京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 bV

                            2002(H14)年6月2日  藤井省二・香

第3回弁論より
京大病院の隠蔽体質と人権感覚


 2002年5月15日、第3回弁論。この日、京都では葵祭り(京都三大祭りのひとつ)が行われました。京都地方裁判所の北側、丸太町通りをはさんだ向かいの御所が葵祭りのスタート地点です。午前10時の開廷に合わせ地下鉄丸太町駅のホームに降り立った時には、お祭り見物を楽しもうと大勢の観光客がその場に溢れていました。「何もかもが片付いて、手ばなしでこの雰囲気を楽しめるようになるのはいつのことだろう」と、裁判が始まってまだ間もないのに、私達はそんなことを話しながら裁判所までの道のりを歩いていました。

 昨年10月の提訴後、これまでに受け取った被告側書面からは、重大な医療事故を犯したにも関わらず何ら反省の姿勢は見えてきません。それどころか国・主治医らは、亡くなった沙織の人権をも(攻撃の)的にして、嘘に嘘を重ねてきたのです。

 そんな中、今回の裁判にもたくさんの仲間達が傍聴参加してくれました。法廷内の仲間達の真剣なまなざしが、被告側にとって大きなプレッシャーとなっていることは間違いありません。不条理な事が多いこの社会にあって、さおちゃんを通じて知り合えた仲間のみんなの思いに、私達はどれほど救われ勇気づけられていることでしょう。一般社会の常識すらおおよそ通用しない相手とこれから闘っていくのですが、私達は決して負けません。さおちゃんの周りには、いつもこんなにたくさんの仲間達も居てくれるのですし…。



 今回、京大病院の(医療事故に対する)体質を明らかにする上で、これまでの書面から問題と思える彼らの主張を、以下にいくつか取り上げてみることにします。

2001.3.23. 初回事故説明会より、主治医発言

 「今は、直接死因はアルコール中毒だったと思います。」

2002.3.1.付 被告(主治医・研修医)第1準備書面より

 「…消毒用エタノールの誤注入と…死亡したこととの間に法的因果関係が存在することは認め、その余は争う。
 …エタノールの吸入と致死的な疾患である敗血症性ショックが同時に進行していた状況であった。このような状況に照らすと、沙織の死因がいわゆるエタノール中毒死であったとは、にわかに断定できないというべきである。」


2002.3.6.付 被告国第1準備書面より(手記bU、文中Aで記載)

 「沙織の死因につき、血中エタノール濃度が一般に致死量とされている濃度を超えていたことは認めるが、エタノール中毒死であることは争う。
 …エタノールの吸入と致死的な疾患である敗血症性ショックが同時に進行していたこともまた明らかであって、この点においても、エタノール中毒死と断定することはできないというべきである。
 しかしながら、一般には致死量とされる量のエタノールの吸入が、…何らの影響をも与えなかったとすることもまた困難であると考えることから、その限度においては、消毒用エタノールの誤注入と…死亡との間の因果関係を認める。」


※ 事件後1年経った昨年の事故説明会では、急変時の診断をあくまで敗血症性ショックと押し通しながらも、主治医は「今は、直接死因はアルコール中毒だったと思います。」と
一度は認める発言をしていました。
しかし、民事訴訟・提訴を機に主治医らの主張は「エタノール中毒死であったとは、にわかに断定できない」と明らかに変わり、更に国は「エタノール中毒死と断定することはできない」と主張してきました。

 そもそも、急変時の敗血症性ショックそのものの診断に明確な根拠を欠いているにも関わらず、自らを正当化させる為にその診断に今もなお固執しているのです。

 主治医らと国との主張には、微妙な違いも見受けられますが、国・主治医らの因果関係における矛盾した認否は、未だ処分決定が出されていない刑事事件への影響を最も恐れ、医師らを守らんとするばかりに異常と思える主張をしてきています。


被告国第1準備書面より(手記bU、文中@Aで記載)

 「沙織の呼吸不全は、人工呼吸器(サーボ型)装着後も改善せず、沙織が退院できる見通しはなく、…」 としているものの、次のようにも述べています。

 「けだし、エタノール中毒死とは、血中エタノール濃度が致死量を超えると呼吸中枢が麻痺して呼吸が停止し、高度な酸素不足となって死亡に至るというものであるが、沙織の場合は、人工呼吸器による呼吸管理を実施していたため、死亡直前でも酸素飽和度及び血液二酸化炭素は正常範囲内であって、呼吸不全の状態にはなっていない。したがって、これをもって、エタノール中毒死ということができるのかは疑問というべきである。」


※ 国が言うところの呼吸不全の定義が理解できないばかりか、後者は、人工呼吸器使用者におけるエタノール中毒死はあり得ないと述べているに等しく、こういったことが医療界では通用するのか、一般常識では全く不可解な論理です。


被告国第1準備書面・診療経過一覧表より

 「2000.2.22.今回は死亡退院になる可能性が高いと判断し、両親にも患者の死に対する心の準備が必要と考え、病状が重篤であることをCT画像を見せながら説明するため、脳CT検査を施行した。」

