事件から5年…

     見えてきた誤注入の全容と隠蔽の闇

                       さおちゃんの会 代表世話人  大 坂 紀 子



       H医師とE副看護師長、再度の不起訴処分?!

民意を裏切った再捜査結果

 2004年9月17日、京都検察審査会は京大病院エタノール中毒死事件における、H医師とE副看護師長に対する京都地方検察庁の処分について『不起訴不当』の議決を発表しました。
私たち国民の代表である審査委員が下した議決は、さおちゃん一家を襲った医療過誤
事件に対する判断ではあるのですが、同時に国民が頼る先としての高度医療機関のあるべき姿を問う議決だったとも言えます。一看護師の刑事処分だけでは到底済まされない
京大病院の現状に危機感を感じ、H医師とE副看護師に対して法廷の審判を求めたのではないでしょうか。


 新聞記事によれば、現京都地検・検事正は昨年の就任会見で『市民の視点にたった捜査に努めたい。厳正公平、不偏不党の立場に立つ、市民が見て納得できる捜査を行い、被害者をはじめ事件関係者の心情に配慮する…』と述べたそうです。
したがって、審査会の勧告や、全国から寄せられた2万2002名の「厳正な再捜査を求める要請署名」を受けて、再捜査ではより民意に近い判断が下されるだろうと、期待が高まりました。

 しかし2005年2月9日、京都地検はH医師とE副看護師長の再捜査結果をまたもや
『不起訴』と発表しました。先にあげた検事正の言葉からはあまりにかけ離れた処分に、
驚きと怒りを感じずにはいられません。


E副看護師長不起訴への疑問

 再度の不起訴処分発表から一月もたたない3月2日、さおちゃんの5回目の命日がめぐってきました。それと同時に誤注入に対する業務上過失致死罪については時効が成立し、
T看護師1人を裁いただけで終わってしまいました。

 検察は当初から、裁判で医学論争を闘う大変さに尻ごみしてか、わかりやすい一番大きなミスを犯した者だけを処罰して終わらそうとしてきました。
それは事故原因を『一看護師のうっかりミス』と発表した京大病院にとっても都合のいい
裁判のはずでした。しかし、起訴を免れたことで看護師長や同僚看護師が、T看護師1人に全ての罪を負わせまいと刑事裁判では自らの責任を認め、この事件が組織的な過誤だったと証言しました。看護師たちの事故隠しについての証言もあり、皮肉にも事件の全体像が浮かびあがる結果となりました。

 複数の看護専門家から、後続看護師の複合ミスや、安全対策の抜け落ちた病棟管理、事故対応の不備などを指摘する意見書も提出されました。

 E副看護師長については、事故直後に京大病院の安全対策に携わった内田宏美氏(2000,4〜2001,3:京大病院副看護部長・初代総括京大リスクマネージャー)の意見書の
中で、
滅菌精製水を求めるT看護師に対して500mlのプラボトル入りの滅菌精製水を使用するという、病院ではすでに標準化されていた基本的な方法と根拠を教えるべきところを、
4リットルポリ容器入りの精製水をカテーテルで吸い上げるという、奇妙で感染予防上も
問題である方法を強いています。

と誤った指導を行ったことが述べられています。


 前回の捜査の時は専門家の意見書が得られず、検察もE副看護師や後続看護師の
起訴に踏み切れなかったのかもしれません。しかし、E副看護師長の病棟管理については身内の内田氏からも非難されているのに、再捜査結果も不起訴だったことに疑問を感じずにはいられません。


H医師不起訴への疑問

 H医師はたくさんの嘘をついています。「入院時からさおちゃんの死亡を予測していたが、両親に希望を持たす為に退院準備をさせた。」と述べていますが、京大病院 特に北3階病棟(小児科・移植外科)に求められる使命は、治療が困難な難病患者に対し、最後まで
可能性を求めて闘うことです。
生体肝移植に代表されるように、親が我が身を削ってでも子どもを救って欲しいという思いで頼ってくる所なのです。さおちゃんの両親も自分の生活はもちろん、体力と気力のあらん限りをさおちゃんに注いでいました。
そして、H医師も両親の期待にたがわず、冷静な判断と的確な処置で、さおちゃんの危機的な状況を救ったこともありました。両親への気休めの為に、死が迫っている子どもに、
負担の大きい在宅用呼吸器の訓練をさせるような誤った医療を行うはずはありません。


