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FORUM Vol.02 皆さんから寄せられたメールから

感想などを送っていただいた中で、掲載を了解された方のメールを紹介し、交通事故についてともに考えるページです。( 2001/9 UP ) 2004年~2007年10月19日

《 2007/10/16  「高速道路の思い出」管理人様 》

はじめまして。 ロードキルが原因でご家族を亡くされた高橋様の裁判を知り、微力ながら協力させていただいている者です。このたびは私のサイト「高速道路の思い出」からリンクさせて頂けると聞き早速リンクさせていただきました。(下記)
http://highway.s76.xrea.com/

《 返信 前田 2007/10/17 》

リンクありがとうございます。感謝の気持ちで一杯です。
ある意味社会全体が麻痺している「クルマ優先社会」について、被害者の視点から見つめ直して欲しい。そのことを訴え続け、交通事故被害を無くすることが、亡き娘から託された使命と、いつも思い活動しています。
「高速道路の思い出」様が、このたび私の応援している室蘭の高橋さんの取り組み、ロードキル対策を進める署名にご理解と、協力いただけることに、高橋さんも私も意を強くしています。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

《 2006/11/26 KTさん 》

自分の身とその家族に悲劇が起きないと気が付かない人々が殆どですが、気が付いた時はすでに事が遅いのです。今すぐ、クルマ優先の考えを捨てる事にあると考えます。日常生活を引き裂くこの悲劇を、声高くして訴える事は、今は幸福に生活し問題を抱えていない人々の未来に安全を与えるものと考えます。日常的に公然と行われている、車による殺害を野放している社会を少しでも改善出来る様活動して下さい。

公共の福祉を優先させるとの名の元にクルマ優先社会にし現代のいけにえともいえる交通事故による犠牲者たち。真の公共の福祉は誰一人犠牲者が出てはいけないし、また、犠牲の上に成り立つ利便性などはありえない。人の命は地球より重いのだから、事故撲滅をすべての事項に優先させるのが人として自然の考えだと思います。

《返信 前田 2006/11/28》

勇気づけられるメッセージをありがとうございました。
11月25日から今年が初年度となる犯罪被害者週間が始まり、「犯罪被害者週間全国大会2006 ~いのち・希望・未来~ 」(11月26日、東京の日本教育会館)に私も参加してきました。
全国の仲間との交流で新たな元気をもらってきたのですが、帰りましたらKTさんからの貴重なメッセージが届いていました。
人を傷つけない社会を実現するためには、小手先の(無秩序なモータリゼーション推進を容認した中での)「交通安全策」ではなく、川田さんが指摘されたように「クルマ優先の考えを捨て」て、真に豊かな暮らし方とは何か、社会全体が深く考える必要があると思います。

《 2006/10/2 伊藤由美さん 》

はじめまして、私 伊藤由美と申します。
最近の飲酒運転のニュース等から、前田さんのHPを拝見しました。私も平成16年11月26日に最愛の姉、河西孝子(かさいのりこ 享年34歳)を突然の交通事故で亡くしました。
3回忌が終わり、両親・妹とも普段通りの生活を取り戻しましたが、言葉にできない感情が毎日押し寄せてきて、やりきれない想いです。

姉の“のんちゃん”は、朝の通勤中(5時50分頃)横断歩道を横断中、右折の10トントラックに轢かれました。会社までもう少しで着くところで…。
加害者は前科多数の運転手。類似の事故の多さに、ただただ怒りだけがこみ上げてきます。皆様も経験されていると思いますが、加害者は反省・誠意を表さず今も平然と生活しているのです。何も無かった様な顔をして…
私も最愛の家族を事故で奪われた一人として、何も力になれませんが、前田さんにただ夢中でメールを打ちました。私は今生きている命を大事にして、いつか天国で逢える"のんちゃん”と笑って話せる人生を送りたいと日々思っています。
天国にいる千尋さんとのんちゃんが今幸せで笑っていると信じています。

《返信前田 2006/10/20》

お姉さまのご冥福を祈らせていただきます。本当に無念です。
長女が人権無視の「クルマ優先社会」という怪物の犠牲になりもうすぐ11年目。私たち家族も、周りから見れば何事もなかった様に映るのでしょう。
しかし、肉親を理不尽に命まで奪われた遺族にとって、無念を思う辛さは年を重ねるごとに増幅します。
そんな私たちにとって更に辛いのは、伊藤様も感じておられように、類似事件が続発していることです。交通犯罪があまりに軽く扱われ、加害者への社会的制裁が極めて不充分ということがその背景として有ります。
私たちは遺族同士で「生きることがたたかいなのだから」と励まし合って、犠牲を無にしないための活動をやり抜こうと力を合わせています。「叫び」を「訴え」にして、「世論」にしていかなくてはと思っています。
追伸:私も千尋は天国で「お姉さん」と会って笑顔でいると信じています。

