−其の伍−



「やれやれ、思った通りか」
晴明は、ふっとため息をつくと、周りを見渡した。
月の光さえも届かない、竹に囲まれた空間。
走り出した博雅を追い、晴明もまたこの竹林へと足を踏み入れたのだった。
すぐ後に続いたつもりだったのに、一歩入り込んだとたん、どこか博雅とは違う場所に導かれ、閉じ込められたようだ。
四方を、密集した竹に遮られている。


「どうやら、私たちをここから出す気はないらしいな」
晴明は、他人事のようにつぶやいた。慌てた様子は、まったくない。
どのみち、竹林に入らなくてはならないとは思っていたのだ。
ただし、もう少し事態を把握し、準備してからのつもりではあったのだが。
博雅が暴走したもので、ついつられて飛び込んでしまった。
「私らしくもない、か・・・」
かすかに自嘲を滲ませ、晴明は眉をひそめた。



あの娘がただならぬ気を発していたのも、わかっていた。
ただなぜか、近づいた博雅に害をなすようには見えなかったのだ。
十分にあやしいとは思いながら、何が目的なのか見極めたくて、わざと黙っていた。
事態が急変したのは、竹林から不気味な風が吹きつけてきてからだ。
まるで、何かに駆り立てられるように、娘は竹林へ向かった。
そして、博雅は当然の如く、慌てて追いかける。
考える間もなく、竹林へ踏み入ってしまう。
これは、最初から仕組まれていたことなのか。
この竹林におびき寄せるために?


だとしたら、見事にはまったことになるな、と薄く笑みながら、晴明は試しに呪を唱え、印を結んでみた。
結界を破ろうとする時に使う術だ。
すると、ざわざわと、身をよじるようにして、目の前の竹の一部がたわむ。
呪が効果を表しているのだろう。
やはり結界に似た何か・・・ただそこに人為なものは感じられないが。
そんなものが、竹林一帯に張られているらしい。
破ることは、不可能ではなさそうだと、晴明は思った。
だが、手強い。簡単には博雅のいる場所に行き着きそうもない。
闇雲に術を発して、力を使い果たすのだけは、できれば避けたい。
せめて、どちらの方向に進めばいいのか、察せられたなら・・・


「さて、どうしたものかな」
晴明は、思案にくれながら、ひとりごちる。
平然とした様子とは裏腹に、いささか焦りが生じ始めていた。
強引にでも、周りを突き破って、博雅を探すべきだろう。
時が経てば経つほど、博雅は、そしてもしかすると晴明自身も、この竹林に発生する強い思念に取りこまれるかもしれない。
ただ、その元となる要因が掴めていない今、それを打ち払うために、どれほどの力が必要なのか、晴明は迷っていた。


「やるしかあるまい」
晴明は、意を決すると、懐から何枚もの呪符を取り出した。
たとえ、自分の気をとことんすり減らすことになっても、とにかく博雅を探しださなくてはならない。
「まったく、博雅の奴。この次こそは、どんなに拝み倒されても、絶対に置いていくからな」
わざと憎まれ口をもらしつつ、呪符を構えたその時・・・



ばさばさっ、と突然、頭上で音がした。
振り仰ぐと、天上を覆っていた竹が、揺れている。
何かが、びっしりと連なった竹の葉を、突き破ろうとしているようだ。
ばさり、ばさりと、勢いをつけてぶつかる音がする。
竹の葉が、ばらばらと降ってくる。
晴明は、ふっと口元に微笑を浮かべた。


ぽかっと、天上に穴が空いたかと思うと、淡い月明かりが射し込んできた。
その中を、黒い影が真っ直ぐに舞い降りて来る。
それは、晴明の足元に着地すると、がぁぁ、と鳴いた。
鳥の姿が、すぅっと長く伸び、人型に変じる。
黒ずくめの背の高い立ち姿。


