刑事控訴審を終えて

                     さおちゃんの会代表  大 坂 紀 子 (04/08/26)



 大阪高等裁判所に舞台が移ったことで、さおちゃんの地域の友人にとっては傍聴が難しくなりましたが、バクバクの会の仲間や大阪の福祉情報センター・共同作業所の方達が
たくさん傍聴して下さいました。皆さんは、一審で全てを病院システムの問題にしようとした看護関係者に怒りを感じる一方で、控訴審では事故隠し解明への糸口が見つかるのではないかとの期待を持って参加して下さいました。以下は7月7日の控訴審判決と、T看護師と職員組合の取組みについての感想です。


              判決:「本件控訴を棄却する」


                   判決理由

・複合ミスについて

 後続看護師4人にも、T被告同様ラベル確認を怠った過失はあるが、T被告の取り違えがなければ生じなかった過失であるから、T被告は4人の過失についても責任がある。
過失の度合いはT被告の方がはるかに重い。

・医師の過失について

 医師は呼吸器の装着とその後の管理に責任があるが、証拠によれば,医師は容態の急変時、敗血症性ショックと診断し、呼吸器が正常に機能している事に疑いを持たなかった。このことはやむをえず、従って医師の義務違反はなかった。

・看護師長及び副看護師長の過失について

 その薬剤管理と指導教育に被害者の死亡を引き起こすべき義務違反はなかった。

・病院の管理監督責任について

 実質的な原因を解明し、防止策を検討する事は重要だが、現に過失を犯した者の罰を軽くすべきという事にはならない。現実に医療業務,看護業務に従事する者が個々の業務の際に基本的な注意義務を怠らないように努め、これを怠った者に適正な制裁が加えられる事も重要である。
 裁判所が被告の責任から離れて,本件過誤を引き起こした実質的原因を解明する事は与えられた権限を越える。

・取り違えの背景について

 この事案に対する被告の責任の量を検討し、これに相当な刑罰を定めるのに必要な範囲においてのみ、その職務環境や上司の指導監督が適当であったか否かを判断すべき。

 当時、被告は身体的、肉体的に疲労が蓄積しており、指導も十分でなかった。よく似た
容器が雑然とおかれていたことに加え、薬品管理者の看護師長は実質的には在庫管理を行っておらず、取り違えの起きやすい状況だった。

 しかし、これらを考慮しても、人命に関わる職に就く者の責任が大幅に軽減されるものではない。1年目であったこと、深く反省し自ら過ちを申告したことなどを考慮しても、到底
罰金刑ですむ事案ではなく、禁固10月(求刑同じ),執行猶予3年の一審判決はやむをえず、これが重すぎて不当とは言えない。



           T看護師の気になる主張について
          (控訴理由全体についてはニュース12に要旨掲載)

・小児科の特殊性

 過酷な勤務について一審では、看護業務以外に小児は食事から排泄まで身の回りの世話までしなければならず大変だったと述べ、控訴審ではW看護師が「家族の看護も必要」と述べ、気になりました。

 調べてみると、被告側から提出された河野龍太郎氏(東京電力株式会社 技術開発研究所 ヒューマンファクターグループ特別研究員)の意見書の中で母親の付き添いについて詳しい記述がありました。
その内容は個別の患者や母親の難しい性格をとりあげたり、母親の付き添いについて
「小児看護は患者本人のみならずその家族の看護が必要」「児の安全確保を求める母親への対応は大きな緊張とストレス」などと述べたりしていて驚きました。

 表向きは完全看護の京大病院ですが、小児科病棟の実際は、子供たちの身の回りの
世話と精神的援助のため、大半の家族が24時間付き添いを強要されていました。
食事・排泄・入浴・投薬等、身の回りの世話のほとんどをお母さん達がしていました。
また、経験の長いお母さんになると、鼻注チューブの交換・気管吸引・人工呼吸器の管理まで任されることもありました。慣れてくると忙しい看護師達に代わって看護の部分までも担っていたのです。
そして、薬や点滴の間違いといったヒヤリミスをカバーしていたのもお母さん達です。

 さおちゃんのお母さんも、11種類に及ぶ毎日のお薬を薬剤部から袋ごと受け取り、自分で1回ずつ小分けして、さおちゃんに投与していました。また、カニューレ交換や鼻注チューブ交換といった医療行為もしていました。

 さおちゃんのお母さんにとって、24時間気の抜けない入院生活でしたが、看護師達との会話を大切にし、相互理解と協力に努めていました。
それだけに今回意見書のなかで、多くのお母さん達のがんばりを否定するような記述があったことに大きなショックを受けていました。

 薬剤ラベルの確認を怠った背景として、小児科病棟の忙しさを強調するために、お母さん達の働きを無視し、まるでじゃまな存在であったかのような記述まですることは許せません。このような意見書を提出することは、現在も京大小児科病棟でがんばっているお母さん達と看護師達の信頼関係までも悪くするのではと心配します。

・医師の過失

 控訴審では一審では触れられなかった医師の過失に言及しました。
河野意見書では医師の診断能力や事故発見後の対応を問題視し検証が必要と述べられていますが、医療の専門家ではない為、表面的な記述だけで何が問題なのか具体的な掘り下げはなされていません。その為、裁判長は証拠から医師には過失なしと簡単に否定してしまいました。

 しかし、検察が医師達を起訴できなかったことにより、証拠の内、この人達のプライバシーに関わるものは保護されています。従ってこの裁判には医師達に都合のよい限られた証拠しか提出されていません。こうした証拠による裁判所の判断は余りにお粗末と言わざるをえません。
民事裁判で提出された医師達の書面を見ても、病気の重さを強調し、ひたすら敗血症性ショックによる病死という結果に導こうとしているとしか思えないようなものばかりなのです。

