いて、後をつけたら、浪人風の男と、なにげなく短い話をして、すぐに帰ってきたそうだ。それが数回続いている。今日は奴は非番だ」
山崎烝(すすむ)は、隊の探索方として優秀な男だった。
山崎の情報なら、まず間違いないと見ていい。
後をつけて確かめた上、できれば、その場にいる長州側の者をも、なんとかしろと言うことだろう。

総司は、納得いかないと言うように、
「わからないなあ。長州の密偵なら、私ひとりがこそこそと狙わなくたってよさそうなもんだ。あ、外に斉藤さんがいますよ。なんなら手伝ってもらって・・・」
「だめだ!」
土方の強い口調に、総司は面食らったような顔になる。
だが、そんなことで引き下がったりはしない。

「長州が一緒にいるなら、下手すりゃ私は返り討ちだ。それだけの覚悟を持って斬るんです。ちゃんと事情を聞かせて下さい」
腕が確実なだけに、総司はいい加減な殺生をしようとはしない。
自分の役割をしっかり把握した上で、冷徹に剣を振るうのだ。
土方は、しばらくためらった後、無愛想に言い放った。
「病気の母親がいる。ひとりで奴の帰りを待っているのだと・・・入隊の時に言っていた」
総司は、きょとんと目を見開いた。
「信じたんですか?」
土方は、照れ隠しのためか、さらにつっけんどんに言葉を継いだ。
「それも、山崎に確かめさせてある。奴は長州ユるすべもない。
(だめか・・・)
あきらめがよぎる。

次の瞬間、ガチッと刀のぶつかる音が、薄れそうになる意識の外で聞こえた。
ハッと目を見開くと、驚いたことに、自分をかばうように、誰かの背中が眼前にある。
浪人の刀をぐっと押し返して、その者が低く叫んだ。
「大丈夫か、沖田さん!」
総司は、あっけにとられた。
「斉藤、さん・・・?」
まだ気管の奥に、いがらっぽい感覚があったものの、意識がはっきりと醒めた。手にも力がこもる。
(何をしてるんだ、私は)
隙のない構えで、すっと横に並んだ斉藤に向って、
「もう大丈夫です!」
そう叫ぶが早いか、くるり身体をひるがえして、抜刀した。
居合い抜き、目の前の浪人が血飛沫を上げて倒れる。

そのまま、総司は次なる相手に、焦点を定めた。
きっぱりとした声で、早口に斉藤に告げる。
「すみません、斉藤さんは、手を出さないで下さい!」
え?、といぶかる斉藤を尻目に、総司は駆け出した。
あっと言う間に倒された仲間を目の当たりにして、たじろぎながらも刀を向けてくる浪人と青年の間を、総司はひらりと舞うように反転し、信じられない速さで、刀を振るった。
わずかな時差で、二人がゆっくりと倒れて行く。


神業のような光景を、斉藤はまじろぎもせず、みつめていた。
濃くなって行く闇の中に佇む、背の高い影。
一瞬前まで、つむじ風のような回転を見せていたそれは、すでにしんと静止していた。
自分に「手を出すな」と言った時の、総司の鬼気迫る横顔が、斉藤の脳裏に焼きついている。
それは、普段ののどかな笑顔とは、似ても似つかない、凄絶な気迫のこもった顔だった。
そして、たった今見た、鮮やかすぎるほどの剣の冴え。
(これは・・・まさに生まれながらの剣士、いや剣鬼と言うべきか)
やはり、まともにぶつかったら、自分など勝ち目はないと、斉藤は背筋が寒くなる思いで、考えていた。

ふうっと大きく肩で息をつき、総司が振り返った。
返り血もほとんど浴びていないようだ。白地の着物が、うっすら浮かび上がる。
「いやぁ、助かりました。斉藤さん、ありがとうござ・・・」
その言葉が終わらないうちに、総司の身体が、糸が切れたように、がくりとのめった。
「沖田さん!」
驚いて駆け寄る斉藤の足元に突っ伏したまま、総司はまた激しく咳き込んだ。

