◆ 初 上 洛 編 ◆

1. 上洛 2. 宇治 3. 実家 4. 東下り 5. 上には上がいる



1. 上洛

-1-

'99.08.13夜

沼津より帰還。 とりあえず、 寝ることにする。 が、 寝られへん〜。 ということで、 シャワー浴びて出発することに。 時刻は、 おっと、 日付が変わってるよ。

-2-

雨だよ、 雨。 いやだねぇ。 でも仕方ない。 行くと言ったからには、 行かねばならぬ。 東名川崎IC。 500kmの旅の出発点だ。
流れてはいるが、 けっこう混んでる。 なんか、 いや〜んな感じ。 この先ゼッタイ事故とかありそう。
厚木あたりから、 雨脚が強まってくる。

-3-

丹沢山系にていよいよ混み出す。 帰省ラッシュか、 雨によるものか、 はたまた事故か。 事故であった。 おかまをほっていた。 あ〜ぁ、 御愁傷様なことだよ。
でも、 その後は快調のようだ。 気合入れて行く。

-4-

沼津もやり過ごす。 そして、 あの有名な日本坂トンネルだ。
感想:きれい。 明るくてすごく走りやすいトンネルであった。 過去が過去だけに、 きちんと作り直したということか。 しかしまぁ、 青島機長といい、 犠牲があってからでないと改善されないというのは、 なんともやりきれないことではないか。 人間って、 あんまり賢くないよね。

-5-

その後は順調。 書くことがないくらい。
1個所だけ、 すごいところがあった。 名古屋である。 パチンコ屋なんだけど、 すさまじいばかりの輝きであった。 過去に、

"パチンコ屋が 宇宙船のようだ"

という現代詩を読んだことのあるワタシでさえ、 驚きを隠せない。
恐るべし、 名古屋。

-6-

伊吹にて力尽きる。 もうだめ。 手元の時計(足元にもあるっちゅーんかい?)は、 05:30を告げている。
とりあえず、 1時間ほど寝る。

-7-

結局7時前まで寝てた。 顔を洗って出発。
8時過ぎに、 ついに上洛を果たす。 京都南ICから 1号線を北上、 東寺の出迎えを受け、 本願寺の声援を聞きながら9号線に入る。 しかし、 京都、 交通量はげしすぎ。 しかもマナー悪いし。 沼津以下かも。 おっかない、 おっかない。

-8-

492km / 36l = 13.6km/l
まずまずでないかい。



2. 宇治

-1-

'99.08.14朝

実家(京都府船井郡八木町栄町2丁目)にたどり着いたものの、 ぴんぽんぴんぽん鳴らしても音沙汰なし。 電話も出ない。
どないなってんのん?
途方に暮れてみても詮方ないので、 上洛中の茨城人、 赤パヂェロM本博士に電話してみる。 とりあえず、 四条かそこらで落ち合うという約束をして、 某K大学宇治キャンパスに向かう。

-2-

あれから4年半だが、 ちゃんと道を覚えているものである。 1時間ちょいでたどり着いてしまった。 裏道なので、 劇的な発展を遂げるわけでもなく、 当時とさほど変わらなかったのが、 なんともありがたかった。

キャンパスにリンゴを置いて、 新京極、 寺町、 河原町界隈を野郎2人でぷ〜らぷら。 それどころか、 よ〜じや、 左り馬にまで突入。
おやぢ狩りとリストラ以外、 おっさんに怖いものはないのだ。

夜は例によって例のごとく研究室にお泊まり。 同期のH田氏とうだうだ。 ここに来ると、 あの頃に戻れて嬉しいのだ。 けど、 Zセンセーもいらっしゃらないし、 Y氏も妻子持ちだし、 寂しくなるばかりである。
変わらないのは、 M本博士ぐらいなものか。 もともと変わってる人が変わったまんまでいるのを、 変わらないと表現するという意味において、 変わらないと言っているのであって、 変わってることは変わっているのであるが。
H田氏にもりんごを披露。 明朝、 どっかに行くことを約束して、 寝る。

-3-

'99.08.15朝

9時過ぎ起床。
H田氏と朝飯を食いに行くことにする。

曇ってはいるが降ってはいない、 ので、 オープンにする。 ついでに鍵も渡す。
“え、 ほんまにええの?”
“ええよ”
“やったぁ”
ということで、 京滋バイパスと24号線(だっけ?)のあたりのなかうに行く。
久しぶりの助手席。 曇り空を見上げたりする。
“いやぁ、 ええなぁ”
“ええやろぉ”
“くれ”
“なに言うてんねん”

