陰陽の理 …前編…


caution!

このssは、少々鬼畜要素を含みます。
「恋唄」で、分かっちゃいるけど比良坂が死んじゃって、死なせた監督許せん!
とか、
打たれ弱いところが壬生の特徴だけど、傷つく壬生を見るのは嫌!
って人には向きません。
また、そういった苦情は受けかねるので、ご了承ください。
…マジで。(笑)




 突き刺すような陽射しが照りつけている。その熱気を反射するように、アスファルトは足元から熱を吹き上げた。ふと視線を投げると、陽炎がゆらゆらと揺れている。その光景がアスファルトを熱された鉄板と思わせた。
 夏。
 スポーティーなシャツを身に着け、雑踏の中を落ち着いた足取りで歩く。ゆっくりと歩を進めてはいるが、周囲の人間を次々と追い越して行く。彼の長身からくる長い足のせいだろうか。
 壬生は、比良坂のアパートへ向かっていた。
 すでに大学は夏休みに入っている。いつもは学業と仕事で忙しい壬生にも、それなりの余裕ができていた。学業、といっても、さらりと課題をこなしてしまう壬生には、必要以上に生活を脅かすものではないが。
 仕事は、増えていた。
 が、それは、仕事を拳武館以外からも引き受けるようになったからだった。生身の人間の暗殺ではなく、闇の住人達を相手にする仕事。気を操る壬生にとって不可能ではなかったが、容易ではなかった。
 強い精神力を必要とするその仕事を薦めたのは、他でもない拳武館館長だった。
「人を殺すのに善悪を説いてはいけないと思うんだがね。だが、暗殺という仕事を君達に科す者として、ただの人殺しはさせたくないのだよ。そこには、強く純粋な精神が必要となる」
 壬生に断る言葉はなかった。
 飛羅達に出会ってから、自分の精神力の脆さを実感している。自分の精神のことをじっくりと考えたことはなかったが、強固であると思っていたそれは、思いもかけないところにぽっかりと穴が開いていた。その穴を埋めてくれる飛羅達が、とても心地の良いものだったことで、その穴を更に実感することになる。
 以前の壬生なら、その穴の存在にさえ気づけなかったことだろう。
「あら、壬生?」
 ざわめきの中からかけられた声に、壬生は、雑踏の中に見知った顔を見つけた。藤咲と高見沢だ。
「藤咲さん、高見沢さん」
「めずらしいね、壬生が桜ヶ丘以外で新宿にいるの…。…って、そうでもないか。飛羅もいるからね。劉はまだ帰ってきてないんでしょ?」
「いや、帰ってきているよ。つい昨日だけどね」
「ふうん。随分と戻ってこないことを言ってたのにね」
「ああ、またすぐに戻るらしいよ」
 昨日、飛羅からあった話をそのまま伝える。劉が帰ってきていることもあって、今日、比良坂の家に向かっているのだが。
「壬生くんは〜、どこに行くの〜?」
「ああ、比良坂さんの家にね」
「紗夜ん家!?」
「そうなんだあ〜、私と亜里沙ちゃんはね〜、お買い物〜」
 壬生の口から比良坂の名前が出た途端、表情を尖らせた藤咲を知らずか、高見沢はにこにこと藤咲の腕に抱きついた。
「うわ、舞子、暑いってば」
 嬉しそうに抱きついたままの高見沢は、ふとその動きを止め、まじまじと壬生の顔を覗きこんだ。
「あれえ〜、壬生くん、体調悪い?」
「いや、そんなことはないよ?」
 本当に心当たりがないので、怪訝な表情のまま問い返す。
「顔色が悪い、かな?う〜ん、違うなあ。なんだろう。なんかいつもと違う感じがするんだけどぉ〜」
「そうかな?実感はないけど」
 本当に、そんな兆候は体に微塵もない。壬生に自覚症状は何もなかった。
 それを聞き、同じように壬生の顔を覗き込んだ藤咲も首を傾げる。
「ホントだね。調子悪そうだよ?壬生。気分は悪くないのかい?」
「いや…」
 なぜそんなことを言われるのか、壬生には全く思い当たるところがなかった。
「本当に?無理はするんじゃないよ?」
「いや、心配してもらって悪いけど、全く実感がないんだ。本当に大丈夫だよ」
「大変〜。紗夜ちゃんの家に行くのに、長く引きとめちゃってごめんね〜」
 比良坂の名前を聞き、再び、労わるような藤咲の顔が豹変する。何かを言おうとする藤咲の腕を抱えたまま、高見沢は壬生を送った。
「気をつけてね」
 その言葉が、やけに壬生の耳に残った。


