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橘敏幸さん&白石乃郁さん両交通死事件 闘いと支援の記録

2002年9月と10月、ほぼ同時期に北海道恵庭市で起きた二つの事件について、札幌地裁は不当にもそれぞれ執行猶予の判決を下しました。これに対し札幌地検は「量刑が軽い」と控訴(新聞報道)。両遺族は連携をとりながら、札幌高裁での公正な裁きを求める署名に取り組みました。以下は支援とたたかいの記録です。(2004/2/8) 2003/8/8 UP  2004/2/8 last up

橘敏幸(たちばな としゆき)さん事件白石乃郁(しらいし のりか)さん事件

橘敏幸(たちばな としゆき)さん事件

交通犯罪根絶のため厳正判決を求める署名

救急救命士だった橘敏幸(たちばな としゆき)さん当時23歳

母の訴え

あの日、息子が天国に逝った瞬間、私は地獄へ突き落とされました。敏幸は、悪質な交通犯罪により23歳でこれからという人生を絶たれたのです。そして、執行猶予という、信じられない地裁判決に、息子は二度殺されたと思いました。不当判決を破棄し、命の重さに見合う裁きをお願いします。( 橘 恵子)

事件の概要

平成14年9月25日、現場は北海道恵庭市西島松。片側2車線の道路左側端にハザードランプを点けて停車中の橘敏幸さんの乗用車は、居眠りで斜め左に時速約50~60キロで暴走した大型トレーラーに後方から衝突され、転覆し下敷きになったまま34.7m引きずられました。敏幸さんは即死。被告の居眠りの原因は睡眠不足と過労、および事件の4時間前に「仮眠をとるため」にと飲んだビール。危険運転致死罪に相当する悪質な交通犯罪に札幌地検は禁固2年6月を求刑。しかし、一審の札幌地裁森島聡裁判官は、7月7日の判決で不当にも4年の執行猶予をつけました。

一審判決の不当性

① 情状酌量の理由として一審判決は「過酷な連日にわたる長距離運転」という「労務管理上の問題」が一因であるとし「運転者のみに責任を帰すべき無謀運転等の事案と異なる」としているが、これについては、「運転者の労働条件が過重で十分休養をとり得ない場合でも、そのことによって事故回避のための注意義務は軽減されないし、責任非難を軽減する事情としても考慮されない。(昭和38年1月31日 東京高裁)という判例もあり、さらには、一昨年11月の参議院法務委員会での附帯決議「危険運転致死傷罪の創設が、悪質・危険な運転を行った者に対する罰則強化であることにかんがみ、(中略)同罪に該当しない交通事犯一般についても事案の悪質性、危険性等の情状に応じた適切な処断が行われるよう努めること」に照らすなら、まさに不当判決。

② 過労運転に加え、自らの意志で、仮眠のためと称し数時間後に運転を控えながら缶ビールを飲むという違法行為を重ね、それが正常な運転を妨げる居眠りという本罪の原因に成ったのであって、これは悪質な無謀運転そのものである。

③ 違法行為はこのときが初めてではなく、重大死傷事件に直結する、赤色信号無視、速度超過等の交通違反歴が6度にも及ぶにもかかわらず、「平成3年の罰金前科以外に前科はなく、正式裁判は今回が初めて」(一審判決)だから執行猶予というのも良識が疑われる。道交法を含め刑罰法規は、もともと犯罪を抑止するために作られたはずである。一審判決のような「加害者天国」の裁きが、危険運転を野放しにし、累々たる犠牲を容認してきたのではないか。

《経過》

2004/02/02 札幌高裁は一審の執行猶予を破棄し、禁固1年8月の実刑を言い渡しました。(2/2)(新聞報道記事
2004/01/16 控訴審初公判は04年1月15日札幌高裁で行われ、検察側は「一審は軽すぎて不当」と主張し、母親の恵子さんと妹さんが計13分の意見陳述をしました。21272筆の署名は相手側不同意で証拠採用はされませんでしたが、検察からも遺族からも署名の事実と重みについて繰り返し触れられました。(新聞報道記事
2003/11/20 橘さんの署名20689筆は、11月20日検察庁に提出されました。(新聞報道記事)ご協力に感謝します。
2003/10/13 10月12日街頭署名活動(新聞報道記事

お礼とご報告

私どもの署名活動に際し、ご協力頂きましてありがとうございました。
1月15日、控訴審公判があり、2月2日札幌高裁は一審判決の執行猶予4年を覆し、「禁錮1年8月の実刑」という意義ある判決を下しました。求刑の2年6月から減刑されましたが、皆様のおかげを持ちまして「厳正な判決を求める署名」21,272筆を提出し、裁判に反映させることができました。今、交通裁判での量刑は失った命の重さに比べあまりに軽いものでしかなく、これからも私のできる限りの中で、このことについて取り組んでまいりたいと思っております。本当にありがとうございました。

