京大病院エタノール中毒死事件・両親手記 bQ

                          2001(H13)年5月12日 藤井沙織・父 記


 平成13年3月2日命日。沙織が亡くなって一年経ったこの日、遺影を前に事件の真相を一言も報告することが出来ませんでした。何一つ解明されておらず「ゴメンネ。」としか声をかけられませんでした。

 しかし、一方で嬉しい報告をすることが出来ました。

これまで私達家族三人をずっと支えてくれていた仲間達によって、この日「さおちゃんの死と真実を知ろう会」(略称「さおちゃんの会」)が仮発足され、小さな1ステップを踏み出したのです。テレビ・新聞報道だけでは伝え切れない事実を、私達両親の現在の思いを、会の人達の声を、それらを広く伝えていき、一人でも多くの人達に関心を持って頂けたらという願いを込めて動き始めたのです。
 その日から2ヶ月が過ぎました。「さおちゃんの会」は私達にとって大きな支えになっています。励まされ、勇気付けられ、そして元気をもらっています。

 そんな中、3月23日と4月4日の両日、京大病院との面談・事実説明会が行なわれました。私達にとって、まず何よりも「病院側がやってきた真実を知りたい」、そこからのスタートなのです。

 ★何故エタノール取り違えミスが起こったのか。
 ★急変時の診断・処置・データの判断に誤りはなかったのか。
 ★何故53時間もの間ミスに気付かなかったのか。

 ★ミス発見時、家族に何故知らせてくれなかったのか。
 ★ミス発見時点におけるカルテ(病院誌・診療録)・看護記録に
    ミスの記載がないのは何故なのか。
 ★ミス発見後の診断・処置・検査項目に誤りはなかったのか。

 ★3月2日、手渡された死亡診断書にエタノール誤注入の記載は無く「病死」とし、
    私達にミスの報告もしないで病理解剖を確認した真意は何なのか。
 ★深夜の医師・看護婦総出の見送りの真意は。
    その時点でも誰からもミスの事実を知らされなかったのは何故なのか。

 ★翌日3月3日になって初めてミスの報告があったが、
    その時、何故死因を敗血症性ショックによる「病死」と告げたのか。
 ★3月7日、病院側記者会見発表において事実と異なる公表をしたのは何故なのか。

 たくさんの疑問を抱いて、私達は3月23日、事故後初めて京大病院との面談・事実説明会に臨みました。その日だけの説明では不充分であった為、4月4日 2回目面談を行ない、述べ約6時間半の事実説明会となりました。



       京大病院側による事実説明に沿った経緯

 病院側出席者: 小児科教授・主治医・研修医・看護婦長・事務部長・事務方
           取り違えた看護婦(初回のみ)・発見した看護婦(初回のみ)
           弁護士(国・医師ら担当)・弁護士(看護婦ら担当)

[取り違えミス]

 平成12年2月28日、日勤の受持ち看護婦が、気管吸引用カテーテル洗浄用の蒸留水(滅菌精製水)500mlボトルを午前中探していたが病棟内に1本も見つからず、調乳室を探していた時にその後蒸留水と間違えてしまった5リットル消毒用エタノールタンクが目に入ったそうです。 夕方6時頃、昼間見ていた白いエタノールタンクを蒸留水タンクと思い込んで、ラベルを確認せずに病室内に持ち込み、エタノールに気付かないまま人工呼吸器の加湿器モジュール(加温加湿器の上部に装着される水を溜める容器)と吸引用ボトル(500ml)2本にタンクから注入し、そのままエタノールタンクを人工呼吸器の置いてあるワゴンの下に置いたそうです。

[容体急変]

 2月29日午前4時30分頃、沙織の容体は急変しました。そして、主治医はこの時の急変を敗血症性ショックと診断しました。
 2月28日午後6時頃から3月1日午後11時頃までの約53時間、5名(延べ8名)の看護婦・看護士は、いずれも人工呼吸器のワゴン下に置いてあるエタノールタンクのラベル等を確認せずに、蒸留水タンクと思い込んで加湿器モジュールにエタノールの注入を繰り返しました。また事故当時、蒸留水の持出し・交換作業の確認手続・記録はされていなかったとの事です。

