民事訴訟 控訴審を前にして

                                代表世話人  大 坂 紀 子



 機能しない司法

 7年前、事故が両親に報告されたのは事故発見から二日後、「事故はあったが病気で亡くなった。」という内容でした。

 「なぜ、さおちゃんがあんなに苦しいめにあわなければいけなかったのか。」「どうして、隠したまま病院から送り出したのか。」両親は苦しみました。しかし、一年経った事故説明会でも病院は誠意ある答えを出せませんでした。疑問と不信を募らせた両親は事件の解明の道を裁判に求めました。

 刑事裁判では看護師達の証言で複合ミスの経緯と杜撰な薬剤管理が明らかになりました。しかし、京都地検がT看護師一人しか起訴しなかった為、T看護師以外の事件に関わった大勢の責任を明らかにするまでには至りませんでした。しかし、お母さんは意見陳述の機会を与えられ、さおちゃんを失ったうえに事故を隠された苦しみを訴えました。直接関係者に思いをぶつけるまでに3年以上が過ぎていました。

 お母さんの気持ちが伝わったのか、民事裁判では看護師達から誤注入と隠したまま帰したことを認め謝罪する言葉もありました。また、医師達もはじめて出廷し、誤注入と病状の変化、カルテの加筆と事故記録の不備、誤注入発見後の病院内の動きについての尋問を受けました。その証言態度や内容から、裁判所も事故隠蔽の意図を感じ取ったと確信したのですが、下された判決は『杜撰管理の法的追及はしない、事故隠蔽は意図的ではない。』という期待と予想を大きく裏切る内容でした。



 看護師達の変化

 当初、看護師達と組合は過酷な勤務ばかりを強調し、個人責任を回避しようとしていました。しかし、刑事裁判でT看護師一人が禁固刑を科せられ、その救済と事故防止の為、杜撰な看護体制と一人一人の責任を明らかにしていきました。その内容は両親の求める全容解明に繋がるものとして評価できます。

 組合活動でも具体的な事故原因とともに事故の悲惨さを伝える努力が続けられています。ただし事故隠蔽については報告システムの未整備を言い訳にせず、もっと踏み込んだ証言が欲しかったと思っています。問題はシステムで解決するものではなく、被害者の苦しみに寄りそうことができるかどうかだと思います。



 危うさを増す京大

 当時、全国で医療事故が多発していたにも関わらず、京大病院の安全対策は大きく立ち遅れていました。そのうえ事故対応も被害者感情を逆なでするような対応しかできず、一般感覚からはかけ離れた対応でした。『京大は特別』といった意識が倫理感覚をマヒさせていたのでしょう。京大病院の関心は今も被害者救済よりも病院の威信を守ることにあるようです。裁判の進行を引き延ばして時効を待ち、社会の関心の低下を待っているようにさえ思われます。

 医師達は証人尋問に至るまで出廷せず、両親の訴えを聴こうともしませんでした。看護師の証言や医師間の証言の食い違いがでてきても、身勝手な主張を押し通し、6年以上前に作り上げたシナリオを守ることに必死の様子でした。このような態度が事件後も京大の威信を傷つけていることに彼ら自身は気が付かないのでしょうか。

 京大病院ではその後も、胸腔鏡による肺がん手術での大動脈損傷事故や、薬剤過剰投与事故、脳死肺移植手術における事故など、先端医療で救われるはずだった命が一転して失われました。他の大学病院に大きく遅れてようやく第三者委員も交えた事故調査が行われるようになったようですが、被害者のプライバシー保護の為、情報が公開されず、被害者への説明と被害回復がきちんとされているのか、実態が全くわかりません。さおちゃんのエタノール事件から京大病院がなにを学び、どれだけ変わったのか見えないのが残念です。

 一方、事故後わずかに看護職員の定数は増えたようですが、独立法人化後、経営合理化の名目で契約やパート職員が増加。北3階病棟(事故のあった小児科・移植外科)では昨年10月から3月まで看護職員の二交代制が試行されました。将来的には病院全体に導入予定で、夜勤は午後3時から翌朝の午前9時までの18時間勤務が検討されています。組合は長時間勤務が職員の健康を阻害し、医療事故の危険も増大すると反対しています。



 求められる変化

 7年の間にも全国で杜撰な医療事故が繰り返されています。京大病院自身も事故を繰り返し、看板だった移植手術でも失態を重ねています。社会の病院への信頼は崩れ、厳しい目がむけられています。事件当時に練り上げられたストーリーはすでに古く通用しなくなってきました。看護師達も当時を振りかえり、自分達の行為の間違いを認めないでは済まなくなりました。良心的な医療関係者は医療不信を煽るような京大病院のやり方を苦々しく思い、批判的な意見書も提出されました。当初、京大病院は両親を素人と侮り、京大の権威と医学理論で簡単にやり込められると考え、強引なシナリオを作り上げたと思われます。しかし、両親は誠実な協力医を得て医学論争でも善戦しました。京大は学会の長の意見書で対抗、権威と例外論で押しきろうとしましたが、名前だけで中身の乏しい意見書に価値はないと思います。


 司法は変われるか

 5年の裁判の間にすでに事件の全容は見えてしまっているのに、『タンクのラベルを見なかった看護師達が悪かった』で済まされたのでは社会も納得しません。私達はもっと正確で丁寧な答えを求めているのです。

 結局、京都地検の判断が司法にも影響し、全容解明への道を曲げてしまったといえます。地検は両親への処分説明で、『H医師はさおちゃんは病死と信じていた、悪意のもとに事故を隠したという確かな証拠はなく、H医師が嘘を言っているとは思えない。』という理由を示したそうですが、事故を隠して「病死」の死亡診断書を書いた事実よりも、目に見えない当時のH医師の内面を重視したことに驚き、不信感さえ感じました。

 地検が不起訴にした部分の捜査資料は非公開となり、その後の裁判材料も狭まってしまいました。京都地裁・民事法廷も事故報告までの2日の遅れを「社会通念上明らかに許されないほどのものではない。」と地検の判断に習いました。

 しかし、この時間はけっして僅かな時間ではありませんでした。この間に、H医師と小児科長はじめ複数の教授、顧問弁護士も加わり事故対応が検討されました。H医師個人の認識の問題ではなく、会議の結果、『両親への報告は初七日頃、死亡診断書には死因を「急性心不全」と記入する』と決めたのです。明らかに法律に触れる内容です。医療事故の多発に社会の批難が高まっていた時期に大勢が集まって協議した結論であることから、この時点で病院は事故隠蔽を決めたと言えます。

 このことを裁けない京都地裁も京大病院同様、社会認識から大幅に遅れていると言えます。医療界からも司法の力不足が指摘され、医療事故処理機関を求める声が高まっていますが、その機関がいつできるのか、本当に有効なのかはまだ不透明です。今、事故被害者達が頼れるのは司法だけであり、その期待に応える義務があります。司法は積極的に医療事故の捉え方を正すべきだと思います。隠蔽を許す判例が重ねられていく現状にいつ終止符をうつのか大阪高裁に決断を求めます。

 みなさまのご支援をお願いします。新しい風を大阪高裁に送りましょう。



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