究極のMac

古いマシンというのは,現時点で存在するコンピュータの中で「究極」にはなりえない。そういう意味の究極のマシンを得るには,その時点で売られている最高のマシンを限界までパワーアップするしかない。ここでいう究極は,そのマシンのポテンシャルを最大限に生かした、考える限りほぼ究極の状態になった,という意味だ。使ったパーツごとに考えるともう少し上がある、というものもある。しかし、改造のカテゴリーとしては「だいたい」これ以上やることはない、という状態にはなっていると思われる。マシンのポテンシャルの幅はマシンによって差があって,最近のものは交換可能なパーツが少ないので総じて幅が小さい。Mac miniは10.9 Mavericksで使えているが,Cubeはここまでやってやっと、現代の10.4 Tigerでインターネット、書類作成、写真管理、ハイビジョンではないビデオの編集ができる、というレベルである。DTに至っては10.3 Pantherレベルである。しかし,通常はここまで手はかけないだろう。一般的には,販売時のOSから二世代くらいバージョンアップするとだいたい限界,という考え方もあるようだ。そういう意味ではかなり検討していると言えるだろう。また,古いマシンを使い続けたい、部屋のオブジェクトとしてではなく、ちゃんと道具として使いたい、と考えている場合、ここまでやれば少しは何とかなる、という指針となるだろう。

Mac mini (Early 2009)

Power Macintosh Cube G4 450MHz

Power Macintosh DT233

Power Macintosh G4 Gigabit Ethernet 500MHz Dual

Performa 5210

Macintosh LC 475

Power Mac 7100/80AV

Mac mini (Early 2009)

昔に比べるとやれることはどんどん減っている。CPUは変えられない。ビデオカードも変えられない。メモリ,ハードディスクくらいしか変えられない。あと壊れた場合はSuperDriveを取り替えるくらいだろう。しかし,開け方に特徴があるのと,メモリがApple公式のアナウンス4Gではなく8Gまで上げられるので,少しここで紹介しておきたい。「開ける」という作業だけでもここに挙げているものの中でも難度は高い。私はハードディスク交換とメモリ増設で2回開けた。

私が写真を撮り忘れたというのもあるが,写真付きの詳細な解説を載せたサイトは多数あるので,写真を撮るためにもう一回開けることはしなかった。ここではあまり他では触れられていない,強調されていないポイントだけを記す。「Mac mini early 2009 メモリ増設」と検索すれば,適切なサイトがいくつか出てくる。

私のおすすめ http://jpskenn.homeip.net/2009/12/20/entry_3024/

必要な道具

贅沢を言えばいろいろあるかもしれないが,最少限とすれば,カバーを外すためのヘラ,ドライバー,交換するパーツ,と非常にシンプルだ。しかも,前二者は特殊なものは全く必要ない。ヘラは金属性の薄いものが2つあればよい。少なくともそのうち一つは小さ目のものがよい。もんじゃ焼き用の小型のヘラで十分だ。ドライバーも,かつてのように日本であまり売っていないトルクスドライバーではなく,普通のプラスドライバーだ。細い筒状になっている穴や他のパーツの間をぬってドライバーを挿入し,見えないネジをつけ外ししなければならないので,少し長目のものが必須だ。細長いドライバーが必要,というのは昔と同じかもしれない。ネジを締める時に困るので,できれば磁気を帯びたものが望ましい。しかし,ドライバーにネジを乗せ,コンピュータを逆さまにしてネジを締めることも可能ではあるので,これは必須ではない。私はそのように作業した。

カバーを外す

上面はもちろん,ひっくり返して下面をみてもネジや留め金のような爪も見当たらない。ヘラを使ってカバーを外さなくてはならない。ヘラ一個では傷付けるか壊しそうなので,二個を組み合わせて使う。最初のヘラを入れて少し浮かせる。そこでもう一つの小さ目のヘラを最初にヘラを入れた辺とは別の辺に入れて少しずつ浮かせていく。最初は,こんなことをしていいのだろうか,という感じだが,各辺が少し浮くとカバーの構造が理解できる。カバーを外すのが,作業の70%くらいといえるだろう。間違えて変なところを外したりしなければ,実は後はほとんど難しい作業はない。