《 2006/8/29 Kさん》

はじめまして
私は15年前に主人を交通事故で亡くしました、当時 結婚して1年半、子供は生後7ヶ月でした。突然のことで本当にショックでした。
息子は現在15歳です 父親の顔は 写真でしか知りません。自宅からあとわずかなところで10トントラックと正面衝突でした。病院に運ばれたときにはもう助からない状況で、そのときの事は一生忘れることはないでしょう。交通事故は怖いです。今でも苦しいです。
息子の父親を返してください。
しかし、相手はぜんぜん反省してません。逆に車の修理の請求をしてきました。本当に相手がにくいです。その当時は本当に苦しみ、自分も死にたいくらいでした。今は主人が残してくれた命を大事にしたいです。きっとどこかで見ていてくれてます。自分なりにいいきかせてます。
他人は人の気持ちは判りはしません。このページの遺族の悲しみはよくわかります。どうか亡くなった家族の分までがんばって下さい。

《返信 前田 2006/9/21》

ッセージありがとうございました。
私は娘を「通り魔殺人」的に奪われて11年目になりますが、お言葉の一つ一つが、現在の私の気持ちと同じで心に響きます。
私の回りの遺族の方も同じ気持です。生きる支えは、犠牲を無にせず、悲惨な事件を繰り返さない社会にするための活動です。遺族の気持をつなげ、支え合いたいという気持でこのサイトも公開しています。
今後も時々訪れて下さい。大切な息子さんの成長をこれからも見守ってあげてください

《 2005/11/28 Yさん》

内容を拝見させていただきました。
事故で我が子を失うものほど、親にとってつらいそしてかなしいことはないと思っております。私は、現在教員で常々車にだけは気をつけるようにと子どもに話しかけています。
私の父は、現在交通安全指導のために雨の日も雪が舞う日も欠かさず、登校時の指導に当たっています。交通量が非常に多くそしてまたとても見通しの悪いところです。もう続けて、何年になるでしょうか。おそらく30年にはなるかと思います。
子どもから声をかけられるのが楽しみといっておりました。お互い子を思う気持ちは同じかと思います。私たち親子共々今後も子の幸せと安全を願ってやれるところでがんばっていきたいと思っております。

《 返信 前田 2005/12/10 》

メッセージをありがとうございました。
車の運転は、たとえ意図しなくても、安易な使い方によっては、結果として「通り魔殺人」の道具になってしまいます。そのことを何度も何度も自分と回りの人に言い聞かせてハンドルを握らなくてはならないと思っています。お父様のご苦労にも本当に頭が下がります。
これからも健康に留意されて、子どもを守るための安全指導を続けて下さるようにお伝え下さい。

《 2005/7/3  白石弥生さん 》

はじめまして、白石弥生と申します。
長崎県の青島小中学校に養護教諭として勤務しております。青島小中学校は県北部、松浦市の小中併設の児童生徒数26名という小さな島の学校です。
実は、去る6月15日、中学生9名に前田様の「命とクルマ・・・「遺された親」からのメッセージ」をもとに子どもたちにお話をさせていただきました。

実はもっと以前に前田様のHPを訪れていたのです。3月生まれの私が、免許証の更新のために2月に教習を受けていました。いつものビデオが始まると思っていましたら、今回のは違います。いろんなご指導よりも私は被害者側からの真摯な訴えで胸を打たれました。生命のメッセージ展が紹介されました。

帰宅後、早速インターネットで検索しHPにも訪れていました。児童生徒へなんとか伝えられないものかと思ったからです。長崎県では毎年度のように子供の痛ましい事件が起きております。命の重み、心の痛みを伝えていかなければという思いを教師として、また養護教諭としてまた母親としての立場からも常に痛切に感じております。かわいい高3の長女を頭に三児の母親である私は、限りない愛情で育てられ、限りない可能性を十分に秘めていらした将来ある千尋さんを亡くされた前田様ご夫妻のお辛さを思うと、胸が締め付けられます。

青島小中学校での本当にささやかな実践なのですが、「生命のメッセージ展in青島」は千尋さんが子供たちへの初めての生命のメッセンジャーになってくれました。ありがとう。千尋さん。

