8年間の活動を終えて

                               代表世話人  大 坂 紀 子



 2008年11月22日(土)、京都テルサにて『さおちゃんの会・報告と交流の会』を開催しました。当日はこれまでの活動を支えてくださった約30名の皆さんが集まってくださいました。

 会は代表から7年半余りの活動を報告させていただいた後、民事裁判を担当してくださった弁護士先生お二人とお父さんに医療裁判の現状についてお話頂きました。後半はお母さんから被害者の立場で学んだことを社会的課題として新しい活動に取り組みたいという提案がありました。会員さん達からも身近に体験されたインシデント事例やインフォームドコンセント軽視の報告があり、こうした医療体質を改善していく為になにができるか弁護士さんの意見を伺いながら意見交換を行いました。

 当日も報告をしましたが、改めてさおちゃんの会の約8年間を両親の闘いと共に振り返ってみました。


             さおちゃんの会の歩み

 会の発足


 2001年3月、一年経っても事故死すら認めようとしない京大病院に、誤注入事件の現場に居合わせた私達は憤りを募らせていました。京大病院に謝罪させるには、訴訟しかないのかと考えましたが、精神的な痛手を抱えた両親がさらに傷付けられる心配もありました。私達は両親に寄り添うだけで、どう支えればいいのかわからずにいました。

 そんな時、事件の状況を察した『バクバクの会』(人工呼吸器をつけた子の親の会)のHさん達が来られました。「これはさおちゃんだけの問題ではない。黙っていたら病院は変わらない。何があったのか発信していくべき。」「自分達のペースでいいから諦めずに続けることが大事。自分たちも応援する。」と励ましてくださいました。この強い後押しをきっかけに、私達は「難しいことは出来ないが、自分たちが見たり聞いたりしたことを広く伝えていこう。」と支援の会の立ち上げを決意、4月1日付けで正式に発足しました。

 Hさんは「応援するから」と約束してくださったとおり、傍聴や会の集まりには必ずバクバクの仲間といっしょに参加して下さいました。2006年5月にガンで亡くなりましたが、入院されるぎりぎりまで最悪の体調をおして傍聴に来て下さいました。暖かく頼もしい笑顔にいつも元気づけられました。心から感謝しています。


 会報紙発行

 新聞でさおちゃんの会の発足が取り上げられ、友人や障害をもつ仲間の他、マスコミ報道を見た一般の方も大勢入会して下さいました。

 会の活動の中心は、さおちゃんニュースの発行でした。2001年6月16日に第1号を発行、今回を含め25号まで発行しました。事件の経緯や裁判内容、両親の思いなどをお伝えしてきました。平均発行部数は会員登録168家庭(会員数200人余)と30団体、マスコミ14社の約220部でした。印刷や発送作業では『おもちゃライブラリー・やさいの会』(地域で障害をもつ子ももたない子も共に遊ぶ場づくりに取り組んでいる会)の皆さんに大変お世話になりました。

 また、さおちゃんニュースの記事は、『バクバクの会』『やさいの会』の会報にも転載され、より多くより遠くの方々にも届けることが出来ました。

 山口県のバクバクの会員さんはさおちゃんの記事を見て、お子さんの呼吸器へのエタノール誤注入に気付かれ、危うく難を逃れられました。その一方でさおちゃんの事件以前にもエタノール誤注入事故が2件もあったことがわかり、再発防止の為にもっと広く事故を伝えなくてはいけないと思いました。


 協力医に救われる

 一方、両親は事件の真相解明のため民事裁判に踏み切りました。刑事捜査ですでに事故死の司法鑑定がなされ、鑑定医の先生は死亡診断書の『病死及び自然死』の記載は問題があると指摘してくださいました。しかし、京大病院はこれを死後の解剖による結果論と否定、両親は臨床医の立場から事故隠蔽を裏付ける意見書を書いてくれる協力医を探しました。相談に行った医師達は、資料を見て京大病院の看護実態と事故対応に驚き批難しても、大病院相手の裁判には協力してもらえませんでした。

 大きな壁に直面し途方にくれかけていた時、思わぬ出会いがありました。バクバクの会報を見たお医者様が協力医をかってでてくださったのです。さおちゃんと同じ病気の子ども達を診てこられた医師として、京大病院の主張の間違いを指摘して下さいました。ご自身の仕事の傍ら、さおちゃんの発病以来の膨大な資料に目を通され、丁寧に意見書を書いてくださいました。この大変な苦労を引き受けてくださるお医者様がいらっしゃったことに、両親も私達も感激し、大きな勇気を頂きました。


 傍聴支援

 広報誌発行の次に重要な活動は裁判の傍聴支援でした。刑事・民事合わせて31回の公判に毎回20〜40人位の方が応援に来てくださり、交流会も5回開催しました。
特に、人工呼吸器を着けたバクバクの子どもさん達が毎回来てくださったことには、本当に感謝しています。その姿はさおちゃんの姿と重なり、両親は支えられたと思います。
 また、裁判関係者が亡きさおちゃんをイメージするうえでも多いに役立ったと考えます。

 しかし忘れられないこともありました。京都地裁が車椅子やストレッチャーで来られた支援者へ傍聴制限を行い、差別的な傍聴を強いられたことです。裁判後の話し合いで強く抗議すると共に、関係された方々の所属団体と連名で、障害に関連して傍聴スペースを制限される事がないよう、公平な傍聴の保証を求めました。

