京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 bX

                            2003(H15)年2月11日 藤井省二・香


地検処分

 昨年(2002年)10月4日、京都地検の処分発表以降、今日まで慌ただしく時間が過ぎていきました。処分内容は、官僚主義の弊害そのものといった、民意からかけ離れたもので、とうてい納得できるものではありませんでした。
とりわけH医師の虚偽有印公文書作成・同行使罪の不起訴処分に関しては憤りを隠せません。53時間もの消毒用エタノール誤注入を認識していたにもかかわらず、死亡診断書にはエタノールの記載はなく、「病死及び自然死」と記した医師の行為を、検察は「故意は認定できない」としました。その判断基準は一体何なのか! その感覚自体を疑います。嫌疑不十分とする詳しい説明もありません。この国の社会正義を担うべき検察の実体はこの程度のものなのかと、情けなくもあります。


検察審査会不服申し立て、署名活動

 しかし、このまま「はい、そうですか」と引き下がるわけにはいきません。
この処分内容(看護師1人のみ業過致死罪で起訴)を不服とし、10月25日、京都検察審査会へ不服申し立てを行ないました。また一方で、時をおかずに厳正な審査・再捜査を求める要請署名活動を開始、そして、約1ヶ月半の短期間に1万6517名もの署名が寄せられ、12月4日、検察審査会へ第1回署名提出をしてきました。

 提出日の前夜、目の前に積み上げられた署名用紙に、一時、妙な気持ちになったものです。「これだけ多くの人達が、自分達の思いに共感・賛同して下さり、署名に協力して下さった。もう、これだけでも十分やないか!」「まっとうな判断・思考すら機能していない検察、一般社会常識すら通用しない京大病院・医師ら、こんな連中を相手に何を言ったところでシラを切り通すだけだろうし…」って。しかし、そんな感情も、本当に一瞬にして消え去りました。そう、遺影の笑顔の沙織が、「お・と・う・さ・ん!」「お・か・あ・さ・ん!」って、静かに力強く語りかけてくるのです。もう慌てて、「ごめん」としか返せませんでした。長時間消毒用エタノールを誤注入された沙織の苦しみ・無念は、まだ何一つ晴らせていない。事件の真相すらほとんど解明されておらず、医療過誤の原告である自分達が声を上げ続けなくてどうするんだ。事故は繰り返され、沙織と同じような被害者がこれから先も出てしまう。「さおちゃん、ごめん! 最後までやり抜くよ、約束するよ!」って、改めて気持ちを引き締め直した次第です。

 署名提出時、検察審査会で、新事実に耳を疑ってしまいました。審査会の現状を尋ねたところ、多くの案件を抱えており、手付かずの案件の中には2年前に受け付けたものもある、とのこと。沙織の京大事件(2000年3月)から既に3年近く経ち、そんなことでは刑事の時効になってしまう? 刑事司法手続きに私達市民が唯一関与できる検察審査会への不服申し立て、その現状がそんな状況なのか、と驚きを隠せませんでした。審査会が一体どのように運営・機能しているのか、その実体が新たな関心事になってしまいました。例えわずかの署名用紙でも2度3度と足を運び提出することで、その都度、根気よく迅速かつ厳正な審査を要請する必要性を強く感じました。


刑事裁判

 その後、12月2日、刑事裁判・初公判が京都地裁202号法廷で行なわれました。検察による起訴状読み上げ後、被告T看護師は「間違いないと思います」と起訴事実を認めました。私達は、看護師1人のみ起訴としたこの検察主体の刑事裁判自体には、余り大きな意味を見出せません。事故の責任を看護師1人に負わせ、京大病院の事故隠し体質、安全管理システムの問題点等を不問とした、検察の腰の引けた姿勢がそこにありありと見え、事故の原因解明には程遠いからです。
検察審査会による医師らの起訴相当の議決、更には、捜査機関・検察は、本来あるべき姿勢を実直に示し、再捜査による起訴・公判請求を行ない、医師らを法廷に引っ張り出さなければ、医療事故の本質、病院の体質を問う刑事裁判とはならないでしょう。

 年が明けた2003年1月14日、引き続き、刑事裁判・第2回公判が行なわれ、この日、検察側提出の証拠書類等に関して、T看護師弁護側から同意・不同意が表明されました。
不同意とする証拠書類の一つに、私達が検察に提出した「さおちゃんニュース」が上げられました。「さおちゃんニュースbP〜bU」を提出しているので、その文書に不同意とのことなのです。一体どの箇所の内容を弁護側は不同意とするのか、次回第3回公判(2月25日(火)13:30〜15:30予定)は本人尋問でもあり、注目したいと思います。