中学生9名は千尋さんの話を真剣に受け止め聞いてくれました。この子たちも数年後にはハンドルを握っているのでしょう。私も、ハンドルを握る身です。クルマを凶器にはしてはならないと肝に銘じて走るようにしています。どうぞ、前田様もお体に気をつけられ、これからも千尋さんのメッセージを多くの人にお伝えください。
千尋さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

《 返信 前田 2005/7/4 》

暖かいメッセージをありがとうございます。
長女の無念の犠牲を忘れて欲しくない、犠牲を無にして欲しくない、この一念で心の中の千尋とともに生きています。

千尋が4年前の2001年、「生命のメッセンジャー」に加えていただいてからは、少し前向きに、娘の事件に向き合うことができているように思います。私は時折「命とクルマ・・・遺された親からのメッセージ」をさせていただいています。先日も札幌市内で1200名の高校生に訴えたのですが、途中で胸が一杯になり、涙が溢れ、声がつまりました。

10年目を迎えても(おそらく死ぬまで)胸が張り裂けそうな無念の思いは変わりません。ただ、講話後届けられた高校生の感想文60通の思いやり溢れた内容に、たくさんの勇気と元気をもらいました。一番伝えたい若い人に、命の大切さ、親が子を思う気持ちなどわかっていただけることは何よりの励みです。

そして今回の白石様からのメール。
有り難くて、早速千尋の仏前で報告させてもらいました。娘のHPがこのように活用されていることは本当に嬉しいです。青島小中学校の生徒さん、そして白石様の3人のお子様にもよろしくお伝え下さい。

《 2005/4/15 「ふわふわ」さん 》

交通事故の記事を探しているうちに、偶然、このサイトに来ました。
HPを拝見させていただき、ほんの一瞬の不注意な運転によって、尊い大切な命が失われたことに、たいへん心が痛みました。また、心に深く響く言葉を、たくさん見つけ、大切に心に留めておきました。心に感じたことや、感謝をお伝えしたいと思い、おたよりを書いています。

サイトの中には、お亡くなりになられた千尋さんへのたくさんのメッセージが綴られていましたね。温かくて優しいメッセージ・・・読めば読むほど、千尋さんがどれほど深く愛されていたか・・・心に伝わってきました。 同時に、愛する千尋さんを失った深い悲しみ、心の激痛も、痛いほど心に伝わってきました。

朝、元気に出かけていった娘さんが、夕方には冷たくなっているなんて・・・ご家族の方や、千尋さんと親しくされていた皆様は、どれほど悲しみ苦しんだだろうか・・・そう考えるたびに、胸が苦しくなるような思いです。

『車の運転をするたびに、車の前部に激しく打ちつけられた娘の姿が想像され、どんなに痛かっただろうか、どんなに苦しかっただろうかと不憫に思います』 この言葉をお読みしたときには、心が刺し通されるような思いでした。私も、車の冷たい鉄の外装に触れるとき、ときどき考えます。

交通事故で亡くなられた方々は、どれほど痛い思いをしたのだろう・・・
こんなに固くて冷たい鉄の塊が突っ込んできたら・・・
どれほど苦しみ、どれほど激痛を感じながら死ぬことになるだろう・・・と。

単に数字だけで、年間交通事故の死者・何千人と発表されますけれど、そのひとりひとりの犠牲の背景には、亡くなった方を心から愛していたご家族や親友の皆様の嘆き悲しみがあり、命を失った方の激痛と苦しみがあり・・・言葉ではとても表現できない苦しみがあると、実感させられました。

一歩外へ出ると、車が猛スピードで走り回っています。なぜもっと、思いやりをもって運転することができないのでしょう・・・ なぜもっと、命の尊さを考えて、ゆっくり穏やかに運転することができないのでしょう・・・周りの人の荒々しい運転の仕方を見るたびに、そうした疑問が次から次へと浮かんできます。

悲しいことですけれど、今はほんとうに、人の命よりも、お金や時間のほうが優先されている社会なのですね・・・とりわけ、『加害者が、僅か103円の銀行手数料を節約するため殊更先を急ぎ』という文章を見た時、この世界がどれほどお金重視で、利己的で、「自分さえ良ければ」という考えで人の命を軽視しているか、とても考えさせられ、悲しくなりました。

愛する千尋さんがいなくなり、残されたご家族や親友の皆様が感じておられる心の激痛を想うたびに、毎日毎日、いつでもどこでも、どんな理由があっても、必ず安全運転を最優先させなければならない・・・
その決意を新たにさせられました。