※ 事実に反する内容です。CT検査は、在宅用人工呼吸器への切り替え以前に、主治医から「状態が落ち着いているから、退院するまでの間に何かしてほしいことがありませんか。」と尋ねられ、既に行われていたリハビリと同様に、CT検査をしてほしいと私達から要望したことで、たまたま行われた検査にすぎません。
 しかしながら、ここでも国は、ミス以前から既に病状は末期であったかのように、もっともらしい理由をとってつけているのです。

 そして、第3回弁論において被告国から提出された第2準備書面では、「エタノール吸入による苦痛」は存在しない理由を、次のように主張してきました。


2002.5.15.付 被告国第2準備書面より

 「沙織は、入院時(平成11年10月25日)、…持続植物状態(睡眠覚醒リズムはあるが、大脳機能の消失により自分や外界のことが認識できない状態)になっていた。したがって、…エタノールの誤注入により、仮に肉体的苦痛があったとしても、それをどの程度認識できたか不明である。
なお、エタノール中毒の臨床症状は、重症例にあっても、中枢神経系抑制や自律神経機能失調の症状が中心であり、一般的にエタノール中毒により著しい肉体的苦痛が生ずるともいえない。さらに、…(急変後)深昏睡状態に陥っていたから、…苦痛等の刺激を感ずることは不可能と認められる。」


※ 事件後、2000.3.7.の記者発表では「医療ミス以前から重篤で、2月24日の段階でいつ亡くなってもおかしくない状態」とし、その後「…このままでは死亡時まで入院生活を余儀なくされると考え…」、更に「…今回は死亡退院になる可能性が高いと判断し、両親にも患者の死に対する心の準備が必要と考え…」と述べ、そして、今回「(入院当初より)植物状態になっていた」と、入院中一度も聞いたことのない「植物状態」という言葉を使い、国は全く事実と異なる主張を積み重ねて、ミス以前の重篤説を更に強調してきたのです。

 こうした国(京大病院)の主張は、17年間懸命に生きてきた沙織の人権をはなから否定したものです。京大病院・主治医らの人権意識がはっきりと見えてきました。


2002.3.6.付 被告国第1準備書面より

 「7回目の入院時(昭和63年10月から平成2年11月の入院時)に,リー脳症の進行によって痙性四肢麻痺の寝たきり状態となっていたことからすると,通常の学生生活を送れる状態でなかったことは明らかである。」

※ 訴状で、沙織の学生生活に関して主張したところ、国はこのように主張してきました。「寝たきり」=非「通常」とするところの根拠は一体何なのか。このことからも分かるように、「植物状態」と述べる彼らの考えには、重度の障害児(者)・難病児(者)への偏見・差別意識が根底に強く存在しており、私達はこうした主張は絶対に許しません。



2002.4.23.日本経済新聞(夕刊)記事より -------------------------

 『医療事故、特定機能病院で1万5000件
          2年間「重篤事例」も387件


 大学病院など高度な医療を提供する「特定機能病院」で今年2月までの約2年間に
計1万5003件の医療事故が報告されていたことが23日、厚生労働省のまとめで分かった。血液型を間違えて輸血した事例や患者を間違えて治療するなど「重篤な事例」は387件に上った。特定機能病院の医療事故件数が明らかになるのは初めて。

 同省は現在、特定機能病院として全国82病院を承認している。各病院には2000年4月に安全管理委員会の設置が義務づけられており、委員会に報告された医療事故の件数をまとめた。

 医療事故の報告件数が最も多かったのは北里大学病院の2926件。次いで順天堂大付属医院が2040件、自治医大付属病院の1643件だった。旭川医大付属病院と浜松医大付属病院は「事故ゼロ」だったが、一病院当たり年間約95件の医療事故報告があった。

 事故にまで至らなかったニアミス事例は18万6529件に上った。
ただ京都大付属病院が重篤な事例(11件)を医療事故ではなく、ニアミス事例として報告するなど各病院の医療事故に対する基準の違いもみられた。……

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※ 自分達にとって都合の悪いことはごまかそうとする、京大病院の隠蔽体質が読み取れます。京大病院は、医療事故発生以来、事故の再発防止に向けての安全対策・危機管理対策に取り組んでいると述べていますが、実体の伴わない口先だけに聞こえてきます。

 今回の法廷でも明らかになりましたが、書類送検(2001.1.16.)後、今に至っても、京大病院内での被告らに対する処分は何ら行われていません。国家公務員法に基づいて、刑事処分を踏まえて手続きを開始する、という国の回答だけです。事件後2年以上過ぎていますが、京大病院は医療事故に対する責任を何一つ示しておらず、被告らは従前通りの勤務に携わっているのです。京大病院内にはもともと自浄機能は存在していないと言わざるを得ません。

 しかしながら、こうした今現在も、京大病院・医師らを頼りとしている重い病気の患者さん達は後を断たないのです。その現場で主治医を始め被告看護師らが何の責任も取らず勤務している、その事はどのように考えても納得できませんし、同時にとても怖いことに思えてくるのです。

 私達(の声)で今すぐこの現状を変えることができないのならば、せめて、主治医らに祈る思いでお願いしたい、「どうか子供達を、患者を“人”として診て下さい。」

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