『さおちゃんの会』 満1才を迎えて

                          2002.04.20. 代表世話人  大坂 紀子


 さおちゃんは1才の時、京大病院で病名と共に余命は半年から2年と告げられました。
それから、両親は懸命にさおちゃんを愛し、守り続けました。いつ起こるか分からない呼吸停止の恐怖、状態の悪い時は24時間片時も目を離さず、いくつもの危機を乗り越え、
さおちゃんは17才となったのです。

 しかし、よりによって、その一家の闘病生活を長年支え、信頼していた京大病院スタッフのミスにより、さおちゃんの命は奪い去られたのです。そればかりか、病院はあくまで病死を主張し、ウソまでつき始めたのです。

 さおちゃんの闘病を見守っていた私達ボランティアにとっても、あまりにショックな出来事でした。しばらくは無力感に包まれながらも、次第に疑念と悔しさがふくらんでいきました。そして昨年春ようやく、このまま多発する医療ミスの中にさおちゃんを埋もれさせてはいけないと、この『さおちゃんの死と真実を知ろう会』をスタートさせました。

 始めは、どれだけの人が会の活動に関心を持って下さるか不安でしたが、生前にさおちゃんと関わりのあった方々を中心に、重い障害をもつ子供さんの関係者がたくさん入会して下さいました。また看護師や医師の皆さんからも、ご意見や励ましの言葉をいただき感激しました。「さおちゃんニュース」を通じ、さおちゃんという存在が、生前には見ず知らずだった方の心の中にも、少しずつ刻まれていくようで本当に嬉しく思っています。


 12月にスタートした民事裁判の傍聴とその後の交流会には、人工呼吸器を着けた
「バクバクの会」の子供さん達や、3月には「頸髄損傷者連絡会」の皆さんも参加して下さいました。改めて、この事件はさおちゃん一人の問題ではなく、重い病気や障害を抱え、病院に命をゆだねざるをえない人達全ての問題だと思いました。
さおちゃんに起きたことは、それ以前からあった様々な小さなミスの積み重ねの上に起こったことであり、いつ誰にどんな形で起きるか分からないものなのです。そうした事件の本質に目をつぶり、看護師1人のうっかりミスで片付けようとする京大病院を許すことは、多くの弱い人達を危険にさらし続けることになるのです。

 第1回の交流会の時、F先生 (お母さんの大学時代の恩師) が「裁判の勝敗は裁判長が決めるものではない。世論が決める。」と、おっしゃって下さいました。
スーパーで、「記事読んだよ、頑張ってね。」と、声をかけて下さる方がありました。傍聴に来て下さった皆さんの向こうにも、「さおちゃんニュース」を読んで下さっている大勢の人の存在を感じられるようになりました。
事件で信頼していた人達に裏切られ、人への信頼感までも揺るぎかけ、苦しい時期もありましたが、こうして新たな人の輪に支えられ、これからの長い裁判に立ち向かう勇気が湧いてきました。
長い時間がかかるとは思いますが、京大病院が心から反省し謝罪する日をめざして頑張りたいと思います。そして、京大病院が、病気を診るエキスパート集団だけではなく、一人
ひとりの生き方をも支えられる病院と変わってくれればと願っています。


 やっと、1才になったばかりの『さおちゃんの会』ですが、これからもご支援をお願いします。地裁にも是非足をお運び下さい。お目にかかれるのを楽しみにしています。

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