京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 17

                        藤井 省二(2006/09/03)



民事裁判、結審


 長きに渡った民事裁判(一審)は、先の6月14日に結審し、提訴(2001/10/15)から5年にして判決を迎えることになりました。

 事故から1年後(2001/3/23と4/4の両日)に、私たちの要望で病院側の事故説明会が行われました。その場でH医師は、血中エタノール濃度が致死量に達していたことをもって、「今は直接死因はアルコール中毒だったと思います」と述べています。その一方で、当時はエタノール中毒と確認するデータもなく、エタノールの影響は少ないと考え、敗血症性ショックの診断に矛盾はないので「病死」と判断した、と説明しました。しかし、エタノール中毒を否定する確かな根拠もなく、データ(血中アルコール濃度)を明らかにしようともしておらず、病院側に余りに都合のいい説明に私たちは納得できませんでした。

 そして、H医師は、事故前の退院に向けた沙織の在宅用人工呼吸器の練習については一切触れようとせず、事故発覚後に確認したとするエタノールタンクの残量や、死亡診断書に関する質問には不明確で曖昧な返答になり、そこに誠実さは全く感じられませんでした。

 また、京大病院は、事故直後の記者会見で、事故前の人工呼吸器をつけていた沙織を「重篤」「危篤」とマスコミへ虚偽の発表をしており、呼吸器をつけた沙織の人権を否定した命の軽視、差別意識をそこに強く感じましたが、権威主義に象徴される驕り、傲慢、不誠実といった姿勢は、長い裁判の中で最後まで変わることはありませんでした。



京大病院・医師らの主張


 京大病院・医師らが主張する敗血症によるショックはそもそも生じていません。
 医師らが行なった血液検査において、血中から細菌は検出されておらず、司法解剖結果(鑑定書)からも、組織学的に全身への感染症の影響は殆ど無かったことが明らかにされています。解剖医意見書でも「敗血症性ショックを生じるに対応する様な激しい全身臓器への感染所見は認められなかった」とあります。

 急変時のショック症状はエタノール中毒によるもので、致死量を大きく超える血中エタノール濃度、「急性エタノール中毒死」は動かぬ客観的事実なのです。

 しかしながら、医師らは、「敗血症性ショックによる病死と診断し、エタノールについては、死期を早めた可能性はあるとしても、その可能性は小さいと判断した」と、その後も反論し続けているのです。

 医師らの証人尋問に先立ち行なわれた看護師たちの尋問で、W看護師は、誤注入発見直後、容態悪化がエタノールの誤注入が原因かもしれないと考えH医師に尋ねたところ、H医師は、
「2月24日からであればもっと沙織ちゃんの容態に変化が現れる」と発言しており(W看護師尋問、供述調書)、また、Y看護師長は、H医師がN小児科教授に「(エタノール誤注入が)いつ頃からなのかを調べないと、影響は分かりませんよね」と話したのを聞いています(Y看護師長尋問)。こうしたH医師の供述から、H医師自身、気化したエタノールによる人体への影響を十分に認識していたことが分かります。

 そして、死亡翌日の3月3日18時頃、Y看護師長は、詰所に集まった看護師たちへ、
「サオちゃんの人工呼吸器の加温加湿器に誤って消毒用エタノールが入れられ、このことが原因で亡くなられた医療事故が発生しました」と発表しており(ka看護師供述調書)、このY看護師長の供述からすれば、病院やH医師らがエタノールが原因で沙織が死亡したと認識していたことも分かります。


【原告代理人によるH医師への尋問より】

原告代理人:(証拠文献を示し)92年の文献に既に、エタノールは胃腸管や肺胞から容易に吸収され、中毒は蒸気を吸うことによっても起きるとあるが、そういった知識は? 
 ==
H医師:「なかった」
エタノールでショックにまで至るとは思わなかった、その根拠は?
 ==
「今までの私の知識から」
(証拠文献等を示し)エタノール中毒でもショックを生じると、ご存知なかった?
 ==
「知りません」
あなたは余りエタノールのことは詳しくないんですか?
 ==
「詳しくはない」
エタノール誤注入後から容態が悪化していったことがわかるが、その段階でも敗血症性ショックを疑わなかった?
 ==
「そうです」
その状況であればエタノールの影響を疑うのが普通だと思うが、なぜそうは考えなかった?
 ==
「敗血症性ショックで全て説明できたから」
エタノールという新たな原因がわかり、あなたはエタノールにそれほど詳しくないのなら、詳細な検討をすべきでは?
 ==
「血中濃度を測ろうにも外注で10日から13日かかるので、
   それ以上のことはできません」