アンテナを外す

アンテナは三本ある。アンテナを上部パーツから外す。ここで間違えてはいけないのが,アンテナをロジックボードから外してしまわないことだ。初めて中を開ける時はアンテナのケーブルを固定しているテープを外さなければならないが,ロジックボードからは外してはならない。最初に開けた時にロジックボードから外してしまい,大変な思いをした。なかなか付けられないのだ。ちゃんと付けられないとAirMacかBluetoothがだめになってしまう。初回はかなりの時間をかけて何とかつけ直した。

大き目のものは爪を押して外す。小さ目の二つは単純に上に引っ張って外す。アンテナを外す時にバネが飛びやすい。一度私の目を直撃したこともある。

ネジを外す

外すネジは4つ,四隅に一つずつある。細長いドライバーがあれば全く問題ない。4本のネジのうち一本だけが長いことに注意する。交換し終わってネジを締める時は磁気を帯びたものでないとちょっと困る。スペースがないので,ネジを押さえながらドライバーを回すことができない。できれば磁気の帯びたドライバーがよいが,どうしてもなければ,またはこれだけのために買うのがもったいなければ,ドライバーの上にネジを乗せ,本体を逆さまにして静かにネジを当てて締めていけば何とかなる。

コネクタを外す

リボンケーブルを外す。これは特に難しいことはない。

これで上部パーツを外すことができる。これを外せばハードディスクでもメモリでもアクセスできる。戻す時には,カバーに挟んでアンテナのケーブルを断線させないように注意する。

メモリの増設

OS Ⅹ Lionくらいまでは4Gで十分であったが,それ以降は4Gでは厳しい。発売時のMac mini Early 2009は,OSはLeopardだった。64ビットCPUであるにもかかわらず32ビットモードでしか起動しないようにブロックされていた。Lionからは64ビットモードでしか起動しなくなったが,さすがにそのようなソフトウェア的問題のみで振り落とすことはせず,ファームウェアアップデートで64ビットモード対応となった。その副作物なのか,足りなくなることを見越してなのか(そこまで親切だろうか),公式のアナウンスはないがメモリ4Gの制限がなくなった。

SSDを積んでいるマシンはともかく,ハードディスクのマシンをMountain Lion以降で使うには8Gに上げるしかない。しかも,メモリを十分に上げれば,比較的非力なCore2Duoでも普通の処理ではあまりストレスを感じることなく動く。

延命効果は抜群だ。カバーを開けるハードルを越えて,増設しよう。

歴代Macへ

トップに戻る

Power Macintosh Cube G4 450MHz

マーケッティングの問題、デザイン上のちょっとした問題、トラブルの多さなど様々な問題を抱えていたが、そのコンセプトを私は今でも愛している。その形状、浮遊感のあるデザイン、「静かさ」という概念、私の中では最も愛すべきコンピュータの一つである。しかし、コンピュータは使っていてこそ価値のあるオブジェクト。何とかして使えるようにしたい。

Quartz Extreme: 対応となった。

このような表示もスムーズになった。

10GB、12,000枚をこえるライブラリもスムーズに動作する。

歴代Macへ

トップに戻る

Power Macintosh DT233

オリジナルの状態だと、CPUはG3、内蔵ハードディスクはUltraATA33のさらに前の世代、enhanced IDE(!)、内蔵Ethernetは10Base-T、USBやFirewireはついていない。Mac OSのサポートも公式には10.2までだ。メモリはフル拡張でも768M、ビデオカードはAGPのものは当然使えない。PCI拡張カードも最大で3枚まで。と非常に制約が厳しい。当然上限もあまり高くない。

最終的にはメモリはフル拡張、CPUはやっとG4 500MHz、これはすんなり決まる。問題は拡張カードだ。OpenGL対応ビデオカード、UltraATA、USB、Firewire、100Base-Tはやはり欲しい。ビデオカードはどうしても単独なのでそれ以外でコンボカードを使って何とかするしかない。結局Sonnet Encore/ZIF500、ATI Radeon PCI、aCard Ultra ATA66 、 Mathey Firewire/USB2/100BaseT Combo カードに落ち着いた。ハードディスクはCubeから外したものを使っている。

