抜け落ちていた“危機管理の視点”- 看護師長が証言 -

                          代表世話人  大坂 紀子 (03/05/16)



 4月18日第4回刑事裁判が開かれ、すでにタンクの取り違えを認めているT看護師の刑の軽減を求める弁護側の証人尋問がありました。注目されたのは、事件の1年後に行なわれた両親への事故説明会で、一度はずさんな薬剤管理や事故隠し体質を認めながら、民事裁判ではこれらを否定している看護師長が「自分を含む病院と国に責任が多い」と
証言したことです。以下はその証言をまとめたものです。



事件の経緯

 看護師長が事件を知ったのは、誤注入発見(2000年3月1日午後11:00)の翌朝の出勤時(3月2日午前8:00)で、主治医からミスを知らされ『いつ誰がまちがったか調べてほしい』と言われた。朝の申し送りでは取り上げず、終了後看護師1人1人に聞いていった。当時可能性のあった人は12人位いて、誰としぼり込むことは困難で、そのままでは疑心暗鬼になっていたと思う。

 しかし、午後2:00頃T看護師から『自分かもしれない』と電話があり、この告白を前提に
T看護師の勤務を調べたところ、2月28日が日勤だったことから、この時に取り違えたのではと考えた。主治医らとこのことをいつ両親に言うか相談したが、さおちゃんの状態が悪く言えなかった。亡くなった時も言わないまま送り出した(3月2日深夜)。


内部検証

 翌日(3月3日午後)事務長が警察に届け、その夜から看護師らの取り調べが始まったが、事故当時3台の人工呼吸器が動いていて、いつ誰に滅菌精製水(以下、精製水とする)を入れたか、いつ精製水の在庫がなくなったのかわからなかった。

 警察の厳しい追及とご両親への申し訳なさから、いつまでもあいまいにしておけないと考え、2000年5月に入ってから、看護師長の自宅に15〜20人の看護師が集まり、みんなの
記憶を突き合わせた。T看護師の告白を前提に記憶をたぐった結果、2月28日に500ml
ボトルの精製水の在庫がなくなっていたことがはっきりした。

(※従来使用の500ml がなく、副看護師長の指示で4リットルタンクの精製水を調乳室に
取りに行ったが、これも在庫がない状態で隣り合わせに置いてあったエタノール5リットル
タンクを取り違えた。)


よく似たタンクの採用・・・・取り違えを予見

 精製水の4リットルタンクは2000年1月から採用された。
このタンクはエタノールの5リットルタンクと同じ白色で形も似ていた。
見分けはラベルのラインの色が違っていたが、
両タンク共、ラベルは一側面にしかなく取り違える危険性があった
タンクが届いた時居合わせた看護師らとは『似ているけど、気をつけたらだいじょうぶ』と
話したが、他の看護師には注意をしなかった
それまでも似た物はあったがだいじょうぶだったし、薬剤部に採用中止を言ったことは
なかった。


ずさんな薬剤管理

 病棟の薬剤管理責任は看護師長にあり、診療に滞りがないよう、薬剤がとぎれないようにする責任があった。物品の搬入は業者の納品書があるが、
搬出についてはチェックも記録もなかった。在庫管理責任は看護師長と薬剤部にある。

 病棟では薬剤等を2ヶ所で保管、この内調乳室が4リットルの精製水タンクの保管場所だったが、エタノールのタンクは両方にあった。しかも部屋の入口すぐの床の上のほとんど同じ所に隣り合せで区切りもなく置いてあった


厳しい勤務体制

 T看護師は当時1年目の新人で、当初は同じ病棟の移植外科に配属されたのち、1月から小児科に転属となり、まだ間がなかった。この年は例年に比べ新人が7人(23人中)と多く、新人教育が手薄だった。人工呼吸器についてははじめ先輩が説明し、その後やりながら教えていた。看護師長は直接新人教育はせず全体を指導していたが、危機管理の
視点が全く抜けていた


 三交代の勤務体制は看護師らの経験や体力などを考えて組合せるが、勤務時間内に
業務を終えるのは難しい。特に新人は残業が長くなる。
次の勤務までに体を休める暇はなく、食事を食べるだけという実態がある。
忙しさの理由は、移植外科(生体肝移植)と小児科(重症児が多い)の混合病棟で、子供は大人に比べ手間がかかる。激務からミスが起きる可能性があった。
増員を訴えたが、忙しくてデーター作成などきちんとした書類はできず、厚生労働省のホームページに意見書を出した。


