HTMLをめぐる不思議な議論

 ちょっとHTMLの文法的な正しさってのに興味をもって、インターネットであちこちHTMLの書き方を教えたり、研究したりしているページをうろついてるんだけど、いくつかのページのBBSなんかでは、かなり不毛な論争が花盛りなようで、少々いやはやな気分になってしまう。論点になっているのはだいたいの場合においてHTMLの仕様にどれほどの拘束力があるのか、ってことに尽きるような気がする。

 HTMLってのはSGML(Stanard Generalized Markup Language)の一種であって、SGMLってのは書いてある文章にマークづけすることで、文章の各パートに対して、ここは見出し、ここは本文、ここは引用、というような意味合いを持たせ、その意味合いごとに(結果として)見ためも変えて表示するような言語である。マークアップ言語というそうで、他にも有名なところではTeXなんてのがある。で、インターネットにおいて、プラットホームやブラウザなどでさまざまに異なる環境があったとしても、基本的な文書構造がどうなっているのかを正しく伝えるための文書づくりのルールになるのがHTMLってワケだ。つまり、「インターネットで発表する文章はこのルールに沿って記述しましょうね」っていうルールにのっとって書かれたものが本来のHTMLになる訳ね。で、そのルールってのははっきりしてて、W3Cという組織が定めたHTMLの仕様書ってのがちゃんと存在する。この仕様書の内容を守って書かれたHTMLが「標準的な」HTMLだ。たぶんそうだと思う(^^;)。

 ところがこのW3Cの勧告ってのは何の拘束力もないこと、ブラウザ(ユーザーエージェントと言わないと怒られるのだろうか)メーカーが独自の解釈を盛り込んでしまったこと、HTMLを解説する側が、ともすれば見栄えの効果を優先するような教え方をしちゃったもので、本来の「構造を記述する」というHTMLの目的が別な方向でも利用されるようになってしまった、ってのが今の日本の状況みたいである。良くあるでしょ、レイアウトの目的でテーブルを利用したり、字下げの目的で<BLOCKQUOTE>を使ったりするの。テーブルは一覧表の形式をとっていれば情報が伝わりやすいものごとを表現するためにあるものだし、<BLOCKQUOTE>ってなあブロック単位での引用をあらわすものな訳だ。ただ、それを見た目で表現する時に他の文と違う見え方になるように設定されてしまったがゆえに、見た目上少し字下げをしたいと思ったとき、画像とテキストをきっちりと表示してやりたいと思ったときに、<BLOCKQUOTE>や<TABLE>って便利なんだよね、実際日本語の解説本なんかでは本来の意味を説明することなく見た目だけを記述してるような本もたくさんあるし。

 んがしかし、基本に立ち返って考えるならば、HTMLってものが文書の構造を記述する言語であるならば、それで見栄えを表現するというのは全くおかしな話であり、この状況はどこかで修正されないといけない(はずだ)。そこでW3CがHTMLは構造を記述するためのものとし、さまざまな見栄えは全てスタイルシートでコントロールしようという考えの下で作ったのが、新しい仕様であるHTML4.0(今は4.01)。この仕様からはそれまで使われていた<FONT>、<CENTER>、<HR>など、主に見栄えをコントロールするためのタグが廃止され、align、bgcolor、faceなど、タグの属性として用意されているもののうち、主に見栄えを調整するものもまた非推奨の属性と規定されている。こういう、背景の色だの文字のインデントだのは、全部スタイルシートでコントロールしましょうね、ってのがHTMLの規格を定めた方々の見解って事になる訳だね。

 廃止じゃなくて非推奨だし、そもそも<HR>は使って全然問題ないタグっす。うろ覚えだった。

 わたしゃ"仕様"などといわれるとつい「ああ、んじゃ守らんといかんよな」と思い込んでしまう方でもあり、W3Cの勧告ってのはそれなりに道理を踏まえたものでもあると思うんで、ぼちぼちと仕様に沿った形になるように自分のサイトの各リソースに修正かけてるところである。なに、そんなに面倒な作業じゃありません。エディタ使っている人なら、GREPとマクロで割と簡単に望みの結果は得られるんじゃないか。面倒なのは自分の書いたHTMLのどこが間違っているかを明らかにする作業だけど、これも有志の方が翻訳を進めておられる仕様書を見るなり、いくつかのHTMLの文法をチェックしてくれるサイトなどで直接チェックしてみればよい(最初のうちは自分の書いたHTMLのあまりの点数の低さに愕然とするけどね(^^;)。

 なんだけど、ここにきて一部のサイトでは「そこまで厳密にスタイルシートを使うべきなのか?」って話がどんどんエスカレートしているようで、ほとんどフレームの一歩手前状態になってるところもあり、見てるぶんにはおもしろい(当事者の方すいませんね)んだけど、なんでそういう議論が果てしなく起きるんだろう、って部分は少々不可解だったりする。だってさ、"仕様"ってのは守るべきルールとして決められているものであって、それは(建前上)守ってしかるべきものであると思うんだけど。「一般的にこういう(本来仕様で定められていない)使い方が一般化している以上、仕様に即していない使い方だが認めてもいいのではないか」などという議論が出てくること自体なんかヘンだよ。一体何を基準にHTMLを書こうというんだあんたがたは、などと言ってみたくもなる。(だからといって文法的に間違っているからといって、徹底的に悪者扱いするような論調でそれを否定し、批判するのもどうかと思うけどさ)

 誰でも簡単にHTMLを吐き出してもらえるいくつかのオーサリングツールのお陰で、パソコン初心者でも簡単に自分のサイトを持てるようになったことはとてもいいことだと思うし、そういう人達が、そのとっかかりで文法をおろそかにしていることを気がつかないまま、言ってみれば正しくないHTMLをどんどん公開している現状というのもある意味仕方ないことだと思う。オレだって最初はそうだった訳だし。んだけんども、いつまでもそのままでいいってものでもあるまい。たとえば手紙だって、最初はワケわからなくてもだんだん定型文の書き方ってものが解ってきたら、誰だってそのルールにそって手紙を書くように気をつけるよね。同じことだと思うんだけどなあ。

 どこかのサイトで、日本の国語教育がいままで、文書を構造的に記述することを全く教えてこなかったことが、今の日本のHTMLの大混乱を引き起こしているのではないか、という意見を読んだことがある。確かにそうで、日本の国語教育って作文はあるけど論文の書き方って教えないんだよな。文章には各々レベルがある、ってのが解らないまま歳喰っちゃってるのかもしれない。

 ごくごく個人的な意見を述べさせていただくならば、わたしゃ仕様ってものがあることを知っちゃった時点で、それを無視するのはどうにもオサマリの悪いものを感じる。だから自分のサイトは直す。だからといってそういうことを知らず、オーサリングツールの助けを借りてサイトを作成している人々を見つけたら、片っ端から「それは違うぞ」などと触れ回るようなことはしたくない。でも、何らかの形でHTML4.01仕様書は、もっと多くの人が簡単に参照できるところに用意されてるべきだと思うし、HTMLの解説書を謳う本は、抄録だけでもいいから掲載しておくべきだと考える。ちゃんとした決まりがあるんだよ、てのをもっと積極的に知らせないといかんと思うよ。

 あ、偉そうなこと言ってるけど、オレのサイトは文法的に正しいものには今のところほど遠いんで、そこはよろしく(^^;)

2000/3/20

これも"定説"? (Prev)   コラムメニューに戻る (Back)   新たな内職の可能性への考察 (Next)  トップに戻る (Top)