「劉も帰ってきてることだし、東京湾クルージングとでもしゃれこもうじゃないか」
 昨日の夜、飛羅からこんな電話があった。クルージングと言ってはいるが、たんに東京湾のフェリーに乗ろうということだろう。普段特に外出する予定を入れない壬生は、すんなりとその申し出を受け入れた。
「じゃあ、俺と劉は雪乃と雛乃を迎えに行くから、おまえは紗夜ね」
 半ば強制的に決められた役割で、壬生は比良坂の家に迎えに行くことになった。


 ピンポーン。
 呼び鈴の電子音が鳴る。比良坂は、その音で、ベッドの上や床にちらばっていた服を慌ててクローゼットに押し込んだ。
「さすが壬生さん、行動が早いなあ」
 部屋の壁にかかっている時計を見上げる。約束の時間より二十分も早い。比較的のんびりな比良坂は、壬生の行動の早さを改めて尊敬する。
 その思いの他早い比良坂の家への到着に、壬生のことと思い、比良坂は何も疑問を持たなかった。
 ばたばたとかばんに持っていくものを放り込む。部屋に散らばっているものをあらかた片付けると、ドアを開いた。
「ごめんなさい。壬生さん」
 玄関先で待たせてしまった壬生に頭を下げる。
 無表情のままの壬生は、応えるように瞬きをすると、比良坂に顔を見せないよう軽く俯き、なぜかにやりと笑った。