「おい、大丈夫なのか、沖田さん!」
いつも冷静な斉藤に似ず、切羽詰った声が出た。
とっさに総司の背をさする。
総司は、しばらく苦しそうに、息をぜいぜい言わせていたが、ようやく鎮まってきたのか、片手で喉元を押さえたまま、顔を上げた。
額に冷や汗が滲んでいる。
「大丈夫か?」
斉藤は、もう一度声に出した。
「はは、すみません、どうも・・・風邪が、胸にきちゃったみたいで」
総司は、いつもより力ない声ではあったものの、あっさりとそう言って、ゆるゆる立ち上がった。
「少し、休んだほうがいいのではないか」
斉藤は、疑い深そうな声だった。
「いえ、平気です。遅くなると土方さんが、私がしくじったと思ってやきもきしますから」
総司は、ふふっと笑い声をもらした。


斉藤は、倒れている三人を見渡した。
「長州の密偵だったんです。ああ、でも、このことは、聞かなかったことにして下さい」
総司は、動かない青年に向って、小さく手を合わせ、拝んだ。
「かわいそうだけど、今はこのままで。明日にでも、誰かがみつければ、長州と斬りあって命を落としたと言うことにしますから」
斉藤は、なるほどと言うように頷いた。
青年を裏切り者にしたくない事情があるのだろうと察したのだ。
斉藤は、土方の隠れた優しさに薄々感づいている、貴重な一人だった。
「それが土方さんの命か。だから、俺に手出しさせなかった」
「ええ。このことは、私だけしか知らないと言うことで・・・」
そう言って、総司はいたずらっぽく言い足した。
「まいったなあ、また斉藤さんに弱み握られちゃった」


          *****


総司と斉藤は、ゆっくりと屯所に向って歩き出した。
斉藤は、どうしても総司の具合が気にかかって仕方なかった。
「沖田さん、やはり変だ。医者に診てもらったほうがいい」
総司は子供のように、首を振った。
「平気です。私が平気だと言ったら平気なんですから、斉藤さんは気にしないで下さい」
「頑固だな、あんたも」
むっとしたような斉藤の様子にも、総司は気楽なままだった。
「斉藤さんて、意外と心配性なんですね」
「当たり前だ。一瞬の剣の遅れが、命取りになる」
怒気を含んだ斉藤の声に、ようやく総司は、すみませんと素直に頭を下げた。

「これから気をつけますから。大丈夫です、咳が治らなかったら、ちゃんと医者にも行きますよ」
「なら、いいが・・・」
幾分、気まずくなったような空気を破るように、総司があっけらかんとした声で聞いた。
「そう言えば、どうしてあの時・・・ もしかして、私をつけてました?」
「いや、その・・・」
斉藤は、急にあたふたとして、口ごもった。
「私も迂闊だったなあ。まさか斉藤さんが、あんなにつけるのが上手だなんて思わなかった」
「あ、その、すまない。昼間の稽古が・・・どうも、気になっていて」

朴訥に言葉を途切れさす斉藤に、総司は、いつになくしみじみとした声で、
「いいえ、おかげで命拾いしました。ありがとうございます」
そう言うと、おどけたように首をすくめた。
「私ね、あの時初めて本気で、死ぬんだ、と思いましたよ」
斉藤の目に、自分が介入した時の様子が蘇った。
「いや・・・」
低く声がもれる。
「あんたは、勝っていた」
「え?」
総司は、意味がわからず、怪訝な顔をした。

「確かにあの時、咳き込んで体勢を崩していた。普通なら、殺られていただろう。だが、あんたが口元を押さえていたのは左手だ。右手はしっかり刀の柄にかかったままだった」
「まさか・・・」
総司は、信じられなかった。いや、覚えていなかった。
押さえきれないほどの激しい咳き込みに、自分は何も考えられなくなっていたのだから。
刀を握っているゆとりなどあるわけが・・・
「もし、あのまま相手が斬りかかっていたら、あんたの体に刀が届くまえに、あいつは胴を払われていただろうな」

それを聞いて、総司は別のことで驚いた。
「斉藤さん、そんなとこまで見えていたんですか」
「俺は、昔から目だけはいいんだ」
斉藤は、珍しくいたずらっぽい口調になった。
「今考えれば、あの時焦って割り込まずに、様子を見ていればよかった」
「斉藤さん、なんてことを・・・ それ立派に見殺しでしょ」
ははは、と斉藤は笑い声をたてながら、心の中で思っていた。
(そうだよ、あんたは天才だ。だから、もうちょっと命を惜しんでくれ)


