−其の



竹に囲まれた空間に、張り詰めた沈黙が満ちる。
娘も、晴明も、呼吸すら感じさせないほどの静けさで、向き合っていた。
その様をみつめている博雅の方が、息苦しくなってくる。

「おまえが、この竹林の守り神と言うわけか」
ようやく呪縛を解いたのは、晴明だった。
いつもと変わらぬ、落ち着いた声。
晴明の言葉に、それまで無表情だった娘は、まるで何かを嫌悪するかのように、眉をひそめた。
博雅の意識に流れ込んできた声も、幾分沈みがちに聞こえる。


―― そのようなものではない。ただ・・・


娘の顔が、再び人形のように、表情をなくす。
晴明は、娘の言葉の続きを待つように、じっとその様子を見遣っている。


―― ここに棲んできただけた、代々、一族で。


ふいに、娘があきらめのため息をついたように、博雅には感じられた。
一族、と言うことは、他にもここに棲む誰かいると言うのか。
この竹林の闇の中で、今も息をひそめているのだろうか。
気味悪そうに周囲を見渡した博雅の内心を察したかのように、娘の言葉は続く。


―― 今は、我のみしかおらぬが。


ほっと安堵した博雅とは逆に、晴明は怪訝そうな声を出した。
「では、おまえだけの力で、このような結界を施したと言うのか?」


―― 我は何もしておらぬ。


きっぱりとした否定。嘘をついているとは思えない。
晴明は、眉をひそめる。
一番当たってほしくない予感が湧きあがったとでも言うように。
「おまえではない。だとしたら・・・」
そうつぶやいて、はっと息を呑み、素早く辺りを見回す。
何だ?、と思った瞬間、博雅の背中にも、ぞわりとおぞましい気が迫ってきた。
恐る恐る後ろを振り返る。

壁のように立ちふさがる竹林のそこここに、蒼白い小さな光が、いくつも浮かび上がっている。
博雅はぎくりとした。
違う、後ろだけではない!
前に向き直ると、目の前の闇にも、左右にも、周り一面ぐるりと、数えきれないほどの光が、ちろちろと揺れている。
それは、二つずつ対になり、吊り上がり、まるでこちらをにらみつける、たくさんの目のようだった。
囲まれている。博雅はとっさにそう思った。



「う、うわぁ・・・」
叫び出しそうになるところを、晴明が素早く制した。
「騒ぐな、博雅!」
そして、小さく呪を唱える。
「大丈夫だ。今すぐに我等に害なす気はないらしい」
その言葉が通じたかのように、不気味な光の群れは、いっせいに弱まり、ふっと消え失せた。

博雅は、恐怖のあまり開いた口を閉じようと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「い、いったい、な、何だったんだ、今のは」
抑えても、声が震える。
「さて、それはあの者が知っているだろうな」
晴明につられて、博雅も娘の方へと視線を巡らす。



あきらかに、娘の様子が違って見えた。
脅えを隠そうともせず、顔は強張り、わなわなと肩を震わせている。
人形のように、沈着を保ってきた娘とは思えないほどだった。
先ほどの不気味な光の正体を知っているからこそなのだろう。
ここに棲んでいると言う娘を、これほど怯えさせるものとは・・・
博雅の背筋に、また寒気が走る。


晴明は、しばらく考え込んでいるようだったが、ふと何か思い出したのか、顔を上げ、竹の壁に目を凝らした。
確かめるように四方の竹を眺めやり、なるほどと言うように小さく頷くと、娘に視線を戻す。



「もしかしたら、この竹林は枯れる時を迎えているのではないか?」
娘が息を呑む気配が伝わってきた。
だが、答える声は響いてこない。頬を強張らせたまま、沈黙している。
「竹林が枯れる? どういうことだ、晴明?」
博雅の問いに、晴明は記憶を辿るように、言葉を継いだ。
「以前、師に聞いたことがある。ごくまれにだが、ひとつの竹林がまるまる、一斉に枯れ果ててしまうことがあるらしい」
「一斉に?」
晴明は頷いた。
「見たことのある者は、ほとんどいないと言うがな。それほど、まれということだ」


博雅は、う〜むと首を傾げた。
竹と言うのは、やたら根が深く頑丈だと思っていた。
それが一斉に枯れるなど、想像もつかない。
「で、いったいそれと先ほどの光と、どんな関係があると言うのだ?」
晴明は答えずに、娘をじっと見遣った。
娘が話すのを、辛抱強く待つと言うように。

娘は、震えは止まったものの、険しく眉をひそめている。
晴明の意図を察したのだろう。
話すべきかどうか、迷っているようにも見える。
やがて、かすかな嘆息の後、声ならぬ声が、博雅の耳にも響いてきた。


―― 竹は百年に一度、花をつけ、そして枯れる。


「竹の花だって! そんな、まさか・・・」
騒ぐ博雅を、再び手で制し、晴明は問い掛ける。
「なるほど。だが、おまえたちは数百年ではきかぬほど長く、ここに棲んできたのだろう?」
竹林に棲み続ける一族、しかも数百年を越えて、だと?
いったいどんなあやかしなんだ、この娘は・・・と、博雅は心の中で叫んでいた。
娘は、しばしためらった後、


―― 我が祖は、この竹林が枯れるのを食い止めたと聞く。


やはりな、と晴明がつぶやくのが聞こえた。
枯れるはずの竹林を食い止める、いったいそんなことができるのか?
博雅には、見当もつかなかった。
が、次の晴明の言葉に、ぎょっとして声を呑んだ。