パーツの使い回しも密かに楽しい。

ついに Panther (10.3)のサポートから外れ,Sonnetも出す出すとホームページに書きつつもなかなかインストールソフトウェアを出さない。そこでXPostFacto 3を使ってPantherを使用。バスが変わったので初期化しなければならないのはわかっているが,面倒くさいのでCubeから外したハードディスクにそのままXPostFacto 3を入れて使っている。一度10.2.8に切り替えようとしたら起動不能に陥った。初期化・再インストールを覚悟したがOS 9の "Disk First Aid (懐かしい)" を使って修復。その後は快調に動作している。ほぼドーピング状態である。

歴代Macへ

トップに戻る

Power Macintosh G4 Gigabit Ethernet 500MHz Dual

CPUとビデオカードは延命には必須といえる。周辺機器を考えればUSB2.0の増設も必要だ。現代のハードディスクを使うにはsATAも増設しておいた方がいいだろう。Sonnet Encore 1.3G Dual、ATI Radeon 9000 Pro、センチュリーUSBカード、aCard sATAを使用。タワー型なので増設、交換は非常に簡単だ。

一番の問題は増設したsATAドライブに10.5Leopardがインストールできなかったことだ。インストールが途中で止まったり、または最初の起動時に全くハードディスクを読みに行かなかったりでどうにもならない。おそらく増設カードの問題と思われる。結局10.4Tigerで使用。マイナーな問題としては時々画面が2秒くらい真っ暗になってしまうことがある。予兆はなく突然だが、すぐに戻るので気にせず使っている。通常の使用ではスピードもあまり気にならない。iMovie06も問題なく動く。

Core Image対応ではないがなかなか快適。時々2秒くらい真っ暗になるが。

多分このカードのせいで10.5Leopardがインストールできないと思われる。10.4Tigerではなかなか快適なのだが。

歴代Macへ

トップに戻る

Performa 5210

初めて自己所有したコンピュータ。本当はPower Mac 7500が欲しかったが、予算の都合がつかなかった。正月明けに大幅な値下がりをしていたことが決め手となって購入した。32Mのメモリを造設したが、当時メモリは本当に高かった。Win95も出たばかりでメモリの価格下落前夜である。メモリ食いは当時Power PC Mac Userのみの問題であった。

しかし、これが使ってみると遅い。より古い 7100/80 よりもかなり遅く感じた。当時これは解せなかった。こちらの方が新しいのにシステムバスの幅が7100、8100よりも狭いようだ。今となって考えると、これは 5210が68kである LC 630 のロジックボードを改良しただけのものであることに起因しているようだった。これがPower PCの評判を無駄に下げてしまったように思う。エミュレーションで68kアプリケーションを動かしているときなど救いがたいほど遅かった。しかも、バンドルアプリケーションもクラリスワークスを除くすべてが68kアプリケーションと、これもまたお粗末な構成だった。今思えば、Appleがもっとも苦しかった時代かもしれない。

インターネットがようやく注目され始めた時代であった。普通の電話回線で通信していた時代である。このモデルにもモデムが付属していたがそれは14Kのモデム。これも考えてみればひどい構成だ。ほどなく28Kのものに買い替え、インターネットデビューを果たした。当時の自宅の電話回線状態が悪く(通常の通話でも激しい混線に悩まされていた)、本当に遅かった。そこで、登場間も無いISDNに切り替えた。これも今やパーソナルのインターネットの世界からは完全に追い出されている。NECのターミナルアダプターを最初使っていたが、またしてもこのコンピュータの仕様により思わぬトラブルに出会った。つないだもののインターネット接続できなかった。当時はシリアルポートからの接続である。このコンピュータのシリアルポートは当時主流となりつつあった仕様(Geo Portだったか?)よりも速度が遅かった。そのターミナルアダプター付属のCCLファイルに記述してあるスピードをこのPerformaがサポートしていないため接続できないのであった。今は亡き(日本では)MacWorldの記事を頼りにCCLファイルを修正し(つまり速度を下げ)、何とかつながるようになった。しかし、もちろんアナログモデムの時代よりもエラーが無くなった分くらいしか早くならない。これは大変悔しかった。

さらに、家にもう一台LC 475がやってきたことがまた悩みの種だった。今であれば常識だが、その当時どういうふうにしたら2台をインターネット接続できるのかイメージがわかなかった。そのころ丁度、NTTから初とも言える家庭/SOHO向けのルータが出た。そこで、2台にイーサーネットカードを造設、このISDNルータを購入し、念願の「高速」インターネット接続を手に入れた。ネットワークは10Base-T、当時はこれだけでも十分感動だった。そのうち、通信費がどんどん高額となり、 Flet's ISDN を導入、当時としての「高速常時接続」を実現した。