[ミス発見]

 3月1日午後11時頃、準夜の受持ち看護婦が、人工呼吸器の加湿器モジュール内にエタノールが誤注入されている事を発見したそうです。

 加湿器モジュールに補充しようと、呼吸器のワゴン下にあるタンクから注射器で吸おうとしたところ吸い取れず、おかしいなと思いタンクを傾けた時にエタノールと書いてあるラベルに気付いたとの事です。一瞬見間違いかなと思いその場で手に取って臭ってみたら、やはりアルコールの臭いだと気付き、気が動転して、どうして良いか解らなく、私達家族に何も告げる事なく病室を出たとの事です。
 詰所(ナースステーション)に戻り、その場に居た先輩看護婦や主治医に「沙織ちゃんの加湿器の水がエタノールかも知れない。」と報告したところ、主治医から直ぐに蒸留水に入れ換えるように指示されたそうです。
 まず、病室に戻り「タンクが空になったから。」と言いながら、私達にタンクのラベルを見せないようにしてエタノールタンクを持出し、次に調乳室から新しい4リットル蒸留水タンクと注射器を持って病室に入り、呼吸器のワゴン下に置き、最後に蒸留水の入った加湿器モジュールを持って病室に入り、「熱くなったから。」と言ってエタノールが入っていた加湿器モジュールと交換したとの事です。

 この時点で主治医は、それまでの沙織の症状が敗血症性ショックで全て説明が出来たという事で、またエタノール誤注入の影響は少ないものと判断して、エタノール中毒に対する特別な治療は開始せず、血中アルコール濃度検査も行ないませんでした。そして、その時誤注入されたエタノールに関してもタンクの残量を見るだけに止まり、正確な量の確認は行なっていないという事です。
 また、カルテ・看護記録の同日同時刻の該当箇所には、エタノール誤注入の事実は記載されていません。

[ミス発見後]

 3月2日朝、主治医は婦長にエタノール誤注入の事実関係の調査を依頼し、その後、主治医と婦長の二人で小児科教授にミスの報告に行き、そこでも事実関係を調査するように指示されたという事です。そして、同日夕方頃、2月28日午後6時頃からエタノールが誤注入されていた事が判明され、直ぐに主治医と婦長は小児科教授にその報告をしたそうです。

 その後、主治医・小児科教授・同教授から相談を受けた他の教授らとの間で、「家族にミスの事実をいつ話すか。」といった事が話し合われ「直ぐに話した方が良い。」と決定されたそうです。
 しかし、エタノール誤注入の事実は私達に知らされないまま、3月2日午後7時54分に沙織は息を引き取りました。

[死亡診断書・見送り]

 3月2日午後10時頃、主治医から死亡診断書を手渡されましたが、そこにもエタノール誤注入の事実は一切記載されていませんでした。その場で、ミスの報告も無いままに、主治医から「病理解剖されますか。」との確認がありましたが、私達はそれに関しては首を横に振りました。

 深夜にも拘わらず、小児科教授を始め、大勢の医師・看護婦が見送りをしてくれ、当時私達は感謝の気持ちで一杯でした。「京大病院にかかって本当に良かったと思います。ありがとうございました。」私達は精一杯のお礼を述べ病院を後にしました。

[ミス報告]

 翌日3月3日午後4時頃、私達が葬儀の打合せ等を終えた頃に、主治医と婦長が自宅を訪ねて来ました。その時初めて、私達はエタノール誤注入の事実報告を受けましたが、この時も主治医は尿検査報告書を見せて、沙織の死因は敗血症性ショックによるものだと説明をしました。
 心身ともに疲れ果てていた私達に、その内容を判断するだけの余力は無く、長年お世話になった主治医の言葉を信じました。

 そして、その直後に警察の人達が来られ、司法解剖の要請があり当初は拒否していましたが、刑事さんの言葉に説得され同意しました。  

[司法解剖]

