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FORUM Vol.01 皆さんから寄せられたメールから

感想などを送っていただいた中で、掲載を了解された方のメールを紹介し、交通事故についてともに考えるページです。( 2001/9 UP ) 2004年~2007年10月19日

《2003/9/16~10/7 KT さん》

交通事故で子供を奪われると言うのは、(僕はまだ若く子供もいないのであまりよく分かりませんが)子供を拉致された、犯罪で殺されたのと同じぐらいの苦しみではなかろうかと思います。悪質な違反者に対する処罰をもう少し厳しくするべきではないでしょうか?

例えば飲酒運転などは、たとえ酒気帯びであっても(病人怪我人妊婦の搬送などやむを得ないと思われる場合を除いて)全部免許取り消しにするなどの毅然とした取締りが必要かと思います。

私も、妹を事故で亡くしているのです。
事故と言っても、千尋さんのように交通事故ではなくて、出産時の医療事故です。当時は私も一歳で何も分からなかったのですが、大人となり母からその原因を聞かされた日、そのドクターを殺したいほど恨んだものです。命の重さなどはよく分かっているつもりですが、最近テレビで飲酒検問の様子など見ていると、腹の立つことが多々あります。 
「違反なのは分かっているけど大丈夫と思った」
などということを平気で警察官に言っています。
「あなたは事故を起こしたとき、相手の人にもその言葉言えますか!」と問いたくなります。

私は安全運転こそ絶対必要と考えています。飲酒運転による死亡事故(「事件」と言うべきでしょうか?)等はあなたの言うように全くもって殺人被害です。そんなものは起きるべくしておきた事故であり、ただの事故で済ます訳には行きません。私も、車に乗る時そういうことを心に留めて安全運転しています。

僭越ながら私も車好きとして交通安全の普及に向け、出来うる努力をいたします。医療事故の防止についてもいつか、訴える機会を作りたいと思います。この二つの種類の事故とも絶対に無くさなくてはなりません。大事な者を無くした者同士、ネット上ではあるかもしれませんが前田さんと手を結んで訴えたいと思います。
↓以下は続きです。