メモリ価格下落後、メモリ最大拡張(64M)の後は特にやることがなくなった。しかし、耐えられないくらい遅い。このあたりからコンピュータの中を開けていじることに何の抵抗も感じないようになってきた。そこで、ロジックボード変換、G3化への道を歩むこととなった。秋葉原で5410のものと思われるロジックボードを購入、幸いにも5210で起動することができた。来る Alckemy 時代に備え、5210 は途中で電源が Alchemy 対応のものに変更されたようだ。やはり5210は残ったパーツを消費するためのつなぎのマシンであったことがわかる。メモリを最大拡張(64M*2 + on board 8M、試しに他のコンピュータ用に買った128Mを差してみたが1スロットあたり64Mしか認識しない。Alchemy Station やらで散々調べたが一枚128Mのものは認識しないようだった。)し、イーサーネットカード(専用スロット)を購入した。その後、念願の、今は亡き、インターウェアのG3カード(320MHz)を入手した。L2キャッシュスロットに差して使用。起動させると最初はオリジナルのCPUで起動しているように見えるが、途中で再起動するような形で起動する。起動には強烈に時間がかかった。しかし、一回起動してしまうとG3ワールドであった。あこがれの、今は亡き、「MacMP3」も動作(時々落ちたが)さまざまな処理がG3の恩恵で高速化された。

このマシンの問題ではないが、OSに起因する問題を一つ。初代のMac OS 9に含まれるOpentransportにまつわる問題だ。OS 9にアップすると起動しない。フリーズしたように見えた。よく見るとフリーズではない。カーソルは動くし、むしろ何かをずっと繰り返しやっているようにも見えた。では一回 Finder を強制終了して再起動すれば良いのではないかと思い実行。そうすると起動はするがインターネットがつながらない。後日別のマシンでインターネットにアクセスすると、このトラブルが報告されていた。「一部ルータでインターネット接続ができない」トラブルがあるらしい。しばらくたって、MacWorld誌に詳細な記事が載っていた。一部ルータでつながらなくなることが問題となっているが、真の問題はそれではない、一見正常につながっているように見える方が潜在的な大きな問題を抱えている、という大まじめな記事だ。その名も「Opentransport(DHCPだったかな?)問題の真の問題点」だったと思う。この雑誌が廃刊になったとき、なぜかこの記事が頭に浮かんできた。私は MacWorld のこの手の大まじめな記事が結構好きだった。

この状態でしばらくの間使用していたが、筐体のあまりのでかさと重さに耐えられなくなった。あらぬ妄想がむくむくと広がり、モニター分離・液晶化に方向転換した。もうこれ以上は 5210 のものは全く含まれなくなってしまうので、中身に関しては以下の 6300 に引き継がれている。残ったモニター、メモリなどは、 6300 のロジックを代わりに入れ、ショップに引き取ってもらった。普通引き取ってもらえないような奇妙な構成のマシンだったが少し顔が知られていたこともあり、わずかばかりのお金を頂き引き取ってもらった。お金をもらったことよりも、捨てずに済んだことがうれしかった。今はどうしているのだろうか。さすがにもう。。。。

トップに戻る

Macintosh LC 475

知人が「起動しない」「壊れたのか」と言うのをそのまま引き取った。当時雑誌ではこの時代の機種に内蔵電池の寿命を迎えるケースが増えていることが掲載されていた。内蔵電池が切れてしまうと起きる症状は様々で、機種によって異なる。多くは時計が大昔に戻ってしまうとか、起動設定が飛んでしまうとか、致命的ではない。しかし、この LC 475 は、何とまったく起動しなくなるのだ。あの起動音さえ鳴らない。いったい何人の人が LC 475 を「壊れた」と捨てただろう。実際は700円(当時)の内蔵電池を買えば何事もなかったかのように起動するのだ。これを思うと何とも悲しい気持ちになった。