「人柱、か」


人柱だと? 
人を生きたまま、この地に捕えたと言うのか。
晴明は、さらに言葉を継ぐ。
「しかも、決して少ない人数ではなかったようだな」
博雅は、目をむいた。

何人もの人を引き込み、その命を犠牲にして、ここを保った。  
この竹林には、百年ごとに、数知れぬ生け贄が捧げられてきたのか。
そして、今がまた百年目だと?
それは、つまり・・・
突然、自分たちが置かれた状況に思い至り、博雅は足ががくがく震えてくるのを感じた。
だが、博雅の恐怖など頓着しないように、娘はさらに恐ろしい言葉を紡いだ。


―― 我が一族が手を貸したのは、最初だけ。その次の花の時には・・・


そこまで言って、娘は今一度、ぞわりと身を震わせた。
できれば言いたくないことを、無理やり口にしようとしているようだった。
娘の声が、低くしわがれた。


―― この竹林で果てた者たちの霊が、次の生け贄を呼び寄せ、逃げられぬようにしたのだと聞く。その次も、またその百年後も。


博雅は、喉がからからになった。
なんてことだ。
出られないはずだ。ここは、捕らわれ、命を落とした者たちの怨念の檻なのだ。
先ほどの不気味な光は、ここで人柱となった、数知れない者たちの彷徨える姿だったのか。
犠牲者は、成仏できぬまま、百年ごとに蘇り、次の犠牲者を呼び、その者たちもまた百年後には・・・
何という、おぞましい繰り返し。いったいどれほど長い間、そうしてきたのだろう。


私たちも、もう逃れられないのだ。あの者たちが、逃がしてはくれまい。
足元に散らばる骨。すでに今回の犠牲者がここで果てている。
おそらく清実も、行方知れずになった他の者も。
人柱、人柱・・・その言葉だけが、頭の中をぐるぐる回る。
博雅は、へたへたと座り込んでしまった。



「大丈夫か、博雅?」
やけに冷静な晴明の声が聞こえた。
呆然としたまま、博雅は顔を上げた。いつもと変わらぬ、静かな表情の晴明が、博雅をのぞき込んでいた。
博雅は、弱々しく首を振った。なぜか、わけもわからず、笑おうとしている自分に気づいた。
もちろん、口元が引きつっただけで、笑いになどならない。
今度だけは、晴明と言えども、どうにもできないのではないかと言う、痛いほどの恐怖感が押し寄せてくる。


晴明は、まるで励ますように、ぽんと博雅の肩を叩いた。
淡い月明かりに浮かぶその顔は、不思議なほど優しく見える。
なぜこんな時に、と博雅は涙が出そうになった。
晴明は、かすかに頷いて見せると、娘に向かって声を張った。


「では、おまえはなぜ竹林の外にいた? 私たちを、ここにおびき寄せるためだったのではないのか」
声に、皮肉な響きが混じる。
「再び、己が一族の使命に目覚めたか?」


―― 違う! 我は・・・


娘が言い淀む。
迷いとも、怖れとも、苛立ちともとれる気配が、沈黙のうちに伝わってくる。
晴明は、娘の答えをじっと待つ。
やがて、あきらめたような声が響いてきた。


―― 逃げようと・・・したのだ。


博雅は、耳を疑った。
逃げる? あの時倒れていたのは、全力で竹林を抜け出たからだったのか?
けれど、結局抗えずに戻ってしまった。
確か、竹林から妙な風が吹きつけてきた。
あれは、もしかしたら、竹林の怨霊たちの叫びだったのか。
それに脅えて、戻るしかなかったのかもしれない。
ふいに、博雅は娘が哀れに思えてきた。


晴明は、小さく息をついた。
どうやら、娘自身には自分たちに害なす意志はないらしい。
戦わなくてはならない相手の正体も、知れた。
けれど、これはとんでもなく困難だ。
この地に閉じ込められた怨念の数が多すぎる。
どうしたものか・・・
晴明は、額に手を当て、考えを巡らせた。



すぅっと、周りが暗くなる。
天上から覗いていた月に、雲がかかろうとしているのか。
こんな時に、と思いながら、振り仰いだ瞬間、晴明は険しく目を凝らした。
違う、雲ではない! あれは・・・


「まずいな」
切羽詰まった声に、博雅は、はっと我に返った。
娘に同情している場合ではない。
「な、なんだ、どうしたのだ、晴明」
晴明の顔から、ゆとりが消えかけている。
「少し急がなくてはならないようだ」
「え?」


ついと顎を上げ、頭上を示した晴明につられ、博雅も変化に気づいた。
月が、まさに消え失せようとしている。
雲とはまったく違うどす黒い靄(もや)が、天上を覆う。
怨霊たちが跋扈(ばっこ)する、その前触れのような禍々しい靄。
先ほど不気味な光を発した者たちが、いよいよ目覚めようとしているのか。


「せ、晴明・・・」
博雅は、それこそがただ一つの護りの呪であるとでも言うように、友の名をつぶやいた。
晴明は答えない。
懐に抱いた朔夜も、ぐったりしまま動かない。
はたして、生きて、みんなでここから出ることができるのだろうか。
弱々しい月光が、厳しく張り詰めた晴明の白い横顔を細く照らし、ふっと消えた。



 <続く>