繰り返される不当判決
               司法の公平性に疑問

                             代表世話人  大 坂 紀 子 (2008/02/28)



変わらない共感

 1月31日大阪高等裁判所で、京大病院エタノール中毒死事件の控訴審判決が言い渡されました。事件から8年が経過し、どれだけの方が傍聴に来てくださるのか不安もありましたが、人工呼吸器をつけたさおちゃんの仲間をはじめ、大勢の支援者に加えてマスコミ関係者も多く、大法廷の傍聴席はほぼ満席となりました。

 このように今も社会的関心が高いのは、両親が事件を『一看護師のうっかりミス』で済まさず、困難を覚悟で『複合ミスと事故隠し』を追及し続けていることに社会的な課題があるからだと思います。また、『患者はすでに重篤だったから』と報告を遅らせ、8年間もきちんとした謝罪や事故調査を行わない京大病院の不誠実な態度に、多くの人が憤りを感じておられるからだと思います。


再度の不当判決

 しかしこうした社会の憤りに反し、大阪高裁は一審判決同様、タンクの取り違えと誤注入を行った4人の看護師の責任を認めただけでした。両親の控訴目的であった看護師長および副看護師長と医師達については『看護師長らの杜撰な薬剤管理はあったが、法的な責任はない。H医師に事故死の認識はなく、事故対応について上層部と協議して時期を見て報告すると決めており、隠蔽の意図はなかった。事故発見の報告が2日後(死亡退院の翌日)になったのは、両親の悲しみを思いやってのことで、
死亡診断書交付時までに報告しなければならないとか、死亡診断書に事故を記載しなければならないということはない。』として控訴を退けました。


守られない患者

 京大病院の看護師長らの職務規定にははっきり薬剤管理を行うと定められています。その職務を怠るだけでなく、事故が起きやすい環境を作り出し、結果的に患者が亡くなったとすれば、その責任はそんなに小さくはないはずです。今後も忙しい病棟現場で薬剤管理をおろそかにしても責任を問われないことになります。

 医師らについても、さおちゃんの病状急変について『敗血症性ショックで説明がつく。』『エタノールの影響があったという認識はなかった。』という主張を全面的に認めました。その為、カルテの追記や記録類に事故が記載されなかったことなど、不可解としか言いようのない一連の事故対応も、意図的な事故隠蔽ではないと判断されてしまったのです。

 何より納得できないのは、判決理由で事故報告の時期や死亡診断書への事故記載が医師の裁量で決められるという記述です。そのようなことを許せば、事故発見後の証拠隠滅やカルテ改ざんの時間を与えることになります。医師の認識で報告しないまま終わることも考えられ、患者側の権利が守られないことになります。


司法に失望

 H医師の認識を正当と認める根拠に病院上層部との事故対応協議で複数の教授たちもH医師の意見に反対しなかったことを挙げていますが、この協議の記録は存在せず、M教授の証言した協議内容からは真剣な協議が行われたとは感じられませんでした。証言中、裁判長は何故かニコニコと笑顔で聴いていました。私達もあまりにいいかげんな内容にあきれてしまい、裁判長も思わず苦笑しているのだろうと思って判決に期待をしました。

 しかし、判決で裁判所は両親の控訴理由をことごとく否定、特に事故隠しについての判決理由は、京大病院側の主張がみごとにそっくり採用されており、裁判所は京大病院の弁護人かと思うほどです。京大病院関係者や司法関係者と私達一般人とでは世界が違うといわざるをえませんでした。

 刑事裁判はどちらかといえば被告の権利擁護の傾向が強いといわれます。それに比べれば民事裁判は被害者の被害回復の見地に立つと考えていただけに、一審、二審と被害者である両親の地道に事実確認を重ねていく訴えよりも、京大病院の看板と肩書きを振りかざしたような主張に耳を奪われる裁判所には本当に失望させられました。

 控訴審の判決後、弁護士さんから判決理由の説明を聞いた支援者の皆さんも、怒りが収まらない様子でした。しかし、これで京大病院が許されていいわけがないと、闘志を掻き立てられたようです。さおちゃんの会、バクバクの会、やさいの会、医療事故被害者の皆さんなど思いは同じだったと思います。皆で決意を新たにしようと、大阪高裁正門前で足跡を写真に収めました。皆さんのお陰で落ちこむ事なく胸を張って前に進んでいけそうです。本当にありがとうございました。


地道な闘い

 一般には「裁判は勝てない、勝ったとしても亡くなった人は帰らない。もっと他の解決方法を考えては。」とか、「これからの生活を大事にしては。」と言う人もいます。両親もいきなり裁判を始めたのではなく、はじめは長年共に病気と闘った病院スタッフを信頼したい思いの方が強く、いつか納得のいく説明と謝罪をしてくれるだろうと待っていたのです。しかし、いまだに正式な謝罪さえありません。

 この間、両親は事件の解明の為に警察や検察の捜査に協力を続け、民事裁判の提訴に至りました。検察の処分に納得いかないと検察審査会に2度の審査申し立てもしました。常にさおちゃんに起きたこと、その苦しみから目をそらさず、自分達の見たこと知り得た事をこつこつ紐解き、訴えてきたのです。
それは京大病院にきちんと事件に向き合って欲しいという訴えなのです。決して、賠償金額や勝ち負けの問題ではないのです。


最高裁上告

 控訴審も厳しい判決に終わりました。しかし、17年間さおちゃんの為なら出来る事はなんでもやろうとがんばってきた両親です。最後の最後まで生きることを諦めなかったさおちゃんを思えば、自分たちが諦めることはできないと最高裁への上告を決意しました。今もさおちゃんが両親を支えているのだと思います。こうしたまっすぐな思いが社会に広がり、医療界や司法界をも変えていくことを願っています。皆さんも決して諦めないで応援し続けてください。







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