民事裁判

 一方で並行して、私達が主体となる民事裁判も、昨年10月23日、第5回弁論、
11月20日、第6回弁論が行なわれました。

 そして、先日1月30日、民事裁判・進行協議が午後から行なわれ、裁判官と代理人の間で、今後1年間の裁判進行内容・日程等を協議しました(原告側4名、被告側12名出席)。協議では、現在進行中の刑事裁判の証拠記録が民事部にどの程度の期間で取り寄せられることができるのか、この日の時点では分からず、その点を踏まえて再度4月25日を第2回進行協議期日として決まりました。と言うことで、次回の民事裁判公判は、それ以降ということになります。


 さて、前回(手記bW:2002.9.25記)からこれまでに、国(京大病院)・医師らから新たに準備書面が提出されています。これまで同様に、まず、そこから一部を抜粋して以下に貼りつけることにします。


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 被告医師ら第2準備書面(平成14年11月12日付)より抜粋

1 リー脳症の状態について

  …沙織がリー脳症の末期状態であり、近い将来に死亡する可能性が高かったことは明らかである。 …本件医療事故が発生する頃には、リー脳症による脳の変性が大脳や脳幹部にまで拡がり、生命維持のための基本的な身体機能を維持することも難しい状態になっていたのであって、このような病状経過に照らせば、沙織の死期が近づいていたことは明らかである。…

2 在宅用人工呼吸器への切り替えなどについて

  …00年1月中旬頃には肺炎の症状は落ち着き、抗生剤を投与しなくても良い状態になったが、呼吸不全は改善せず、人工呼吸器を装着したままだったので、H医師は、今回はこのまま入院生活が継続し、死亡退院になる可能性が高いと考えていたが、その一方で、たとえ短期間であっても自宅に帰り、親子水入らずの生活を送ることが原告らの願いであると思っていた。
特に、この頃になると、介護を続ける原告ら(特に、その中心であった母親)にはかなり疲れが見え始めていたので、その介護意欲を高めるため、一時的であっても沙織を帰宅(外泊)させ、原告らに将来への希望を与える必要性を感じていたが、そのためには、人工呼吸器を在宅用のものに切り替える必要があった。…

  …在宅用人工呼吸器への切り替えが退院を前提としたものでないことは明らかであるが、仮に原告らがそのように受け取っていたのであれば、それは原告らの早合点であり、在宅治療への期待の大きさを表わすものである。
…在宅治療に期待をかけていた原告らとしては、在宅用人工呼吸器への切り替えがなされたというだけで夢を膨らませ、退院の可能性が高まったと判断したものと思われる。そして、このことは、原告らに将来への希望を与えて、その介護意欲を高める必要性を感じていたH医師にとっても、患者家族に励ましを与えられたという点では望ましいことであった。

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 医師らは、何としても、医療事故前の沙織を「いつ亡くなってもおかしくない、末期の患者」にしたいのでしょう。要するに、「医療事故がなくとも、近い将来に死亡していた患者」でなければならないようです。

 被告医師ら第2準備書面の前半では、リー脳症の進行状況について詳細に主張し、それまでの入院時の最も悪かった状態ばかりを取り上げ、つなぎ合わせて、17年間が直線的に悪化の一途をたどったかの印象付けをしています。しかし、沙織は、医療事故・消毒用エタノール誤注入により死亡したのであり、そのことで医療事故の責任が軽減され、もしくは免れるものではないのです。医師らの主張の趣旨が明らかではありません。

 リー脳症の進行に関しても、悪い時期もあれば良い時期もあり、全体としては緩やかに徐々に悪くなっている、と言うのが実際です。最期となった入院についても、入院時の悪かった状態は、翌年(2000年)1月中旬には回復し、現実に退院に向けて在宅用人工呼吸器の練習に取り組んでいたのです。医師らが主張するような、医療事故が起きた当時「近い将来に死亡する」というような状態ではなかったことは明らかなのです。

 事実とは全く違う医師らの主張を、仮に前提としても、在宅用人工呼吸器への切り替えなどについての主張は、何ら説得力がありません。私達(原告ら)ばかりに目を向け、肝心の患者・沙織本人への視点が全く欠落しているのです。医療は患者の為に最善を尽くすものです。その患者を横に置いて、「原告らに将来への希望を与える」などと、あきれた主張です。