 その後、裁判所は前もって人数がわかれば場所を確保すると、車椅子などの利用者の参加人数を知らせるように連絡してきましたが、傍聴の自由と先着順の原則の観点から、人数を知らせることはしませんでした。裁判所は人を多く配置して対応に備え、傍聴制限もありませんでした。


 署名活動

 刑事事件で京都地検は複合ミスや事故隠しを不問としてT看護師だけを起訴しました。事件の全容解明や再発防止とかけ離れた処分に驚き、会では検察審査会と京都地検に再捜査を求める署名活動に取り組みました。

 街頭署名活動も5回行いました。初めての京都駅前ではなかなか声が出ませんでしたがバクバクの会とやさいの会の仲間の参加もあり、マスコミや道行く人の関心を集めることができました。京都市役所前フリーマーケットでは、いろんな方が「新聞、テレビで見ました。」「がんばってください。」と声をかけて下さり、本当に励まされました。中には看護関係者もおられて、京大病院の実態を知り驚かれる方や、「表沙汰にならないだけでおかしいことはいっぱいある。」と言われる方もありました。

 また、花園大学と加古川准看護学校にゲスト講師として招いていただき、事故の実態と事故が起きた時の対応の大切さについてお話しました。福祉や看護を学ぶ人達の共感を得て、たくさんの署名も集まりました。

 いろんな団体のご協力もあり、全国から約2万2千人の署名が集まりました。お陰で1回目の検察審査会では『H医師とE副看護師長の不起訴不当』の判断が下され京都地検は2人の再捜査を行いました。しかし、再捜査結果は『不起訴』、両親は2度目の審査請求をしましたが、2度目は『不起訴相当』と判断され、地検の処分も変わりませんでした。しかし署名活動を通して多くの方と交流し、事件の実態を訴えることができました。


 京大職員組合との意見交流

 代表と事務局の2人で、京大病院職員組合の役員と3回の情報交換を行いました。当初組合は「事故原因は看護師の過重労働で看護師も被害者」と再発防止にお互い協力しようと言いました。しかし、詳しい経緯も知らずにT看護師の実刑回避の署名活動を展開し、事件を増員要求の好機とする取り組み方には抵抗感を感じました。「過重労働を否定するわけではないが、忙しさの中で本来やらなくてはいけないことを怠っていたり、やってはいけないことをやっていた。増員してもそのことをきちんと検証しなければ、再発防止にはならない。なによりも事故を知りながら謝罪もせず、隠して帰宅させたことは許されない。」と伝えました。その後も継続して組合にさおちゃんニュースを送り、間接的ですが、記事を通じて両親の思いや裁判の狙いを伝えてきました。

 その後組合は、事故調査を放棄した病院とは別に、自主的に事故検証を行いました。何度か報告パンフレットが作成され、最終的に複合ミスの全容を明らかにしました。事故対応の経緯と問題についての記載もありますが、『隠蔽』を認めるものではありません。


 裁判終結、社会的活動へ

 刑事裁判では、不起訴となった看護師達が、自分達の複合ミスを明らかにしていきました。しかし民事裁判に場面が変わると、複合ミスはあっても患者の死亡責任はT看護師に限定されると主張を変えました。事故隠蔽についても報告の遅れは謝罪したものの、組織的な隠蔽を認めるには至りませんでした。

 医師達は「両親を思いやって事故を隠した。」と事故隠しを正当化し、反省のかけらも見せないばかりか、病院と共に『患者の余命は短く、事故で亡くなった精神的苦痛も小さい。』と主張しました。

 裁判所は、看護師達の複合ミスと病院の使用者責任を認めて賠償を命じると共に、さおちゃんの尊厳を傷つける間違った主張を正しました。しかし、命の軽視という根は同じ『事故隠蔽』については医師の意図的なものとは認めませんでした。両親は納得できず最高裁に上告しましたが、2008年6月20日上告は棄却され、7年近く続いた民事裁判は終了しました。

 事故死が確定し、看護師達と病院の責任が認められましたが、未だに京大病院から謝罪はありません。その非常識さには怒りも通り越してあきれるばかりです。

 裁判には他の原告も傍聴に来られ、医療や司法で共通の苦労があることを教えられました。多くの方が医療被害を負わされた上に、裁判でもまともな調査や補償を受けられず、二重の苦しみを味わっています。事故を再発防止に活かし、医療への信頼を維持する為にも、公正な調査と早期の被害回復に向けたシステム作りが必要です。両親はこうした課題をさおちゃんからの宿題として、より社会的な活動に取り組んでいきたいと考えています。


 感 謝

 さおちゃんの会は裁判の終結で『事件を伝える』という役割を終え、ニュース25号の発行をもって活動を終わらせて頂きます。会は世話人6人でスタートしました。8年の間にはそれぞれの仕事に加え、家族の病気や介護、別れといった大変な出来事もありました。反対に結婚や子どもの誕生という幸せに恵まれた人もありました。そうした多忙な中でいつも無理をお願いしてきました。ほんとうにご苦労様でした。

 はじめは悲しいこと悔しいことの多い活動でしたが、いろんな出会いもあり、喜びと感動もいただきました。これまで活動してこられたのは、会員の皆さま始め多くの協力者、協力団体のご支援があればこそと心から感謝しています。たくさんの会費やご寄付も頂き有難うございました。重ねてお礼申し上げます。会費などの残高は約45万円です。このお金は今後の活動、『安全と信頼の医療を考える会』に引き継がせていただきます。


 * さおちゃんは最後まで懸命に生きました。両親は苦しみながらも、誠意を信じてまっすぐに歩んできました。たくさんのことを教えてくれたさおちゃん一家に感謝します。


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