《KTさんからのメッセージの続き①》
私も事故の加害者になった事が恥ずかしながらあります。幸いなことに怪我人は無かった(物損事故だった)のですが、あれがもし相手が怪我していたら、死んでいたらまたは自分が大怪我を・・・と思うとぞっとしてしまいます。日本一の交通量を誇る地元の新潟バイパスだったのですが(道路名ご存知でしょうか?)合流しようとした所、その場所が混雑していたのにもかかわらず後ろの車の流れにばかり目が行き、前方の車に追突してしまったのです。それからはその様な事の無い様、常に前後左右に万全の注意をして、運転しております。
私は、悪質な交通違反者を野放しにはして置けません。警察も今のように、隠れてこそこそ捕まえるのを主流にするのでなく、堂々とあくまで「抑止」の取締りをして欲しいです。私も一方通行と知らずに進入した際捕まりましたが、パトカーを見えやすいところに置くなど「違反であることを教える」様にして欲しいです。そのほうがドライバーに「見られている」と言う無言の圧力を残せるでしょうし、隠れているとORさんが言っていたように「“そこでは”警察がいるから違反しないようにしよう」「でも他の場所は飛ばそう」になってしまいます。また警察にノルマがあると言うのはどうでしょう。そんなノルマなどあると大量捕獲至上主義になります。
実は先日私の家の近所で人身事故がありました。バイクと車の事故で、バイクが交差点で一時停止を怠ったのが直接の原因でしたが、優先方向を走ってきた車のほうも30キロ制限の所を50キロと言う違反運転で走ってきたようです。私のような地元の者でも30キロを厳守する狭い道でです。私もバイクの怪我人への意識を失わせないようにするための声掛けやご家族への電話や警察の検分やバイクの撤去など協力しましたが、双方の違反行為が無ければ起こらなかった事故です。バイクの怪我人の女性について、事故自体が地元紙にも載っていないことから、重傷には間違いないと思いますがどうやら私が現場で思ったほど深刻な怪我ではないと思われほっとしている次第です。しかしよほどの怪我でなければ地元紙でさえ事故を報道しないという新聞屋の考えは、おかしいと思います。
私は、車が好きで車の整備学校に行っています。自分は目が悪く、整備士になれる見込みはハッキリしていません。しかし機械系の仕事に行きたいと思っています。機械の整備も車の整備も車の運転も「人の命の重さ」を知ってないと出来ない事です。
私は飛行機も好きですが、飛行機のパイロットは、パイロットになる課程でも、なった後でも、半年毎!に駄目なら免許取り消しという厳しい訓練と試験、身体検査を繰り返しています。 それに引き換え車の場合は、免許を取るのは1ヶ月で出来、その後は3年か5年に一度写真を張り替えてビデオを見るだけという、実に簡単に済まされています。せめて書き換えの時にシミュレーターなどで緊急対応訓練と試験(これに落ちたからと言って免許を取り消すのでなく、自らの有事対処の技能を客観的に知る為の)をするべきと思います。
なぜにこうも自分勝手な運転をする人が多いのか私には理解できません。私ももうじき社会人になる人間ですから、仕事の効率が大事なのは分かります。しかし効率とかは、一番大切な「安全」の上に成り立っています。
日本の道交法は甘いと感じます。飲酒運転などは「患者搬送等やむを得ない場合を除いては」即刻取り消しにすべきところを、基準値を設け酒気帯びだけでは取り消しに出来ないのです。
また制限速度の設定方法もおかしいと思います。現行法では一般道は60km.以下高速道は100km以下となっていますが、あくまでも私の目から見てですがこれ以上の速度で走っても安全と思える場所も多くあります。高速道の大型車、軽自動車の80km制限等特にそうです。こうした不用意な速度設定が多くの渋滞を引き起こし、余計な事故を増やしています。一括りに60km以下、100km以下、80km以下と決めず、その場所その場所に応じた臨機応変な制限速度設定が事故を防ぐと思います。
昨年の道交法改正は障害者の身体的欠格事由の見直しなど良い点はあるのですが、飲酒等にはまだ甘いと思っています。
《 KTさんからのメッセージの続き②  2003/11/3 》
妹を亡くしてみて思ったのは、事故というものは被害者はもちろんだけれども、加害者の方にとっても、とてつもないほどの被害を被る。
だからこそ、この苦しみをまだ被害者や加害者になったことの無い人に、これから味わって欲しくないと思うのです。警察ももっと意識を変えて安全運動に取り組んで欲しいと思います。オービスでないLシステムはスピード違反の取締りはしてないとかで、こうしたことは良くないと思います。ネズミ捕りのようなマネも。ネズミ捕りは、運転者は萎縮しますが、余りフェアプレーとは言えません。
なぜ規則を守らないと罰則があるか。「取締りがあるから」「罰金が高いから」理由は人それぞれ様々ありますが、一番大切な物はなんでしょう。「命」です。交通法規に限らず背景に犠牲者があったからです。
例えば労働安全法の中に「ガソリン等引火性の有る物が入っていた缶等を溶接または溶断する際は、水を満タンに張り安全に作業する事」と有ります。これは「ガソリン等の引火性の有るものはほんの少量の液が残っていたり、液が残って無くても蒸気でも残っていた場合、溶接の炎で引火爆発してしまう」のでその様にして安全を確保すべきであると規定している訳です。これを守らなかった事による死亡事例も発生しています。(ガソリン等の成分は水に溶けないので水を張ると缶から成分を追い出せるので‐理科の先生だそうなのでご存知かと思いますが)
このように規則に反すると言うことはそれなりのリスクを孕んでいると言う事です。交通事故というとそれだけではもはやほとんどの人がだいぶ聞き慣れてしまって効果が無い様なので、前田さんがしてらした様に他の分かりやすい惨い事例を例えに出すと印象に残りやすいと思い私もそうさせて頂きました。
《 KTさんからのメッセージの続き③  2003/11/9 》
人を殺したら普通は懲役や禁固で5年とか結構長く刑務所に行くのに(過剰防衛とか卑劣な行為への報復とかは別でしょうが)、交通事故であるというだけで、運転者側に重大な過失があるにもかかわらず、禁固一年で執行猶予がつき刑務所にも行かないなどと言う事はおかしいと思います。子供がいるからという理由があったそうで、確かに子供には気の毒ですが、普通の殺人の裁判で子供がいるなどと関係ない中で交通事故の裁判でだけそういうのがまかり通るのはおかしいと思います。子供は父親に任せるか、家族がいない場合は施設に入れるか親戚に預けるかして養育費は公金で出すとか、すればいいことだと(預けられた先での子供への人権侵害は徹底的に防止して)思います。これは普通の裁判でも導入すべきことです。
被害者の側にとっては、仮に加害者が二度と車を運転しないと約束したとしても、そんなことはおそらく何の慰めにもならないと思います。
私も妹の医療事故を起こした医師が医師を辞めたとしても許す事は有り得ないと思います。
《 KTさんからのメッセージの続き④  2003/11/11 》
交通事故と泥棒の罪を罪名だけを比較してどうこうと言うのではなく、人の命がどのくらい危険な状況に置かれたか、どれだけ今後の人生に影響を与えるかで刑を決定すべきであろう。
泥棒などであっても、夜中に家の中に侵入して盗むと言うのであれば、家人に見つかり捕まえようとした家人が刺されたりすることもあります。スリや痴漢等も同様です。
交通事故は、対策が可能であるにもかかわらずドライバーの慢心や不注意等により引き起こされています。けが人の無い物損事故もありますが事故の何分の一かは人身事故で、死亡事故も一日に一回くらい新聞に載る有様です。
このように犯罪と言うものはその多くが被害者を伴うものであり、どのような犯罪も等しく取り締まられなければならず、人の命と言うのは軽々しく奪ったり出来るものではないという事を認識しなおさなければならないでしょう。私の友人の母親も事故で8日の日に亡くなったそうです。状況は分かりませんが、横断歩道を歩いている所だったそうです。やり切れませんね。