 「急変は敗血症性ショックによると疑わなかった。」「血中エタノール濃度の検査をしなかったのは、検査は外部に出さなければならず、既にさおちゃんに死期が迫っていて、検査結果は間に合わないので出さなかった。」したがって、「診断書の作成時、エタノ−ル中毒とわからなかった。」と弁解して、病死の死亡診断書を作成したことを正当化しています。

 しかし京大病院は、最新の検査機器を備え、データ−の積み重ねから将来の治療法を研究するというもう一つの使命も持っています。治療は医師の経験や勘だけでなく、常に
検査データ−の裏づけをとりながら進めるのが普通です。
H医師も血圧が既に極限状態にまで下がっているさおちゃんから採血を繰り返し、感染のレベルや薬への反応を確かめながら治療を続けていました。診断や治療方針に迷いがあった為に検査を繰り返したと思われます。
したがって誤注入発見後、血中エタノール濃度検査を調べようとして採血はしたが出さなかったというのはあまりに不自然です。時間がかかりすぎることよりも外部で検査させることにより、事故が病院の外に漏れることを恐れたのが真相と思われます。

 京大病院の有能な医師が、事故があったのに血中エタノール濃度検査もせず、病理解剖もしないで死亡診断書を書くとは思えません。仮に誤注入の発見にH医師が動転して、普段通りの医療が出来なくなっていたとしても、多くの病院上層部と事故対応を協議した
うえで診断書を作成しており、その全員が冷静な判断力を失っていたとは到底信じられません。


再捜査も京大シナリオを鵜呑み

 担当検事は再捜査中、両親が強く望んだ自分たちへの事情聴収を一度も行いませんでした。さらに言うなら、事件現場に居合せた私たちボランティアへの事情聴収は、2回の
地検捜査中全く行われていません。両親や私たちは医療については素人で感情的な話しかできないと決めつけ、その見たことや聴いた事までを無視したのです。
そうした捜査で本当に正確な事実認定がされたのかはなはだ疑問です。


 担当検事は医療専門用語だらけのカルテの山に翻弄され、医師の涙ながらの弁明を
鵜呑みにしてしまったのでしょうか。検察審査会の委員の多くが見ぬいた意図的な隠蔽をどうして捜査のプロが見ぬけないのでしょう。医療過誤事件に対する苦手意識というより、日本の医学会に権威を誇る国立・京大病院という舞台の大きさが圧力となっているのではないでしょうか。どちらにしても、さおちゃんの苦しみや両親の痛みが見えてないのは確かです。もちろん、医療過誤抑止への意欲も感じられません。


新たな目標に向かって

 不起訴処分の言い渡し時、担当検事は納得しない両親に対して「H医師が嘘をついているとは思えない。」と述べたそうです。お母さんが「じゃあ、私が嘘をついているというのですか。」と尋ねると、「あなた方のことは知らないのでわからない。」と言ったそうです。
このような個人的な印象で不起訴にされてしまったのでしょうか。

 その話を聞き、私は悔しくてたまりません。嘘をつき続ける病院ばかりか、それを追求すべき検察にまで傷つけられ、両親の落ち込みを心配しましたが、検察のばからしいくらいのひどさにかえって開き直れたそうです。
目の前の悲しみや怒りに押さえ込まれていてはいけないと、残された道に向かって新たな目標を求めていく決意をしたようです。

 まずは検察に影響されない民事裁判を全力で闘うこと。
その一方で、時効を後2年残すH医師の再審査請求を行うと共に、将来は全国の医療過誤の原告と力を合わせ、事故隠蔽罪の法整備にも取り組みたいそうです。

 さおちゃんとの17年間、進行していく病気をも受け入れ、新しい目標を見つけ出してきた両親だからこその強さなのですね。今もさおちゃんが二人を支えているのです。
周囲の私たちは両親を支えるつもりだったのが、この頃は逆に支えられていると感じることも多くなりました。


         遅れた事故解明、進まない被害者救済

事故報告できなかった訳?

