控訴審判決の日

                          藤井 香 (08/02/29)


 『本件控訴をいずれも棄却する ―――。』
 わずか数十秒のことでした。涙をこらえるのが精一杯。あまりに短い一言に呆然とし立ち上がることもできませんでした。今度こそ京大病院の嘘が認められ、沙織の尊厳が守られると信じていたのに…、悔しくて悔しくてどうにもやりきれません。

 一昨年の年末、期限を前にぎりぎりまでかかり控訴理由書を作成、提出してから1年余り、あんな短い一言で追い払われるなんて……。
 裁判とは何なんだろう。本当のことが知りたかった。沙織の死の現場で何があったのか? ただそれが知りたかった。

 一審二審で6年 ――。
 真実はそれぞれの心の中にあるから、当事者たちが本当のことを言わない限り、裁判をしようがしまいが何も明らかにならない、それを痛感しました。
 それでも証人尋問や沢山の証拠のなかで見えてくるものがありました。裁判官だってわかっていたはず。真実に言及する勇気がなかったのでしょう。どこまでいっても強い者が高笑いをする社会なのでしょうか。

 重大なミスがわかってもカルテにも書かない、看護記録にも書かない。53時間エタノールが誤注入されたことがわかっていても死亡診断書にも一切書かず、『病死及び自然死』に丸をして私たちに渡し、病院を去る時も何も言わない。事務部長の判断で事故届けはされたものの、記者会見の場でも嘘だらけ。

 『患者は10年以上にわたって人工呼吸器を装着』
 『2月下旬から危篤状態だった』
 『医療ミス以前から重篤で、いつ亡くなってもおかしくない状態だった』
 『発表が遅れたのは家族を説得するのに時間がかかった』・・・・

 全て事実ではありません。沙織は呼吸器をつけて2ヶ月余り、退院に向けた在宅用呼吸器の練習中に起きた事故でした。それに記者発表を拒否したことは一度もありません。こんな嘘の記者会見をすること自体が問題なのに、後の裁判の中で、京大病院は自分たちの不正を正当化するため、嘘の上塗りをして、沙織が生き抜いた17年をも傷付けました。それでも司法は許してしまったのです。

 判決は
京大病院において組織的な事故あるいは事故死の隠蔽を行ったと受け止める要因となるような状況が多々あったことは否定できない。』と判断しておきながら、『事故死隠蔽の意図や行動があったとは認められない』と私たちの主張を全て否定し、京大病院の主張を採用しました。

 医療は誰のためのものなのか ――。
 患者が主体の医療なら、患者が納得できなければ信頼関係など築けるはずがありません。司法の判断に関わらず、今回の対応が沙織や私たちを深く傷付けたことは間違いのない事実です。そして8年経った今でも、あの時の対応が間違っていたと思っていない当事者たちがいることに恐ろしさと危機感を持ちました。この意識のズレを少しでも埋めるためにも、司法に毅然と「NO!!」と言ってほしくて、もう一度石を投げました。

 司法の判断は社会をも変える大きな力です。でも現状では法に不備があり司法の限界を感じました。最高裁には、事実に目を背けず勇気ある一歩を踏み出してほしいです。そして、医師や看護師たちには、法的責任があるかないかにこだわらず、一人ひとりの命に真剣に向き合い、たとえ結果が悪くても患者や遺族が納得できる、嘘やごまかしのない医療を取り戻してほしいと、今は一層思いを強くしています。

 判決の日、失望の中で、気が付いたら沢山の人がそばにいてくれて、どんなに嬉しかったか。同じ思いを共有してくれてどんなに救われたか。本当にみなさんありがとうございました。そして法廷には来れなくても、判決を見守って下さったすべてのみなさんに感謝いたします。
 沙織の苦しみや無念が報われる判決ではなかったけれど、6年余りの月日には大きな成果があったと思います。酷暑の夏も、雪のちらつく寒い冬も、毎回傍聴に来てくれたバクバクっ子の存在を目の当たりにし、裁判官たちは人工呼吸器が単に末期患者の生命維持装置だけではなく、生きる生活道具でもあることを知ったと思います。
 沙織が命とひきかえに伝えたかったことを心に刻み、立ち止まることなく、これからも声を上げていきたいと思います。


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