千尋さんの事件の裁判長は事件について「往々にして起こりそうな事故」と述べたそうですが、その「往々にして起こる」という認識を変えない限り、交通事故が「往々にして起きる」と言う事情が変わることは無いと考えます。
《 KTさんからのメッセージの続き⑤  2003/11/22 》
私が言いたいのは、なぜ交通事故と言うだけで人を殺したものが軽く裁かれるのかと言う事。私の友人の母親も交通事故で亡くなりました。事故の状況はよく分かりませんが、横断歩道を歩行中車に轢かれて肺挫傷とか言うことで即死だったそうです。最近はその友人の連絡先が分からず、会って慰めることも霊前に花を手向ける事も出来ませんでした。私もお母さんのことは知っており、偉く元気の良いお母さんだっただけに彼の心中は察するに余りあります。ご自身も亡くなるまで車を運転されていたせいか、私が運転して彼の家から帰る際にも「気をつけて」の一言。そしてご自身の慎重な運転。このような人が事故に遭うなんて・・・メールを書いていて息が詰まりそうです。
《 KTさんからのメッセージの続き⑥  2003/11/26 》
飲酒運転は本当に多いです。飲み屋に行っても駐車場は満車。果たして飲み屋に来る人の何割が代行を呼ぶか、飲まない人に運転させるかしているのかアンケートでも取りたくなります。飲んだら乗るな、これは「国民皆免許」の現代にあってはまさに「国民の義務」と思わなければなりません。
飲み屋に行くなら、送り迎えの約束をとる、代行を頼む、バス電車で行く、自転車で行く。これが常識と思います。あとやはりこれも公共交通が衰退していることも原因としてあると思います。地元新潟の飲み屋なども、駅から離れた場所にも多く有ります。バス停は飲み屋の近くにも結構ありますが夜になると本数も少なく、これでは飲酒運転が増えるのも仕方ない(?)有様だと思います。
また公共交通を存続することはそれ自体が有益な事だと思います。車の利用者が多くて公共交通の運営が苦しいと言うのなら、国や地方自治体で補助できないのかといつも思います。
《 KTさんからのメッセージの続き⑦  2003/11/30 》
私はひき逃げに関しては「許せない」の一言しかないです。人は自分の過ちで他の人を傷つけたとき即座に「すみませんでした」の一言が言えなければなりません。自分の車に今にも出産しそうな奥さんが乗っていて病院に向かっていたとかそういう理由であれば、病院に送った後でしかるべき所に連絡するしかないですが、「酒を飲んでいた?ふざけんな!!」と言う考えを私は持っています。
私は車関係の学校に通っていて、保険関係の講義も受けました。ひき逃げで捕まった人の話です。その人は普段酒は飲めず、晩酌もしてませんでした。また人望も厚かったそうです。しかしその人は大工をしており、その日は建前だったので、断りきれずに飲めないお酒を飲んで、運転して帰路に付いたんだそうです。そして運命の瞬間です。人をはねてしまった。その時轢かれた人は結局軽い怪我だけで済んだそうですが、跳ねた大工の人は逃げた。酒を飲んでいたので怖くなったから・・・」。その人は市川刑務所という、日本で唯一の交通刑務所に入ったそうです。このように飲酒・ひき逃げと言うのは人望も人格もすべて台無しにしてしまうのです。
たった1本の缶ビールのために人生棒に振りますか?飲酒運転は、やめましょう。 
《 KTさんからのメッセージの続き⑧  2003/12/1 》
こちらのホームページで高石さんの事件の記述を見たのですがこんなひき逃げが続くならいっそ救護義務を果たさ無かった人には殺人罪を適用しても良いかもしれませんね。
《 KTさんからのメッセージの続き⑨  2003/12/21 》
これはある航空雑誌のパイロットインタビューでパイロットが言っていたのですが、貴社からの「安全の為に何かなさっていますか」と言う問いにパイロットは「うーん」と首をかしげたそうです。なぜ傾げたのか?
「安全の為に何かするというよりも安全自体が仕事のベースなんです。何か判断するにも常に安全がベースとなります」とおっしゃっておりました。
我々一般ドライバーでもそれは同じでなければならないことです。しかし通学の朝の時間帯に車を使う時不意に、「時間」を判断のベースにしている自分に気付きます。もちろん時間を大事にすること自体は社会人として当然なのですが、そのように急いでいる時こそ「安全が仕事のベース」と言う言葉を思い出し、冷静になるようにしています。
《 KTさんからのメッセージの続き⑩  2003/12/30 》
私は交通事故の撲滅については、今の時代が正念場であろうと考えています。なぜならば、公機関(警察や国土交通賞など)や自動車メーカーの不断の努力により、車両の保有台数が増加し続けているにもかかわらず、事故総数、死亡者数共に減少をし始めているからです。
ここでもしこれらの努力に運転者のモラル改善が加われば死亡事故数はもはや0に近くなると思います。モラルを改善するには、究極の手段で言えばもう、法の改正しかありません。
昨年6月の道交法改正には、免許取得に関わる身体的欠格事由の緩和や、飲酒運転の厳罰化など、緩和すべきところを緩和し、規制すべきところの規制を強化しようと言う努力の形跡が随所に見られるのですが、おかしなところがあるわけです。
飲酒運転は従来が0.25で酒気帯び、0.4で酒酔い運転だったのが、改正によって、0.15で酒気帯び、0.25で酒酔いで検挙できるようになりました。確かに以前より厳しくなったのですが、そもそも数値は必要でしょうか?酒を飲んでいたと言うだけで直ちに免許取り消しとすべきです。運転は酒を飲んでいながら出来るほど簡単ではない事を全ての人が認識すべきです。新幹線の運転士が酒を飲みながら運転するでしょうか?新幹線は大勢の人が乗っておられるので当然ですが、我々一般ドライバーも自分や周りの人の命を守らなければならない訳ですから、同様の責任を感じて運転しなければなりません。(もちろん運転の技術に関しては新幹線の方が自動車より遥かに高いレベルの技術が必要ですが)
《 KTさんからのメッセージの続き⑪  2004/2/11 》
国や警察がようやく重い腰を上げて、交通行政の見直しを始めたようですが、まだまだ手ぬるいです。日本の交通事故死者は減少し始めたとはいえ、9000人前後いると聞きます。9000千人、これはボーイング747というジャンボ機が日本国内だけで20機近く墜落し、乗員乗客全員が死んだのと同じ位の数です。負傷者も含めると、20機など比べ物にならないほど多くのジャンボ機が落ちたことになります。航空機事故がそこまで増えた時、今までの自動車事故対策のようなのんびりした対策をするのでしょうか?直ちに事故原因の徹底的な捜査が行われ、同型機全機が緊急点検に入るはずです。それと同時に原因となった事態が発生した場合の回避の方法が研究され、仮に操縦士によって回避することが可能であるならばその方法が訓練に盛り込まれるはずです。
それに引き換え、自動車の場合は、これは私が免許を取った際の話ですので今は分かりませんが、私のときは緊急対応の訓練などはカリキュラムとしてはありませんでした。もちろん路上教習中に人が飛び出して、教官と私が協力して回避した(私がハンドルで回避し、教官がブレーキでそれをアシスト)などはありましたが、免許を取った後は全部一人で回避しなければなりませんから、そのための訓練は用意して欲しいと思います。現に私も免許を取ってから今まで何度人を轢きそうになった事か。
もちろん自動車は飛行機とは違いほとんどの国民が所有しているものですから、いくら事故が頻発したからといって、それが車体の異常が原因であるとハッキリしない限り同型車の運行を停止して点検するなど出来ないのは常識ですが、他にまだまだできる対策があるのに実行されていません。

