京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 15

                                     藤井 省二 (2005/04/03)


          京都検察審査会への再審査申し立て

静岡の事件記事

 再度の不起訴処分に、「刑事事件は、これで終わった」との思いはなかった。ある事件
記事が私の中でずっと引っ掛かっていたからだ。

 2002年10月に、担当医らの不起訴処分を不服として、京都検察審査会へ申し立てをしたものの、その後も一向に審査は始まらず、検察審査会の実態に疑問を抱いていた頃、2003年11月27日付の毎日新聞WEB記事が、私の目に留まった。

 静岡市で2002年12月に起きたひき逃げ死亡事件の記事で、
『・・・、静岡検察審査会も相次いで「不起訴不当」と「起訴相当」の議決を出す異例の展開をたどり、・・・』と、そこに書かれていた。
「検察審査会に2度の申し立て、・・・ はて?」、検察審査会法では「同一事件について更に審査申し立てできない」とあるが、2度の申し立てが出来るのだろうか? と、
その時不可解に思ったものの、疑問を晴らさないまま頭の片隅に押しやっていたものが、再度の「不起訴処分」に、その時の記事がフラッシュバックしたのだった。


 京都地検の処分発表があった(2月9日)夕方、私達も御池総合法律事務所で不起訴処分を受けての記者会見を行なった。
そして会見終了後、顔見知りの毎日新聞N記者に、静岡のその事件記事を見てもらい、「ご遺族と何とか連絡が取れないものだろうか」とお願いしたのである。
その後、弁護士さんとしばらく話し込み帰宅してみると、電話機の留守ランプが点滅して、
N記者のメッセージと共にFAXが届いていた。静岡の記事を書かれたK記者からのFAXが転送されており、そこには、ご遺族に了解を得た上での連絡先とメモが添えられていた。
FAXの送信時間を確認すると、N記者と別れてから1時間少々の間の出来事だ。何と言う対応の速さなのだろうと、驚きと共に、ありがたい気持ちでいっぱいになった。



Mさんとの出会い、再審査申し立て

 翌日早速、静岡のご遺族Mさんに連絡を試みた。K記者からいくらかの説明はあったのだろうが、見ず知らずの人間からの、いきなりの電話にもかかわらず、受話器の向こうで
Mさんは丁寧に対応して下さった。

 私の一番の疑問である「同一事件」について、Mさんの説明は簡単明瞭であった。
ここでの「事件」とは「事件番号」を指し、再捜査されていれば必ず事件番号が異なっており、当初の事件とは別の事件と見なされるのだと。要は解釈次第のようである。が、何よりも心強いのは、Mさんが残した確かな足跡である。


 沙織との17年間、役所関係の人との交渉でよく耳にした言葉が「前例がない」であった。この一言に、話は全く前に進まなくなることも多々あった。今回はその反対である。
静岡のMさんの「前例」がある以上、京都検察審査会も一方的に受理を拒むことは出来ないであろう。
こうして、Mさんとの電話連絡の後、すぐに準備に取り掛かり、先の3月31日に、京都検察審査会への再審査申し立ては、無事受理されたのです。



活動の意義

 当時のMさんの活動なくして、今回の私達の再審査申し立てもあり得なかったであろう。刑事事件は間違いなく「看護師一人のトカゲのしっぽ切り」で終わっていた。この先の刑事事件の結末は判りませんが、結果だけが全てではない。「おかしい事には、おかしい」と声を上げ続ける事が大切だ。自分達の声・活動が、ひいては他の被害者の人達への何かしらの踏み台にでもなれば、それでいい。Mさんとの出会いに、社会に声を上げ続けることの意義は、こうしたことにあるのだと、改めて実感した。


 刑事手続きにおいて、現時点で私達がやれることはここまでだろう。
H医師の虚偽有印公文書作成・同行使罪の時効まで残り2年弱。前回の審査期間を振り返ると、再審査結果までにはしばらくかかりそうです。ひとまず、刑事事件は検察審査会を信じて、預け、「起訴相当」の議決とともに、次なるアクションを企てましょう。



民事裁判

 これまでしばらくの間、刑事ばかりが取り上げられ、民事裁判が影を潜めていましたが、長期間に亘って行われてきた進行協議も、残すところ6月6日の1回きりとなり、その後は、公判での証人尋問へと移る予定です。
疑惑の中心人物、H担当医の尋問は、おそらく最後の方になるでしょうが、法廷に初めて足を踏み入れる被告H医師が、証人席でどんな顔をして、証言するのか見物です。

 次回、ニュースでは、民事裁判での双方の主張(争点)を分かり易く整理してお伝えできればと考えています。公判となりましたら、これまで同様、傍聴参加へのご協力をどうぞよろしくお願い致します。
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