血漿浸透圧から見る方法もあるが?
 ==
「そういう知識は持ってません」
なぜエタノールの専門家に早い段階で相談しなかった?
 ==
「影響は少ないと思っていたから」
それはあなたの勝手な判断では?
 ==
「勝手というか、私自身の判断です」
あなたは詳しくないのだから、影響について専門家に聞くか、文献に当たって調べてもよかったのでは?
 ==
「当時はそういうふうなことをしようという気が起こらなかった」
なぜ起こらなかった?
 ==
「敗血症性ショックで全てが説明できたから」 ・・・


 法廷におけるH医師は、事故発覚時のカルテや死亡診断書に誤注入の事実を記載しなかった理由を、「エタノールが与えた影響は小さいと考えた」と証言するものの、そのように判断した合理的な説明は全く無く、ただ「敗血症性ショックで全てが説明できたから」と繰り返すのみで、原告席に座る私には、H医師の言葉が空しく聞こえてなりませんでした。

 また、医師らが敗血症性ショックの根拠とするヘシウム菌(尿中から検出)についても、病原性や毒性の弱いもので、尿からの分離のみで敗血症と診断される例がないことは、原告協力医の意見書で文献を引用して主張しています。
この点に関しても、H医師は、
「その文献は皆さん古いんです。新しいトレンドは違います。起炎菌になり得ると思います」と証言するものの、それを裏付ける具体的な証拠はありません。京大病院医師である(あった)自分の主張こそ医学におけるスタンダード、権威ある絶対的なものと言いたかったのかもしれません。

 H医師の証言には、私たちがはっきりと判る「嘘」がいくつもありました。医学の常識に反してまでも自らの主張を正当化し強気の姿勢を見せるH医師でしたが、一方で、急変後の容態については、ちぐはぐな供述の末に、
「問い詰められたらよくわからなくなってきました」と本音を漏らす場面もありました。法廷で目の前にした証人は、私たちが信頼していた頃のH医師とは、まるで違う人格の、別人になり変わっていました。



京大病院、医師らの人権感覚


 事故直後の新聞記事で「(ミスが起きる前の)2月24日には
非常に厳しい状態にあった」(読売新聞)、「2月下旬から危篤状態だった」(朝日新聞)と報じていましたが、事故前の沙織の全身状態は「落ち着いていました」と、ka看護師やW看護師が法廷で証言しています。こうした記事は京大病院側の事実と異なる発表によるもので、死亡翌日にH医師が自宅を訪ねて来て「ミスが無くても亡くなっていました」と私たちを欺いたように、京大病院は、マスコミを利用して社会に向けた情報操作をしていたのです。

 また、京大病院は、裁判の早い時期に、事故前の沙織の状態を
「(入院当初より)持続植物状態になっていた」と主張しています。京大病院の主張が事実に反することは、原告藤井香・陳述書(3.事故以前の沙織の状態について)で既に述べていますが、証人尋問でka看護師は、「嫌なことをされたりすれば、何か意思表示をされてましたか?」の質問に、
「お顔の表情を変えられましたり、顔をゆがめたりということはありました」と答えており、ka看護師のこの証言だけをとっても、京大病院が事実を曲げて主張していることが分かります。「植物状態」なる主張も、病院・医師らの責任を軽減するために、事故以前の沙織があたかも意思も感情もない状態であったかの如く、裁判所に印象付けるための、イメージ操作に他なりません。

 そして京大病院は、最終準備書面でも、明確な根拠もない敗血症性ショックを前面に押し出し、「沙織は、少なくとも2月29日午前7時30分ころ以降は、敗血症性ショックによる昏睡状態のため苦痛を感じることがなく、そのため、
エタノール中毒による肉体的苦痛も感じないで済んだものと認められる」(被告京都大学最終準備書面 H18.6.14付)と主張しています。

 こうした事故後の対応や書面の主張に京大病院・医師らの人権感覚が見て取れます。『亡くなった人間に人権はない』、京大病院や医師らの書面に接するたびに感じ続けてきたことです。京大病院の人権感覚を以てしてならば、罪の意識も感じず、「事故隠し」も平然とできるであろう、と無理なく理解できます。



組織的事故隠し


 私たちが裁判で問い続けてきた「事故隠し」に関して、証人尋問を機に被告看護師たちから提出された陳述書の中で、

T看護師は、
「私たちは、本当に『事故隠し』をしていないと言えるのだろうかと、疑問を感じるようになりました。・・・ ご両親へ誤注入の事実が伝えられたのは、誤注入が発覚して約41時間後、沙織ちゃんが亡くなってから約20時間後のことであるのは事実です。」と述べており、また、

W看護師は、
「(事故を)『隠す』のではなく、『早期の事実の報告と事実究明とその説明』の体制が整えられる必要があることを学びました。・・・ 当時のことは、今から思えば結果的には『組織的事故隠し』と言われても仕方がない状況になってしまっていたのだと思います。」と述べています。