「朔夜・・・」
晴明は、満足そうに笑みながらも、少しからかうような口調で続けた。
「できれば助けてほしいのは、私ではなく博雅なのだが」
朔夜は、言葉を探すように、しばらく沈黙してから、たどたどしく答えた。
「あるじ、呪を使った・・・から、わかった。ここ・・・来た。だめ、だったか?」
しゅんとした様子で、少しうな垂れる。

「ああ、すまぬ。お前には、まだ冗談は難しすぎたな」
くすりと笑いをもらしながらの晴明の言葉を、必死に理解しようと、朔夜は目をすがめて、首を傾げた。
「上出来だ、朔夜」
そう言って頷いてみせると、ようやく安心したのか、照れたようにきょろきょろと視線をさまよわせた。


「それで、博雅の気は? ここから辿れぬか」
晴明の言葉に、朔夜は、耳を澄ますようにして周りを窺っていたが、ぎこちなく首を振った。
晴明は、小さく息をついた。
「どうしたものかな・・・」



   *  *  *  *  *



腰を抜かした博雅の前に、するするっと娘が近づいて来た。
行く手を阻むように入り組んだ竹の間を、苦もなくすり抜ける様を、博雅はあっけに取られてみつめる。
先ほどの声ならぬ声と言い、もはや、普通の人間とは思えなかった。

「お、おまえは・・・、いや、こ、この骨はいったい、な、何だ? これはおまえのし、仕業なのか?」
恐怖に、言葉がうまく出てこない。
娘は答えなかった。
博雅が、へたり込んでいるせいで、娘の白い顔は、少し高い位置から博雅を見下ろしている格好になる。
高さが逆転しただけで、立場まで変わったようになるから不思議だ。
そんなことを考えた博雅の耳に、またしても実体の声ではない娘の思いが滑り込んできた。


――― 哀れな・・・ けれど仕方のないこと。あきらめよ。


閉じられたままの目。人形のような無表情の顔が、かすかに哀しげに変化する。
まるで、これから死に行く者を憐れんでいるように。
博雅の背筋に、新たな寒気が奔る。

「な、何をばかな! わ、私は、こ、こんなところで、死ぬわけには・・・」
言いさして、動こうとしたとたん、地面を探る手に触れた骨の感触に、博雅は怖気を震った。
「わぁぁっ!」
ずるずると後退しながら、慌てて着物の前で手を拭う。


ふわり、と良い香りがして、博雅は我に返った。
なつかしいような、やさしい香り。
そうだ、と博雅は思い出した。
懐に、密虫が手渡してくれた藤が一房があったのだ。

――― もし、何か差し迫った時には・・・

やわらかな声が蘇る。
とっさに、博雅は懐に手を入れ、藤の花を取り出した。
それは、薄闇の中で、仄かな光を放つように見えた。
香りが、強まる。
(どうか、力を!)
博雅は、思わず念じた。



   *  *  *  *  *



はっ、と朔夜が身じろぐ。
何かの気配を探るように、じっと一方に注意を集める。
「どうした、朔夜?」
晴明の問いに、朔夜はさらに身をかがめて集中する。
「式の気・・・、きれい、な・・・花、の気・・・」
もしかしたら、と晴明は思った。
(密虫か?)
あの時、出かける際に、密虫が何かの策を施したのだろうか。
たとえば、博雅に己が分身を与えたのなら・・・
(あり得るかもしれぬ)


晴明は、さきほど取りだした呪符を、朔夜に渡す。
「よいか。今の気を辿るのだ。もし博雅をみつけたら、その地面に、この符を強く押し付ける」
朔夜は、呪符を受け取り、不安気な顔で手元をみつめている。
「わかるか?」
晴明の問い掛けに、顔を上げ、かすかに頷く。

結界を破る呪符。いくらかでも、効果が発動すれば、その気配を晴明も感じ取ることができるかもしれない。
(どの方向かさえわかれば・・・)
晴明の顔が、厳しく引き締まる。


「行け、朔夜!」
鋭く発せられる晴明の声。
瞬時に、朔夜が烏の姿に変化する。
ばさり、と翼をはためかせて、天上を目指す。
黒い影が小さくなるのを、晴明は張り詰めた表情でみつめていた。


 <続く>