ある高校生の方が書いていたとおり、人の命を簡単に奪ってしまう凶器に変わり得る道具を、自分の楽のために軽々しい気持ちで使うのは許されないことです。『自分が死んだ時悲しんでくれる人がいるように、運転中すれ違う人すべてにそう思ってくれる人がいると考えれば、絶対に軽い気持ちで運転できないはず』 ほんとうに、この言葉のとおりだと感じました。すべての人が、この言葉を心に留めて、人の命を大切にして、安全運転を心がけるなら、社会はどれほど変わることでしょう。

次の言葉は、特に忘れられない言葉となりました。
『天から与えられた命を全う出来ずに夭逝(ようせい)-若くして亡くなることですが-された時、この世で一番深い悲しみに陥るご両親がいる。そのことをお考え下さい』 車を運転するときには、この言葉を忘れないようにします。
早く着こうなどとは一切考えないで、まず、人の命を第一に穏やかな運転を心がけてゆくつもりです。

きょうは、偶然訪れた前田様のHPで、たくさんたくさん、忘れることのできない貴重な言葉を伝えていただき、感謝しています。自分自身、数年前に愛する人を失い、消えることのない深い深い心の傷とPTSDを背負って生きてきました。あるときは、死にたいと思う毎日でしたけれど、今は、命ある限り精一杯生きてゆかなければ・・・そう感じています。

そうした気持ちで一生懸命生きてきた中で、今日のように、心に響く言葉をたくさん見つけることができたのも、大切な出会いの一つです。前田様のHPを通して、人の命の重さ・・・大切さ、いろいろなことを思い巡らすたいへん貴重な機会を持つことができました。ほんとうにありがとうございます。

これから車を運転してゆくとき、前田様の講話はきっと忘れないと思います。いままでも、安全を常に意識しながら運転してきましたけれど、今日から、また新たな気持ち、新たな決意で、ハンドルを握れそうです。『ハンドルを握ったその瞬間から、早く着こうとか考えず、仕事の能率も意に介さず、 誰も傷つけなかったという喜びを共有するために』・・・
ゆっくり安全運転を続けてゆく決意を固めることができました。

自分は若いときから、たとえこの世界で命が終わっても、平和で幸福な世界で、もちろん交通事故死もない世界で、再び亡くなった人に会えると、聖書を通して教えられてきました。なので、千尋さんのように、偶然面識をもてるようになった方にも、お会いできることを今から楽しみにしています。

『神はすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』 啓示 21:4

追伸ですけれど、サイトに載せられていた前田様の講話や高校生の方の感想、FORUMの内容などを、一部転載させていただくことはできるでしょうか。趣味で描いたイラストを掲載するHPを作っているのですけれど、「ほんだな」というページでは、命の尊さに関する記事も載せてゆきたいと思っています。

千尋さんの死が無駄にならないことを祈りつつ、心からの感謝を込めて、おたよりを結びます。

《 返信 前田 2005/4/17 》

メールありがとうございました。
娘のサイトに、過分なお褒めの言葉をいただき恐縮しています。でも本当に嬉しかったです。一刻も早くお礼の言葉を伝えたかったのですが、昨日も一日「ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名を札幌で行っていました。
今朝ようやくふわふわ様のサイトを拝見できました。素敵なページばかりでした。早速私のPCの壁紙に絵を使わせていただきました。

娘は二人とも「風の谷のナウシカ」が大好きでした。ビデオを何度も見ていました。亡くなった千尋がピアノを習っていたとき最後の発表会(中学2年)で演奏したのがグノーのアベマリアでした。この曲はずいぶん気に入っていたようです。
幼稚園が教会幼稚園でしたので、影響があったのかも知れません。このようなこともあり、私もふわふわ様のサイトに魅入られました。今後ともよろしくお願いします。

《 2005/4/26 「ふわふわ」さん② 》

交通安全講話の全文と、高校生の方の感想文の一部を「ほんだな」に転載させていただきました。読めば読むほど、命の尊さを思い起こさせられています。
前田様の講話を、ひとりでも多くの方に読んでいただいて、ひとりでも多くの方が、他の人を思いやる穏やかな運転をするようになってほしいと願っています。そして、自分も、運転するときには、前田様の講話を忘れずにハンドルを握りたいと決意しています。