 3月4日夜、司法解剖の結果、解剖執刀医より、沙織の血液中から致死量を超えるエタノール濃度が確認され、死因はエタノール中毒死であるとの説明を聞きました。

[病院側記者会見]

 3月7日午後3時30分頃、告別式終了後の葬儀会場に病院長ら4名が訪れ「今日このあと記者会見をします。」との報告がありました。そして夕方、京大病院側による記者会見発表が行なわれ、今回の医療事故が公表されたのです。

[京大病院側の死亡原因についての見解]

 事実説明会において主治医は現在、直接死因はエタノール中毒死だったと思うと述べています。また、3月1日午後11時頃のエタノール誤注入発見時、及びその後、エタノール中毒の影響を過小評価していた点については判断ミスであった。但し、発見時点では既に血圧も低かったので、エタノール中毒に対応した治療は出来なかったと思うし、結果的には当時した治療はエタノール中毒だったとしても最高のものだったと思うと述べています。

 また事故当時、2月29日午前4時30分頃の容体急変は敗血症性ショックであると考えていたものであるし、現在もその時点からの容体については敗血症性ショックであったと考えていると述べています。

 そして、警察での取り調べ中に、2月29日夕方の血中エタノール濃度が致死量を超えていたという事を聞いているので、2月29日夕方以降はエタノールの影響があったと思うが、それ以前、2月28日午後6時頃から29日夕方までの影響については解らない、判断しかねるという主旨の発言をしています。



       京大病院側による事実説明の問題点・疑問点

[薬品管理・注意義務]

・事故当時、病棟内の蒸留水の使用量が非常に増え補充が不充分だった為、2月28日は保管庫に蒸留水が1本も無い状態であった。
・5リットルエタノールタンクとよく似ている事に気付きながら、平成12年1月初めから4リットル蒸留水タンクを採用した。
・同年2月半ばから、新品のエタノールタンクに付いているキャップを蒸留水タンクに流用していた。注射器を差し込んだまま保持出来る為、便利さを優先して流用した。
・報道で保管庫・薬品庫などと呼ばれている保管場所は、詰所前の患者・家族が自由に出入り出来る調乳室の事であり、その同じ場所に両タンクを保管していた。

 これらの事から、管理体制そのものが極めてずさんなものであった事は明らかです。

 よく似たタンクの採用。キャップを流用し、その結果更にタンクの区別がしにくくなった事。取り違えミスを敢えて誘発しているようなものであり、発見が遅れた原因にもつながっています。
 当時、取り違えた看護婦は、このキャップについて「エタノールタンクの蓋だとは知らなかった。蒸留水タンクにも付いていたので、元々の蓋の違いは認識していなかった。」と述べています。
 また発見した看護婦も、日常的な点検確認において「していたつもりでいたが、結局はちゃんと出来ていなかった。」と述べ、発見時も「思い込みもあり、そこにエタノールが有ると思わなかった。ラベルを見ても信じられなかった。」と述べています。

 看護婦・看護士らの、取り違えミス・53時間もの間気が付かなかった、それらの単純ミスは、慣れ・思い込みが大きな原因であり、2重3重のチェックは言うまでもなく、それ以前に各自がプロとしての自覚を持ち、患者(人)に対する姿勢・意識が変わらない限り、ミスの再発は防げないと思えてなりません。

[2月29日午前4時30分頃、容体急変]

 この時、先に研修医が呼出されて病室に駆け付け、採血・肺のレントゲン等の処置を行ない、その後午前6時頃、主治医が駆け付けたとの事です。

 主治医は沙織の診察をして、それまでの様子を研修医からかいつまんで聞き、検査データを見て、敗血症性ショックと診断したそうです。

 2月28日午後6時頃エタノールタンク取り違え後、午後8時頃、沙織は嘔吐し、口からのエアー洩れが多くなりました。そして午後11時頃、酸素濃度(SaO2)が低下し、顔は赤くなり、黒ずんだ舌を出して苦しそうな表情に変わりました。心拍数も次第に上がっていったのです。そして29日午前4時30分頃に急変しました。
 しかしながら説明会の場で、主治医はエタノール取り違えから急変までの約10時間余りの症状の変化については「研修医からの報告は聞いてなかったと思う。」と述べ、カルテを見て「当時は(症状の変化を)特別な事とは考えなかった。」とも述べています。