 在宅用人工呼吸器をつけて家に帰る、その事は、本人・家族にとって一言では言い表せない大変なエネルギーを必要とします。移動手段、住居の整備、人的サポート、…そして、何よりも在宅用人工呼吸器に慣れるための訓練が必要となります。本人にとっては、慣れるまでに大変な負担を強いるものです。そして、家族は我が子(患者)の生命を保証する責任があります。それでも、本人にとって入院生活よりも少しでも世界が広がり、生活が豊かになると考え、家族も含めて頑張れるのです。
それを、「たとえ短期間であっても」とか「一時的でも」などといった事で、在宅用人工呼吸器に切り替えたとするならば、余りに患者本人やその家族の生活や意思を無視したものであり、医療行為としては許されるものではありません。

 今回、署名に協力して下さった看護師さんが、同僚の医療者の人達に呼びかけて署名を集めて下さった時の様子を、次のようにメールで届けて下さいました。

『…(署名協力において)事故自体はもちろんだけど、それよりも、やはり京大の対応に対して憤慨するようで、是非に、と言ってくれました。
……経緯について、特に、在宅用レスピレーター(人工呼吸器)を使った理由の辻褄の合わないことには、みんな正直あきれていました。ある意味、その話が署名への後押しになっていたような気がします。
 医療者であれば、あの説明が「そんなアホな」的な、いかにも言い逃れ的な理由付けだということはよくわかるし、余計卑怯さを感じるところです。
 これからの行方とか私には推測できないんだけど、この点は明らかにオカシイことを伝えたいと思っていました。』


 医師らは、最初に「嘘」をついたばかりに、その嘘を正当化する為、嘘に嘘を重ね、苦しまぎれの詭弁で取り繕わなければならないのでしょう。私達は、この件に関しては、事実の証拠を積み重ねていくだけです。そして、最後に言い訳できない状況にまで追い詰めれば良いのです。真実に勝るものはないと信じています。


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 被告国第4準備書面(平成15年1月30日付)より抜粋

 被告国は、本準備書面において、リー脳症の医学的知見を踏まえて、沙織のリー脳症の進行状況等に照らすと、被告国の過失行為以前に、沙織はリー脳症の末期の状態であり、精神運動機能が退行し、対光反射も消失し、寝たきりの重症心身障害の状態(以下、このような状態を「誤注入直前の沙織の状態」という。)にあり、回復の見込みがなかったのみならず、死亡直前には敗血症性ショックに陥っていたことから、その余命は長くなく、逸失利益はもとより認められず、慰謝料額の算定に当たっても、これらの点が斟酌されるべきであることを主張する。

 健康な人が不法行為等により誤注入直前の沙織の状態となった場合の慰謝料額は、死亡の場合と同程度の額が認められることが多い。このことは、このような状態になることは死亡の場合と比肩すべきものであると考えられることによる。
また、近親者慰謝料が認められるのは、原則として死亡の場合に限られるが(民法711条)、上記のような状態となった場合には、死亡に比肩すべき損害として慰謝料が認められるのが通常である。
 そうすると、沙織の場合、健康な人が沙織の誤注入直前の状態となり、又は死亡した場合の慰謝料額に比べると、はるかに少額になるというべきである。

 …また、遅くとも平成12年2月29日朝に陥った敗血症性ショックを考慮すれば、沙織は、エタノール誤注入がなかったとしても、まもなく死亡した可能性が高かったものである。
 そうすると、少なくとも沙織の予後は極めて不良でその余命が長くなかったというべきであり、このことも、慰謝料額の算定において、十分斟酌されるべきである。

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 先日受け取った、1月30日付の被告国第4準備書面の一部です。今回、参考までに貼りつけることにします。国(京大病院)の重症心身障害者への人権感覚がはっきりと読み取れます。損害論の中で、「重症心身障害者=死亡に匹敵」と主張しているのです。許せません。次回以降の原告準備書面でこの点は強く反論・主張していく予定です。



【お礼】

 本文中でもふれましたが、昨年12月4日、京都検察審査会へ1万6517名分の署名を提出することができました。当初、短期間にこれほどまでの署名が集まるとは、正直なところ予想もしていませんでした。ご協力頂いた皆様には心より感謝しております。ありがとうございました。また、署名提出を繰り返し続けていく必要性を強く感じています。今後もどうぞご協力よろしくお願い致します。  本当に、ありがとうございました。
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