「ヒコクミン入門」

表紙

島田雅彦 著
絵と書き文字 島田彌六 著
AD 藤井康生(スタジオ・ギブ)
集英社文庫
ISBN4-08-747160-8 \552(税別)

 現在は朝日新聞で「すてきなオヤジ」(だったっけ?)なる連載を持ってて、なかなか渋めなオッサンやなあ、などと無責任に思っていた島田雅彦さんなんですが、なんと私と一つ違いでしかなかったんでした。で、この本はそんな島田さんがだいたい10年前に発表したエッセイ集。内容は芸術論、日本の国のあり方(政治、経済などなど)にわたってまして、読んでみて感じることもさまざまといえるでしょう。後書きで島田氏本人も述べておられる、「自分の若さに苦笑」する部分の多くは、たぶんこれらのエッセイが書かれた10年ほどの前の自分にもあったのだろうな、と思います。10年後の自分が「おいおい」と思うことの多くというのは、たぶん10年前の自分が少なからず抱いてきた感想であったからなのでしょう。とはいえここで語られる1980年代の総括みたいなものは、今もなお有効であるような気もしますね。

 何もいうことがない。何も書くことがない今日の日本にはびこっているのは、そんな態度である。村上春樹や吉元ばななの小説はその平明さの背後に、「何もいうことがない。書くことがない」ことへの含羞と開き直りがある。もちろん、そこには現代の日本に対する苦い批評もあれば、共感のぬるま湯に浸り切った自分に対するアイロニーもある。
 全てが終わってしまったのだ。

 なんていうのはバブルで浮かれまくってた頃のこの国の末期症状を非常にうまく切り取っていると同時に、そのバブルがはじけ、いきなり冷や水を浴びせかけられた格好の、'90年代の日本人のものの考え方にも合致することが大変多いように思います。時期が時期だけに、湾岸戦争に関する評論もいくつか。こちらは逆に、当時から比べると、少々声の大きい人たちが主張する論調に強めのバイアスがかかっている、最近の状況とは乖離したものがあるといえるかも。

 しかし、日本国憲法は平和のための戦争を認めない。戦争を放棄することによって、平和を守ろうとする。これは世界に例を見ないラディカルな原理である。

<中略>

 日本人は二度と戦争をしないと覚悟を決めた。今ごろ、「若者よ、銃を取れ」と言われても、武器の扱い方すら知らない。いや、日本を戦争に駆り立てようとする地上げ屋顔の政治家だって、ピストルも満足に撃てないだろう。そのことを日本人は恥に思う必要はない。いや、積極的に恥をかいてでも、戦争に反対すべきだ。それが勇気なのだ。死なないためにはそうするしかないのだ。

 当時は憲法遵守派と積極的な「貢献」派が連日激しく議論していたのを思いだします。結局このときの議論からは何も得られるものもなく、いつか世の中は「何もいうことがない」ままだらだらと時間がすぎてしまったような気もしますな。総じて芸術論的な文章では少々「てへ」などと引いてしまうところもあるにはあるのですが、対象が具体的なものになったときの文章はなかなか、読み応えがあると思いましたです。

00/3/1

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