<その二>



さほど神経を尖らせて探るほどの苦労もなく、総司の恋の相手は、意外なほど簡単に、斎藤の知るところとなる。
次の休みの日、総司はふらりと出かけていった。
斎藤が後をつけると、その行き先は町の診療所だった。

そう言えば、池田屋の事件以来、土方は総司の体調を神経質なくらい気にかけていた。
口うるさく医者へ行けと言われていた総司が、ようやく律義に医者へ通う気になったのはよいことだが、いささか総司らしくないように思える。
それくらい体調が悪いのだとしたら、その方が色恋沙汰よりよほど問題だ。
とりあえず斎藤は、診療所が見える、少し離れた脇道の物陰に身を隠して、しばらく待つことにした。
万が一、総司がこの後、別の場所に行かないとも限らない。


    * * * * *


手持無沙汰なまま、斎藤は診療所の入り口を見張り続ける。
監察方と言うのは、ずいぶんと辛抱強さが必要らしいなと思った。
何人かの出入りはあるものの、いたってのどかな雰囲気だ。
診療所の軒先に、屋根に近いほどの高さの木があり、鮮やかな橙色の花がたくさん咲いている。
夏の陽に負けないくらい明るい花の色は、ここを訪れる患者たちの目を楽しませ、元気づけるのかもしれない。
ふと斎藤は、橙色の花を、少し目を細めて見上げる総司の姿を想像した。
何と言う花なのだろう、とぼんやり考える。
どうやら待ちくたびれたかなと、自覚し始めたそんな矢先だった。



診察を終えたのだろう、ようやく総司が外に出てきた。
やれやれ、やっとか、とあらためて目を据える。
医者から、どんなことを言われたのかはわからないが、特に変わった様子は見られない。
先ほど斎藤が目を留めた橙色の花を、のんびりと仰いだりしている。
たぶんこのまま真っ直ぐ屯所へ帰るなと思った、その時・・・
え?と、斎藤の視線が引き寄せられた。


少し俯き加減に歩きかけた総司を、ぱたぱたと小走りで、一人の娘が追ってきた。
医者が着るような白い上っ張りを、明るい格子柄の着物の上に羽織っている。
橙色の花の下、その白が際立った。
この診療所に女医がいるとは聞いていないので、医者の手伝いでもしているのか。

娘は、総司の背に控えめに声をかける。
瞬間、無様なほど仰天した様子で、総司が振り返った。
らしくない、と斎藤は眉をひそめた。
どんな危険を前にした時でも、あんなに慌てた総司は、ついぞ見たことがない。
いつも、小憎らしいほど、あっけらかんと落ち着き払っている男なのだ。

娘は、薬らしきものを手渡し、何か話しかけている。
てきぱきとした様子だが、風情はやわらかい。
白い上っ張りが、清楚さを際立たせていた。
総司と同じくらいの年か、あるいは少し上かもしれない。

総司は、あたふたと額の汗をぬぐうと、今度は照れたように頭を掻いた。
すみません、と言っているようだ。
娘がにっこり笑い、踵を返す。
と、とたんに、総司は慌てて、戻りかけた娘に声をかけた。
はい?と言うように、娘が振り返る。
総司は自分が呼び止めていながら、一瞬戸惑ったように固まった。
娘が不思議そうに、小首を傾げる。

(なんて不器用な・・・)
斎藤は、自分の方が面映ゆい気分になった。
総司が、唐突にぎくしゃくと頭を下げる。
娘は、もう一度ぱっと笑顔を見せると、小さくお辞儀を返して、中に入った。
後には、総司一人が取り残された。


    * * * * *


斎藤は、たった今自分が目にした光景に、唖然としていた。
あんな様子の総司を、初めて見た。
遠目にも、浅黒い顔がうっすら上気しているのが察せられ、その心の内が透けて見えるようで、なにやら観察しているのが後ろめたかった。
いつも飄々として、何事にも捕らわれないような総司が、不器用なほどぎこちなく
なるなど。
そして、その本人は、ぼーっと突っ立ったまま、娘の消えた後を、まだ名残惜しそうに眺めやっているのだ。


(こりゃあ、本気だな)
やれやれと、斎藤は自分も頭をかいた。
土方に報告することを考えると、気が重くなる。
このまま知らん顔で、総司の思うままにさせてやりたいところだが、仕事として引き受けた以上、報告の義務もはたさねばならないだろう。

さっそく土方に言うべきか、それとも、もう少し調べてからのほうがいいのか。
とりあえず、長州との関連がないかどうかだけは、はっきりさせなくてはならないだろう。
思案しながら、総司に気づかれないうちにと、来た道を戻ろうとした斎藤は、振り返りざま、荷物を背負った行商人らしき男にぶつかってしまった。
「・・・すまない」
軽く詫びながら、相手の男に目をやった瞬間、斎藤は「あっ」と声を呑みこんだ。
相手も斎藤に気づき、ギョッとしている。