 実際は、当時看護師達はさおちゃんの容態が安定しているのをいいことに、毎日行なうべき血圧測定を1ヶ月以上省略していました。
主治医は積極的に退院準備をはじめており、事故発覚後に主張しているような突然死など考えていたとは思えません。
看護師達には事故前のさおちゃんの容態について、自分達が見たとおり素直に述べて欲しかったと思います。そのうえで医師の診断ミスや事故を発見しても血中エタノール濃度検査すらしなかったなどの不可解な対応をとりあげてくれていたら、検察や裁判官の判断も変わったのではないでしょうか。
T被告1人の裁判で実質的な事故解明には限界があると判決文でも述べられたことから、控訴審の結果は同じだったかもしれません。しかし、少なくともご両親の『事故隠し解明』への期待に応えることはできたのに残念です。

・事故対応と被害者感情

 事故発見時、ご両親に報告もせず、嘘を言って加湿器やタンクを交換したことについて、発見者のW看護師は
「知られてはいけないというとっさの本能的防御行為だった。」
「H医師はいつから誤注入が始まったかわかってから話すと言われた。」と証言。

 T被告は
「自分かもしれないと思ったが、恐くて頭が真っ白になり言えなかった。全体では明日ご両親に説明しようと言われた。(翌3月2日の午後には取り違えを看護師長に告白)さおちゃんが亡くなった時は自宅に謝罪に行くと言われ、看護師長に今日は帰るように言われたので帰ったが、その後両親と話はしなかった。」
「事故後、対応マニュアルができ,過失の有無に関係なく、まず謝罪することになった。」と証言しました。

 二人とも、誤注入に加え話さなかったことがご両親を苦しめていることを認め、反省の
気持ちを示しましたが、被害者感情が劣悪なのは、事故報告が遅れた事に加え、不十分な事故調査報告など、病院の事故対応の不備によるもので、これはT被告1人の責任ではないと主張しました。

 しかし、事故発覚時、その報告も謝罪もしなかったことをマニュアルの問題にしてほしくはありません。病院から送り出された時、大勢の人達が53時間の誤注入を知っていましたが、誰一人教えてはくれませんでした。何か大きな力が働いていたとしか思えません。
これを事故隠しというのではないでしょうか。



                職員組合の取組み

・再調査要求

 病院の事故対応については、組合が外部委員を交えた再調査を要求したが拒否されたとして、裁判で事故の実質的原因と病院責任を追求しなければ、病院の事故対策はすすまないと訴え、看護師達の事故防止努力をアピールしました。

 この件については、第1回控訴審の開廷前、組合役員の方から私に「再調査を要求して病院職員650名の署名を提出したが拒否された。」と、直接報告がありました。
私は「ご両親も第三者を交えた公正な調査を望んでおり、出来れば参加したいと考えている。病院内部の署名だけよりも、一般外部の署名を多く集めた方が、社会的圧力になる。私達の会も是非協力したい。」と申し出たのですが、その後の反応はありません。
すでに事故検証と再発防止はあきらめてしまったのでしょうか。

・解雇回避交渉

 6月に病院が事故関係者の懲戒処分検討を始めると、組合活動はT看護師の失職回避を求める署名活動と病院交渉が中心となっていったようです。

 組合の広報紙によると、京大病院の就業規則には、懲戒規定とは別に4月の法人化前の『刑事裁判で禁固刑に処せられたものは、解雇する。』という国家公務員欠格条項が残されているようです。組合はこの規定の見なおしを求め、病院も今後の見なおしについては検討を約束したそうですが、T看護師については国家公務員時代の事故であり、現時点での見なおしは拒否したそうです。

 控訴審判決でT看護師に禁固刑が言い渡された翌7月8日、京大病院は形ばかりの懲戒処分結果を発表しました。T看護師はわずか1ヶ月の停職、後続の看護師3人は戒告、上司3人が厳重注意の処分を受けました。しかし、病死という虚偽の死亡診断書を書いたH医師は処分対象にさえなりませんでした。

 ただしT看護師は、控訴審の禁固刑が確定すれば解雇処分は避けられず、組合は7月15日に再度、人事部との団体交渉を行いましたが解雇の方針は変わらなかったようです。上告をあきらめたT看護師は上告期限の前日7月20日付で退職届けを提出し、「実質的な解雇という事態は回避された。」と組合広報紙には掲載されています。



                  今後の課題

 結局この裁判では、複合ミスの他の関係者が起訴されなかったことで、T看護師の単純ミスしか裁けませんでした。T看護師が上告しなかったことで刑事裁判は現時点でひとつの区切りがつきました。
事故部分について、T看護師が民事裁判でのご両親の主張をなぞるような訴えをしたことは一定の成果といえますが、事故隠し部分については踏みこんだ証言には至りませんでした。最も知りたい事故発見直後の詰所での具体的なやりとりや事故対策委員会の指示内容、警察に届けるに至った経緯など、まだまだ明らかにしていかなければならない課題がたくさん残っています。

 T看護師は事故後も京大病院で仕事を続けながら組合と共に裁判を闘っており、ご両親の思いを理解してほしいといっても難しかったのかもしれません。京大病院を退職したことでしばらくは現場を離れ、看護師を目指した初心を思い出し、民事裁判には新たな気持ちで取り組んでもらいたいと思います。


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