≪返信 前田 2003/10/12≫

何度にも分けて貴重なメッセージをありがとうございます。
後半は「続き」としてアコーディオンメニューにさせていただきました。クリックすると各続きの文面が開きます。「仕事の効率が大事なのは分かります。しかし効率とかは、一番大切な『安全』の上に成り立っています」(続きの部分にあります)という指摘など本当にその通りと思いました。今後ともよろしくお願いします

《2003/9/22 OR さん》

交通事故関連のYAHOOのニュースなどでリンクがはってあり拝見しました。
千尋さんの悲劇的な死に方に涙が止まりませんでした。自分も運転する機会の多い身ですので大変恐縮しつつ、自らの運転姿勢とかについて問い直すよい機会を与えてくださった事を感謝しております。同時に交通社会が車優先というのを改めて知る事もできました。

自分は本当に運良く人身事故こそは起こしていないものの加害者にもなり、被害者にも(車同士の事故で)なった身であります。しかしその両方の立場を経験し、交通事故は「言葉でいくらでも事故状況を変化させることができる」というのを感じました。

「死人に口無し」と言われていますが、本当にその通りで生き残った加害者が、死んでしまった何も言えない被害者に不利になるような証言はいくらでもできる。目撃者がいたとしても真実をどこまで突き詰められるか、本当に真実を突き詰める事のできた事故は、その他の刑事犯罪と比べると稀だと感じました。文明社会で色々なものが進化している筈なのに、なぜ捏造がたやすくできるのか?本当に憤りを感じずにいられません。

警察も「交通安全」と躍起になってますが、全然一般の人たちと交通安全の認識が違うのではないかと思うような部分も多いです。例えば、莫大なお金をかけてスピード取締り機を全国に設置していますが、本当に交通事故防止に役立っているでしょうか?

運転している人同士の話では「“そこでは”つかまるからスピードを出さないようにしよう」「でも、そこ以外では飛ばしても良い」みたいな決して安全意識を高めているとは言いがたいです。例えば、同じお金をかけるのであればHPにも書かれてた分離式信号の設置、使える歩道の設置(できればバリアフリーで自転車と歩行者の分離式)、交差点への防犯カメラ設置などは、できないのでしょうか?

事故の大半は交差点にあると聞きます。交差点の悪質ドライバーの検挙、そして事故原因の究明に役立つ筈です。カメラを国道などに設置は聞きますが、あくまでも車優先の渋滞緩和ということに重点をおいてあり、それ以外の目的で使われてるというのは
あまり耳にしません。(記録を取ってないと言うことを耳にしたことがあります)そういった方向への活用は強く警察に要望したいものです。

また免許制度についてもおかしい部分が多いのは免許を持ってる身からしても同感です。例えば運転できる自動車の区分。中型、小型トラックは普通免許で運転が可能です。しかし教習所でそのような車を運転するでしょうか?だいたい乗用車は巾が1.7m、長さが4.5mほどしかありません。しかし4トントラックにもなりますと巾は教習車よりも50センチ以上も広幅で長さも8mと教習車の倍近い長さがあります。
こういった車を免許さえあれば運転できるのですから、ぞっとします。
最近ではバイクメーカーの勝手な都合による大型バイクの免許制度の改悪により事故が増えていると聞きます。(最近では東京都内で1日4件も死亡事故がおきそのうち3件はバイクによる死亡事故でした)本当に、罰則の強化も、教育や免許区分の見直しも必要だと感じます。