法廷でも同様の証言が聞かれ、ここに至るまでには時間を要したものの、「事故隠し」に目を向けてくれたことに救われた思いでいます。

 しかしながら、医師らは決してそうではありません。私たちの「事故隠し」の主張に対して、医師らは最終準備書面で、
「被告医師らが、エタノール誤注入の事実を原告らに説明するのを躊躇ったのは原告らへの労わりの気持ちからであり、・・・  原告らは、そのために病院が組織ぐるみで事故隠しをしたものと誤解し、より大きな精神的苦痛を受けたようであるが、しかし、そのような受け取り方をする家族ばかりではなく、死後に事実を知らされたことから静かに看取ることができたと善解する家族もいる」(被告医師ら第7準備書面 H18.6.13付)と反論しています。

 以前に出てきた書面でも、「例え退院して在宅治療へ移行する可能性は低いと考えていたとしても、そのことまで(両親に)説明する義務はない」(被告医師ら第6準備書面 H16.6.18付)などと述べていました。

 医療界の閉鎖的な体質が厳しく問われ、情報開示など医療改善が強く求められている現在において、医師らのこうした主張は時代錯誤も甚だしく、自ら隠蔽体質を証明しているようなものです。京大病院組織に巣食う腐敗の根は深いと、つくづく感じます。


 以下に、「事故隠し」に関する私たちの主張を、原告最終準備書面から一部引用します。
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  事故隠しと被告医師らの過失との関係

(1)記載の体裁上明白なものだけでも、被告O医師はカルテを3箇所に渡って、事後的に加筆している。そして、これらの記載は、被告国や被告医師らの主張を裏付けるものとして引用されている。他方で、カルテにはエタノール誤注入の発見にもかかわらず、その記載がなく、人工呼吸器やチャンバーに対して行った措置も、沙織さんの症状との関係でエタノールに関する記載も全くない(死亡後に書かれた最終頁があるものの、これは経過に従って速やかに記載されたものではない)。

 その他にも、誤注入発見後にもエタノール濃度検査が行われていないこと、死亡診断書にはエタノール誤注入に関する事実が全く記載されていないこと、誤注入の事実が3月3日に至るまで原告らに全く知らされていないこと等、京大病院が組織的に本件事故の存在自体を隠蔽し、沙織さんの死亡を敗血症性ショックあるいはリー脳症による死亡にすりかえようとしていたことは明らかである。

 とりわけ、誤注入発見後の記載が一切なく、エタノール濃度検査を直ちに放棄し、原告らにその事実を告げなかったという事実は、誤注入発覚後の早い段階から、その秘匿の意思が組織的に明示あるいは黙示に行われたことを示すものである。カルテも、事件が公表された後に速やかに警察に提出されていることを考えると、上記した被告O医師のカルテ加筆も誤注入発覚後の早い段階で行われたと考えられる。

 このような組織的な事故隠蔽を、誤注入発見後速やかに行うことが可能になったのは、事故発見後間もない時期に、沙織さんの容態の急変がエタノールの誤注入によるものとの判断を速やかに行うことができたからに他ならない。それまで疑問の持たれていた今回の沙織さんの容態の急変、ショック状態の原因が、エタノール誤注入という事実の判明によって氷解し、明確に認識することができた。それは被告医師ら自身、ショック状態の原因を敗血症では説明しきれないと疑問を持っていたからこそであり、また気化したエタノールが肺から吸収されてエタノール中毒を起こすことがよく分かっていたからこその判断であろう。

 そのため、その事故の責任を問われかねない、と考えた被告医師らは、自らの過失を否定するための隠蔽工作を、また病院は事故の存在自体を隠蔽することを速やかに画策した。敗血症性ショックという診断を行ったことにして、それで説明ができるので他の可能性を疑う余地がなかった、と主張するために、その根拠となるべき記載をカルテに記載し、他方でエタノール誤注入をカルテに記載せず、血中エタノール濃度の測定も行わないことにし、死亡診断書にもエタノールに関する一切の記載を行わず、原告らにもこれを告げなかった。

 しかし、このような隠蔽工作を行わざるをえなかったという事実は、逆に被告医師ら自身が、自らの過失を十分に認識していたことを示す証拠に他ならない。自らには過失がないことと自信を持っているのであれば、このような改ざんや隠蔽を行う必要はないはずである。