しかし、そのおかげでこれを入手することができた。

このマシンは私がいわゆる「改造」を楽しんだ初のマシンだ。やはり真の改造はお金をかけずパワーアップするというものだろう。もちろん、改造方法は「Doping Mac」に載っていたものである。あの本はすごい本だ。  まず、ハードディスクを換えた。このリストで分かるとおり、私は一時期に何台かのマシンを公私含めて管理している。より、パワーのある Power PC マシン向けにハードディスクを買う。そうするとオリジナルのものが余る。そのオリジナルのハードディスクもより古い LC 475 のようなマシンのハードディスクに比べれば容量も大きく、速い。このマシンそのものには全くお金をかける必要はなかった。  次に本格的な改造、クロックアップにとりかかった。このころのマシンはロジックボードと CPU が同クロックで動作していた。ロジックボードのクロックをあげると CPU も速くなる。当時の仕様ではビデオ回路も高速化されるため、まさにすべてが高速化されるわけだ。 25MHz から 33MHz へ。・・・・・古き良き時代のクロック・・・・・そして、秋葉原エレクトリックパーツで FPU 内蔵の 68040 を入手し、 CPU 交換。ポンキッキの「もじもじワープロ」に入っている QuickTime ムービーがコマ落ちせず再生できるようになった。  ハードディスクを換え、再インストールが必要なときは「Wish I were」を使って7.5.3をインストール。これまた Macintosh の謎で、どのように機種IDを認識しているかが、機種により違うのだ。 LC 475 はクロックアップするだけで機種IDが変わるらしく、「すべての機種用」しか選択できない。「Wish I were」は機種IDを強引に PRAM だかに書き込むユーティリティのようだ。

費用はほとんどかけず、手間をかけて見違えるマシンになる、すべてが先人たちのロジックボード解析と実験のおかげだが、満足感の味わえる改造だ。

 

これはイーサーネット拡張カードを差し、 Performa 5210 のところにあるようにルータを用いてインターネット常時接続マシンとなった。ネットワークを構築する関係上、私は個人的には 68k マシンには漢字 Talk 7.5.3 がベストと思っている。 SCSI 接続のMOからでも起動し、インストールできる。 TCP/IP が標準でついている(PPPは標準ではついていない。必要なときは私は 7.6 から Opentransport PPP だけを借りていた)。家内がしばらくインターネットマシンとして使っていた。ブラウザはNetscape、メーラーは今はなきクラリスメール。当時はこれで十分であった。  その後、子供専用マシンとなり、引っ越し後は納戸に眠っている。

今はまた電池交換から必要に違いない。

トップに戻る

Power Mac 7100/80AV

初所有のPower PCマシン。OSは漢字Talk 7.5だった。これは信じられないくらいよく落ちた。このおかげで私のMac OSのシステムに対する知識は飛躍的に増大した。当時はインターネットなど、存在すら知られていない時代だ。今でこそ、不具合の情報などはすぐにインターネットを経由して手に入れられる。しかし、当時は、自分より詳しい人に聞く・Mac専門誌で情報を探す・サポートに電話する・とにかく自分で何とかする、しかなかった。とにかくよくわからないので自分で強制再起動を繰り返し、機能拡張・コントロールパネルを一つ一つ試し、時々システムを再インストールしながら解決した。

いろんな不具合を発見した。7.5 + Excel 5.0 + Atok8の不具合、7.5 + Apple Script + Atok 8 の障害(生まれて初めて伝説の Sad Mac を見た)、7.5下でマルチセッションの Photo CD が読めないなど、現在であればすぐに情報が出回るたぐいのものだが、当時はとにかく大変であった。実際、何が悪いのか皆目わからない。仕事で焦っていたせいもあり、写真屋に無理やりもう一回焼き直させたり、コダックに直接電話してCDを持ってこさせたりした(もう一回焼き直させるとマルチセッションでなくなるので本当にディスクが悪いような気がしてしまっていた)。本当はPhoto CD の問題ではなく、7.5の問題であった。しかし、当時はコダックもあまり把握していなかったようで対応はしどろもどろだった。その後雑誌でひっそりと情報が掲載された。そういう時代だった。そうして、雑誌にひっそりと7.5.1がアナウンスされ、このような問題はあっさり解決したのであった。

その後どこかで、メモリをフル拡張。Sonnetのビデオカードを差した。そうして,やはりSonnetのG3カードを差して,最後の延命処置を行った。コンパクトだったがとにかく中はいじりにくかった。今となっては考えられない構造だが,メモリを差すのもハードディスクだか、 CD ドライブだかまではずさないとできなかった。