 ピンポーン。
 比良坂の家の呼び鈴を鳴らす。
 壬生は腕時計に目を落とす。藤咲と高見沢に呼びとめられたとはいえ、ぎりぎり定刻前の到着だ。
 しばらく玄関の前で待ったが、扉の向こうに動きはない。比良坂のことだ。出かける用意が途中で、慌てているのだろう。そう思って、更にしばらく待ったが、扉の向こう側からの応答は全くなかった。
 不審に思ってもう一度呼び鈴を鳴らそうとすると、ふと気付いたことがあった。
 前髪がちりちりと焦げ付くような、嫌な予感。ここのところ、闇の住人と対峙する時に感じるそれだった。
 なぜそんな感覚が今の自分にあるのか。
 その答えは明確だった。比良坂の部屋に、…敵がいる。
 壬生は、すっと目を薄めた。酷薄ともいえるその表情から、並々ならぬ気迫が流れていく。
「悪いけど、開けるよ」
 誰ともなくそう言うと、案の定鍵のかかっていない扉を引く。開いた扉から、どろりとした気が溢れ、体に纏わりついた。強烈な陰気だった。嫌悪感で鳥肌が立つ。
 しかし、妙に知っている「におい」だった。それが何なのか、壬生には分からなかったが、慎重に部屋に足を踏み入れると、部屋に潜んでいる者にその答えはあった。
 部屋の奥のカーテンレールに、両手を縛り付けられている少女がいる。ぐったりと俯いて、顔は見えないが、壬生が見間違えようがなかった。
「比良坂さん!」
「……!」
 その声にぱっと顔を上げた比良坂の口が、壬生の名を叫んだらしかった。…らしかった、というのは、彼女の口からは微かに息が吐き出されただけで、声は音にならなかったからである。
 首に、禍禍しい黒い紐がかかっていた。あれが、比良坂の声を封じているのだ。
 なぜ。
「やあ、遅かったね」
 ふいにかけられたその声に、壬生の体は凍りつく。
 自分は、そんな言葉を発していない。口を開いた覚えもない。実際、自分の口は、今閉じている。
 だが、今の声は、自分の声だ!
 はっとして、声のした方を振り向く。すでに、目前に蹴りは飛んできていた。防御する余裕はない。極力衝撃を緩めようと、蹴りと同じ方向に体を傾ける。
 が、追いかけるように降ってくる蹴りには、それ以上の威力があり、受身を取れないまま壬生は床に体を打ちつけた。
「…ぐっ…!」
 口の中に広がる鉄の味を噛み締め、無理矢理体を回転させる。一瞬前に壬生の体があった場所に、床が軋むほどのかかとが落とされた。
「…へえ、さすがだね」
「……」
 壬生は、素早く体を起こし、油断なく構えをとった。
 壬生の声の主は、ゆっくりと首をまわし、壬生を見てにやりと笑う。
「やっぱり、自分の闘いのパターンは、体が知っているのかな。今ので、致命傷を与えられたはずなのに」
「……」
 壬生は、無言のまま応えなかった。
 吐き気がした。
 目の前にいるのは、どこからどう見ても、全ての造形が自分自身だった。似ている、という範疇ではない。
 先刻、部屋に入ってくるときに既視感があった。それもそのはずだ。その気を発していたのは、この壬生の形をした者だったのだから。
 ただ、この溢れるような陰気は何だ?とても人間とは思えない。
「おまえは、…誰だ」
「なんだ。分からないんだね。見て分かるじゃないか。君自身だよ」
「……」
「納得していないみたいだね。じゃあ、こう言い換えよう。僕は、君の陰気からできている『君』自身だよ」
「…それだけじゃないだろう」
「ああ。それは分かるんだ。安心したよ。僕である君が無能じゃなくて」
 壬生の姿をした者は、軽く右手を広げて、しゃがんでいる壬生を見下ろした。細かな動作がいちいち壬生そのもので、壬生は気持ちの悪さを覚える。
「でも、良く僕の声で勘付いたね。普通、自分の声は、自分の体の内側から鼓膜を通るから、録音した声を聞くと、自分の声と認識できないはずなんだけど…」
「何度も言わせるな。おまえは、誰だ」
 壬生に話を遮られると、陰気の壬生は口の端を歪め、再びにやりと笑った。薄められた瞳は暗く、ぞっとするほどに底が知れない。
「君は、柳生宗崇と闘ったときのことを覚えているかい?」
「…当然だ」
「だろうね。そこで、柳生から傷を受けたことは?」
「…もしかして…」
「そう。多分、考えたことは正しいよ」
 柳生と闘った時。それは壮絶なもので、自分の体のことなど考える余裕などなかった。肩で荒い息をつき、倒れた柳生を見下ろしてやっと、闘いが終わったことを実感したとき、初めて自分の体に無数の創ができていたことを知ったほどだ。
 その傷に…。
「その傷の中に、今の僕の種子が埋めこまれていたのさ」
 高見沢と藤咲の「体調が悪いの?」との労わりの言葉には、ちゃんとした理由があったのだ。壬生の知らぬ間に、壬生の中の陰陽のバランスは崩れ、壬生に埋めこまれた柳生の種子は陰気の壬生を作り出していた。それは、いつのまにか分離して、目の前にいる。
 いや、思い起こしてみれば、確かに壬生の中で変化はあった。微かな喪失感のようなものを、最近感じていたことを思い出す。そんな、気にも留められないほどの微妙な変化だったのだ、目の前の者の元々は。
 とうに柳生との闘いには決着が着いたと思っていた。ぬるい平和を享受していた覚えはないが、全くの予想外からの目を疑いたくなる事実だった。
 だが、これは現実だ。
 壬生は、静かに息を吐くと、冷えた瞳で陰気の壬生を睨み据えた。精神が体の芯に集中してゆく。清廉な気が溢れ、闘気は涌き出る清水のようだった。
「ふうん。僕が欠けても、そんなふうに気を扱えるなんて、さすがだね。でも、僕を倒していいのかい?元々君の陰気だった僕の気は、僕が消えるのと同時に消えてしまうよ?」