 私達は主治医の診断に疑問を抱いています。急変以前の報告を研修医から受けずに診断を下した事。そして当時、私達への診断説明において、

 主治医「何で急にこの様になったのかは解らないけれど、敗血症性ショックですね。」
 研修医「敗血症性ショックだと思われます。よく解らないのですが・・・」

このように述べています。両者のいずれからも「解らない・・」という共通した言葉が聞かれました。この時、医師達の診断に迷いがある事を、私達は感じていました。

 そして、私達が何よりも納得出来ない事は、エタノール誤注入から約10時間余り経った2月29日午前4時30分頃の急変・ショック状態を、主治医は今現在も、エタノールによるものとは考えず、敗血症性ショックであったと述べている点です。

 2月29日夕方の血中エタノール濃度が致死量を越えていた事を警察から聞いているので、29日夕方以降はエタノールの影響があったと思う。 しかし、それ以前は医学的判断出来るだけのデータ(血中エタノール濃度)が無いので、影響についても解らないといった説明をしています。
 29日夕方には、元気な人でも致死量を越える血中エタノール濃度であったにも関わらず、体力の無い沙織にとって、その急変がエタノールによるショックとは思わないという主治医の発言を、私達は常識として全く理解出来ません。

[3月1日午後11時頃、エタノール誤注入発見]

 発見した看護婦は、タンクのラベルを見せないようにしてエタノールタンクを持出し、その場で私達に一言の説明もありませんでした。研修医・主治医も同様です。
 医療ミスの発覚と同時に、私達患者側は病院側からその事実を隠され、長年の信頼関係は一方的に断ち切られ、病院側にとって私達患者側は「敵」となってしまったのかと感じざるを得ません。

 私達にとって、この時からの病院側の対応、事実を隠そうとした行為が、後に不信感・疑惑を生む一番大きな原因となってしまったのです。
 何故、正直に直ぐに知らせてくれなかったのか。それまでの信頼関係は一体何だったのか。怒りと共に、悔しさが込み上げてなりません。

[看護記録]

 看護記録の、ミス発見時・同日同時刻の該当箇所に、エタノール誤注入の事実は記載されていません。この件について看護婦長は、

「事故当時、ミスを記載するという指導はしておらず、ミスを書くという習慣が無いので無意識的に書かなかったのだと思う。」
「現在は『ヒヤリ・ハット』という報告書は書いているが、看護記録には書いたり書かなかったりで、全員に書きなさいというような指導はしていない。今もそういったマニュアルは無い。」

 このように述べています。当時は勿論のこと、一年経った現在においてもミスの記載は徹底されておらず、事故の教訓が全く生かされていません。この説明を耳にした時、私達は京大病院は心から反省しているのか疑問に思えてなりませんでした。

[カルテ]

 カルテについても看護記録と同様に、ミス発見時・同日同時刻の該当箇所に、エタノール誤注入の事実は記載されていません。

 カルテ記載を担当していた研修医は、

「当時エタノールの影響が少ないと考えたし、ほとんど入って無いのではないかと思い、自分でいいように解釈したと言えばそうなってしまうが・・・」
「カルテに全部詳細に書けば膨大な量になるので、それなりのポイントは勿論書きます。」
この様に述べています。

 研修医は、エタノール誤注入の事実をそのポイントに入らない程度の、それほど重要ではないと考えていたのです。人体に消毒用エタノールが入ったというのに、それを大した事ではないと判断した医師の常識を、私達は理解出来ません。
 そして、当時エタノールの知識はどうだったのかとの質問に、

