「ピュアランド/森万里子展」東京都現代美術館

 ここ数年、海外での大活躍についての報道は多かったものの、その実態がもう一つ解らなかった現代美術作家・森万里子の展覧会が、東京都立現代美術館で開催されている。
 天女や人魚、アニメ風のキャラクターのコスプレをキメた森自身が、コンピュータ・グラフィックスの写真や映像の中で浮遊する。ほかにも法隆寺の夢殿や竜安寺の石庭をハイテク風にアレンジした空間造形など、まさに西欧から見たオリエンタリズムのオンパレードである。
 美しさと共にそのあっけらかんとした世界観には拍子抜けもする。彼女の描く天上界的なイメージのあまりの楽天性に、むしろある種の軽薄さを感じたものの、3DのCG映像などを「これでもか」と見せられているうちにどうでもよくなってくる。画布や石を材料とした西欧の美術の(宗教や哲学同様の)堅牢志向と比較して、そもそも日本文化とはペラペラした「紙」というはかなげなメディアであの世や精神文化を追求してきたのではないか…と気付かされるからだ。いや、気付くというより、紙のメディアよりもさらに実体感を持たないマルチメディアを通して、そういう日本文化のパースペクティブに初めて同化できたような感覚が湧いてくる。これは優れた戦略だ。
 作家自身が作品の主人公として登場するというのは、近年の自意識系現代美術のトレンドだが、森作品はその徹底ぶりにおいても極北に位置する。多くの作家が複雑化する情報社会における「個」のアイデンティティーを求めながらも、結局は予定調和的にマスメディア論やジェンダー論的な「自分さがし」へと収斂するのに対し、森万里子はむしろメディアそのものと戯れる。
 多くの「自分さがし」が、発見した現実の写しや報告を「美術表現」とするのに対し、「森万里子」のイメージは「美術表現」を通して様々なキャラクターへとどんどん分裂、拡散してゆく。オリジナルの彼女からはかけ離れ、作品上にしか存在しない実体を持たない「森万里子」が量産されてゆくところが新鮮だ。
 ちなみにこの展覧会のタイトルは「森万里子ピュアランド」という。テーマとしてあげられている精神世界性よりもむしろ、迷いも不純物もないメディアの使い方の姿勢に感心した。

(コラム「魚眼図」/北海道新聞夕刊02年4月2日)

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