京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 16

                        藤井 省二 (2005/08/21)



いよいよ証人尋問

 2003年1月から16回に亘る非公開の進行協議(弁論準備)を重ね、提訴(2001.
10.15)からおよそ4年、やっと証人尋問の運びとなりました。その間には、京都
地裁に隣接する弁護士会館は新しく建てかえられ、今では提訴会見した当時の面影もありません。決して短い時間ではないです。「まぁ〜、よくもこれだけ引っ張ってくれました」と、被告京都大学(国)・医師らに皮肉のひとつも言っておきましょう。
 ・・・ が、とにもかくにも、いよいよ証人尋問です。これまで代理人の陰に隠れていた被告本人たちには、法廷で、きちんと顔出しの生の声を聴かせてもらいましょう。とりわけH医師(担当医・指導医)は、さんざん詭弁だらけの主張(準備書面)を重ねてきているのですから、法廷でもそのままに証言してもらいたいものです。まだ少し先ですが、12月13日のH医師の証人尋問は、訴訟最大の山場であることは間違いありません、101号法廷は傍聴人で溢れることでしょう。私達の質問に
小刻みに手を震わせオロオロしていた当事者間だけの事故説明会(事故の1年後に行なわれた)の時のようにはいきません。その上1日掛かりの長丁場です。当日は大きな声ではっきりと質問に答えてもらいたいものです。

 証人尋問は、9月6日のY看護師長とE副看護師長の2名で始まり、11月8日に人工呼吸器加湿器にエタノールを直接誤注入した看護師5名、次いで前述のH医師、と第3回までの尋問期日が現在決定しています。これまでの手記で、国・医師らの主張は準備書面からそのつど折に触れ取り上げてきましたが、看護師らに関してはT看護師の刑事裁判におけるものが主でしたので、今回は、民事での看護師らの主張を少し整理してみます。



看護師らの主張

 京都大学(国)以外の、被告9人(医師ら2人と看護師ら7人)と代理人の関係は、
【H担当医・O研修医】の訴訟代理人を1人の弁護士(国の代理人も兼任)が担当。
そして、
【Y看護師長・E副看護師長・Ku看護師(誤注入した2人目)・Ka看護師(4人目)】
【I看護師 (誤注入した3人目)】
【W看護師 (誤注入した5人目・ミス発見者)】
【T看護師 (最初に取り違え・誤注入・・・刑事裁判で有罪確定)】
を各代理人が担当しており、
代理人が1人のところもあれば複数のところもあり、言い換えれば、看護師らだけで4つの法律事務所の弁護士が担当しており、それぞれの代理人による看護師らの書面(主張)は全てが横並びというわけではありません。

 沙織がなぜ死ななければならなかったのか、なぜ事故を隠したのか、事故・事件の真実を知りたい。人間の尊厳を踏みにじる「事故隠し」だけは断じて許せない。その思いで私達は訴訟を起こしました。それ故、裁判では、医師ら・看護師らの過失責任の追及と同時に、京大病院の組織的な「事故隠し」の追及を最大の主眼としてきました。

 これまでの書面で、「事故隠し」に関しては、W看護師を除く、国をはじめとする全ての被告が否認しています。先の刑事裁判で有罪が確定したT看護師も同様です。W看護師のみ『
「事故」は組織的にも個人的にも知られてはまずいという思いがあったように思われる。看護婦5年の経験からなせる、本能的な防御行為であったかもしれないが、被告Wは率直に反省している』と述べるに止めています。

 現在、私達原告と被告国および医師らとの間では、その主張はことごとく対立しています。しかし、看護師らにおいては、そうとばかりは限りません。例えばT看護師は、自身の過失を認め、先の「事故隠し」以外の事柄では私達原告とほぼ近い主張となっています。一方で、Y看護師長らは私達と大きく対立する国寄りの主張をしているのです。以下はY看護師長らの準備書面からです。




準備書面2(被告Y・E・Ku・Ka、2004.4.28.付)より要約------------


Y看護師長・E副看護師長の監督責任について

※ 滅菌精製水タンクと消毒用エタノールタンクとの類似性(原告主張)について
 は、ラベルの確認という通常の注意義務を払っていれば、取り違えは起こら
 ない程度の類似性
であり、看護師らが通常の注意義務を払うことを前提にすれ
 ば、取り違えの予見可能性はないというべき。