「エタノール致死量の数値は、当時解らなかった。」と答えています。

 主治医は、その件に関しては、

「事実確認が出来た時点で、カルテに書けば良いと思っていた。」と述べています。

 また、小児科教授は以下のような説明をしています。

「(研修医は)当時、エタノールが病状の変化に全く関係無いと判断していたと思う。」
「当時、エタノールが状態に影響していると認識しているとすれば、必ず記載しなくてはならない。」
「そういう意識が無かった以上、記載されてない事を責められないのではないかと思う。」
「患者に関係すると考える事であれば、記載するのだと思う。」

 私達は、カルテにおいて、その時点の症状についての評価・事実、そして、今後の治療方針に関する記載が大切な要素ではないかと考えています。しかし、エタノール誤注入の記載が無いという事は、その時々の症状把握に関しての重要な要素が欠落しているのではないかという疑問を持たざるを得ません。更には、敢えて記載しなかったのではないかという疑惑も起こってきます。各医師の発言内容が、医療界の一般常識として認識され正当性を持つのか、問題に思えてなりません。

 そして、発見時のカルテ記載は無いものの、カルテ最終頁に主治医によるエタノール誤注入の記載がされています。3月2日夜(死亡診断書交付後)記載したとのことでした。
 主治医は、その記載に関して
「3月2日午後6時以後の相談の場で、ある程度事実関係が解ったので、その内容を書きなさいと指示をされたので。」と説明しています。

[血中アルコール濃度検査]

 3月2日午前11時頃、アルコール検査の為の採血はしたが、結局検査はされませんでした。その理由を主治医は初回面談・事実説明会において、

・エタノールの影響は無いだろうと思っていた。
・沙織の状態がバタバタしていた。
・当時、アルコール検査は京大病院では出来ない。
  特殊検査なので検査外注でしか検査出来ず、外注先パンフレットを見て、検査結果が
  10日から13日かかる事を知り出さなかった。

 この様に説明していましたが、
「京大病院のどの部門でもアルコール検査は出来ないのですか。」との質問に、
2回目説明会では事務部長より、
「ガスクロマトグラフという機械そのものは有ります。血中エタノール濃度も測定出来る機械です。(病院内に)5箇所位有ると思います。」と述べています。
 直ぐに検査出来る状態であったかどうかは、事務の方からの説明であった為はっきりしませんでしたが、初回説明会の内容と変わっていました。
 この事から、病院側はどこまで正直に説明してくれているのか、私達は不信感を覚えました。いずれにしても、例え何日かかろうとアルコール検査をしなかった事は、間違った許せない行為だと考えています。

 先程のカルテ最終頁の最終行に「事実関係・因果関係の有無を調査の上、すみやかに父母へ説明することとした。」と主治医の記載があります。アルコール検査をしないで、どうやって因果関係を調査するのか、主治医の説明には矛盾が有ります。

 更には、アルコール検査をしないでエタノールの影響は無いだろうと判断したこと自体、非常に無責任な事であるし、人体に消毒用エタノールが誤注入されたというのに、沙織の生命を余りに軽視した発言としか受け取れません。また、説明会での様々な発言から、病院側は現在においてもエタノールの影響を過小評価しているとしか思えません。

[3月2日午後10時頃、死亡診断書交付時]

 死亡診断書交付時においても、主治医からエタノール誤注入の事実は知らされませんでした。「事実関係・因果関係を調査して、もう少しちゃんと説明出来る状態で話すという事に話し合いで決まっていた。」という理由からです。

 説明会の場で、主治医より死亡診断書交付後、病理解剖の確認をされた時に、
「もし私達が、病理解剖をお願いしますと答えていたら、エタノール誤注入の事実はいつ知らせてくれてたんですか。」との質問をしました。
その時、主治医は「その時はどうしたでしょうね・・・・」と返事に詰まりました。側から小児科教授が代弁して、その後主治医は「いずれにしても教授に逐一報告してましたから、相談して決めたと思います。」と述べました。

 私達はこの話しを聞いた時、ミス発覚後病院側の取った行動は、主治医一人の判断ではなく病院上層部が大きく関与している事を強く確信しました。そして、何もかもが意図的に運ばれたのではないかという疑惑が、病院側への不信感が、更に強くなりました。

[深夜の見送り]