そして同時に、世の中そのものを時間重視、便利さや経済重視という考えから脱却することも必要だとも感じました。一時期、30分以内でピザを宅配、遅れたらピザをサービスとかありましたが、危険運転を助長させてるとしか言いようがありません。1人でもせっかちな人がいると周りも便乗して自然と流れが危険な速さになってしまう傾向があると思います。
ですからそのような時間を優先しない事は危険運転を減らすのに少なからず貢献すると思います。
長文かつ乱文失礼しました。
千尋さんの死が無駄にならない社会になってくれることを願うばかりです。

≪返信 前田 2003/9/23≫

ッセージありがとうございます。大いに励まされています。また頑張って活動をすすめ、更新もしたいと思います。

《追伸 9/23 OR さん 》

追伸的になりますが、 今日は仕事も休みで久々に散歩で歩道を歩いていると突然来た自転車にぶつかりそうになりました。
相手はどう見ても高校生位の若者でした。耳にはウォークマン、片手に携帯。どうやらメールを打ちながら走ってた感じでした。
高校生と言えば千尋さんが亡くなった当時が高校生だったので同じ高校生でも被害者になってしまうものもいれば一方で加害の方になってしまう人もいると思うと悲しくなりました。またそういったモラルの無い子供達が将来大人になりはたして安全運転するドライバーになるのかなという疑問も持っています。
免許取る時も技術や知識だけでなくモラルをもっと重視すべきだと思いますがやはり大人になってから矯正するのではなかなか困難だと思います。学力ばかりの教育やゆとり教育と言っていますが、小学校や中学校でも時間をかけたちゃんとした交通教育をおこなうべきだなと感じています。

《2003/5/31 H E さん》

初めまして。
「交通事故」に関して調べていたところ、貴方様のHPと偶然に出会い、拝見させていただきました。

千聖(ちさと:娘(当時2歳))先月、自宅の前で交通事故に遭い亡くなりました。「バキバキっ」という音に振り返った時には、頭部を轢かれた娘が、タイヤの下から出てきたところでした。泣き声もなく、ほぼ即死状態でした。11歳の息子も、その瞬間を見てしまいました。

今はまだ、何を考えていいのか何をすればいいのかまったく分からずただ気を紛らわすために仕事をし、疲れたら眠る(あまり眠れませんが・・)といった毎日です。
やり切れませんね・・

≪返信 前田 2003/6/2≫

メッセージ読みました。どうお返事してよいのか本当に胸が痛みます。
HPも見せていただきました。お嬢様のご冥福を心よりお祈り致します。お嬢様は現代の「クルマ優先社会」の犠牲になられた、そうとしか考えられません悲劇を生まない社会をつくるために、私は頑張りたいと思っています。

《2003/6/3 H.E. 》

お忙しい中での返信、有難うございます。
何も分からない子供を守るのは大人の義務。
自動車を運転しているのは、思慮ある大人のはずなのになぜ、子供たちを守ろうとしないのか・・・いくら急いでいても、ほんの数秒、速度を落して、廻りに注意を払う時間に費やしても、時間的にはあまり変わらないのに・・・そして、ほんの数秒のことで、何人の命が救われたか。
免許制度からして、甘すぎると思っています。

私も以前は、運転をしていましたが、警視庁主催の講習会や、技術講習会・大会には必ず出席していました。免許取得から何年経っても、自動車を動かすことが怖かったのです。40年以上、ドライバーとして働きながら無事故無違反で表彰された父のおかげなのですが・・・
幼い頃から父の運転する車の横に乗り、標識から道路標示、そして車の怖さを教えてもらいました。講習会では、運転技術からマナー、運転する時の精神の持ち方等々、いろいろな事を学んできました。
おかげで、警察の方からは「安全運転者シール」もいただけました。
・・・が、こんな私でも事故には遭ってしまうのです。

当時20歳でした。
信号も速度も守って直進走行していた私に、中央分離帯から確認もおろそかに乗用車が右折して突っ込んできました。私のバイクは車の横腹に衝突し大破、自身は車を乗り越えて5m以上吹き飛ばされ、道路にたたきつけられました。相手は逃げました。一緒に走行していた友人が相手を追いかけて、捕まえました。私は、父や講習会で教わった、事故時の回避の仕方と受身の姿勢で下半身打撲のみで済みました。幸運もあったのでしょう。

田舎から父母が真っ青な顔をして、やって来ました。いつも明るい父と穏やかな母のあんな顔を見たのは初めてでした。相手は19歳。捕まりたくないと思い逃げたそうです。一部の運転者だけが、講習会に出席し、良識を持ち、マナーを守っているのではいつまで経っても交通事故はなくならないと思います。
免許制度の改革、講習会(技術・講習)の義務化、事故当事者(加害者)の厳重処罰を強く希望しています。

前田様の活動で、私に何かできることがあったら連絡してください。私も、この「クルマ優先社会」を良くするために何かお手伝いしたいと思っています。良識のない運転者を野放しにしたくありません。
長々と書いてしまって、すみません。
お時間のあるときにでも読んでいただければ、嬉しい限りです。

≪返信 前田 2003/6/3≫

メールを読み、共感いたしました。今後何かとご協力下さい。

《2003/4/8 T》

初めまして。僕は千葉に住む25歳の会社員です。
僕も免許を持っていて毎日運転しています。運転していると迷惑駐車や暴走車などよく目にします。車が大好きですが、このホームページを見て自分のことだけでなくゆとりと優しさを持った運転を心がけようと改めて思いました。

僕の母は急死してしまったので、命の大切さがわかっているつもりです。加害者に対する刑の軽さ、人権という名の盾で守られてしまい被害者の方がもっと悲しい思いをするなんて間違っています。
これからも活動頑張ってください。今人類に必要なのは優しさですね。

