私たちは戦争が好きだった

被爆地・長崎から考える核廃絶への道

表紙

本島等/森村誠一/柴野徹夫 著
カバー 神田昇和
朝日文庫
ISBN4-02-261310-6 \620(税別)

 天皇の戦争責任に初めて言及した、元長崎市長の本島等氏、「悪魔の飽食」で知られる作家森村誠一氏、原発問題などを報道し続けてきた「赤旗」の記者、柴野徹夫氏の三者による、原爆投下の是非を是非を核にすえた戦後日本の総括的な鼎談。その挑発的なタイトルの意味は、日本人の本質が「自由を嫌い」、「支配され、他者からの指示に従う事を好む」民族性にあり、上からの思想誘導にはたやすく乗っかって、ふだんの日本人からは想像もつかない残虐性を発揮してしまうということへの苦い皮肉って意味合いか。

 本島等氏は、「天皇にも戦争責任はある」という発言をして、自民党の長崎県支部の相談役(だったかな、ちょっとうろ覚え)の職を剥奪され、さらには右翼によって狙撃され、重傷を負ってもなお自説を曲げなかった人ですが、その後の人生も決して平坦なものではなく、長崎市長選挙での落選や原爆ドームの世界遺産指定に対する批判などで物議を醸したりとまあいろいろあったようで。それでもなお天皇の戦争責任、さらには日本国民全体が今もなお戦争責任を全うしていないという本島氏の主張は一貫して明快。納得できる。

 んだけんどこの本、対談の同席者である柴野氏と森村氏によって、せっかくの明快な本島氏の主張が、十年一日の軍部主導の暴走によって国民はなす術もないまま戦争に引きずり込まれていったのだ、式の論調に軌道を修正しよう修正しよう、と意図されているように見えて少々不快。旧日本軍の軍部の戦争責任、原爆を投下したアメリカの戦争責任を決して軽視するつもりはないけれども、それのみに全てをおっ被せて、自分たちは罪のない被害者でございを決め込もうとしているように見えなくもない。それでは"戦勝国に押しつけられた憲法は改正しなければならない"とお経のように唱え続けている連中と、根っこのところでは何も変わらんと思うのだけれど。

 本島氏の、相手に厳しくあたるには、自分のこともまた厳しく内省されるべきであるとする姿勢が気持ちいいだけに、残り二人のあいもかわらぬぬるま湯ボケ左翼ぶりが情けない本。これじゃだめだろ。

00/12/15

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