 看護婦長から、深夜見送ってくれた大勢の看護婦の半分は、エタノール誤注入の事実を知っていたと説明がありました。しかし、私達は何も知らされずに病院を後にしたのです。 この事について、看護婦長は、

「私達自身の中に、医療事故が起きた場合に、必ず患者さんに直ぐ説明するという教育を受けてなくて、どちらかと言えばミスは余りしゃべるなという教育を受けていると思う。」
「(他の看護婦も)無意識的に誰も言えなかったのでは。」
「多分、組織の人間として動いたのでは。」
と述べていました。

 看護婦長からはこうした内容を聞き、小児科教授・主治医らの間では「家族にミスの事実をいつ話すか。」という事が話し合われていたと知り、私達は「京大病院は何かがおかしい、どこかが大きく間違っている。」と感じてなりません。「国内トップレベルの京大病院の倫理は一体どうなっているのか。」と恐ろしくさえ思えてきます。 



       3月7日、京大病院記者会見発表の問題点

「亡くなった患者は10年以上に渡って人工呼吸器を装着」

 事実と全く異なる内容です。
 平成元年5月7日から同年11月11日までの半年余りの期間、人工呼吸器を装着していました。その後 何度か入院することはありましたが、気管切開(喉から気管に直接穴を開け、そこから呼吸をする)のみで、在宅にて過ごしていました。
 平成11年10月25日から今回の最後の入院となりましたが、この年12月24日より人工呼吸器が必要となりました。

「医療ミス以前から重篤で、
   2月24日の段階でいつ亡くなってもおかしくない状態だった」

 2月16日から、退院に向けての在宅用人工呼吸器の練習が始まりました。その3日後、1月13日以来の感染による軽い肺炎を起こしました。在宅用人工呼吸器の練習方法・設定等の問題があった為で、その後病院用人工呼吸器に戻すと少しずつ感染症も落ち着いてきました。

 2月24日夜、主治医から2月22日に行なった頭部CT検査の結果説明がありました。
「全体的にかなり進行していて、画像を見ればいつ亡くなってもおかしくない状態。」との説明内容でした。しかし、それは10年程前の検査説明と同じ内容で、目の前に居る沙織を見てのことではなく、あくまで画像を見ての診断であり、沙織はこれまで、それらの診断内容をことごとく覆して来ました。

 そして、この頭部CT検査自体も、2月に入ってすっかり状態が落ち着き、「退院までの間に何かやっておきたい事は有りませんか。」と主治医に尋ねられ、退院後外来でという事になると通院だけでも大変となるので、眼科検診・リハビリと共にたまたま実現したものなのです。

 また、この日24日以降も、退院に向け人工呼吸器の離脱練習(弱い自発呼吸がある為、1時間くらい人工呼吸器無しでも可能にする練習)も行なっていました。

 そして、説明会の時に確認した事ですが、1月29日から2月28日(エタノール取り違えミスがあった日)までの期間、血圧測定を1度も行なっていません。状態が安定していたからであり、病院側が言う重篤患者であれば、間違っても血圧測定を1度もしないなんて事は有り得ない事なのです。

 本来、患者が「重篤」であろうとなかろうと、医療ミスとは何ら関係するものではありません。しかし、病院側は「重篤」であったと何度も強調して、医療ミスが無くても亡くなっていたと思わせる発表をしています。
 この事は、沙織の人権を否定した差別意識すら感じ取れるもので、決して許されない発言だと受けとめています。
 この件について、説明会の場で病院側からは「(会見発表した)医療問題対策委員長もカルテを見ておりましたから、そういう(言葉が)出たんだと思います。」と事務部長の釈明が返ってくるのみでした。

「家族とも良い関係にあり、クレームも無い」

 私達遺族の気持ちを無視した内容で、病院側に都合のいい保身ばかりを考えた発言だと受けとめています。

「公表が遅れたのは、家族を説得するのに時間がかかった」

 沙織が亡くなって自宅に戻った後、病院側と接触したのは2度だけでした。
 3月3日、主治医と看護婦長が自宅に訪れた時、そして、3月7日、病院長らが葬儀会場へ訪れた時、いずれにおいても私達は「記者会見を控えて欲しい。」といった内容の事は一言も言っていません。病院側からの「プライバシーに関する事は洩れないように充分に配慮させてもらいます。」という言葉に、私達は「わかりました。よろしくお願いします。」と答えただけでした。

