民事裁判再開 !! … 事件への思いを新たに

               さおちゃんの会 代表世話人  大坂紀子


5年後の夏、事件を振り返る

 私事ですが、仕事で京大病院の外来3階に行くことがありました。仕事だからと割り切って行ったつもりでしたが、帰りにエレベーター前に来た時、急にさおちゃんの事件の記憶が甦ってきました。

 2000年3月2日の深夜、非常灯だけが点るその場所で、公衆電話でさおちゃんが亡くなったことを家族に連絡しました。その時はまだ、さおちゃんが53時間もエタノールの誤注入と闘い続けて亡くなったとは思ってもいませんでした。

 事件当時、さおちゃんは呼吸機能が低下して人工呼吸器を使用するようになっていましたが、毎日30分くらい、呼吸器を外して自力呼吸で過ごすトレーニングをしていました。

 誤注入が始まった次の日、さおちゃんは、赤い顔で「フッ、フッ、フッ、ハフー。」と不規則な呼吸を続けていました。今思うと、規則的に呼吸器が送り込む
エタノールから逃れようと懸命に自力呼吸しようとしていたのです。私達はそれに気づいてあげられず、ただ苦しそうな様子を見つめて祈るしかできませんでした。さおちゃんは急変後も約一日抵抗を続けていましたが、結局逆らいきれず大量の
エタノールを吸い続けることになりました。命を救う為の呼吸器が凶器となってしまったのです。
エタノールによる血圧低下で血圧数値20台になってからも、さらに低下しかけたり、もうだめかと思うこともありましたが、両親の必死の呼びかけに何とか応えてくれていました。3人の強い絆を改めて感じさせられましたが、それも長く続くはずもなく、ついにさおちゃんは力尽きてしまったのです。

 さおちゃんの苦しみと絶望。我が子を亡くした悲しみを懸命にこらえて、何度もお礼の言葉を繰り返した両親の思い。事故を隠したまま、その言葉を聞いていた人達の胸の内。5年余りが過ぎても、それぞれの気持ちを思うと辛くなります。


事件の風化を許さない

 小児病棟では今もたくさんの子ども達が病気と闘っています。小さな子どもや重い病気の子どもは、もし自分の身になにか起きてもさおちゃん同様うまく伝えられないでしょう。事件を契機にシステム的には数多くの改善が行われたそうですが、システムを機能させるのは人間です。事件に関わった看護師達のほとんどが配置転換され、事件の記憶も薄れシステムに慣れると、再び忙しさに流され看護の基本原則である確認手順までも忘れてしまわないか心配です。決して事件を風化させてはいけないのです。

 その後も各地で誤注入事故は起きています。また、2002年1月には小樽で、看護師が人工呼吸器の蒸留水の交換後スイッチを入れ忘れ、84歳の患者さんが亡くなっています。2005年7月20日にも、痰の吸引後のスイッチの入れ忘れで54歳の患者さんが亡くなっています。ついに人工呼吸器のスイッチを入れ忘れるというとんでもない事故までもが繰り返されているのです。

 事件を起こすと関係者は「患者の命を無駄にしない為にも、二度と同じ過ちは繰り返しません。」と誓います。同じ人間、同じ病院が同様の事故を繰り返さないのは言うまでもないことです。命を無駄にしないと言うのなら、全国の医療現場に事故の教訓を届けなければその責任を果たしたとは言えません。

 病院の外で私達にできることは、さおちゃんの悲劇、事件の本質を広く伝え、警鐘を鳴らし続けることだと思います。
 これまでの刑事裁判では複合ミスや病院責任の追及は十分でなく、事故隠しに至ってはまったく触れられていません。これでは事故情報としてはあまりに不十分です。検察庁の再々捜査のめどがつかない今、両親は再開される民事裁判での全容解明に全力を注ぎます。私達は傍聴活動と会報による裁判情報の発信で協力していきたいと思います。


風化する京大病院の権威

 京大病院エタノール中毒死事件の民事裁判は、第6回公判(2002年11月20日)を最後に2年10ヶ月にわたって進行協議が続けられてきました。

 進行協議で交わされる書面を見ると、病院側の被告、特にH医師は両親の事故隠しの追及にまともに答えているとは感じられません。学会の権威者の名の元に、さおちゃんの死因は誤注入のみによるものではないと主張。さおちゃんの難病を口実に医学理論の常識を超えた例外論を駆使して両親の追及をはぐらかそうとしてきました。結局、両親と病院の主張は平行線のまま、その距離も近づくことはありませんでした。2年10ヶ月もの長過ぎる進行協議に何の意味があったのかと思わずにはいられません。

 京大病院のねらいのひとつは、両親を裁判対応に縛り付けることだったと考えられます。仕事や生活を制約し、精神的にも緊張を強いることで、裁判に対する気力を削ごうとしたのではないでしょうか。もうひとつの目的は事件の風化を狙ったと考えられます。事件の記憶が社会から薄れていくのを期待して、いろいろと理由をつけては書面提出期限を遅らせて公判再開を先延ばしにしてきたのです。

 しかし、そのような姑息な手法でさおちゃんの両親の気力は衰えるものではありません。また、すでに京大病院の事件を通して『事故隠し』の醜さと社会的信頼を失う恐ろしさを学んだ医療関係者も多いと思います。看護協会をはじめとする専門家によって、事故防止だけでなく事故対応についても真剣に論じられるようになりました。他の大学病院では外部委員を交えた公正な事故調査と調査結果の公表もされるようになりました。

 むしろ風化しているのは京大病院です。さおちゃんの事件だけでなく、その後に起こした事件についても、他の大学病院のような事故調査報告は行っていません。その事故対応の後進性は、先のT看護師の刑事裁判に提出された看護協会・会長の意見書で指摘された後も何ら変わっていないのです。

 今も京大病院を頼らなければならない患者さんが大勢います。一日も早い京大病院の再生が望まれます。さおちゃんの両親は事件の全容解明と言う形で京大病院の再生の扉をこじ開けようとしています。私達もできる限りの支援をしていきたいと決意を新たにしていますが十分とは言えません。京大病院(国)を動かすには大きな力が必要です。会員の皆様をはじめ、より多くの方々のご支援を心よりお願いいたします。

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