菊一文字

〜沖田総司〜




人が刀を選ぶのではなく
刀が
己が持ち主を選ぶのだと言ったら


それは
わたしの驕りになるのだろうか


この匂い立つような
気品ある刀が


まるでわたしのためにあるように
この手にぴったりと馴染む


こんな不思議を
刀の持つ魂のせいにするのは


たぶん
わたしの手前勝手な
思い込みなのだろうな


それでも
おまえを初めて見た時の
身体中の血が沸き立つような


あの高鳴りの
なんと心地よかったことか


とてもじゃないが
わたしなどの手には入るまいと


あきらめようとして思い切れず
手離そうとして離し難く


呆けたように
おまえに見入ったひととき


今こうして
わたしの手元に
おまえが在ることは


やはり
不思議としか言いようがなく


なによりも
嬉しくて仕方ない


人を斬るためには
使いたくなかった


血の匂いを覚えさすには
あまりにも貴い刀


剣士として
あるまじきことと言われながらも


わたしは
おまえを身に帯びることを
いつもためらってしまった


思えば
人の命など
なんと儚いもの


おまえは
どれほどの長い年月を
経てきたことか


そして
これからも
変わり行く時の中で


美しい姿を
保ち続けて行くのだろう


いや
そうあってほしい


人の命を散らすことで
そのきらめきを
汚したくはない


これも
わたしの
我がままなのかもしれないな


けれど


おまえは
わたしの最後の誇り


今にも
消え行こうとしている
この命


たとえ
戦いの中で果てるのではなくとも


わたしは
剣士として生を終えたい


ともすると
弱まりそうになる意地を


枕元にあるおまえの姿が
かろうじて繋ぎとめる


親しい人は
みな行ってしまった


戦いの中へ
遠く離れた地へ
そして
二度と会えない場所へ


一人ひとり
別れを告げにくるたび


ろうそくの灯が
吹き消されて行くように


こころに
暗がりができてくる


笑うことが
やけに苦しく
難しくなる


駆け抜けた日々の思い出は
なつかしく楽しかったはずなのに


今は逆に
わたしのこころを
押しつぶそうとするみたいだ


このまま
無様に嘆き哀しんで
死んでいくなど


いやだ、と思った


自分が
どうしようもなく
臆病者になってしまいそうで


怖かった


そんな時
おまえに触れてみる


力ないこの手にも
まだおまえの柄は
きちっと納まってくれる


俗世のいっさいなど
まったくお構いなく
優美な姿のままのおまえ


風を斬るような
涼やかな音や
凛と張り詰めた心の様を


子供の頃の
無邪気さを添えて


ふいに
呼び起こしてくれるおまえ


おまえがここにある限り
わたしは
剣士でいられる気がする


きっと
死に様など関係ない


そう静かに
頷ける気がする


これからは
刀の必要のない時代が来るのだと
人は言う


この激動が終結したら
穏やかな日々が
巡ってくるのかもしれない


それは
とても望ましいことなのだけど


本音を言うと
ちょっとだけ気がかりだな


もしわたしが
いつか
生まれ変わったとしても


おまえにもう一度
巡り会えるのだろうか、とね


美しい菊一文字


どうか
ほんの少しだけ
わたしの魂をも
その身にこめさせてくれ


剣士としての
わたしの記憶を
わずかでもいい
留めてほしい


決して
悔いなどなかったと


思うさま
生き抜いたのだと


わたしが
笑って旅立てるように


おまえこそが
わたしの


最後の誇りなのだから







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