総司は、まだ信じられない思いで、ふと空を仰ぎ、あっと小さく声をあげた。
「ほら、見ました、斉藤さん? 今、星が流れましたよ」
「え?」
斉藤も、つられて夜空を見上げた。
すでに、流れ星は見えなくなっていたが、振り仰いだ空には、無数の星が煌いていた。
星なんぞ、のんびり眺めたことがなかったなあ、と斉藤は声に出さず思った。

「きれいですねえ。私は、いつも星を見ると思うんですよ」
総司の声は無邪気だった。
「あんなにたくさん星があって、大きく輝く星も、かすかにしか見えない星も・・・ いつかは流れて、消えてしまうのかな、って」
「沖田さん」
「でも、たとえ最後は消えてしまう光であっても、輝いている時は、本当にきれいなんです」
総司は、いつも星を眺めたりしているのだろうか、と斉藤は考えた。
それは、なにやらとても総司らしい気がした。
怖ろしいほどに冴えた剣を操りながら、同じその手で、花を愛おしみ、猫や犬を撫で、子供たちと遊ぶ。
そういう人なのだな、この人は、と思った。


「斉藤さん」
ふいに総司が足をとめた。やけに真剣な響きが、声にこもる。
斉藤も、足をとめて、総司の横顔に目をやった。
「もしも、私が・・・」
総司は、一呼吸おいて、ゆっくりと言葉を継いだ。
「もしも、剣が振るえないようになったら、斉藤さん、私の代わりに土方さんを助けてくれますか」
「え?」
総司の声が、まるで哀願しているように聞こえるのは、気のせいか。
「お願いします、約束して下さい。私が、斉藤さんより先に倒れたら」
「俺の方が先かもしれない」
思わず、ぶっきらぼうに総司の言葉をさえぎっていた。

え、と言うように、総司は一瞬戸惑い、
「そうでしたね。斉藤さんも、腕はすごいけど、かなり無茶だ。でもね」
明るい声で続けた。
「まあ、万が一のこととして聞いて下さい」
万が一って何だ、と問いただしたいのを、斉藤は我慢した。
「土方さんに、力を貸してあげてほしいんです。土方さんは、斉藤さんを信頼しているから。お願いしますよ」

形の見えない不安が、とめようもなく斉藤の胸に湧いてきた。
さっきの総司の咳、剣を合わせた時の微妙なずれ、体調の悪さを隠しているのは、たぶん間違いない。
総司自身、平気だと言いながらも、何か予感しているのか。
いや、考えすぎかもしれない。
今の新選組は、いつ誰に命を狙われてもおかしくない。
そのことを、言っているのか。
それに、咳が治らなければ医者へ行くとも言った。そうだ、自分が連れて行ってもいい。
斉藤は、不吉な考えを、必死に押し留めた。
自分が悪いほうへ考えれば考えるほど、それが真実になりそうな気がした。

「土方さんは・・・ やさしいからな」
考えを切り替えるように、斉藤は言葉に出した。
「やっぱり、斉藤さんならわかっていると思った」
総司の声は嬉しそうだ。
「あの人、損なこと全部背負っちゃうから。誰かが助けてあげないと・・・」
総司の屈託のない明るさこそが、きっと土方には何よりの救いなのだ、と斉藤は思った。
その代わりなんて、自分にできるはずがないだろう。
かすかな切なさを覚え、空を仰ぐ。
その瞬間、大きな光の筋が、星の間を横切っていった。
流星・・・ 斉藤は、一瞬の美しさに見惚れた。


「わかったよ、沖田さん」

気がついた時には、そう口に出していた。
すっかり納得したわけではない。
けれど今、総司に頷いてやりたい、そんな気がした。
珍しいこともあるもんだ・・・
斉藤は、自分の中にも妙な感傷があったのかと、小さく苦笑した。

そうだ、俺たちの運命など、流れていく星のようなものだ。
誰がいつ流れるか、わからない。とめることもできない。
けれど、今はせいいっぱい生きている。それでいいじゃないか。
生きている限り、輝いていればいい。そう思えた。
隣りで嬉しそうな声をあげる総司がいた。

死ぬなよ、と斉藤は心の中で、総司に呼びかけた。
やわらかな夜風が、ふたりの肩先をそっと撫でていった。


            
 <完>