≪返信 前田≫

メッセージありがとうございました。つたない「遺された親の叫び」が、このように受けとめられることが何よりの娘への供養と思っています。

《追伸》

あのメールを書いた翌日に親友の恋人が事故で亡くなっていた事を知り、改めて事故の悲劇さ、無念さを感じました。つたない文でありますが、交通事故というものを一人でも多くの人たちにわかってもらいたいです。是非載せて頂きたいです。返事遅れてすみませんでした。

《2002/8/22 K.M.》

悪質なドライバーによって尊い命がまたしても奪われてしまった。
この女の子だっていろいろ夢があっただろうし、いろいろ恋愛して幸せな家庭を持ちたかっただろうし・・・そう考えるとご遺族の方になんと声をかけていいか・・・・悪質なドライバー(飲酒運転を含めて)による犠牲者・少年犯罪による犠牲者がこれだけいるのだから、いい加減に政府も法律の見直しをすべきだと思います。

特に悪質なドライバーによる事件の場合「死人に口無し」であいまいに処理されることが余りにも多すぎます。人間としての心がまだ残っているなら、せめて仏壇にお線香の1本でもあげにくるべきです(そのくらいで被害者やご遺族の無念が晴れるとは思いませんが)被害者の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
このメールが法改正の1票になってくれるならどんどん使ってください。

≪返信 前田≫

K.M.様、メッセージをいただきながら紹介がこんなに遅くなり申し訳ありませんでした。
励ましの言葉を胸に交通犯罪絶滅のために訴え続けます。今後ともよろしくお願いします。

《2002/8/29 今村 真理子》

初めまして、こんにちは。
今日、初めて前田さんのHPを読ませて頂きました。実は今日、私の身近で交通死亡事故がおきてしまいました。もう、ニュースなどでご存知かも知れませんが、札幌市北区で中央分離帯に激突し、男性2人が死亡、一人が大けがという事故です。まだ詳しいことは分かっていないのですが、事故当時、雨も降っており、スピードの出しすぎのようです。

車外に放り出されていたようなので、シートベルトもしていなかったのでしょうね。私は、亡くなった方と、すごく親しかった訳ではありませんが、亡くなった方のご両親には、とてもよくして頂きました。もちろん、亡くなった方ともお会いした事もあります。
この方の事故を聞き、改めて交通事故の怖さを知らされました。

事故の詳細を調べたくて、インターネットで探している途中、前田さんのHPを見つけました。私も、車を運転するドライバーです。免許を取って8年、無事故無違反、「優良」の文字が、運転を過信しているところもあると思い返しました。私にも、大切な家族がいます。私は26歳で、前田さんと同じく、女の子二人の子供がいます。

今、1年生と4歳の子です。
今日の事故、千尋さんの事故・・・・・。親としての気持ちが痛いほどよく分かります。
私の娘がもし、交通事故で命を落としたら・・・・・・・・。
「交通事故」、毎日起きてしまうもので、ニュースやラジオで聞き流してしまうけど、身近で起こりうる出来事なんだ・・・・・。って考えさせられました。

前田さんのHPを読ませて頂き、同じく考え直すことができました。
仕事上、どうしても「急ぐ」ことが多いのです。でも、事故に遭ってから、事故に遭わせてしまってからでは遅すぎるのですね。
千尋さんがそう言ってました。前田さんが、「千尋さんの死を無駄にしたくない」っておっしゃってましたね。決して、無駄になってないと思いました。前田さんや、ご家族が千尋さんを想っていらっしゃる分、こうして、見ず知らずの私とかに、訴え、考え直させてくれました。「自分だけは絶対にない」と心のどこかで思っていた自分を、恥ずかしく思います。

私は、車を運転する立場なので、「加害者」になる確率がほとんどです。前田さんのHPを読ませて頂き、愛する人を失った辛さが、痛いほど伝わってきました。だから、誓います。ハンドルを握る以上、細心の注意を払い、スピードを出さず、安全運転しようと思います。今更、こんなこと言ってる自分がすごく恥ずかしいです。

でも、千尋さんと同じ目に遭ってしまう人が、一人でも少なくなるように・・・・・。
ドライバーの立場から、まずは自分から実践しようと思います。

私にも大切な娘が二人。
上の子は今年の4月から、大きなランドセルを背負い、片道20分の大きな通りの歩道を毎日登校しています。今朝も、元気に行きました。元気に帰って来ることしか考えていませんが、それを一瞬にして変えられてしまった前田さんの気持ちを考えると、涙が出てきてしまいます。

千尋さんの死が、無駄になっていない事を、お伝えしたくて、メールさせて頂きました。
千尋さんの死、前田さんの訴えが、私に気づかせてくれました。私のような、ドライバーがきっと他にもたくさんいると思います。だから、千尋さんは今も、訴え続けてくれています。前田さんご家族と同じ思いを決してさせないよう、私も毎日肝に銘じてハンドルを握りたいと思います。

私達が今こうして、元気にいられることを感謝し、与えられた命を一生懸命生きたいと思います。色々なことに気づかせて頂き、本当にありがとうございました。前田さんご家族も、悲しみを忘れることはできないと思いますが、頑張られて下さい。
千尋さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