なかうの駐車場。 ・・・H田氏の方が、 車庫入れうまかった・・・。

-4-

てゆーか、 どーやっても、 左後輪の位置がつかめないっちゅーか、 クルマのど真ん中のラインがどこかいまひとつ分からんちゅーか、 そういうので、 いまだに車庫入れには苦労するのである。 情けない。



3. 実家

-1-

朝食後、 研究室までH田氏を送って、 実家に再び向かう。 夕べ連絡を入れておいたので、 誰か留守番がいるはず。
9号バイパスを八木西ICまで行ってみる。 ふーん、 ここはあんましきーひんかったとこやなぁ。 でも、 なつかP。

-2-

実家。 留守番の父の説明を聞くよりも、 見た方が早いわいということで、 さっそく南丹病院へ。
今回のスクランブル帰省の目的は、 入院した祖母の見舞い、 である。
予想以上に元気で安心。 母もそこそこ。 安心する。

油断は大敵だが。

-3-

親との四方山話。 文脈上、 クルマ購入の報告をする。 納車から4ヶ月後のことである。

“2人乗りのオープンカー”
“彼女用やな”
“ちゃうわい”

クルマって、 実際乗る人×2の座席数がないと窮屈で仕方がないと思うのだがどうだろう。
彼女がいたら、 フォレスターを買っただろう。

病院からの帰り、 オープンにして母を乗せてみたが、 特にこれといったリアクションはなし。



4. 東下り

-1-

'99.08.15夜

東下りのため、 実家を後にする。

父:“事故るなよ!”
私:“はいはい (遅いっちゅーに)”

-2-

9号線、 げろ混み。 園部の花火のせいか? 雨のせい? 逆帰省の始まり? よく分からんかったが、 京都南ICまで1時間もかかってしまった。

-2-

名神もクルマ多い状況に変わりなし。 うんざり。 さすがに疲れもたまるわいな。 養老SAでいきなり休憩。

-3-

名古屋ICの手前だか向こうだかで30分ほどの渋滞ありとのこと。 りんご内で寝る。
1時間後出発。

-4-

ハイウェイラジオの標識のたびに宇多田君にはご遠慮願って渋滞情報に耳をそばだてる。 結局、 名古屋に着く頃には渋滞は解消していた。 白いオデッセイが100km/hちょいで巡航(全然ペースが変わらなかった!!)していたので、 先導を勝手にお願いし、 ずーっとついていくことにする。 楽させてもらいやした。 さんきゅー。

-5-

浜名湖SAで再び休憩。 寝付けなかったが、 それでも1時間ちょい休む。 時計は4時。

-6-

その後はオープンでひたすら走る。 ハイウェイラジオの渋滞情報によると、 用賀から京都南まで渋滞はないとのこと。 上下線とも、 という話だから、 1000kmにわたってすっかすかなのだそうである。 結構なことである。 てことで、 快調にすっとばす。
掛川通過、 焼津通過、 お、 日本坂トンネルだ、 通過。 順調順調。

-7-

清水を通過、 富士川あたりであろうか、 猛烈な雨。 時刻は5時過ぎってところか。 そういえば、 ちょうど一年前(送り火を見てから赤パヂェロで東下りをしたのだった)も、 このあたりでこのぐらいの時刻にどしゃ降りにあったのであった。 とか言うてるバヤイやないっちゅーねん。 オープンやでオープン。 しょえー。
でも、 自分は全然濡れへんなぁ。 シートは? と、 助手席のシートに触れてみる。 やっぱり濡れてるやーん。 誰や、 濡れへん言うたんわー! 次のパーキングはぁぁぁ?
愛鷹ぁぁ? 沼津やん!? てゆーか、 遠すぎ。
とか言ってるうちに、 雨はやんでしまった。 でも、 路面濡れてるし、 しぶきとか上がるし、 やっぱり愛鷹PAに寄ろう。

-8-

5時半ぐらいか、 愛鷹PAに到着。 シートとか拭いて、 屋根をかぶせて、 ちょっと一休み、 のつもりが1時間半以上も寝てしまった。 我ながら、 よくやるよ。 狭いリンゴの中でさ。 よっぽど眠かったということか。 そりゃあねぇ。

-9-

沼津から川崎までは、 もう何度も走っているので特に問題もなく。
やっとこさ、 到着。 9時過ぎだったように思う。 荷物を降ろして、 ガソリン入れて(483kmで35。8l→13.5km/l)、 駐車場まで行って、 帰ってきて、 メールチェックして実家に連絡して、 お休みなさい。

起きたのは、 夕方だった。

りんごを洗車して、 総走行距離 1,125km の旅、 終了。



5. 上には上がいる

'99.08.17


### MAIL START ###
  1,993kmの旅から、帰ってきました。(以下、 略)

### MAIL END ###


・・・・・・勝てん。





back 2 roadster page