事故後の取り組み

 看護部事故対策委員会で事故防止対策案作りなどに参加。この事件についてはどうして起きたのか検証すると共に、組合ではT看護師1人に責任を負わせない為の広報活動を行なっている。

 病院としての調査は1度だけ聞かれた他は知らない。事故後2002年4月に外部から医療事故防止の専門家S氏が看護部長に就任。事故に関係のない第三者の立場から客観的な検証を行なっている。
現在病棟では消毒薬と点滴液などは区別して管理するようになっている。


刑の軽減を求める

 T看護師の勤務態度は真面目でやさしい。公務員は禁固刑になると失職してしまうが、
T看護師の体験を職場で生かす為にも仕事を続けるべきだと思う。

 さおちゃんのご両親には申し訳ないと思っている。さおちゃんを本当に大切にされていたことをよく知っている。事故の責任は自分を含む病院と国に多くある
T看護師は忘れたかったと思うが、よくがんばっていると思う。




 以上が看護師長の証言(※は大坂がこれまでの内容から付加)のまとめです。

 それまでの民事裁判で看護師長は
『今回の事故は保管場所から持ち出す際に注意すれば両タンクを見分けることは
十分可能であり、取り違え事故を事前に予見することはできなかった。また、薬剤管理は病院全体のシステム的な問題で看護師長ら末端管理者個人の責任ではない』

などと自らの責任を否定し、T看護師の確認ミスと病院の管理システムに責任があると
主張してきました。

 今回ようやく、
『病棟での薬剤管理責任は看護師長自身にあり、事故当時はずさんな管理状態に
あったことや、看護師に事故防止の指導をしていなかった』
ことを認めました。

 この証言を聞いて私は正直ホッとしました。
民事裁判でさおちゃんのご両親が主張してきたことを、部分的にでも看護師長が認めたからです。これをきっかけに膠着状態の民事裁判や、検察審査会の審査もよい方向に向かってほしいという期待がふくらみました。

 証人尋問が進むにつれて看護師長はもちろん、弁護人までが涙ながらのやりとりをするようになり、弁護人がT看護師の刑の軽減を訴える頃には、傍聴席のあちらこちらから
すすり上げる声が聞こえてきました。しかし周りの状況とは裏腹に、私の気持ちの中では違和感が芽生えてきたのです。『この涙は誰のための涙?』

 次の証人 (T看護士の母親) と弁護人とのやりとりの時には、その疑問は確信に変わりました。結局、弁護側は事実を自分たちに都合よくゆがめ、尋問に美談を盛り込んで、
T看護師をこの事件の被害者として強く印象づけたかったのです。
裁判官の同情を引くことで、実刑判決を免れようとしているのです。
私の中で高まった期待感は失望に変わりました。

 その後の民事裁判における看護師長の姿勢に変化はありませんでした。
自らの罪を問われない『部下の刑事裁判では、彼女を救済するために自らの責任を認めるが、(さおちゃんのご両親から)自らの責任を問われている民事裁判では、
自らの責任を認めようとはしない』
のです。
医療事故被害者を軽視した看護師長の一貫性のない態度には、大きな不信感を持たずにはいられません。

 さおちゃんが3日間も苦しみ、懸命に生きようと戦いながら力尽きていった無念さや、
事故後も続いているご両親への仕打ちへの痛みはあるのでしょうか。もしあるのなら、
今回の証言では触れられなかった事故隠しについても明らかにしてほしいと思います。

 近年、刑事裁判が、被害者の人権よりも加害者の人権重視に傾いているとの批判があります。しかしさおちゃんの刑事裁判では、検察側に被害者側からの視点が弱く、ご両親がもっと知りたいと望んでいることに関する証言があっても、踏み込んだ尋問はほとんどされず、弁護側主導の裁判といっても過言ではありません。

 さおちゃんのご両親はT看護師一人に重い刑罰を科すことを望んでいるわけではありません。しかし、さおちゃんやご両親の苦しみ・無念さを無視し、事件を事務的に処理するだけの審理には異議を唱えざるを得ません。
 ご両親の思いが尊重され、納得のいく審理が尽くされることを心から願うばかりです。

 次の第5回刑事裁判では、事故後に着任したS看護部長の証人尋問が予定されておりその証言に注目したいと思います。ぜひ、多くの方々の傍聴と応援をお待ちしてます。

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