※ 両タンクの保管状況の不適切(原告主張)についても、看護師らがラベルの
 確認という通常の注意義務を払っていれば、取り違えは起こらない
のである
 から、保管状況の不適切と本件取り違えには因果関係がないというべき。

※ 看護師らに対する注意喚起の不徹底(原告主張)については、容器のラベルの
 確認というのは、看護師の日常業務の基本中の基本
というべきものであるか
 ら、敢えて注意喚起をしなかったとしても、両人に過失があるとは言えない。
 注意喚起の不徹底と本件取り違えとの間に因果関係はないというべき

※ 本件の原因は、T看護師が通常の注意義務を怠ったということにあるのであ
 り、さらにその原因はと問えば、T看護師の注意力の低下をきたすほどの過重労
 働条件にあったと見るべき。これは京大病院全体の体制の問題である。


Ku看護師・Ka看護師の責任について

※ T看護師のタンク取り違えに気づかず、人工呼吸器の加湿器に消毒用エタノー
 ルを補充した行為について責任を問われているが、補充時の注意義務とT看護
 師のタンク設置時の注意義務は同列に論ずることはできない

  Ku看護師・Ka看護師が補充時にその都度タンクのラベルを確認しなかったこと
 をもって両人に過失があるとする原告の主張は争う。

※ 補充行為と、病状悪化ないし死期の早まりとの因果関係は明確とは言えない。


被告Y・E・Ku・Kaの捜査機関に対する供述について

※ 被告らは、本件に関する業務上過失致死事件の捜査において、各自の不注意を
 認める供述をしている。

※ 上記被告らの供述は、前法律的意味での過失を認めるものであるかもしれない
 が、過失の有無は法的評価であり、上記被告らの供述のみによって認められ
 るべきものではない
「過失に自供なし」と言われる所以である。


被告Y・E・Ku・Kaらに対する本件提訴について

※ 被告らは誠実に捜査に協力し、取調べにおいて真実を述べてきたものである。
 本件民事訴訟においても事実関係の真相を語る気持ちに変わりはないが、多額の
 損害賠償請求を受けていることに鑑みると、不安の念は否定できない。

※ 京大病院という大きな組織の組織体ないし医療システムの問題が重要な事案に
 おいて、組織の末端とも言うべき看護師らの責任を問うた場合、必然的に生じる
 防御姿勢により、真相解明がより困難になる場合がある。


------------------------------------------------------ (以上)




 Y看護師長らの準備書面2(2004.4.28付)が提出されたのは、T看護師の刑事
裁判・控訴審初公判から少し経った頃のことです。この1年前(2003.4.18.)に、
Y看護師長は、刑事一審の法廷で、
4リットル容器を採用した時、両者(滅菌精製水4Lタンクと消毒用エタノール
  5Lタンク)が似ていると思い、取り間違えの危険性を感じました

病棟における薬品管理は私の責任です
私を含めた病院および国の責任がたくさんある
と自分自身の責任を認め、T看護師を擁護する証言をしていました。

 しかし、この準備書面では、それらを再び否定し、『
容器のラベルの確認というのは、看護師の日常業務の基本中の基本』であるとして、T看護師1人に責任を転嫁しているのです。その変わりようたるは実に見事です。

 一方、同じ書面の中で、Ku看護師・Ka看護師の責任については、『
補充時の注意義務とT看護師のタンク設置時の注意義務は同列に論ずることはできない』と主張してきているのですから、もう支離滅裂です。
(確認の三原則は、その時々、場面場面、個人個人で、きままに変更解釈できるのでしょうか? 理解不能です・・・)

 補充時の確認に関して、Y看護師長の証言後、同じ一審法廷で京大病院・嶋森看護部長(事故当時、日本看護協会常任理事)は、
注入する時には、準備、実施、後片づけの時に必ず確認をして実施をするというのが看護師の教育の中で教えられますから、その後に引き続いた看護師1人1人が、やはり自分の注入したものについては、確認をする責任があった
と証言しています。

 そして、Ku・Ka看護師は、Y看護師長らの責任に関わる管理監督体制等の不備に関しては触れていません。書面では、Y看護師長・E副看護師長の監督責任の項で、事故原因は『過重労働条件にあった』と結んでいます。

