緑の底の底

表紙

船戸与一 著
カバー画 アンリ・ルソー「女蛇使い」(提供:PPS通信社)
カバーデザイン 多田和博
徳間文庫
ISBN4-19-891346-3 \762(税別)

 日系三世の「ぼく」、マサオ・コサカはベネズエラ生まれのベネズエラ育ちの大学生。ハイテク大国日本のことはウワサには聞くけれど、自分自身は南米のすえたような、淀んだような空気の中にたたずんで、ごくありきたりな人生をこれからも送るのだろうと思っていた。人類学者である叔父がベネズエラにやってくるまでは。ベネズエラとコロンビアの国境近くの奥地に潜むという"白いインディオ"、それこそはかつてこの地に漂着したドイツ人囚人たちの末裔である、という学説を引っさげてベネズエラに降り立った叔父たちの通訳として、一癖ありそうな助手たちと共に調査に同行するマサオが人跡未踏の密林で出会ったものとは………

 船戸与一といえばここ、てぐらいしっくり来る中南米を舞台に繰り広げられる秘境探検冒険小説。無神経な"先進国"の善意の押しつけ、腐敗する支配階級のもとで虐げられる民衆に対する熱い共感とそこはかとないあきらめに似た悲しみをたたえた、いつもの船戸スタンダード(これは褒めコトバです)を期待して読んだんですけど、どうも勝手がちがうんだなあ。

 お膳立てはしっかりしているにもかかわらず、なんて言うか、いつもの船戸作品の"熱さ"みたいなものが妙に薄いような気がします。思うにこれは、"誰と誰が戦っているのか"って部分、その"誰"と"誰"が拠ってたつところがどうもはっきりと見えてこない、ってところに理由があるような気がしますね。憎むべき敵も、共感すべき人物も見当たらないから、お話が少々淡々と進みすぎる恨みがある。いったん1ページ目をめくったら、途中で本を閉じるのがもったいなくなってしまう、いつもの船戸作品のもってる吸引力に決定的に欠けているのだな。

 本書にはもう一作、「メビウスの時の刻(とき)」という中編も収録されています。こちらは船戸作品らしからぬ(失礼!)凝った構成のミステリになっていて、かなり感心したんですが、しかし敢えて言うならこれは特に船戸さんに書いてもらいたいお話ではないような気がします。作家にとっては迷惑な話かもしれないですけれども、こんな話(うわ、きっつー)を読むために船戸与一という名前を求めているわけではないのだけれどな。言い過ぎかなぁ。

00/7/12

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