≪返信 前田≫

今村様、暖かいメッセージありがとうございます。
お昼のニュースでこの事故を知りました。私は西区に住んでおり、現場の下手稲通りは近くで良く通ります。そんなこともあり胸を痛めていたところです。犠牲になった知り合いの方のご冥福を心より祈らせていただきます。

親にとっては何ものにも代え難い「宝」を失った私たちのせめてもの願いは犠牲を無にしないでということなのです。今村さんが心配されるように、子どもの安全が完全に守られる社会につくりかえなくてはと思います。HPをこのように受けとめていただいたこと、千尋への何よりの供養と感謝しています。今後もいろいろとご協力ください。ありがとうございました。

≪2002/7/4 A.S.≫

こんにちは。私は大分県に住む24才の会社員です。
会社の昼休みに昨日大分であった交通事故のニュースが記事になっているか検索しようとしてこのホームページを見つけました。娘さんを亡くされた親御さんのお気持ちはまだ子供のいない私には到底考えられない事ですが、子供ではなくても身内を理不尽な事故でなくす気持ちは誰もが同じだと思っています。私の学生時代の友人も今から7年前の高校2年生の夏に車の事故により亡くなりました。

まだ付き合って3日目の彼が運転する車の助手席に乗っていての事故でした。運転者が、同乗していた友達の(亡くなった友達)の制止も聞かずに速度を上げ、直線道路だったのにもかかわらずハンドルをとられ、自損事故を起こし、私の友達はシートベルトをしていたにもかかわらず体がフロントガラスを突き破り、街路樹に体が引っかかって亡くなるという本当に可哀想な亡くなり方をしたと聞いています。時速150キロだったという事も。一緒に乗っていた友達は、後ろの座席に座っていたため、シートに止められて肋骨の骨折や手足の骨折で命こそは助かったものの、一緒に乗っていて自分だけが助かってしまったという罪悪感に 7年たった今でも苦しめられています。

運転者の男性は、ハンドルをとられる事を真っ先に確認できたせいか足の骨折だけで済んでいて、彼女の葬儀にも参列していましたが、私はその彼を見た時心の底から「殺してやりたい」とさえ思いました。でも、そんな事を友達も望んではいないと思い直す事が出来たのもそれからかなりの日が経ってからでした。たった3日付き合った男性の自分の運転テクニックを自慢するような勝手な行動のせいで、まだ17才でこれからしたい事も多くあっただろう友達の命を奪われるという事は本当に言葉では言い尽くせない悲しみと悔しさが私たち同級生を襲いました。

友達の死は私達に色々な事を考えさせてくれました。友達の死を無駄にしない為にも、車社会と言われるこの日本の交通事故の加害者に対する処罰をもっと考え直すべきではないかと思っています。それが、交通事故で亡くなった方々へのせめてもの供養になるなら。娘さんを亡くした悲しさ、悔しさはいつになっても忘れる事は出来ないと思いますが、娘さんの為にも頑張って生きてください。このホームページを見る事が出来て、人の命の尊さを改めて考える事が出来て本当に良かったと思います。

≪返信 前田≫

メッセージありがとうございました。
お友だちのご冥福を祈ります。千尋と同じ年に同じ高校2年生で犠牲になったのですね。クルマの運転について、そして免許の付与条件や管理まで、根底から考え直し、抜本的に社会的規制を強めなくては、この理不尽な交通犯罪被害を絶滅できません。
遺族の訴えと署名(神奈川の鈴木共子さんや千葉の井上保孝、郁美ご夫妻が起点)で、2001年12月より、「危険運転致死傷罪」が新設されましたが、これはほんの一歩です。「殺意なき交通殺人」は、起きてしまってからでは取り返しがつかないのです。
これからも娘と共に訴えて行きます。

≪2001/9/11 田岡史比呂≫

こんにちは。
初めてホームページを拝見させていただきました。
たまたまというのは申し訳ないのですが、yahooで交通事故を検索したら「交通死 - 遺された親の叫び」という項目がありページを開く事になりました。私は愛知県名古屋市でタクシーの運転手をやっております。自動車を運転する仕事柄、交通事故をよく目撃します。24時間の勤務ですから1日に1回は目撃します。

特に愛知県は交通事故が多く、死亡事故もワースト3位です。私はタクシーの運転手ですが、無理な運転はしないようにしています。タクシーは無理な運転、乱暴な運転をしている運転手が異常に多いです。事故を起こせば、すべてが終わりです。相手の方には多大な迷惑がかかってしまうし、まして死亡事故ともなれば。

運転中に料金メーターを触らない。お客様が乗っていただき、メーターのボタンに指を掛け、動きだしてからボタンを押すようにしています。動いているときは、前方から目をそらさなくてもいいように。
加害者のようにラジオを操作して「前方を見ていなかった」みたいな事のないようにしています。

タクシーに乗るまでは、そのような事がありました。今は安全確認は絶対に重要な事と思って運転しています。運転技術より安全確認。これは第二種運転免許を取るときに教えられました。本当は当たり前なのですが。

運転操作をミスする減点より、安全確認をしなかった時の減点は大きいものです。筆不精で何を書きたいのかわからなくなってしまい、曖昧な文章になってしまい読みにくいかもしれませんが、安全運転の重要性は今後もしっかりともって、ほかの人にもわかってもらえるように話もしていきたいと思います。
最後に運転を考え直させるホームページをありがとうございました。