 しかし、記者会見の場で病院側は、
「何べんも説得というか遺族には尋ねた。今日の会見そのものも遺族の了解を得るのに苦労した。条件としてプライバシーに関する事は一切やめてくれと言われた。今日のような歯切れの悪い話になっているのは、ひとえにそういう理由によります。」
といった内容の発言をしています。

 明らかに、病院側は公表が遅れた理由を遺族側に責任転嫁していたのです。京大病院の、自らの権威を守る為にはなりふり構わず何でも有りの姿勢に、私達は怒りを通り越して情け無くなりました。「京大病院は腐り切っている。」そう思えてなりませんでした。



       京大病院との2度の面談・事実説明会を終えて

 京大病院との面談・事実説明会は、病院側がどこまで正直に事実説明をしてくれ、私達に誠実に対応してくれているのか、その姿勢を確認する為のものでもありました。

 私達が知り得ない、病室の外での病院側の行動に関しては、時間をかけて整理した後でないと、それが真実なのか否かの判断は難しいと思っています。
 しかし、私達の目の前であった事柄に関しては、その場で即判断出来ます。それゆえ、その場面での病院側説明が、それ以外の大半を占める事実説明の真偽を判断する上で大きな材料になる事も間違いなかったのです。

 2回目面談・事実説明会も終盤に近付いた頃のやり取りの中での事です。3月3日午後4時頃に主治医と看護婦長が自宅を訪ねて来た時の事ですが、主治医はその訪問の目的は次の3点と述べていました。

 @エタノール誤注入の報告・謝罪。
 A因果関係を明らかにするための、解剖の勧め・説得。
 B事務部長から言われた、記者会見の説得。

 しかし、自宅を訪れた主治医の口から、A解剖の勧め・説得 B記者会見の説得 は全くありませんでした。
「先程、医療ミスの報告を警察に届けました。警察の方が来られると思います。検死だけで済めば良いのですが、司法解剖という事も考えられます。」 それから、
「記者会見をするとの事です。プライバシーに関わる事は洩れないように充分に配慮させてもらいます。」
 この時、主治医からはこのように言われました。しかしながら説明会の場で主治医は、先に述べた3点は「間違いなくしました。」と述べました。

 私達は主治医のこの言葉を聞いた瞬間から、それまでの主治医の口から説明された事柄が全て信用出来なくなりました。
 私達遺族を目の前にしてまで、主治医は自らの保身、同席していた病院上層部(小児科教授・事務部長)への体面を選択したのかと、そして京大病院の権威を取りつくろいたいのかと、そう考えずにいられませんでした。
 私達に明らかに解る「嘘」をついてまで、主治医は一体何を守ろうとしているのか。
私達には、主治医の人格・人としての資質そのものを疑わざるを得ません。

 2度の面談・事実説明会は、私達にとって何が真実なのかますます疑問が深まるばかりで、決して納得出来るものではありませんでした。誰を・何を・どこまで信用して良いのか解らなくなり、京大病院への不信感・疑惑が更に深まってしまったというのが正直な気持ちです。

 京大病院側が今回の医療事故をどのように認識しているのか、その点をはっきりさせる為に、4月4日2回目面談時、院内「医療問題対策委員会」内部で行なわれた議事録の開示、及び厚生省・文部省・京都府保健福祉部等への事故報告書の開示を、病院側に求めました。
 4月下旬に病院側から、報告書等開示については前向きに検討して5月中旬頃までには正式回答しますといった返答がありました。決して誠意ある迅速な対応とは受け取れません。

 私達は、病院側の今後の対応、及び情報公開されるであろう資料等を判断材料にして、民事訴訟の提訴も視野に入れ、真相究明の為これからも京大病院側へ真実の追求をしていく決意でいます。

                                              以上


もどる