京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 bT

                            2002(H14)年1月5日  藤井省二・香


第1回弁論より

 平成13年(2001年)12月18日、民事裁判・第1回弁論が京都地方裁判所で開かれました。当日、私達を支援してくれる仲間達16名の傍聴参加もあり、新聞・TVの記者の方達も含め、208号法廷の傍聴席はたくさんの人で埋まりました。京大病院エタノール中毒死事件が、単に私達家族だけの問題としてではなく、多くの人々の関心が注がれていることを強く実感し、これからの裁判に向けての元気・勇気を頂けたと思っています。


 この日までに、被告側(国、医師・看護婦ら9名)からの答弁書を手にしました。
一様に、請求趣旨に対しては請求棄却、請求原因に対しては追って準備書面にて答弁、との回答で、被告国から提出された答弁書は次のような内容でした。

○ 刑事告訴事件の捜査のため、京都大学がカルテ等を捜査機関に
    任意提出していることから精査できない。

○ 多数の相被告(医師・看護婦ら9名)から事情を聴取しなければならなく、
    各相被告の訴訟対応にも配慮する必要があり、いまだ事情聴取に着手できない。

○ 死亡の因果関係について、捜査機関が保有している鑑定書(司法解剖及び
    血中エタノール濃度等)を入手して検討した上で、被告国の立場を明らかにしたい。

○ そのため、3ヶ月程度の準備期間をいただきたい。


 これまでに京大病院側から開示されたカルテ等が全てではなく、まだ他に存在するということ? 医療事故後1年9ヶ月が経っており、京大病院側は各被告の事情を把握しているだろうに? 鑑定書、血中エタノール濃度の数値データ次第によっては、死因の因果関係をも争う構え?

 地検の捜査中を理由に、請求原因に対する認否・主張を先延ばしにした答弁書という印象ですが、その最後に「診療経過一覧表」が資料として添付されており、一覧表内に以下の記載がありました。

 --------------------------
 2000.2.16.
 人工呼吸器装着後も呼吸不全が改善しないので、原疾患の進行による脳幹の呼吸中枢の機能低下によるものと判断し、このままでは死亡時まで入院生活を余儀なくされるものと考えた。そこで、介護に疲れていた原告らに将来への希望を与え、介護意欲を高めるため、在宅用人工呼吸器への切り替えにチャレンジした。

 --------------------------

 主治医の発言内容と考えられます。これまでの病院側説明会等でも聞かれなかった初めて目にするもので、医療事故直前まで在宅治療に向けて在宅用人工呼吸器の練習中であったことに対して、病院側に都合よく事実をねじ曲げた内容となっています。

 京大病院側は、平成12年(2000年)3月7日に行われた記者会見でも、「医療ミス以前から重篤で、2月24日の段階でいつ亡くなってもおかしくない状態だった。」と発表しています。
 『消毒用エタノール誤注入事故がなくとも、既に患者の病状は末期症状であり、それほど時を待たずとも亡くなっていただろう。しかし、両親を気遣い、あえて在宅用人工呼吸器への切り替えにチャレンジした。』そんな内容に聞こえてきます。

 京大病院、医師らのこうした発言は、現代社会に根強く潜在する重度障害児者・難病の人達に対する差別感情を巧みに利用して、重大な医療過誤によるエタノール中毒死という、その問題の本質をはぐらかせ、すり替えようとしており、京大病院側の医療事故に対する姿勢を改めて認識することが出来ます。

 また今回示された内容は、医師としての医療倫理にも反しているのではないでしょうか。医師は、患者の苦痛を和らげ、取り去り、生活の質が少しでも豊かになるようにと考え、日々の医療に従事すべきではないのでしょうか。在宅用人工呼吸器のチャレンジは、あくまで患者である沙織本人の利益の為になされるものであって、私達両親の為にされるものではありません。本来あるべき患者本位の医療から逸脱しており、沙織本人の人権を全く無視しています。




 沙織と共に過ごした17年間は、かけがえのない何にも代えられない私達家族の大事なだいじな歴史です。

 平成2年(1990年)2月に気管切開をしてから後の約10年間は、昼夜を問わず気管吸引の必要があり、夜は交替で睡眠をとり、24時間片時も離れることはありませんでした。そして、沙織との在宅・入院生活の中で、たくさんの仲間達とも出会え、支えられて、私達は沙織との生活を日々前向きに生きてきました。

 在宅中、感染等により沙織の状態が悪くなった時(不思議と深夜悪くなる場合が多いのですが)、私達は沙織の側に寄り添い、手をしっかりと握りしめ、「直ぐにでも病院に連れて行くべきか」「もうしばらく様子を見るべきか」と、判断を誤らないように慎重に、不安にかられながら幾度となく朝をむかえたことを覚えています。
そんな時、いつも私達の中で「死」という一文字が必ず浮かび上がって来るのです。そこには耐えず「生」と「死」が隣り合わせに意識の中に存在していました。しかし、その度にいつも沙織は懸命に「生きよう」と命の輝きを見せてくれ、「生」に対する常に前向きな姿勢を私達に示してくれたのです。

 親にとって、たとえ我が子に重度の障害や病気があろうと、その事を決して特別な事とは考えていません。我が子をしっかりと見守り互いに成長して行く、それは親子の自然な関係です。
私達、そして私達と同様の体験をされている家族にとっても、それぞれの介護の実態だけを見れば、確かに一言では語りきれない大変なものがあります。当事者達だけで出来得ることにも限界があります。しかし、その誰もがそれぞれの生活の中で一生懸命に頑張って生きているのです。

 私達家族のそれまでの17年間の生き方も、主治医は十分に理解しているはずです。それにも関わらず、「・・・介護意欲を高めるため・・・」と述べているのです。高慢とも思える医師の人間性を見るようで、この事はそれまで支えてくれた仲間達と私達家族の頑張りをも踏みにじるものであり、強い憤りを覚えずにはいられません。

 京大病院は、高度最先端医療を誇る国内トップレベルの大学病院です。

 生体肝移植・脳死臓器移植が行われている移植外科と、沙織の医療事故があった小児科は、同じ病棟の同フロアに在ります。医師は移植外科と小児科で異なるものの、看護婦は同じ人達が従事しています。

 その大学病院当局・医師らは、重大な医療事故を起こしたにも関わらず、最先端医療が華やかに脚光を浴びる一方で、医療事故という暗部には蓋をしようとしています。
医療従事者としての良識・誠意に欠ける対応に終始し、どこまでも、自らの保身、大病院の権威を取り繕おうとばかりしているのです。とても悲しいことですが事故後これまでに京大病院側が示した現実です。

 裁判は始まったばかりです。私達は、これから先の現実にも決して目を反らさず、冷静に真意を見極め、病院内で起きた事実解明に向けて「真実は一つ、おかしい事はおかしい」と声を上げ続けていきます。“純粋に、前向きに生き続けた沙織”から教わったことを、これから私達が実践する時なのです・・・・。

もどる