斎藤は、ものも言わずに、ひとつ裏の通りまで、強引に男を引っ張って行った。
そのまま手近な茶店へ入り、ようやく腰を落ち着けると、
「何をしていたんだ、山崎くん?」
前置きなしで問い詰める。
目の前の、行商人のなりをした細身の男は、新選組監察方の山崎烝だった。
誰かを探る時に、山崎はよく変装をする。
町人や行商、時には道端に座る物乞いの格好まで、不自然なく装えるのが山崎の強みだ。
どんな場所にも溶け込めるせいか、山崎のもたらす情報は、常に正しかった。


その山崎が、ぺこりと頭を下げる。
「すみません、沖田先生のことは斎藤先生が担当とは知らなかったんです」
「いや、その・・・担当とかではなく、だな。君があそこにいたわけを聞いている」
山崎は一瞬、はぁと目をしばたたいてから、
「それは、仕事ですから」
と、ごく当たり前のように言った。
「隊士に不審な動きがないか、また周りに長州や不審な者が近づいていないか、常に注意しています」

山崎の冷静な答えに、斎藤は、自分が必要以上に動転していたことに気付いた。
なるほど、監察ならどこにいて、何を探っていても、不思議はない。
ましてや、優秀な監察なら当然のことだ。
それにしても・・・と、今更のように斎藤は感心した。

土方に総司を探れと言われた時、隊士がつきあっている女が間者かもしれないと言う危険はみな同じだろうと思ったが、実際に土方は山崎たち監察方に、常に注意を払わせていたのだろう。
何か、引っかかったことがあるなら探る。それが、監察の通常任務だ。
ただ、総司に関しては、仕事として監察に探らせるのが忍びなかった。
だから、自分に頼んだのかと、斎藤はあらためて土方の気持ちに思い至った。

斎藤は気を取り直して、山崎にさらに問いかけた。
「で、沖田さんの動きが不審だと?」
山崎は、しばらく困ったような顔をしていたが、
「いえ、ただ気になったものですから」
と、ぽつりと言った。
確かに、それが仕事とは言うものの、下っ端の隊士ならともかく、副長助勤である総司の動向を、命もなく探ると言うのは、山崎としても僭越と思っていたのだろう。
そういう常識を、しっかりとわきまえた男でもある。

「珍しく、休みのたびごとに、出かけていましたし」
無駄に言葉数を増やすこともしない。
必要なことだけを言うように、心がけているのだろう。
一見、おっとりしている様子だが、目の動きや表情に隙を見せない。
決して目だたず、それでいて気転がきき、観察眼も判断力も鋭くなくては、探索は勤まらないのだ。
その点からしても、山崎はまさに優秀な監察方だった。
おそらく、行先を知って、最初は総司の体調を案じたものの、すぐに医者通いの要因が他にあったことに気づいてしまったと言うところだろう。


斎藤はふっと口元をゆるめると、運ばれてきていたお汁粉を、山崎に勧めた。
「君も仕事熱心だな」
山崎は、もう一度ぺこりと頭を下げ、お汁粉をすすると、ようやく表情を和らげた。
「斎藤先生にはかないませんが」
「何を言ってる」
斎藤は苦笑すると、自分は抹茶をぐっと飲み干した。


「ところで、あの娘は医者の見習いでもしているのか?」
山崎のことだ。すでに自分より調べが進んでいるだろう。
「医者の娘です。父親の手伝いをしているのでしょう」
ふぅんと斉藤は頷いた。
山崎は、すかさず言葉を継いだ。
「あの親子は長州とは何の関わりもありません」
斎藤は、ほっとして頷いた。これで、面倒な仕事とは、縁が切れそうだ。


「ただ・・・」
山崎は、そこまで言って口ごもった。
斎藤に告げるべきかどうか、迷っているようだ。
「何だ? 気づいたことがあるなら教えてくれ」
山崎は、ゆっくりと慎重な口調で、話し始めた。
「あの娘には、許嫁がいるらしいと言う噂があるんです。まだ、確実なところではないのですが」
「い、許嫁だと?」

斎藤は、呆然とした。
思い切りまずいではないか、それは。
先ほどの、ぎくしゃくした総司が目に浮かぶ。
おいおい。初恋だとか言うなよ。
・・・いや、十分ありうるか。周りは男ばかりだったろうし。
まあ、初恋なんぞ、流行り風邪みたいなものだが。
それにしても、総司が落胆する様は見たくないなと思った。


続いて、土方の渋い顔が浮かぶ。
(やっぱり、そんなこったろうと思ったぜ)
不機嫌そうな声まで、聞こえるようだ。
それで、自分にどうしろと言うのだろう。
相手を突き止めたので、お役ごめん、とは行きそうにない。
そもそも、それくらいなら、わざわざ自分に命令する必要はない。
現に、山崎はすでに探り当てていた。

またもや、土方の顔が蘇る。
今度は、にやにやと凄味のある笑いを浮かべている。
よきに計らえ、と言うことか?
「総司を心配するあまり」、あきらめさせなくてはならない場合は、お前がいらぬお節介をしろ、と?


ようやく降ろしたと思った荷物が、倍の重さになって、再び肩にのしかかってきたような錯覚を覚えた。
やれやれ・・・
自分は、どうやら一番苦手とする仕事を受けて(押し付けられて)しまったらしい。
斎藤は、憂鬱極まりない顔で、ふかく溜息をついた。



            
 <続く>