 T看護師の裁判に提出された看護協会会長・南裕子氏の意見書には、
当該病院は事故後、監督官庁等に事故報告を行っていますが、その内容は事故当事者や関係者には知らされていません。また看護部や当該病棟の看護師有志等が事故原因の分析を行ったとのことですが、どこにも公表された形跡がありません。
ちなみに、本件事故と前後して特定機能病院等3ヶ所の大病院において、医療従事者が業務上過失致死罪を問われた事故が起きました。それらの施設では速やかに内部及び外部調査委員会による事故調査を行い、その結果と組織的再発防止策を公表しています。
これらの施設に比べ京大病院の事故対応は明らかに不十分です。
当該病院は日本に冠たる医療機関でもあることから、その社会的責任を果すためにも本事故の要因となった組織的な問題点を調査検討し、ご遺族への誠意ある対応とともに再発防止に向けた真摯な取組みを進めるべきであると考えます。

と述べられています。

 京大病院は形ばかりの事故調査と処分しか行わなかったのにも関わらず、当時の厚生省は、事故後3ヶ月余りで特定機能病院として存続させることを決めました。
相次ぐ特定機能病院の事故、そのうえ天下の京大病院の恥ずべき実態を公表すれば、特定機能病院全体への信頼すらゆるぎかねず、あえてまともな事故調査をしなかったと推測します。


可能だった自主解明

 看護師らは『病院は真剣な事故調査を行わず、事故防止も進まない。』と刑事裁判で
批判していました。
しかし、事故から2ヶ月後の2000年5月、看護師たちは厳しい警察の事情聴収に答える為、Y看護師長の自宅に集まり、事故についてそれぞれの記憶を出し合って検証を行いました。事故一年後の両親への事故説明会ではすでに、T看護師の裁判で語られたのとほとんど同様の説明がされました。
記憶の新しい事故直後にほぼ自主的解明は終わっていたと思われます。それをすぐ公表していれば、意見書のような第三者の検証も早期に可能だったはずです。


 ようやく今年の1月、事故当事者の看護師たちが中心の医療事故再発防止委員会が、事件についてまとめたパンフレットを発行しました。
記載内容はT看護師の刑事裁判の一審、二審で明らかにされたことのほか、組合の支援活動などがまとめられています。看護師たちの事故隠し部分については裁判の証言よりも具体的に書かれています。
一定の前進と評価したいところですが、これらの内容は第三者が調査したのではなく、加害者たちが事故から5年も経てようやく公表したものなのです。あまりに時間がかかりすぎたと思います。また、時効がまだの医師の事故隠しについては、踏みこんだ記述はしていません。


保身に傾く支援活動

 2002年2月、京都府看護協会が行ったT看護師への寛大な判決を求める署名活動は
最も大きな支援活動といえます。
全国の看護関係者10万4200人以上の署名を集めたそうです。
署名を呼びかける文面は、形式的な被害者への哀悼の言葉の後は、事故防止の為に
自主的にミスを申し出た看護師に厳罰を科せば、今後の防止活動の停滞を招きかねないから刑を軽くするよう訴える内容になっています。
詳しい事故説明はなく、なぜ誤注入事故が起きたのか読んだ人にはわかりません。
せっかく10万人以上の医療関係者に貴重な事故情報を届けられたはずなのに、なぜそのチャンスを捨ててしまったのでしょう。山口県の事故など(さおちゃんニュースNo8参照)、同様の事故が繰り返されることを防ぐこともできたのではないでしょうか。

 さおちゃんと両親の苦しみへの共感や再発防止よりも、看護師の保身優先の活動は両親をさらに傷つけました。もし、事故隠しを含む事件の全容を伝えたうえで再発防止を誓う内容の署名活動なら、私たちも協力できたかもしれません。


 刑事裁判でT看護師を擁護した人達も、民事裁判では自らの保身の為に、T看護師の
取り違えさえなければ事故は起きなかったと正反対の主張を続けています。

 現在2年も続けられている進行協議に、被告の医師や看護師たちが出席することはありません。提出された書面もひどい内容です。
医師や看護師たちは自らの主張に恥じることがないのなら、きちんと法廷の場で両親に
正対するべきです。さおちゃんの命は取り戻すことはできませんが、事故隠しによる傷は
今からでも癒すことは可能なはずです。不誠実な対応をただちにやめ、全てを話して謝罪することを願っています。
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