泣くな

 10月の日記でも書いたんだけど、どうも最近男が泣きすぎなような気がしてワタシは気分がよろしくない。今日(11/4)も"ニュースステーション"で、オウム犯罪の犠牲になった坂本弁護士一家殺害、死体遺棄事件の現場をルポルタージュする、って特集パートで、渡辺キャスターが声をつまらせてしまうってシーンがあり、事の重みとは別に「またか」とうんざりしてしまったんだった。生後間もない赤ん坊までも殺害し、その遺体を隠して埋める、という行為の残虐さ、被害者とその遺族が背負う痛み、悲しみの重さは充分わかる。でも、そこでやすやすと感情の起伏に呑み込まれるのではなく、あえてぐっとこらえてこそプロの報道人ってもんじゃあないのかねえ。

 どうしようもなく涙腺のゆるい徳光某は別格にしても(^^;)、ドライビングミスしてリタイアした後、うずくまって泣き出すハッキネン、敬遠を指示されてマウンドを蹴って涙を流す上原などなど、最近の男は人前で涙を流すこと、自分の涙を人に見られることに対してあまりにも無防備なんではないでしょうか、ほんで、世の中がそれをまた純粋なもの、人間性の発露として必要以上に好意的に受け取っているんではありますまいか。

 男がマッチョでなければいけない、とは思いませんよワタシも。人にはそれぞれ弱みがあるし、その中にはどうにも人に隠しおおせない性格のものがあるのだとも思う。思うけど、ちったぁ我慢してみせろよ、と思うのだな

 人前で号泣してみせる、てのはみのもんたあたりが広めたモノなんだろうと思うけど(まあ若い人は知らんだろうけど昔"木島則夫モーニングショー"ちうのがあって、この木島キャスターが"泣きの木島"なんて呼ばれてたことはあったケドさ)、人が涙を見せればとりあえず無条件にその涙に純粋さ、人間味を見い出してしまい、自分と同じレベルにいると思いこんで共感を持つ簡単な精神構造を持ったオバサン連中(なんかスゴい差別的発言かも)の精神レベルに、世の中の全てが均されてきているんだろうかね。"一億総幼児化"なんていわれてるけど、"幼児化"した人間が今度は一斉に"オバサン化"に向かっているんじゃないかと妙に心配になってしまう今日このごろ。

 みなさん、泣きたい時はたしかにある。でもそこでやせ我慢する人間は、あられもなく泣き出す人間より何倍もカッコイイんだ、って考え方を世の中に広めましょうよ。泣いてる場合じゃないっすよ。

1999/11/4

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