《 返信② 前田 2005/4/27 》

「ほんだな」へのの掲載ありがとうございます。
空色のページに書かれると拙文も少し活きているように感じました。生徒さんの感想文を載せてもらってすごく良かったです。いつも生徒さんの感想文に励まされていますので。

実は昨日も芦別総合技術高校という小さな高校にでかけ、「命とクルマ~遺された親からのメッセージ」をしてきました。今回も亡くなった娘と同年代の高校生の真摯な眼差しを前にして、胸が一杯になり、途中で声が詰まってしまいました。いつも講話の前と後は落ち込むのです。

《 2005/4/27 「ふわふわ」さん③ 》

ほんとうですね。
若い方々が真摯な態度で受け止めておられる様子を見ると、心温まり、また、とても励まされています。愛する家族を失う心の激痛を知っているからこそ、前田様の講話は、生徒の皆さんの心に深く深く響いたことと思います。

この講話は、これから免許を取る方、また、すでに持っている方すべてに聞いてもらいたいです。この話を知っているかどうかによって、ハンドルを握る時の心持ちが全く違ってくると思います。

前田様のたいへん貴重な活動に、私も陰ながら応援させていただきます。自分の周りにも、これから免許取得に向けてがんばっている方がおられますので、機会があれば、積極的に前田様の講話やHPを紹介させていただきたいと思っています。

速度超過の電車が脱線して、高校生を含む大勢の方が亡くなったというニュースなどを聞いていると、講話の中の「とにかく早く着こうとは一切考えない・・・」という言葉が何度も心に響いてくるようです。

《 2005/4/9 FKさん 》

貴サイトを拝見しました。なんとも言葉がありません。
自分も半年前に、人身事故をおこしてしまい相手の方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。 事故をしてからでは遅いのですが、車の運転の怖さを身にしみて実感しています。自分は旅行サイトを運営しているのですが、安全運転について!と言うページも開設しています。勝手ながら、そのページに貴サイトをリンクさせて頂きました。 
ご報告までと思い連絡いたしました。
http://www2.fctv.ne.jp/~f-k1008/newpage2.html

《 返信 前田 2005/4/9 》

メッセージとリンクありがとうございました。
「安全運転について」のページも読ませていただきました。大変真摯な内容で好感が持てました。リンクしていただいたことに感謝しております。亡き娘のサイトがこのように紹介されるなら娘も私も本望です。
クルマは便利ですが、凶器になる危険性をはらんでいるということをより多くの人と一緒に考えたいと切望しています。

《2005/1/29 Yさん》

今小学2年生の息子をもつ母です。
こんなことは、許されないことです。私は、いつ自分の子が・・・と思うと胸が痛いです。自転車で出かける息子に、うるさい位、「車に気をつけなさいよ!」なんども言ってしまいます。帰って来るまで、心配で心配で・・・・・
事故のニュースを耳にすると、涙が出ます。二度とおきてはならないことです。
応援しています。

《 返信 前田 2005/1/30 》

ッセージありがとうございます。
被害の当事者となり、あまりに理不尽な社会に対し恨みと絶望の毎日でした。インターネットを通して亡き娘から託された「仕事」(=交通犯罪を生まない社会を作ること)をやり抜いて、天国で娘に報告したいと思い、HPを開設しました。ですから、私にとってYさんのようなメッセージをいただくことは大きな励みです。
ありがとうございました。

《2004/8/10 SYさん》

はじめまして。現在自動車学校にて普通二輪車免許を取得している20歳の会社員です。
教習を受けている中で当然、交通事故についての学課があったため、改めて肝に銘じようとHPを拝見させて頂きました。前田様の気持ちというか考え方がよく伝わってくる文章と、現実にあった事故のその被害者の父親からのメッセージだという二つの事柄が、安易に免許を取って楽しいバイクのある生活をなんて思っていた自分を変えました。

今日こうして自宅で勉強をしていた私も、明日には加害者や被害者になりえてしまう現実。
もう一度、免許証をとる前に自分自身をきちんと点検する必要があると強く感じます。教習所では、細々と車を運転する際の決まりごとや注意点を教えられるのですが、実際の道路ではそれらの多くが無視されています。

前田様の娘様を、早くに天国に送ってしまった事故の原因、カーラジオの操作による前方不注意。 教習所のビデオで「当然いけないことです。」と教えられた事柄の中に含まれていました。映像を見ながら私は当たり前だよなぁと思いましたが、ビデオのように、脇見をやめて顔を上げたらいきなり人が出てくるなんて無いだろうとも思いました。しかし実際おこった事故は、脇見をしながら人を跳ね飛ばし、それでようやく気づく。このHPは現実の怖さを私に教えてくれました。