≪返信 9/12 前田≫

メッセージありがとうございました。
娘のHPを見ていただき、このように受け止めていただくことが、娘と私の願いです。本当にありがとうございました。交通安全集会や研修会で話をさせていただく機会もあるのですが、「 運転技術より安全確認」という、いただいたメールの思いを、私からも伝えさせていただきたいと思います。
追申:田岡さんのHP「僕はタクシー運転手」をリンクさせていただきました。

≪2000/11/28 倉田≫

私は会社の交通安全管理者です。
2000年11月13日の帯広の安全大会で、千尋さんのお父さんからの講演を聞いていた聴衆の一人です。重かったです。車から降りたくなりました。私も事故の加害者になったことがあります。車どうしの追突事故です。

被害者の方はシートベルトをしていたおかげで、大きなケガはありませんでした。自己防衛に走る加害者心理も体験しました。今思うと、自分の弱さを痛烈に感じます。その後私にも子供が生まれ、今1才です。

そんな時、千尋ちゃんのお父さんの話をお聞きして、自分の子供が轢かれること、自分が子供を轢くことなどを想像しました。講演資料から、交通事故被害者のページを最近毎日のように見ています。手記を読み、自分の身内に置き換えて、想像しています。

読む度に、自分の車の速度が遅くなり、横断歩道に着目するようになった気がします。歩行者の置かれている暗黙の理不尽な立場も感じるようになりました。でも、運転し続ける私は被害者のみなさまの敵なのでしょう。全ての交通事故は車によって生じるわけですから。重い気持ちを抱いて、ハンドルを握ります。

≪返信 Nov.28.2000. 前田≫

倉田さんありがとうございます。上の文章を読んで胸が一杯になりました。
千尋のことをこんなに我が事のように受け止めてくれて嬉しかったのです。直ぐ千尋に報告しました。きっと娘が一番喜んでいると思います。娘も私も、娘の犠牲が生かされることしか望みはないのです。人の命がクルマによって虫けらのように轢かれ続ける社会であって欲しくないのです。
私も娘を失う前までの運転は、加害者になったかもしれない不用意な運転もあったと自戒しています。歩行者保護という基本原則をそんなに強く意識していなかった当時までの私が、人身事故を起さず運転をしてこられたのはきっと運が良かっただけのことでしょう。かけがえのない娘を失い、そのことに気づかされた今、多くの人にそのことを伝えたいのです。
重い重い責任があることを充分すぎるほどわかってハンドルを握って欲しいのです。運転者が敵とは思っておりません。私も月に数回ですが運転をします。私はクルマを無くすことはできないと思いますが、被害と危険を限りなくゼロに近づける事は可能と思うからです。
倉田さん、どうぞ1歳の子どもさんのために、ハンドルを握ったその瞬間から、早く着こうとか考えず、仕事の能率も意に介さず 誰も傷つけなかったという喜びを家族と共有するためにゆっくりの安全運転を続けて下さい。
多くの人に手記集の「癒されぬ輪禍」を読むことを勧めてください。
社会全体がこの理不尽さに気づき、根本対策に動き出す日はきっとくると信じています。
私もがんばります。

≪2001/1/9 倉田≫

本年は新たな気持ちで安全運転につとめます。
先日千尋さんのお父さんとメールでやりとりしました。
その内容について、少しコメントしようと思い、投稿致します。

みなさんの体験談を知ってから、自分の運転がいかに「未必の故意」が多いかを実感しています。まっすぐ進行する時、右折左折の時、常にそうです。状況把握が100%に満たない状態で、不確実な?(はてな)ゾーンに人がいても十分避けられるスピードと心と体の準備ができていないのに、普通に進行してる場合が多いということです。はてなゾーンはおそらく、自分が思っているよりずっと広い範囲だと思いますが。

問題は、そのような運転が、「未必の故意」であることにさえ、気づいていなかったということだと思います。私が人を轢きそうになった数例、私が実際人身事故を起こした事例を思い起こすと、「未必の故意」に気づいていなかったことが原因です。気づいていないのは、「未必の故意」に当たらないと思うかもしれませんが、少し考えれば気づくことだし、そういう教習も受けているはずなので、「未必の故意」だと私は考えます。

自分の運転ひとつひとつが「未必の故意」であることに気づくこと(教習場の「かもしれない運転」がこれに近い発想だとおもいます)そして、「未必の故意」をゼロにすること。これが安全運転だと考えるようになりました。これを実践しようとすると、車の速度は制限速度以下になります。

特に、夜、つるつる路面、道路脇に寄せられた雪山等の状況下では、徐行になります。制限速度プラス20Kmが当たり前の事情で、これを行なうのは、周囲のドライバーに負けない強い意志が必要になります。
私はこれを身につけたいと考えています。

去年札幌で起きた、3回も車に轢かれた少年。かわいそうでなりません。
制限速度プラス20Kmが当たり前、車間距離もほとんどなく、連なってぶっ飛んでいる車では、道路中央に横たわった少年を避けられない状況が起きると思います。たいして急いでないのに、ハンドルを握ると、少しでも早く、一台分でも前へという精神状態になるのは、多くの人が実感していると思いますが、このような状態で、気づくことはおろか、気づいたあとでも、停車することさえできないのです。
交通事故死の1つの本質がここにあり、人間の心を失っているということです。

私も今日明日の加害者候補です。
本年は、未必の故意に気づき、それをゼロにする運転をしたいです。
強い意志を持ち、のろのろ運転します。

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