エンダーの子どもたち

オースン・スコット・カード 著/田中一江 訳
カバーイラスト 加藤直之
ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-011344-0 \660(税別)
ISBN4-15-011345-9 \660(税別)

 謎の異種生命体、"バガー"との死闘のすえ、彼らの最後の"女王"と意志を通じ合い、その真実を知ることで、人類の救済者から大量虐殺者へと、自らの評価を180度転回させ、死者の代弁者として、3000年にわたって宇宙を翔けたエンダー・ウィッギン。ようやくの安住の地に見えた惑星ルジタニアに腰を落ち着けたと思ったが、そこには謎の病原菌、デスコラーダ・ウィルスが。致命的なウィルスを封じるため、人類評議会は惑星ルジタニアの破壊を決定。刻々と粛正艦隊はルジタニアに接近する。老いたエンダーは、この危機を打開するため自らの人格を彼の兄ピーターと、姉ヴァレンタインのアイウア(一種の人格の容れ物と思ってくださいな)に投影し、彼らに粛正艦隊の阻止を画策させる。一方ルジタニアでは、エンダーの子どもたちによって、デスコラーダ・ウィルスの真相解明に向けた苦闘が続いていた………。

 「死者の代弁者」「ゼノサイド」に続く、"死者の代弁者"となったエンダーの心に染みついた罪悪感からの脱却に、人類の種としての罪と贖罪のテーマを被せてみせる、単純に見えてなかなか奥の深いSF小説。ある意味"SFのSはスペキュレーションのSである"、という、少々手垢の付いたスローガンを思い出したりして。SF的なガジェットも豊富だし、お話自体の流れは文句なし、というか、こうするしかないだろうな、的な納得はできる。が、

 この、複雑に入り組んだ人間関係の中で語られるお話のキモって言うのは、誤解、誤読のそしりを恐れずに言うならば、物事の中心に真理は存在せず、むしろその周辺にある物の中にこそそれは存在するんであり、その事を中心部分にいる(と思っている)者たちはしばしば忘れがちであるけれど、それは間違っているぞ、って事なんではないかと思う。ここでいう"中心"ってのは、広義には人間全体であるし、狭義にはいわゆるWASP的な思想的バックボーンに裏打ちされた人々に対する異議申し立てなんではないかと思うんであります。そのこと自体は個人の思想なんでどうこう言うものではないと思うんですが、キリスト教的"思いこみ"に対するアンチテーゼが、多分にカードの"思いこみ"から産み出されたものであるように見え、ここに少なからぬ違和感を感じないでもない。つまらないとは思わないけど、引っかかりは、ある。

 「ゼノサイド」を読んだときの感想が残ってました。まだインターネットにつなぐ前の、J&P HOTLINE時代のログなんですけど、こんな事をわたしゃ書いております。

 「死者の代弁者」は、僕は大変面白く読んだのです。その続編、ということでこの作品も相当期待して読んだのでした。

 で、確かに前半から中盤にかけての話の流れは抜群に面白い。惑星パスの人々の描写、物語への関りかたもなかなか。ところが、終盤なぜか印象が希薄になってしまうんですねえ。どうやら僕は「誰が主人公なのか」を完全に見誤って読み進んでいたようです(^^;)。だもんで、ラスト近くになるとお話の構成がひどくちぐはぐな物に思えて来て、なんか感情移入できなくなっちゃったんですね。

 終盤の急展開も、そういう意味ではなんか否定的に見てしまって、も一つ充分な読了感が得られなかった、ってのが正直な所で・・・・。

 逆に「エンダーの子どもたち」は、前半希薄な印象、後半、お話としては面白くなったかな、と感じつつ、重要な登場人物ってのを、やはり見極められないまま、最後まで読むはめになってしまったような記がする。いい話だと思うんだけど、これを「いい」と手放しで誉めていい物やら、ちと複雑であります。

 どうでもいいけど西武グループが3,000年も続くとは思わなかったぜ(^^;)

01/2/27

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