【 毎日新聞 2001年(平成13年)3月7日記事 】

    難病で入院12回 希望見えた矢先
       奪われた17歳・沙織さんの命


         京大病院・エタノール誤注入で死亡



 昨年3月2日午後7時54分、京都大医学部付属病院(京都市左京区)小児科病棟に入院中の藤井沙織さんが、17年の短い命を閉じた。あの日から1年。両親の時間は、止まったままだ。筋肉が次第に動きにくくなる難病と家族3人で闘い、宝として守り育ててきた命は、人工呼吸器の加湿器に誤って消毒用エタノールが注入されるという医療ミスで奪われた。信頼していた医師に「寿命」とごまかされ、病院側は権威を取りつくろうことに必死だった。「病院内で起こった真実が分からない限り、沙織の死を受け止めることができない」。両親は少しずつ声を上げ始めた。時計の針を動かし、医療現場の閉ざされた体質に光を当てるために。                         【大平 誠】


        「寿命」とごまかされた家族
     「真実を告白して」


 沙織さんは岡山県倉敷市の生まれ。生後10カ月で発病し、1984年3月、京大病院でリー脳症(ミトコンドリア脳筋症)と診断され、治療のため一家は京都に移り住んだ。

 徐々に呼吸がしづらくなる症状が進み、90年2月には気道確保のために気管を切開、
8カ月間、人工呼吸器を装着して症状が落ち着いた。その後は、入退院を繰り返しながらも、最長となる3年半の在宅治療の期間、信州や福井県の東尋坊旅行に行ったこともある。

 12回目の入院から2カ月たった99年12月25日、感染症の悪化から、10年ぶりに人工呼吸器をつけると症状は安定した。両親には「新しいチャレンジだけど、これからは在宅用の
人工呼吸器をつけてどんどん外に出て行こう」という希望も見え始めた。

 そんな矢先に医療ミスは起きた。エタノールの誤注入から約10時間後の昨年2月29日未明、容体は急変した。顔は小豆色になり、心拍数は上がり、血圧は急低下した。しかし、CRP(炎症反応数値)は感染症を示すには考えられないほど低く、担当医は理由を説明出来なかった。

 沙織さんは2日後に息を引き取った。手厚い最期の治療と、医師や看護婦総出の真夜中の見送りに、「京大病院で本当によかった」と感謝し、病院を去った。ミスの事実を告げられたのは翌3月3日。それでも、「死因とミスは関係ない」と訴える担当医の言葉を信
じたくて、京都府警の司法解剖の要請も当初は拒んだ。

 しかし、解剖執刀医から致死量のアルコール濃度が検出されたことを聞き、会見で「遺族とはいい関係にあり、クレームもない」などと都合のいい解釈ばかりを押し付ける病院に絶望した。

 病院側は、3月7日夕方、府警が医療ミスを発表する時間と同時に会見を開き、「2月24日の段階でいつ亡くなってもおかしくない状態だと家族に伝えていた」と、誤注入以前に重篤だったと強調した。

 両親は翌日の新聞でこの「情報操作」を知り、驚いた。沙織さんはこのころ、元気だったからだ。病院が「重篤」とする翌日からは、ちょっとCRPが高いと「感染症が怖い」とキャンセルされてしまうシャンプーを2日続けてしている。

 ただ一つ、思い当たることは、この24日に頭部CTスキャンの結果説明があったことだ。担当医は「全体的にかなり進行していて、画像を見ればいつ亡くなってもおかしくない状況」と説明したが、これは9年前のCT検査のときと全く同じだった。両親は「それは目の前の沙織を見てではなく、あくまで画像のこと。この時期に『もう危ない』と医師から言われたことは1回もなかった」と憤る。

 「裏切られた」という悔しさを捜査に託し、両親は沈黙を守ってきた。「17年間、歩くこともできなかったけど、命の重さに変わりはないと思ってきた。気管切開してからは、夜は交代で寝て、家族3人で一つの命だったんです。医者だからこそ、命の大切さを分か
ると思っていたのに」と叫びたい気持ちをこらえて。

 沙織さんのいた病棟は、小児科だけでなく、600例を超える生体肝移植を手がけた移植外科も入っている。医師は別だが、看護婦は同じだ。しかし、ミスがその最先端の現場で起きたことは伝わっていない。遺族のプライバシー保護を理由に、病棟名まで秘されていたからだ。

 「医師や看護婦一人一人を罰するのではなく、京大病院がやってきたことをありのままに公表してほしい」。両親は今月下旬、担当医も出席する病院側の事実説明の場に臨む。医療ミスで命を奪ったことの謝罪と、真相の告白を求めて。



     ---- 京大病院エタノール誤注入事件の経緯 ----

 昨年2月28日午後6時ごろ、看護婦が沙織さんの人工呼吸器の加温加湿器に補給する蒸留水タンクを消毒用エタノールと取り違え、約53時間後に気がつくまで計5人の看護婦、看護士がエタノール注入を繰り返した。病院側は当初、遺族にこの事実を隠し、担当医(47)は感染症の悪化を理由に、直接死因を急性心不全とする死亡診断書を交付した。

 司法解剖で致死量以上のエタノールが検出されたことなどから、京都府警はエタノール中毒死と断定。今年1月16日、「解剖で判明するまでは死因不詳とするべきだった」として、担当医を虚偽有印公文書作成、同行使容疑で、誤注入にかかわった看護婦ら7人を業
務上過失致死容疑で、京都地検に書類送検した。



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