交通ルールをキチンと守ったとしても、事故は起きてしまう。それなのに脇見はもちろん、どんな些細な油断も、車を運転する上では許されない。教習所の教官が、最後に事故から身を守るのは相手を思いやる事だと教えてくれました。私が車を運転する際は、必ずルールを守るよう、周囲に気を配り、周囲の交通を思いやります。自分自身が交通事故の被害者にも加害者にもならならように。悲しいことが増えないよう、今日の気持ちは忘れません。

前田様ご自身の体験をホームページにして、私に見せて頂き誠に有り難うございます。
本当に良い勉強ができました。

《 返信 前田 2004/8/16 》

メッセージありがとうございました。
心の中の娘とともに「犠牲を無駄にしない」ための取り組みをしている私にとって、この度いただいたメッセージは何よりの励ましであり、娘への供養にもなるものでした。感謝の気持ちで一杯です。

誰しも加害者にはなりたくありません。
しかし現実のクルマの使用は限りなく危険な状態のまま使われているのです。クルマの負の側面、安全の限界を知った上で、絶対に加害者にならない運転を全ての人が貫いて欲しいのです。

そのためにどうするか。
私は進行方向の安全確認を常に二重三重に行いながら運転することではないかと思っています。もし○○が起きても(子どもが飛び出して来ても)衝突は回避できるかという状況判断を常に行いながらということです。もう少し具体的に例を挙げると、「安全な進行方向空間距離」(「車間距離」もこれに含まれますが、対象が前方の人の場合がありますので、正確にはこう言うそうです)を保持して運転することではないかと考えています。

衝突は当該自動車の停止距離 > 当該自動車の進行方向空間距離
という関係が生じて発生するからです。
便利さと早く着きたいという欲望に任せると、「安全な進行方向空間距離」が確保されず、クルマを凶器に変えてしまいます。この場合「未必の故意」という重大な交通犯罪を犯すことになります。これを抑制するのが道路交通法という法規であり、これに反した行為、私の娘を殺めた「前方不注視」なども結果の重大性から「犯罪」として裁かれなくてはならないのです。

こうしたことが社会全体での常識となるためには、「クルマ優先社会」が見直され、クルマ使用に対する社会的規制が抜本的に強化されるしかないと思っています。現状では、歩行者等にその責任が転嫁され、社会全体が安易に「加害者も大変」などとドライバーの側に立って考えます。

このあたりのことも含め、私は娘とと共に訴え続けていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。

《2004/4/9 ATさん》

本日、北海道医療大学で交通安全の講習を受けました、心理科学部の学生です。
こうしてメールを送るのは初めてなので失礼な部分があるかもしれませんがご了承ください。

今日の交通安全の講習、とても参考になりました。
私は、交通事故で肉親を亡くしたことがないので、前田さん方のとても悲しい気持ちは計りしれないことでしょう。もちろん、わかるようになってしまってもいけないと思います。これ以上、その悲しみを増やさないために・・・(講習でおっしゃっていましたね)前田さんの話を聞き、涙をこらえるのがやっとでした。どうして交通事故は刑期が短いんでしょう・・・。
知りませんでした。無知であることが本当に恥ずかしいです。

私はまだ免許を取得していません。今日の話を聞き、免許を取るのが怖くなりました。免許を取ったら、加害者になる可能性がどんな人にでもあるのだから。免許の取得方法を変えるべきだと思いました。年齢だけではなく、命の大切さのわかる、人としての検査らしきものも必要であると思います。

また、これは私的に思うのですが、車自体のスピードの制限を下げるべきだと思います。最高50キロしかでない車など・・・。そしてこれらのことは、私たちの世代が変えていくべきことなのだと思います。

≪返信 前田 2004/4/10≫

昨日はつたない講話で失礼しました。
心のこもったメールを本当にありがとうございます。千尋が誰よりも喜び、お礼を言っていると思います。励ましを胸にがんばります。

《 KTさんのコメント  2004/4/26 》

ATさん曰く、人としての検査が必要と言う事ですが、その通りと思います。事故というものが、運転技術の不足が原因で起こっている訳ではなく性格的な問題やちょっとした不注意が原因で起こっている事を考えれば、性格検査(現在行われている適性検査より厳格な物=心理学を学んでおられる方が仰っているのだから可能なのでしょう)を行うべきと言うのは当然です。

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