京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 bR

                           2001(H13)年7月7日 藤井沙織・父 記


沙織の叫び

 人工呼吸器・加湿器への消毒用エタノール誤注入事故により、命を奪われた娘・沙織。
平成12年3月2日午後7時54分、京大病院小児科病棟の一室で、その瞬間、私達に呼び寄せる時間も与えないまま、沙織はスゥーと息を引き取りました。2月28日夕刻のエタノール取り違えミスから3日間、必死に「生きよう」と力の限りの頑張りを見せてくれていた沙織の、17年の短い生涯の最期でした。

 2月29日夕方には、致死量を超える血中アルコール濃度であったにも拘わらず、必死に生きて、誤注入ミスを病院側に気付かせたのです。約53時間エタノールを注入され続け、「苦しいよ!助けて!」と声を上げることも出来ず頑張り続けたのです。今、私達の中で
「沙織の叫び」が鳴り止みません。日々の生活の中で「沙織の叫び」が聞こえてきます。
沙織の「叫び」「無念」、その思いが今の私達の背中を押し動かせているのです。


「事故報告書」

 先の4月4日京大病院との2回目面談時、文部省・厚生省・京都府保健福祉部へ京大病院が提出した『事故報告書』、及び 病院内医療事故対策委員会・事故調査委員会の『議事録』の開示を、私達は求めました。また、平成12年3月7日に行われた京大病院記者会見における、事実と異なる発表内容についての『謝罪』も同時に求めていました。

 5月25日、京大病院より国・府へ提出された以下の『事故報告書』が開示されました。

  ・監督官庁である文部省提出報告書 : 平成12年3月9日付、50頁。
  ・厚生省提出報告書 : 平成12年3月14日付、19頁。
  ・府保健福祉部提出報告書 : 平成12年3月9日付、3頁。 

 厚生省、府保健福祉部へ提出された報告書は、文部省提出報告書より抜粋、もしくは、ほぼ同内容のものでした。提出先により異なる頁数・内容からも、京大病院の体質をうかがい知ることが出来るような気がします。

 文部省提出報告書『医療事故に係る経過報告』内における【事故報告書】は、あくまでも病院側に都合の良い解釈による内容でした。また、文中やはり事実と異なる虚偽の記述も認められました。
 そして、【主治医の供述】2頁分、【警察の捜査経過】3頁分は、全て黒塗りマスキングされていました。本件医療事故を病院及び主治医らがどのように認識しているのか、私達が最も知りたい内容は全て隠されていました。刑事処分が未了(現在、検察庁捜査中)であるから開示を差し控えたい、という京大病院側の回答でしたが、全く誠意が感じられない対応です。黒塗りで隠された頁箇所は、病院側にとって刑事処分に不利となる内容?、そして、私達遺族に知られて問題となる内容?、そのように受け取らざるを得ません。何故全てをガラス張りにしないのか。事故隠しという医療現場の閉鎖的な体質をそのまま露呈した行為です。
 また【京大病院医療事故記者会見録】においても、当時の新聞報道記事と同様に事実と異なる内容が記述されていました。

 そして、病院内での事故調査委員会の『議事録』についても、主治医他の刑事処分が未了であること等から現在のところは開示を差し控えたいとの京大病院側の回答でした。

 私達にとって、京大病院側から情報公開されたものは、形ばかりの全く内容の伴わないものでした。国内トップレベルの京大病院の良識・倫理は、この程度のものだったのかと情けなくなりました。長年信頼していた病院だけに、裏切られた思いで哀しくも悔しくもあります。「許せない気持ち」の一方で、それでも今回の医療事故で「何とか京大病院に変わってもらいたい」という、かすかな望みすら摘み取られたような思いで残念でなりません。


「記者会見 謝罪文」

 『事故報告書』開示後、2週間過ぎた6月8日。京大病院より平成12年3月7日に行われた記者会見についての『謝罪文』を受け取りました。

 当時、新聞報道等で医療事故を知った人達から、直接・間接的にいろいろな言葉が私達の耳に入って来ました。

  「これまで家族三人で一生懸命頑張って来たのだし、・・・
    不幸な事故が重なった事は悲しいけど、・・・さおちゃんも本当によく頑張ったよね。」
  「医師や看護婦の長年の努力に感謝しているからといって、
    医療ミスで我が子を亡くして、何のクレームも無かったなんて・・・」
  「長年寝たきりの子を育ててきて、ある意味、親もホッとしたのでは・・・」

医療事故を隠され、「病死」と欺かれ、そして、ねじ曲げられた記者会見発表により私達は深く傷付けられました。

 『謝罪文』は3頁から成り、最後に京大病院・現病院長と事故当時の前病院長の本人署名と押印がされていました。
 しかしながら、その内容は、虚飾と思える、遠回しな、あくまでも京大病院の権威を保持しようとした受け入れ難い表現に終始していました。
 ある事柄に関しては、その責任を新聞社側へ責任転嫁しています。謝罪文の中でも、自ら発表した内容をねじ曲げ取り繕おうとしているのです。
 事故後の事実関係の正確さにも欠けていました。『事故報告書』同様、事実と異なる見解を通そうとしています。
 そして、自らの非を認めざるを得ない点に関しても、非を大筋では認めているものの、その文章から謝罪の気持ちが伝わってこないのは何故なのでしょう。

 本文を何度も読み返しました。しかし、読み終えて込み上げてくるものは、怒りよりも空しさばかりでした。京大病院が発表した事実と異なる点について、自らの非を非としてきちんと認め、ストレートに謝罪の言葉を述べてくれれば、私達の気持ちは少しでも救われるのです。
 現病院長、前病院長の二方は、どのような気持ちで署名・押印されたのでしょう。決して素直に受け入れられる『謝罪文』ではありません。いえ、『謝罪文』とは認められません。

 京大病院に対して、これ以上の情報公開、並びに謝罪を求めていくことは不毛であると確信しました。私達は「沙織の死の真実」「病院・医師らがやってきた事実」を明らかにする為に、民事訴訟・提訴を決意しました。

 心の片隅に、まだかすかに残ってはいるのです。
 「京大病院に変わってもらいたい」その思いは。

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