◆ あなたの魔法 ◆




1. 出会い

いっちゃん最初の出会いは、 幼稚園にて、 である。

園部の聖家族幼稚園。

園児に2階建てのハーモニカを吹かせるという、 今振り返ると、 もうちょっと本腰入れてやっときゃよかった、 みたいなことを平気でやらせていた幼稚園であった。 そこで、 恐らく一生忘れ得ぬ音階、 メロディーが刷り込まれてしまったのである。
“ミミファソソファミレドドレミミレレ”
こうやって書いてみると、 かなりおまぬけである。 もうちょっとひねれよ、 って感じさえする。
続いて、
“ミミファソソファミレドドレミレドド”
・・・もはや、 べたべた。
さらに続いて、
“レレミドレミファミドレミファミレドレソ”
ここで、 “ソ”を持ってくるところが天才の天才たる所以、 と言ったのは、 高校の音楽の先生だったか、 はたまたTVだったか。
“ミミファソソファミレドドレミレドド”


てゆーか、 ハーモニカの2階、 要らないじゃん。


これが、 私と“第九”との出会いである。



2. 再会

研究室の1年上の先輩に、 白井さんという方がいらして。
いかにもオオサカ〜って感じの、 いいノリの人で。

なのに、 である。

暮れ。
夜。
“どっか飯食いに行こけー”ってことで乗っけてもらったファミリア(後々、 私が引導を渡すことになる)でかかっていたのは、 “第九”だったのである。
“やっぱ暮れはこれやろ〜” などとおっしゃる。


おんぼろファミリアで学生の分際で“第九”をがんがんかけて走る。


これってもしかして、 めっちゃかっこええんちゃう?!



3. 第九とは

それから、 うちに帰ってレコードの束の中から“第九”を探し出してテープにダビング。

このレコードは、 私が幼稚園で“第九”を習っていると知り、 父親が買ってきたものである。 父親にしてみれば、 英才教育という狙いもあったのかもしれない。 まぁ、 少なくとも、 「感性豊かな人間になれよかし」ぐらいは願っていたのであろう。
しかし、 当の私にしてみれば、 ジャケットの、 恐いおっさん(ベートーベンではなく、 指揮者だったはず)の写真だけで“なんか楽しくないモノ”という先入観を抱いてしまっただけでなく、 “サビ”までが延々と長い非常に眠たい曲というイメージまで持ってしまい、 以来、 長らく(10数年!!)ほったらかしにしてしまっていたのである。


さて、 テープに取りました。
クルマは父親のMARKU(親戚に貰った10年落ち)。
レッツ・ゴー!!!

最初はかなりかったるかった。 のであるが、 何回か聞いてるうちに流れというか、 展開というかを覚えると、

“かっちょいい”

とか思うようになってきた(とはいえ第3楽章は眠かったが)。

これらを総合して得た結論:
“「第九」は、 「ヘヴィーメタル」である”


あまりにも不憫なので、

この結論は、

父には言わないつもりである。



4. '99.12.30

恒例のN響第九演奏会をTVで見た。

思い その1

一人一人がその道の“エキスパート”である。 その“エキスパート”達が、 己が技を出しきり、 己が感性を総動員して、 交響曲というタペストリーを織り上げていく。
仕事とは、 かくあるべきではないのか。
“プロ”とは、 かくあるべきではないのか。

パフォーマンス分析の方法も知らず、 デバッガもまともに使えず、 知ってるわずかなライブラリ関数ばかりを頼り、 メモリーリークのチェックもせず、 バグだらけで、 コアダンプしまくりのソフトを作って、 それでも“プログラマー”と言えるのか。

そんな連中が寄り集まって、 何ができるというのか。


思い その2

“プロ”と呼べる“プロ”達を束ねる“プロ”としての指揮者。
ドイツ人ヴァイオリニストと日本人ピアニストの間に生まれたハーフ。
コンサートマスターよりも、 そして4人の歌手よりも若いその指揮者は、 第1楽章の出だしから汗だくになりながら、 すべての演奏者に目と心を配り、 歌手をのびやかに歌わせ、 合唱をコントロールし、 70分に及ぶ“作品”(そして“商品”)を完成し、 聴衆(そして“顧客”)を、 “雇い主”を、 そして彼の指揮下の“プロ”達をも満足させる。

なんら“音”を発しない彼が、 一人汗だくになっている姿を見て、 “○○の件はどうなっていますか? 報告してください”というメールをばらまく人との間に、 大きな相違を感じずにはいられなかった。


思い その3

彼らが使ったのは、 木と、 金属と、 鯨のひげぐらいなものである。
そして、 生み出したのは、 たかだか70分間の音である。
なのにそれは、 多くの人々に感動を与える一大プロジェクトなのである。

PCを使い、
EWSを使い、
電気を、
ICを使う我らのプロジェクトの価値は、 いかほどであろうか。


思い その4

そして、 我が思いは一人の人物に焦点を合わせる。
これだけの“プロ”達を疾走させるレールを敷いた作曲家、 ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン。

それぞれの楽器が交じり合い、 響き合う交響曲は、 多様なオブジェクトが同期を取り合い、 一つのシゴトを遂行していく、 マルチプロセス(あるいはマルチスレッド)プログラミングの極致とも言えるものである。

作曲は、 プログラミングであり、 楽譜はソースコードである。
そして、 交響曲の作曲家ともなれば、 一体いくつのプロセス(あるいはスレッド)を把握しなければならないのだろう。


あれから20数年。
あなたの魔法に魅了されながら、 単純な主題にこそ、 魔法の鍵があるのかも、 と思ったり。


少なくとも、 何故、 この時期に第九なのかは、 分かったような気がする。





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