(2)さらに、死亡後間もない3月2日22時ころ(3月3日の自宅訪問時ではない)、被告医師らは死亡診断書を示して原告らに病理解剖を勧めている(「午後10時頃、私たちの所へH先生が来られ、夫に『お話がありますので来ていただけますか』と言われました。・・・ 長い大きなテーブルのコーナー2辺(Lの字)に、私と夫、そして、H先生とO先生の順に座り、H先生から『この度はお気の毒でした』と一言あって、『こういうことです』と死亡診断書を差し出されました。そして続いて『病理解剖されますか?』と遠慮勝ちに言われたので、すぐさま私は無言で首を横に何度も振りました。O先生はH先生の横に居て終始無言でうつむいておられました。」[藤井香陳述書])。

 もしもこの際病理解剖が行われていたら、本件事故は完全に闇に葬られることになっていたのである。

 本件事故においては、その後の3月3日京大病院の事務局において警察に事故報告を行うことになった(これは同日に報道された都立広尾病院での事件報道[点滴に消毒剤を誤投与して患者が死亡した事件で、事故報告を怠った病院長や都病院事業部副参事らが書類送検されたことが大きく報道された]により、自らも責任を問われかねないと判断した京大病院の事務局が決定したものと思われる。)ため、3月3日になって、はじめてエタノール誤注入事故の事実が原告らに知らされた。

 しかし、もしこのとき、都立広尾病院の報道もなく、警察への事故報告が決定されていなかったとすれば、やはり本件事故は闇に葬られていたであろう。京大病院が、原告らが「落ち着いてから」と称して、葬式が終わった後に事故の報告を行ったとしても、すでに沙織さんの遺体はなく、証拠は葬られているのである。

 こうした事故隠蔽は、極めて悪質なものである。しかし、このような事故隠蔽をしなければならなかったこと自体が、被告らがその過失と責任を自認していたことを明確に示す証拠となっているのである。

(3)なお、被告医師らのこのような隠蔽の姿勢は、そのつじつま合わせのために、本件訴訟においても継続している。それが被告医師らの証言の不自然さとなって現れている。当然覚えているであろう重要な部分(例えばタンクに残されていたエタノールの量、事故後教授らと集まって協議した内容その他多数)については曖昧な供述を繰り返す一方で、自らの主張の根拠となる部分についてだけは、カルテに反しても詳細な記憶を証言するもので、全体として到底信用できない。これもまた、自らの過失や責任を自ら認めているようなものである。
      ---------------------------------------(原告準備書面14より)


 準備書面では続いて、証言等から得た事実を挙げて事故隠しの根拠を詳述しています。

 「誤注入発覚後のカルテ・看護記録に誤注入の記載がない」
 「カルテの改ざん」
 「血中アルコール濃度検査の放棄」
 「教授室話し合いで(両親に)初七日頃に事実報告すると決定」
 「死亡後、病院側が私物を回収」
 「死亡診断書の虚偽記載」
 「事故を告げずに病理解剖の確認」
 「深夜、教授はじめスタッフ総出の見送り」
 「死亡翌日、都立広尾病院報道を契機に警察へ異状死届け」
 「記者会見の虚偽発表」等々・・・ 。

 医師ら関係者による病院ぐるみの事故隠しは明らかで、悪質です。



11月1日、判決


 3月1日の証人尋問を前に提出した陳述書(原告・藤井省二)冒頭で、私は次のように述べています。

(1) ・・・・・・ 沙織の事故後も、同様の医療事故が後を絶えません。私たちの願いは、沙織の死を無駄にしないでほしい、同じような事故を繰り返さないでほしい、そして、命の現場で不正だけは絶対にしないでほしいということです。事故を起こした病院は、事故原因の究明と分析のもとに、責任の所在を明らかにして、結果を医療現場で活かしてこそ、初めて医療事故防止につながるものと考えます。事故隠蔽や責任の放置は医療事故防止に逆行するものです。 ・・・・・・

(2)東京都立広尾病院の消毒液誤注入事故(1999年2月)、埼玉医科大学総合医療センターの抗がん剤過剰投与事故(2000年9月)、東京女子医科大学病院の人工心肺装置事故(2001年3月)、これらは,沙織の事故の前後で起きた、社会問題になった医療事故です。

 これらに共通するものは、病院の事後対応の問題(隠蔽)です。私たちが訴訟を決意した大きな要因は、事故後の病院側の不誠実な対応です。事故を隠蔽し、事件に発展させた病院・医師らに、自らの誤りに気付いてもらいたい。しかしながら、その思いも虚しく、事故から6年の歳月が過ぎようとしています。

 正直な医療を、安全で安心の医療の実現を願いつつ、以下に事故当時の状況を踏まえ、私自身の考えを述べます。 ・・・・・・ [藤井省二陳述書より]


 私たちの思いを、亡くなった沙織の無念を、裁判所がきちんと受け止めてくれることを、今は願っています。11月1日、判決言い渡しです。


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