電子掲示板から医療の行方を考える

                           中島成子 (さおちゃんの会役員・看護師)



 医療関係者の方がた、本誌もこの稚文も闇雲に医療界を糾弾しているのではない事を
ご理解ください。被害者を病院に敵対する存在と位置付ける事なく、この世には「良心的な医療者が多い中で、心無い医療者も存在する。心無い対応に苦しんでいる患者がいる」
事実をまず受け止めてください。被害者側の発言にニュートラルに耳を傾けてください。


 昨夏「さおちゃんの会にようこそ」の掲示板に、加害看護師周辺の方からと思われる書き込みがありました。一部を抜粋します。
(全文は会のホームページ旧掲示板をご参照下さい)

 @−「悪意のないミスで解雇される職業なんてほかにあるでしょうか? プロ野球選手がバントに失敗したら起訴されるのでしょうか? 医療関係者だけはミスをしてはいけないのでしょうか?・・なら、人間には不可能な職業ですね」

 A−「本人はあなた方が想像できないほどつらいと思います。・・天国のさおちゃんもきっと復讐などのぞんでいないと思います」


 この書き込みの背景には、

 @−「人を傷つけたり殺したらペナルティを受ける」という当然の社会ルールの欠如があります。「医療行為において治療の必要上人体に針を刺す等の行為は合法と認められている」事と、「ミスで傷つけたり殺したりしてしまった」事はまったく次元の違う事柄だと認識出来ないのでしょうか。
その根底には、「医療従事者は患者より立場が上」との思いや「ミスはあって当たり前」という感覚が見て取れます。
野球のバントミスと人一人が亡くなった事実を同列に論じる思考の持ち主が医療現場にいるのだとしたら、本当に恐ろしいことです。
現場の各々が「この医療行為は一歩間違えば『傷害罪や過失致死罪に至る行為』である」「その怖さを十分認識できる教育を受けたからこそ、この免許で働いているのだ」と肝に
命じずして、システム上の医療ミス再発防止をうたっても、無意味でしょう。

 A− 医療事故および医療事故隠蔽事件の被害者の親御さんに、このような内容を書き送る人間の軽薄な無邪気さに、鳥肌が立つほどの恐怖を感じました。知性や人権感覚の有無を問う以前に、人間として当然の感情や想像力を持っていただきたいと願います。


 投稿者が現場の医療者ではない事を願いますが、京大病院全体がこの投稿者と同じ
レベルの感性を持ち合わせていると思わざるを得ません。今尚、さおちゃんの17年の生は貶められ、傷つけられています。


 医師は自らが人工呼吸器をつけての退院を促していたにも関わらず、「いつ亡くなってもおかしくない状態だった」と繰り返します。素人ならいざ知らず、最先端医療を担う立場の医師が、人工呼吸器装着は全て死期が近いかのような巧言を弄するとは。
53時間もの間ウイスキーの2倍も濃いアルコールを、直接吸引させられていた事実を承知していて尚、「病死・自然死」の死亡診断書を書きました。
この医師はプロとしての自覚を何処へ捨てたのでしょう。
昨秋検察審査会による「不起訴不当」の差し戻しがされ、不起訴になったのもつかの間、
3月31日ご両親は二度目の審査の申し立てを行い受理されました。
新聞記事によると再度の受理は異例との事ですが、前述の状況での「病死・自然死」の
死亡診断書が如何に不自然かを、端的に示しています。


 事故に関わった看護師たちも又、未ださおちゃんとご両親を傷つけています。
民事裁判では、「Tさんがエタノール取り違えをしなければ・・」と、各々が業務上での責務や確認を怠った事実を重大とはせず、さおちゃんに対しなんら罪は無いと主張しています。
犯してしまった事実に真摯に向き合わずして、今目の前にいる患者さんにどんな笑顔を、どんな言葉をかけているのでしょう。
事故への反省も無くして(謝罪が無ければ、世間では反省していないと受け取ります)、自他とも二度と同様の事故を起こさないよう努める事が出来るのでしょうか。医療者の誇りは、その前に人としての普通の感情も期待できないのでしょうか。
「きちんと確認していたら、ミスに早く気が付いていたら・・・」と悩み苦しむこともおありだろうと、信じたいのですが。京大病院の看護師である事が人間として取るべき行為を妨げているとしたら、そのような組織を変えられるのは、まさに当事者である内部の人間の勇気ある声だと思います。
ご両親の「起こしてしまった事故に真摯に向き合い、再発防止に真剣に取り組み、娘に心から謝罪してくれるのなら加害者を許したい」との心からのメッセージを受け止め、行動してください。


 医療関係者は京大病院が未だに、第三者を交えた事故調査を行っていない事をご存知ですか。過去の事件を反省も検討もする事無く京大病院看護部のリスク管理が正当に行われると、思われますか。当事者からの直接な謝罪も無く、「被害者へのメンタルケア」がどう済まされると、お思いですか。
医療事故被害者と加害者の真の和解なくして、「被害者のメンタルケア」も「今後も医療事故を乗り越えて働き続ける加害者のメンタルケア」もありえないと、認識している事と信じます。

 その大前提に、万が一医療事故が起きてしまっても「事故隠しをしない」「真摯に謝罪する」「相当のペナルティを受ける」事が必須でありましょう。少なくとも患者側が不毛と思う
民事訴訟は限りなくゼロに出来るでしょう。
医療的に優秀な人材を存続させたい思いは誰しもあります。しかし、加害者の身分保全は、事故対応が誠実に行われたその先の話です。
医療事故防止のシステム(教育を含めて)と共に、上記を視野に入れた事故対応のプログラムを徹底していただきたいと切に願います。


 医療倫理は、その特異性と専門性において、社会の当たり前のルールを尊守する事を厳しく求められています。腐った一つのリンゴを庇いあう組織やシステムは、必ず全体が
腐敗します。罪の無い命をも犠牲にして。内部から腐ったリンゴを見つけ出し、腐った原因を追求し、取り除きましょう。医療不信への信頼回復は、自浄努力を示すしかありません。
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