2004年2月5日 橘 恵子

裁判を終えて

被告は事件前の5年間、信号無視やスピード違反など6件の道交法違反を繰り返していました。
2・3時間というまとまった時間があればビールを飲んで仮眠をとるという違法行為も「珍しいことではなかった」と証言しています。このような被告に、執行猶予を付けた一審判決の不当性は明白で、札幌高裁が、「2度目の眠気を感じたとき、危険認識はあった。その時点で停車して休息をとらなかった罪は重い」と実刑を下したのは極めて当然の判決と言えます。署名協力、傍聴支援ありがとうございました。(2/3 前田)

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白石乃郁(しらいし のりか)さん事件

娘の死を無駄にしたくありません

在りし日の白石乃郁(しらいし のりか)さん当時13歳 中学2年

ご両親の訴え

平成14年10月4日、私達夫婦は、未来と共に今まで生きてきた意味すら無くしてしまいました。 この日の夕方、一人娘の乃郁(のりか 当時13歳、中学2年)は、自宅近くの歩道のない見通しの良い直線道路で、いつものように愛犬の散歩中でした。そして、午後5時45分ごろ、前から来た、前方不注意の車にはねられ、その全てを奪われたのです。

「考え事をしていてボーっと遠くを見ながら運転していた」という加害者は、35キロのスピードでブレーキも踏まず娘をはね飛ばしました。交通ルールを守り、狭い道路の右端を歩いていた娘は、逃げ場を失い、激突され側溝に転落させられました。娘は運ばれた病院で緊急手術を受けましたが、「お母さん」とも「痛いよ」とも言えないまま、10月5日午前7時41分、わずか13歳で天国へと旅立ったのです。

私たち家族を地獄の底に突き落とした加害者に対する札幌地裁の判決(6月19日)は、執行猶予4年(求刑は禁固2年)という信じられないものでした。

全く落ち度のない子どもの命を「考え事をしていて」という不可解な理由で轢き殺したのがどうして「無謀運転ではない」(地裁判決)ということになるのでしょう。安全確認を怠る前方不注意は、人を轢くかもしれないという「未必の故意」です。「全部私の責任です」と言っていた被告が、法廷では娘の過失を主張し、最後まで謝罪の言葉もないのに、「誠意を示そうと努力してきた」(札幌地裁)と情状が認められたことにも、到底納得できません。
人の命がこんなにも軽く扱われていいものなのでしょうか。交通死亡事件を起こしても、初犯は執行猶予というのであれば、娘のような犠牲者がまた出ます。このままでは乃郁が報われません。乃郁の死を無駄にしたくない思いでいっぱいなのです。

幸い、札幌地検は控訴の手続きをとってくれました。札幌高裁での審理に向け、一審の不当判決を破棄し、交通犯罪根絶のため、命の重さに見合う判決を求める署名にご協力をお願い致します。

白石 義満・喜世美

《経過》

2003/1/19 1月19日、高裁は執行猶予支持の不当判決。「毎日新聞」
危険運転致死傷罪発効後も変わらない非常識な裁判官と司法に心底怒りを感じます。控訴してくれた検察の良識には感謝をし、今後も厳罰化を求めるたたかいを続けます。署名協力、傍聴支援ありがとうございました。(1/20前田)
2003/12/19 12月18日、控訴審1回目、検察側は取り組まれた署名の重みについても触れ、執行猶予とした一審判決の不当性を指摘し、実刑を求めました。毎日新聞報道
2003/11/20 11月19日、署名9363筆を検察庁に提出(朝日新聞

お礼とご報告

この度は私たちの署名活動に多くのご協力を頂き大変ありがとうございました。
心ある皆様のご協力により、9363名の署名を平成15年11月19日に札幌高等検察庁を通して、札幌高等裁判所に提出する事ができました。辛いばかりの日々に中で、私たちにとって、皆様の署名がとても励みになりました。しかし、平成16年1月19日の控訴審判決は「被害者に全く落ち度はない」としながらも、「無免許運転・酒気帯び運転・法外な高速運転などのいわゆる無謀運転とは態様を異にしている」「あってはならない事とはいえ、考え事をして前方の注意を欠いてしまうという事態は一般の運転者でも陥りやすい側面がある」という理由で一審どおりの禁錮2年執行猶予4年というものでした。
歩いている人間も見えていない加害者の「スピードは35キロくらいだった」という言い分がそのままとおった判決でした。娘の1周忌にさえ、お参りはおろか、花1本贈ってこない加害者に「被告人なりに誠意を示そうとし、反省している」と情状酌量するのです。
人の命はなんと軽く扱われるのでしょうか。殺された人間には人権は存在しないのだと思いました。裁判所というのは「過去の判例」にとらわれて、事故の全容を見ようとはしないのです。この判決は、私たち家族にとって到底納得できるものではありませんが、こんな理不尽な判決が、いつまでも「過去の判例」にならないよう訴え続けていきたいと思います。
2004年2月8日   白石義満 喜世美

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