 病棟薬品管理の最終責任者であるY看護師長・E副看護師長と、直接誤注入したKu・Ka看護師とでは、そもそも立場が異なり、その4人を1人の代理人が弁護しているのですから主張に無理があります。Ku・Ka看護師らと、各自で代理人を立てているI・W・T看護師らとでは、裁判に向き合う姿勢に温度差を感じてなりません。



「過失に自供なし」

 『
被告らの供述は、前法律的意味での過失を認めるものであるかもしれないが、過失の有無は法的評価であり、上記被告らの供述のみによって認められるべきものではない。「過失に自供なし」と言われる所以である

 私達は、病室・病棟で目の当たりにした確かな事実と、看護師らの供述からも明らかとなった各事実を、それぞれ判断して過失責任を主張しているのです(過失を認める供述のみを根拠とした主張でないことくらい解るはずです・・・)。Y看護師長らのこうした主張に一体何の意味があるのでしょう? 正直、呆れました。

 最初にこの主張を目にした時、私は、久能さん(医療過誤原告の会会長・医師)の本の中にあった、被告主治医の言葉を思い出しました。
・・・『裁判が決めることだ! どっちが正しいかわからないよ!』・・・
法廷でぬけぬけと嘘の証言をした主治医が、証言のあと久能さんに浴びせた言葉です。真実がどうであれ最後に判断するのは裁判所なんだ、そう言っているのです。共通するものを「過失に自供なし」に感じます。

 書面が出てきた当時、ある(親しい)マスコミの方に「Y看護師長らの主張をどう思われます」と尋ねたところ、次のような感想をくれました。『どんなに本人たちが「私が悪かった」と認めても、法的に責任があるかどうかは別の人間が判断する次元の違う問題だ、と言っているわけで、常識では考えつかない理屈で、全く信じられない。本来正義のために使われる法律が、全く別の使い方をされている』。

 もはや、社会の非常識こそが、Y看護師長らにとっての常識なんでしょう。刑事と民事とでいとも簡単に別人になりきれるのですから、決して不思議ではありません。開き直りとしか取れないこうした主張に、誠実さのかけらも感じられません。例えこれらが代理人の作文だとしても、Y看護師長・E副看護師長・Ku看護師・Ka看護師ら4人の言葉として私達は判断しなければなりません。



事件の本質

 京大病院小児科病棟のスタッフ全員が、医療事故に口を閉ざし、亡くなった沙織を見送った。世間では、病院を去ったこの時点を以って「事故隠しがあった」と判断します。しかし、国やH医師らは、翌日に警察へ事故届けをしたのだから「事故隠しではない」と言ってます。翌日出頭したひき逃げ犯人が「ひき逃げではない」と言っているのと同じ理屈です。国やH医師らの常識が、いかに非常識であるかを示しています。

 医療界のモラル・ハザードは、今や社会問題です。「カルテ改ざん」「事故隠し」は過失ではなく故意の犯罪です。事故隠しの中で、嘘の死亡診断書を書いたH医師は「犯罪者」です。事故説明会で私達にはっきりと分かる嘘をついてまで保身に走ったH医師は、自ら破滅の道を選択したのですから、私達は非情に徹して、とことん彼を追及します。

 しかし、私達は、できることなら看護師たちまでH医師と同じ目で見たくはないのです。周りからは「甘い」という声もありますが、入院生活で看護師ら一人ひとりの人柄も知っているだけに、書面の主張と本人たちとがいまだに私達の中で重ならないのです。

 これまでの刑事裁判での証言や民事裁判書面、そして、看護師らの医療事故再発防止に向けた活動を見る限り、看護師らは、エタノール事件を単に「看護事故」の視点でしか見ようとしていません。事故後に自分達が取った行為や、H医師や病院の対応に、正面から向き合い検証する姿勢が見えてきません。

 沙織の無念は、医療ミスで命を奪われ、その上、死因を偽り事故を隠されたことです。沙織の命と人権を無視し、このまま事件の本質に蓋をして逃げ続けるのであれば、これから先も、私達と看護師らの距離が縮まることはないでしょう。証人尋問は、看護師らの本心を知る最後の機会です。
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