「そんなものは、必要ないよ」
 そう。柳生に汚染された気などに執着はない。崩れた陰陽のバランスは、恒久的なものではない。自ら作り直せばいいだけだ。
「でも、残念だったね。君は僕に勝てないよ。絶対に」
「何の根拠がある」
「比良坂さんの首にまかれてる紐、知ってるかい?」
 陰気の壬生は、背後で、恐怖に震えながらも心配そうに壬生を見つめている比良坂を指差した。
 比良坂が恐怖するのも当然だ。声を出せなければ、比良坂は世間一般の少女達と変わるところはなく、非力な少女に過ぎない。カーテンレールに縛り付けられた両手首が赤く変色していて痛々しい。
 比良坂への短い距離は、陰気の壬生が阻んでいる。
 壬生は、ぎり、と歯を鳴らした。
「あれはね、『怨赤の蛇』と言ってね。いわくがあるんだよ。二人の女が同じ男を想い、一人の女と結ばれてね。一人残された女は、その女に嫉妬し、毎夜蛇を贄に呪いをかけ続けたのさ。贄の蛇が百匹を越えた頃、蛇が男と結ばれた女の首に巻きつき首を締めた。女の血で赤く染まり、蛇は紐に変化したんだけど、あまりの怨嗟で黒く濁ってしまったものなんだよ」
 そこで一旦言葉を切ると、陰気の壬生は首を曲げて、にたりと笑った。
 嫌な笑みだ。
「でね、蛇が首に巻きついた女は、隣で眠る男に助けを求めたくても、声が出ないんだ。当然だよね。首を締められているんだから。だからね、怨赤の蛇は、女が助けを求めようとすると、何度でも蛇に戻って首を締めようとするのさ」
 陰気の壬生は、比良坂を振り返って、大仰に驚いた顔をする。
「ほら、見てみなよ。怨赤の蛇が紐から蛇に変わるよ!」
 比良坂の首にゆるく巻きついていた紐が、するりと滑らかに動いた。てらりと光るそれは、いつのまにか蛇そのものに変化していた。
「………!!」
 比良坂は悲鳴をあげたはずだった。逃れようともがく両腕が、縛めに遮られ虚しく伸びる。瞼をきつく閉じ、少しでも蛇から逃れようと、顔を上に背けた。
 壬生の中で、何かが切れた。体の中で怒りが沸騰し、怒りに任せて陰気の壬生に蹴りを放つ。壬生にとってそれは渾身の蹴りで、陰気の壬生に強烈なダメージを与えるはずだった。
 しかし、その蹴りは、陰気の壬生に届くことなく、直前でくずれ落ちる。
 一瞬、壬生には何が起こったのか理解できなかった。突然、自分の中から力が抜け、体を支えることができず、ガクリと膝をつく。
 間髪入れず、容赦なく肩にかかとが落ちてくる。バランスを失った体でまともな抵抗をすることもかなわず、床にうつぶせの状態で、壬生は抑えつけられた。たった片方の足の力だけで。
「馬鹿だなあ。君は陰陽の理も忘れたのかい?」
 陰陽の理…。
「…そうか…」
「ああ、思い出したみたいだね。そう。人の陽気は、喜びや楽しみ…」
「人の陰気は、悲しみや……怒り…」
「ご名答」
 陰気の壬生は、嬉しそうに顔を歪めた。
「君が怒れば怒るほど、君の陰気は僕に流れ込み、僕の力になるというわけさ」
 それを聞いても、今の壬生には体の底から沸いてくる怒りを静めることなどできなかった。怒りが増せば増すほど、空中に溶け出すように体中の力が消えていく。
 ぐりぐりと壬生の肩をかかとで踏みつける陰気の壬生を、怒りの眼差しのまま睨む。
「比良坂さんを、離せ。彼女は関係ないだろう」
 陰気の壬生は、呆れたように両手を広げた。彼の陰気が強まったと感じるのは、気のせいではない。
 さっきから、体を起こそうと試みている。が、その抵抗は片足だけでなんなくもみ消された。
 体に力を入れようとしても、鉛のような体は重く、本当に体に力を入れているのか自分を疑いたくなる。普段の体の感覚を失って焦る脳を、無駄な労力とあざ笑うかのように、全身から力が抜けていく。
「君は、本当に馬鹿だなあ。だから言ってるじゃないか。怒りは君の中の気を陰気に変え、僕に吸収されるって。そのまま君の中の陽気まで陰気に変えて、僕にくれるのかな」
 くすくす、と陰気の壬生は笑う。
 壬生に、激流のように溢れてくる怒りを止める術はなかった。目の前の、自分の姿をした者が、信じられないほど憎かった。
 奥歯が、ぎりぎりと耳障りな音をあげる。
「だから、言ったろ?」
 陰気の壬生は、屈みこんで壬生に触れるほど顔を近づけると、歪んだ笑みを顔にはりつけた。
「僕には勝てないって」
 陰気の壬生は、壬生の声で、高らかに笑い声をあげた。


to be continued


ここで止めるのか!!鬼畜だぞ!ryo!ふざけんな!!
…と、お怒りの皆様。お気持ちはよーく分かります。
すんません。書いちゃいました。
どうにも、ここんとこのssはぬるくて平和ボケちっくだったので、ここらでちょっとピンチに陥ったところの「瀬戸際」が書きたいなー、と思った結果がこれで…。(どっかの本でも吐いたな、このセリフ(笑))
いや、どうにか後編はどうにかなってます、ハズ(変な日本語…)なので、長い目と宇宙くらい広い心の目で見ていただけると、幸せ過ぎでryoは泣きます。

ところで、このss、剣風帖後を書いてます。自分なりに魔人世界を真面目に考えた結果です。
自分勝手に魔人世界を変えたくない、魔人世界を自分の創作物と勘違いしたくない、
とryoは強く思ってますが、いかんせん周りから見ると、そうでもないかもしれません。
それは、全部ryoの力不足の所為なので、鼻でふふんと笑って見逃してやっていただけると幸いです。
まだまだ、修行します。

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